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クリスマス ― あなたにとってそれは何を意味しますか目ざめよ! 1974 | 12月22日
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申命記 12章30,31節に記録されている,この問題にかんする神ご自身の意見に注目してください。「『これらの国々の人々はどのような方法で彼らの神々を拝んだだろうか。わたしも同じようにしよう……と言ってはいけない』。あなたは,あなたの神エホバに向かって同じようなことをしてはならない」。(バイイングトン訳)イスラエル国民が,エジプト人の行なっていた偶像崇拝である子牛の崇拝を採り入れたとき,神の怒りが彼らに臨んだのをあなたは思い出されるでしょう。子牛はエホバを表わす,これは『エホバの祭礼』である,と彼らは主張しましたが,神はモーセに言われました。『汝の民は悪しき事を行なうなり』― 出エジプト 32:4,5,7。
西暦1世紀に,宗教上の習慣にかんして別の問題が生じました。クリスチャンになったユダヤ人たちは以前,「エホバの節期」(過ぎ越し,五旬節,仮庵の祭り)を祝っていました。そしてその祝いを『汝らの神エホバの前に楽しむべし』と命ぜられていました。(レビ 23:2,40)しかしクリスチャンたちは,こうした祝祭でさえも継続してはならなかったのです。(ガラテア 4:9-11)もし神ご自身がお定めになった祝祭を今は継続すべきでないとすれば,クリスチャンは確かに異教の習慣から離れていなければなりません。
クリスマスはあなたにとって何を意味するか
すべての人がこの問題をまじめに検討してみるのはよいことです。異教の風習にかんしてはクリスチャンは,「汚れた物に触れるのをやめよ」と命ぜられています。(コリント第二 6:17)聖書はまた,「あなたがたは偽りを捨て去ったのですから,おのおの隣人に対して真実を語りなさい」と勧めています。―エフェソス 4:25。
あなたは聖書のこうした命令に従いたいとお考えですか。これらの命令に従うと同時に,異教から出ていることが認められている,そしてイエス・キリストの誕生日でない日を誕生日であるかのように見せる祝いを行なうことができますか。そういうことをするのは,神や神の真理以上に快楽を愛しているということではありませんか。―テモテ第二 3:4。ローマ 1:25。
クリスマスは,多くの人にとって試みの時となるかもしれません。彼らは,クリスマスが異教のにおいのすることや,神に喜ばれないものであることに気づいているかもしれません。しかし,自分の家族や友だちや近所の人たちは大祝いをするかもしれません。そうなると,『みんなのすることをする』ようにさせようとする圧力は強くなります。
今年のこの試みは,あなたがどんな人であることを示すでしょうか。神に対するあなたの愛は,人間を喜ばせたいというあなたのどんな願いをもしのぐものであることを,すべての人に示すでしょうか。あなたの愛とおそれの最高の対象はエホバ神であるべきだと聖書が教えていることを思い出してください。―マタイ 22:37。イザヤ 8:13。
しかし子どもたちはどうですか。子どもたちからクリスマスの贈り物をもらう喜びや楽しみを取り去るのは残酷ですか。実際,それは近視眼的な見方です。わたしたちはすでに,一部の子どもたちが,クリスマスが来ても問題が解決しないので落胆し,自殺までするということを知りました。
クリスマスを祝わないといっても,子どもたちにぜんぜん贈り物をしないということではありません。その点では,子どもたちでも他の人々でも同じことです。家族ぐるみで楽しいことをしたり,贈り物をしたりするのに適当な時は一年じゅうあります。
たとえばエホバの証人のことを考えてみてください。彼らはクリスマスを祝いません。しかしそのために彼らや,彼らの子どもたちが苦しむということはありません。それどころか彼らはクリスマスを祝わないためにほっとしています。贈り物をしなければ,という強いられるような気持ちはもうありません。多くの人を,肉体的に感情的に疲れ果てさせる半狂乱のような『クリスマス・ショッピング』も過去のものです。エホバの証人にとって,クリスマスはこうした事がらのどれをも意味しないものとなりました。
子どもたちが受ける益のことも考えてください。1年のうちただ一度だけでなく,何度も楽しいことがあります。お母さんやお父さんから思いがけない時に贈り物をもらって歓声を上げるところを想像してごらんなさい。子どもはそれにどんなに感謝することでしょう。そして両親の愛を確信することでしょう。子どもが贈り物の真の贈り主に感謝するのは,架空の人物であるサンタクロースなどに感謝するよりもはるかによいことです。
今年のクリスマスはあなたにとって何を意味するものとなるでしょうか。神と神の真理に対する愛こそ,あなたの生活の中の最も強い力であることを示す機会となるでしょうか。それとも,神が嫌われるものであることが自分に分かっているものと妥協する時となるでしょうか。クリスマスがあなたにとって何を意味するかは,実際にあなた次第です。
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生活の質が低下してゆくのはなぜか目ざめよ! 1974 | 12月22日
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生活の質が低下してゆくのはなぜか
あなたにとってより良い「生活の質」とは何を意味しますか。それを聞くとすぐに,快適な家や高級車,高給の職業,十分の余暇などが頭に浮かびますか。ほとんどの人は,貧しい生活状態,窮乏,飢えなどと比較して,より良い「生活の質」とはそういうものだと考えています。
多くの人が,そうしたものを得ようとして努力してきました。そして今ほど多くの人がそれらのものを所有している時は歴史上かつてなかったことです。しかしそうしたものは,真の意味で「生活の質」を向上させるのでしょうか。
ひとつの答えは繁栄している西ドイツから得られます。同国では人々は,「今までになかったほど多くのお金をもうけている」と言われています。しかし,ボンの一ニュース通信員は,「彼らは深い憂慮と焦燥を感じており,将来のことを心配している。……安定も安全もない時代にそれらを願い求めている」と伝えています。
また大西洋の向こうでは,ピューリッツァー賞受賞者,アーサー・シュレジンガーが次のように言っています。アメリカは,「かなりの間生活の質が実際に低下しつつあったことを突然意識するようになった。街路はさらに危険なところとなった。郵便や電報の遅配はひどいものである。……家に来て修繕してもらうことなど薄れゆく思い出みたいになってしまった。電気屋とか鉛管工などは斜陽職業である。それはあたかもアメリカの夢が,ら線降下に巻き込まれて,今のところそれから逃れ出る明確な手段が何もないかのような状態である」。
なぜ矛盾が存在するか
なぜこのような一見矛盾と思える状態が存在するのでしょうか。生活の質は低下しつつありますが,それと同時に「良い生活」と呼ばれるものは広がりつつあります。なぜですか。
なぜなら,良い「生活の質」と,「良い生活」と一般に考えられるものとは,同じでないからです。皮肉なことに,工業諸国を豊かにした力のいくつかは,生活の質を損いつつある張本人でもあります。英国の歴史家アーノルド・J・トインビーは最近,工業界は「個人の利益の利己的な追求こそ,社会のために最大の益を生み出す」という哲学に従ってきた,と説明しました。物質上の利益は多くの人に及びました。しかし,たとえ物や余暇がふんだんにあったとしても,自分の交わる
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