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  • 危険な誤信
    目ざめよ! 1971 | 1月22日
    • とある家で生活していました。ご自分の聖書を開いて,マタイ伝 2章1-12節の記述を読んでごらんなさい。

      それは問題ですか

      以上のことからすれば,誤謬を信ずるのは重大な問題ではありませんか。“凍傷”や“浮き砂”に関する誤信は相当の危害,場合によっては死をさえもたらしかねない,といわねばなりません。

      しかし,聖書の述べることに反する,無責任で誤った宗教上の考えに固執すれば,さらに重大な危害を招きかねません。なぜですか。なぜなら,単に現在の命が脅やかされるにとどまらず,永遠の命が関係してくるからです。真理と永遠の命は密接に関連しているのです。―ヨハネ 17:3; 4:23,24。

      聖書は,明らかに神の「意志は,あらゆる種類の人が救われ,真理の知識に至ることである」と述べています。(テモテ前 2:4,新)一方,イエス・キリストの使徒であったパウロは,誠実でありながらも,誤導されていた人びとについて,こう言いました。「彼ら(は)神に対する熱心をいだいている…が,それは正確な知識に従っていない」。(ロマ 10:2,新)あらゆる誤信を自分の思いから一掃するのは確かに安全な道であると言わねばなりません。

  • 両親から受けた,聖書に基づく訓練に感謝する
    目ざめよ! 1971 | 1月22日
    • 両親から受けた,聖書に基づく訓練に感謝する

      ◆ アメリカ,インジアナ州のエルウッドに住むひとりの若いエホバの証人は,両親から受けた聖書教育に深く感謝し,その理由をこう述べました。

      「わたしが5歳の時,両親はわたしに聖書を教えはじめました。最初,その勉強はとても楽しいものでしたが,十代になって間もなく,わたしは反抗的な態度を示すようになりました。たとえば,王国会館での集会中,ほかの子どもといっしょにすわっては,天井を見上げたり,何かを書いて回したり,ささやいたりなどしました。でも,その時,わたしは両親のそばにすわらされました。また,両親は家族の聖書研究を決してやめませんでした。たとえ,わたしが家族の聖書研究の晩にほかの事をするようにしても,両親は必ず予定を組み直して,わたしたちの聖書研究を毎週行なうようにしたのです。

      「両親は,わたしに,聖書の基本的な真理を確固とした態度をもって,熱心に教えてくれました。やがて両親は,わたしが反抗的な態度を取らなくなり,エホバのご親切に感謝を表わすのを見るようになりました。現在,わたしは17歳ですが,できるだけ多くの時間を用いてエホバの良いたよりを伝道しています。わたしの願いは全時間伝道者として歩むことですが,これもひとえに,両親の忍耐と愛ある訓練のおかげです。

      「わたしは,自分が何年かのあいだ反抗的な態度を取ったことを,エホバ神に忘れていただきたいと祈っています。その間ずっと,わたしは,両親が正しいのだということを,自分自身の内奥でよく知っていました。ですから,お子さんをお持ちのかたすべてに,どんな事情があっても,特にお子さんの反抗期に際しては,子どもとともに家族の聖書研究をぜひお続けになるようお勧めいたします。反抗期こそ子どもが両親を最も必要とする時なのです。そうすれば,子どもが次のように言うのを親はいつの日か,耳にすることでしょう。『わたしといっしょに家族の聖書研究を欠かさずしてくださったことを,わたしはほんとうに感謝しています』」。

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