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    ものみの塔 1956 | 2月15日
    • つかさたちを責めて言つた。「なぜ神の宮を捨てさせたのか」そして,レビ人を招き集めて,その宮の中の持ち場に復帰させた。そこで,ユダの人々は,皆,穀物,ぶどう酒,油の十分の一を倉に携えてきた。私は祭司シレミヤ,学者ザドクおよびレビ人ペダヤを倉のつかさとし,……彼らの任務は,兄弟たちに分配することであつた。』(ネヘミヤ 13:10-13,新口)ヱホバの什一を盗んだときに,イスラエルに対する霊的な恩恵や奉仕は,すくなくなりました。

      21 1918年以来,ヱホバの油注がれた証者たちは,なぜ昔の律法に従つて什一を納めることができませんか? 第1世紀のクリスチャンたちは,なぜ什一を納めることができませんでしたか?

      21 マラキ書 3章10節は,宮級の残れる者である霊的イスラエル人に適用する故に,ヱホバが1918年に御自分の宮に来られて裁きの業を行つて以来,ヱホバの油注がれたこれらの証者たちは,実際の什一をヱホバに携えねばなりませんか? そのようなことは,ありません。現在,エルサレムには実際の殿がなく,また実際の什一を納めるレビ人やアロンの家族の祭司がいないことからも,実際の什一をヱホバに携える必要はすこしもありません。マラキ書 3章10節は,西暦33年の五句節以来の第1世紀に住んでいた油注がれたヱホバのクリスチャン証者たちの上に先ず成就されました。それで,彼らは私たちの手本になつています。これらユダヤ人のクリスチャンたちが,五句節の日に神の聖霊で油注がれた後になつて,もはやエルサレムにあつたヘロデの宮に実際の什一を携えてくることは,不要になりました。実際の什一を携えてくるならば,神の棄てられた物質の宮を支持することになります。そして,また憎しみの気持から,イエス・キリストを殺した祭司制度を支持することになります。その祭司制度は,キリスト教に反対して戦い,キリストの使徒たちに敵対し,かつ使徒たちを牢獄に入れて,その死を図つていたのです。―マタイ 23:37,38; 27:20。使行 4:1-10; 5:17-27,40; 12:1-5。

      22 第1世紀のクリスチャンたちは,実際の什一を納めなかつた,と聖書の記録はどのように示していますか?

      22 また,ユダヤ人クリスチャンの残れる者たちは,12使徒や,エルサレムにあつた会衆の統治体を維持するために,什一を納めなかつたのです。もし,彼らがマラキ書 3章10節に従つて,実際に10分の1を納めたとしたなら,次の聖書の記録は,どういうことになりますか?『信者たちは,みな一緒にいて,いつさいの物を共有にし,資産や持ち物を売つては,必要に応じてみんなの者に分け与えた。』『だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく,いつさいの物を共有にしていた。』(使行 2:44,45; 4:32-37; 6:1-6,新口)物ということから言えば,これは什一のすべて以上です。そして,使徒,監督,奉仕の僕たちだけに捧げられたものではありません。

      23,24 実体的な什一は何ですか? 祭壇の上で祭司の燃した素祭のひとつかみは,そのことをどのように示しましたか?

      23 それでは,ヱホバの今日の民が,ヱホバの霊的な宮の倉に携えねばならない什一とは何ですか? むかしのイスラエルの什一,つまり10分の1は,今日の何を予表しましたか?

      24 聖書の中で,10は地的なものの全部,全体,完成を象徴していることは真実です。しかし,10分の1は,そうではありません。イスラエル人の10分の1は,クリスチャンがキリストを通して神に捧げるすべてのものを予表していません。それで,イスラエル人が10分の1を捧げたことは,ヱホバにたいする私たちの全き献身を予表せず,また水のバプテスマによる献身の象徴を予表しているのではありません。イスラエル人の什一は,産物の全部ではなく,その一部であるわずかな10分の1でした。その故に,イスラエル人の什一は,私たちの献げるすべてのものの一部を表わします。私たちが,ヱホバの宮の倉に,実体的な什一を携えるということは,要するに私たちの神であるヱホバに,私たちがすべてを献げたという事実のしるし,または象徴です。それは,私たちの献身の記念です。それは,祭司が,神の祭壇の上に捧げた記念の分と同じようなものです。『ひと,素祭の礼物をヱホバに供うる時は,麦粉をもてその礼物となし,その上に油をそそぎ又その上に乳香を加え,これをアロンの子供なる祭司たちの許に携えゆくべし。かくてまた祭司は,その麦粉と油一つかみをそのすべての乳香とともに取り,之を記念の分となして壇の上に焼くべし。これすなわち火祭にして,ヱホバに馨しき香たるなり。素祭の余は,アロンとその子らに帰すべし。是はヱホバに献ぐる火祭の一にして,至聖物たるなり。』(レビ 2:1-3,7-10,14-16; 6:14-18。民数紀略 5:25,26)祭司が,壇の上で焼いた一つかみは,ヱホバに捧げたすべてのものの記念の分でした。祭司は,残りを用いることができました。

      25 イスラエル人の什一の目的から判断して,私たちの実体の什一は,簡単に言うと何ですか?

      25 それで,神の民となつた私たちクリスチャンも,キリストを通してヱホバにすべてのものを捧げる,という証しを示さねばならず,そして,私たちはこの証しを年々示さねばなりません。私たちの持てるすべてのものを最高の神に捧げるという事実のしるしに,定期的な寄附をするということ ― これこそ実体の什一です。イスラエル人の什一の目的は,ヱホバの宮と,ヱホバの選民およびレビ人による宮の奉仕を支持することであつたという点を記憶して下さい。それで,私たちの実体の什一は,ヱホバの宮奉仕を直接に支持するものです。私たちは,二つの方法によつて,ヱホバの霊的な宮の倉に,この実体の什一を携えることができます。

      26 一つの方法として,私たちはどのように実体の什一を納めることができますか?

      26 その一つの方法として,金銭や物資の贈物を用いることによつて,実体の什一,または,霊的な什一を納めることができます。それは,宮の隅石がイエス・キリストであるヱホバの霊的な宮の崇拝を促進するためです。(エペソ 2:22。ペテロ前 2:4-6)この物質的な寄附は,10分の1に限られるわけでなく,またすくなくとも10分の1でなければならない,というわけでもありません。それが,10分の1以上になる場合もあり,また10分の1以下になることもあるでしよう。しかし,『神はよろこんで施す人を愛して下さる』ゆえに,それはよろこんで寄附されねばなりません。(コリント後 9:7,新口)ヱホバの証者の奉仕機関である『ものみの塔聖書冊子協会』に寄附したり,又私たちの属す地方の会衆や,大きな大会の経費をまかなうための寄附をしたり,あるいは宮の奉仕のある部門で働いている個人に直接寄附することにより,ヱホバの崇拝を維持し,かつ発展させることができます。又は,ヱホバに属している貧しい者に寄附することができます。ヱホバに属する貧しい者に贈物をすることは,ヱホバに貸すことになります。(シンゲン 19:17)物質的な寄附をするということは,什一を納めることのほんの一部にすぎません。

      27 集会に関して,私たちはどのように実体の什一を納めることができますか?

      27 私たち自身が,直接宮の崇拝に参加して,それを発展させることにより,実体的な什一すなわち霊的な什一を納めることができます。むかしの宮崇拝のときには,人々は什一を携えて宮に行き,神の家にいた祭司たちやレビ人,そして他のイスラエル人と接しました。それは,自分の家でする個人的な崇拝以上のものです。それで,私たちもヱホバ讃美者の集会所でなされる集会に出席することにより,霊的な什一を納めることができます。私たち自身が,その集会に出席するのはもちろんのこと,その集会中に割り当てられた自分の役目をひきうけ,霊的に力ずける援助の言葉を語ることによつて,集会に出席した他の人が円熟に向うのを助けることができます。その後に,始めて集会に来た人や,新しく興味を感じた人をはげましたり,あるいは他の人を援助して集会に出席させるようにして,他の人を円熟に向わせます。しかし宮の崇拝という機会を得るためには,私たち自身の個人的な準備は必要となるでしよう。ヱホバの日が近ずいているいま,集会をおろそかにすることは,宮の崇拝をおろそかにすることです。―ヘブル 10:24,25。

      28 野外奉仕活動に関して,私たちはどのように実体の什一を納めることができますか?

      28 そして又,次のようにして霊的な什一を納めることができます。すなわち,準備をしてから,自分ひとりか,もしくは群と共に,命ぜられた御国の音信を伝道するために,野外奉仕にでかけることです。このようにして,私たちのヱホバ崇拝を他の人々に示し,そして他の人々にもヱホバ崇拝ををするよう励ますことです。会衆の『奉仕会』や『神権宣教学校』に出席することは,この準備を助けるものです。むかしの什一は,祭司たちやレビ人を支えました。それで,私たちは,実体の『レビの子孫たち』すなわち,ヱホバの『王なる祭司』の現存している残れる者たちを支えなければなりません。つまり,ヱホバの設立した御国を伝道し,またこの組織制度のあらゆる政治的な『山』や宗教的な『山』よりも,はるか高きところでヱホバの崇拝を行うことによつて,彼らを支えねばなりません。(ペテロ前 2:5,9)この野外奉仕の活動の中には,口頭やビラを用いて公開集会を宣伝することも含まれています。私たちが,それらの公開集会に出席することはもちろんのこと,献身した兄弟や最近に興味を持ち始めた人々を援助して,その集会に出席させます。霊的な什一を納めるということの中には,全世界からの『全国民』と『すべての民』を援助して,ヱホバの家の高き山に導く,つまり共にヱホバ崇拝をするためにヱホバの宮に導く,ということも含まれています。―イザヤ 2:2-4。

      29 金持だけでなく,貧しい人もなぜ霊的の什一を納めることができますか?

      29 祈りを捧げつつ,この霊的な寄附をすることは,物資の寄附よりも,はるかに大切なものです。ヱホバ神に献身しているすべての人々は,物質的に富んでいようと,貧しかろうと,この種の霊的な什一を倉に納めることができます。或る人々は,「貧者の一燈」しか寄附できません。(ルカ 21:1-4)しかし,次のようにして,より大切な霊的な什一を捧げることができます。すなわち,機会の許す度に直接証言の業を行つたり,又は自分の家を,宮崇拝の集会所に提供したり,あるいはヱホバの業のために他の重要な援助をすることによります。金銭や品物を寄附できる金持は,それでもう事足りた,と考えてはなりません。金銭を寄附するからといつて,霊的な寄附をする必要がなくなるわけではありません。私たちは,伝道したり,又は集会所や野外奉仕の家から家の業で,自分の信仰を公やけに言い表わさなければならないのです。すべての宮崇拝者たちは,『御国のこの良いたより』を,全国民の証として全地に伝道すべきです。そして,私たちは伝道を支持したり,又は自分自らその業に参加することにより,霊的な什一をすべて納めなければなりません。―マタイ 24:14,新世。

  • 試みをして後の祝福された結果
    ものみの塔 1956 | 2月15日
    • 試みをして後の祝福された結果

      1 イスラエル人がマラキの言葉を聞いて,什一のすべてを納めたとき,何が起りましたか? そのことは,ネヘミヤがユダを統治している時,どのように示されましたか?

      イスラエル人がマラキの言葉を聴いて,什一のすべてを宮の倉に納めたとき,どんな結果が生じましたか? 祭司とレビ人たちは,その割当通り一人残らず,規則正しく宮仕えをなし,そして人々の霊的な必要物に注意を払い,人々と神との関係を良い状態に保ちました。キリスト前455年,ユダ地方の総督ネヘミヤが,エルサレムの石垣を再建して完成した後の時代に,それについての良い例があります。『その日,倉のもろもろのへやをつかさどる人々を選び,ささげ物,初物,十分の一など律法の定めるところの祭司およびレビ人の分を町々の田畑にしたがつて取り集めて,へやに入れることをつかさどらせた。これは祭司およびレビ人の仕えるのを,ユダ人がよろこんだからである。彼らは,ダビデおよびその子ソロモンの命令に従つて,神の勤め,および清め事の勤めをした。歌うたう者および門を守る者もそのように行つた。……また,ゼルバベルの日およびネヘミヤの日には,イスラエル人はみな歌うたう者と門を守る者に日々の分を与え,またレビ人に物を選別して与え,レビ人はまたこれを聖別してアロンの子孫に与えた。』(ネヘミヤ 12:44-47,新口)イスラエル人は,宮の奉仕が滞りなく全く行われ,しかも奉仕の地位がことごとく充されているのを見てよろこびました。彼らは,自分の献げた寄附によつて,そのことが行われ,そして宮の僕たちが扶養されたために,よろこびを感じました。それから12年の後,ネヘミヤはこの宮の支持を再興し,レビ人の宮の僕たちを各々の地位につけ,そして,すべてのユダ人をしてレビ人を物質的に支持させました。(ネヘミヤ 13:10-14)そのとき,ユダは再びよろこびました。

      2 (イ)ユダがよろこんだように,ヱホバの証者はどのようによろこびますか?(ロ)国家の農業上の状態は,宮の僕たちにどのような影響を及ぼしましたか?

      2 同じことは,今日のヱホバの証者にも言えます。神の召の言葉に注意を払つて霊的な什一を納めるとき,私たちもよろこびます。そのとき,活動的で良く支持された宮の僕たちの数が増すために,宮の崇拝が増加するからです。1919年以来,霊的イスラエルの残れる者は,霊的な什一を納めてきたため,『王なる祭司』の成員の数は,1931年までに充足し,大祭司イエス・キリストの体の14万4000人の成員の地位は充たされました。霊的な什一を納めることにより,家の倉には食物が豊富に貯えられ,そしてヱホバの家は必らず繁栄します。そして,宮の僕たちは,いわば,必要な食物と衣服を持つことになり,自分たちの宮の義務を行うことができます。むかしのイスラエルで,たとえ什一が納められた時でも,もし畠の産物が少いなら,それに従つて什一も少くなり,従つて宮の僕たちの物質的な支持も少くなりました。それでは,どうなりますか?

      3 ここで,ヱホバの契約は,どのように表立つてきましたか? どのようにヱホバを試みることは,什一のすべてを納めることでしたか?

      3 ここで,ヱホバの契約が表立つてきました。その契約によると,もしヱホバの民が忠実であるならば,畠の産物が乏しくて,その結果少い什一しか納められないということは決してありませんでした。ヱホバの民が,自分たちの分を果すなら,ヱホバも御自分の分を果します。彼らが従順にも什一のすべてを納めることは,彼らの神である彼を試すこと,又は調べることである,と神は言われました。それは,神がその契約における御自分の分を果しているか,どうかを試すことでした。これは,神に対する正しい試みであつて,悪をなすよう神を誘惑するものではありません。悪または愚かなことを為して,神を試みることではありません。(マラキ 3:15。マタイ 4:5-7)それは,愛と信仰の中に,契約

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