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あらゆる民族集団のあいだの一致は可能ですかものみの塔 1971 | 6月1日
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再婚するまで扶養することを申し出たのです。彼は,妻たちの反論や,しゅう長をやめるに際して受けた圧力に対してもしっかりした立場を保ちました。その結果,離婚した妻のうちのひとりは,そうした処置の妥当性や清さを見て,エホバの証人になりました。これは,幾千ものそうしたケースの一例にすぎませんが,訪問者たちは,世界の他の土地に住むクリスチャン兄弟たちと同様,アフリカのエホバの証人も聖書の高い標準に従って生活していることをこの経験から知りました。
フリータウンでの大会を観察したある人は,珍しいでき事を目にしました。大会には,いつもお互いに憎みあっている11の部族の人たちが,他の国々の代表者たちとともに出席していたのです。それはどんな結果になりましたか。その観察者はこう述べています。『第1日目には6人の警官が場内を歩いているのが見られました。二日目にはふたりの警官が日影で腰かけていました。最終日には1,540人が出席したのですが,ひとりの警官も見あたりませんでした。シエラレオネが現在非常事態下にあることを考えれば,これは驚くべきことです』。そうした人々の間での一致は単に可能であるというにとどまらず,実現しているのです。
象牙海岸のアビジャン
象牙海岸は,15世紀に象牙貿易の中心であったため,その名前が付けられたのですが,現在ではコーヒーが主要な産物です。この土地では,1964年にエホバの証人のわざが禁止されました。3年後にそれが解除された時,証人たちは非常に大きな喜びに包まれ,最初の集会では声がかれるまで王国の歌をうたいました。
現在その土地には10の会衆と六つの宣教者の家があって,440人の活発な奉仕者が働いており,彼らは1,000名の人々とともに家庭聖書研究をしています。そのわざが実を結んだことは,アビジャンでの大会に1,003名が出席したことによって示されました。それら出席者たちは,アビジャンを訪れたアメリカからの訪問者による励ましや,また彼らとの親しい交わりを得てとても喜びました。
ガーナのアクラとクマシ
かつて「黄金海岸」と呼ばれたガーナは今なお金やダイヤモンドを産出しますが,主要な輸出品は,ココアやチョコレートの原料になるカカオです。世界最大の人工湖,レイク・ボルタはガーナの中東部に位置しています。首都のアクラと2番目に大きな都市クマシがこの国での二つの大会開催地となりました。ガーナでは50以上の言語や方言が話されています。しかしおもに使われているのは,ツイ語,エウエ語,およびガ語を含む六つの言語で,英語が公用語になっています。
訪問者たちは,男女ともに身にまとっているケンテ織りの,美しく明かるい色彩の上衣を鑑賞しました。また,「アフロ」というヘヤースタイルがアフリカで一般的なスタイルでないことを知りました。たとえばガーナの女性は髪の毛を二つに分けてそれぞれの束を黒い糸でぐるぐる巻き,短いおさげのようにします。各のスタイルに従って,「トウモロコシの列」とか「母親のポップコーン」,「Y形」その他の名前が付いています。
ガーナには14,363名の活発なエホバの証人たちからなる,289の会衆があります。アクラ競技場では14,526名の群集が二日目のプログラムに出席し,M・G・ヘンシェルによる,「神の王国の方法によって人類を救う」と題する公開講演を聞きました。最終日にはN・H・ノアが閉会のことばを話し,近い将来,「ものみの塔」誌が外国から郵送されず,ガーナにおいて三つの言語で印刷されるようになると発表し,大会出席者を喜ばせました。
ガーナのクマシの大会に出席した北アメリカの代表たちは,自然にわき起こった歓迎に深く感動させられました。彼らが2台のバスを連ねて到着すると,1万8,000人の出席者から喜びの叫びと拍手がわき上がり,何百人もの人が列をなして握手を求め,個人的に訪問客を歓迎しました。クマシでの公開講演には24,960人がスポーツ競技場を埋め,662名の新しい奉仕者がバプテスマを受けました。
トーゴのロメ
トーゴはガーナとダホメーにはさまれた国で,幅64㌔の海岸を持ち,海岸から590㌔内陸にはいっています。この国の首都ロメにおける大会は,結局わずか1日だけ開かれたに過ぎませんでしたが,それでも大成功を収めました。第1日目の夜,約4,000名の人々が集まって,トーゴの人が演じる聖書中のエステル書に基づく劇を見ました。トーゴ全土で活発に働くエホバの証人はわずか1,638名にすぎないという事実を考えると,この出席者数はきわめて注目すべきものです。
残念なことに,初日のプログラムが終わった時,保健局はコレラがまん延する恐れがあるとして,証人たちが大会出席者をコレラから守るための注意深い予防策を講じていたにもかかわらず,大会の中止を命じました。土地の証人たちは会場および必要な設備の準備に多くの時間を費やし,また,その多くはたくわえをすっかり使い,悪い道や小路を通って大会に来たのですが,自分たちが見聞きした事柄や交わりを楽しみ,幸福な気持ちで家に帰りました。
訪問した北アメリカの代表者たちは満足する
こうした事態に至って,北アメリカからの旅行者たちはどんな事柄を目にしたでしょうか。人々が愛を持ってほんとうの一致のうちに,ともに働くことのできる基礎がありますか。ある人は次のように書いています。『トーゴで大会が中止された後,兄弟たちは帰ろうとしませんでした。彼らは二日目に来ることになっていた訪問者たちを,どうしても出迎えねばならなかったのです。兄弟たちはその日一日中,夜まで支部事務所にやって来ました。そして5時に訪問者のバスが到着すると,いっせいに歌をうたい,ひとりひとりに手を差しのべて歓迎しました。兄弟たちのあいだになんとすばらしい愛が見られたのでしょう。訪問者たちはそうした愛に胸を詰まらせ,眼に涙を浮べなかった人はひとりもいなかったと思います』。
ダカールの大会後,訪問者のひとりはこう述べました。「ダカールはわたしたちの思いと心臓に深い印象を与えました。なぜならわたしたちは使徒行伝 17章26,27節で使徒パウロが述べている事柄を以前よりもいっそう深く理解できたからです。[『そして,(神は)ひとりの人からあらゆる国民を造り出して,時節を定められた。これは人々が神を求め,神をさがし尋ねて,ほんとうに見いだすためである。事実神はわたしたちおのおのから遠く離れておられるのではない』]。真理の種はこの地にまかれつつありますから,わたしたちはこの土地の人々がエホバを求める時,そのすべての上にエホバの豊かな祝福があることをお祈りします」。
旅行者たちはそれで全旅程を終えたわけでなく,アフリカの他の国々をも訪問しました。彼らは17万5,000人を優に上回る人々が平和のうちに集まっているのを見,幾千名もの人々と語り合い,何百名もの人々と個人的に親しくなりました。しかもそれらすべての人々の間に,同様な一致が見られたのです。あらゆる民族集団に属する人々が聖書の真理に基づいて一致を見い出し得ることに十分な満足を覚えて,旅行者たちは帰途に着くことができました。
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読者からの質問ものみの塔 1971 | 6月1日
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読者からの質問
● 「汝らの老たる人は夢を見 汝らの少き人は異象を見ん」という預言にはどのような意味がありますか。―アメリカの一読者より
ヨエル書 2章28節からのこの預言は,西暦33年の五旬節の時に使徒ペテロが説明したとおり,その時から始まった使徒時代に成就を見ました。(使行 2:17)老人たちが夢を見,若者が幻を見ると預言が述べているとおり,それは古い肉なる者と若い肉なる者との双方が,神の交信の手段として神に用いられるという意味です。若者が見る幻が神の霊感によるものであったと全く同様,老人の見る夢も神からの霊感によるものであろうということです。それは,老人が霊感のもとに神の幻をも見ないとは限らないことを意味しています。
そのことは記録が明らかにしています。ペテロは神からの幻を受け,それによって異邦人コルネリオに伝道する備えをしました。そしてちょうど同じころ,イタリアの百卒長コルネリオも神からの幻を見てペテロを迎えにやりました。(使行 10:3-17)使徒アナニヤは,迫害者であるタルソのサウロのもとに行き,メシヤに関する良いたよりを彼に知らせよとの幻を受け,それを果たしました。サウロが使徒パウロとなった後,彼はいく度も霊感による幻を見ました。さらに,使徒ヨハネは,晩年になんとすばらしい数々の霊感による幻を見たのでしょう。―使行 9:10; 18:9。コリント後 12:1。黙示 1:1。
しかし,問題の預言をそうした使徒時代に限られたものとして考えるべきではありません。他の数々の預言がそうであるように,この預言も第二義的にはわたしたちの時代に当てはまります。預言されている事柄が「エホバの大なる畏るべき日」の前に起こると述べられていることからもそれは明らかです。―ヨエル 2:31。
今日わたしたちには霊感による全部の聖書がありますから,神は霊感による幻や夢をこれ以上与えられ
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