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クリスチャンの家庭に世代の断絶があってよいですかものみの塔 1974 | 8月1日
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てください。神のことばと,神の組織である,献身しバプテスマを受けた人びとの組織にしっかりとつき従ってください。世代の断絶を避けるならあなたのものとなる報いを考えてください。もしあなたがクリスチャンの若者たちに差し伸べられている神権的な特権に手を伸ばしてそれを捕えるなら,今でも多くの楽しい経験を楽しむことができます。そして将来はどうですか。箴言 3章1,2節はこう述べています。『我が子よわが法を忘るるなかれ 汝の心にわが誡命をまもれ さらばこの事は汝の日をながくし生命の年を延べ平康をなんじに加うべし』。
27 しかし両親も,世代の断絶を未然に防ぐために多くのことが行なえます。次の記事は,両親が青年層に対する責任を果たすうえで役にたつでしょう。
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家庭内で世代の断絶を防ぐものみの塔 1974 | 8月1日
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家庭内で世代の断絶を防ぐ
「少年をそのゆくべき道にしたがって訓練しなさい。そうすれば,年老いても,それからそれることはない」― 箴 22:6,新。
1,2 (イ)世代の断絶に対する責任の一端はだれにありますか。なぜですか。(ロ)今日の若い人々の多くについて,どんな意見が述べられていますか。
今日の親も,世界的な世代の断絶に対する責任を免れることはできません。たとえば多くの親は,子どもに対する態度が甘すぎて,悪い結果を招きました。(箴 29:15)世代の断絶という結果が生じただけでなく,「自分の思う通りにした」若い人たちは,多くの場合,乱れた生活をするようになりました。事実,わたしたちは現在,「うす汚い人の時代」と呼ばれている時代に住んでいます。ニューヨーク州評議員会の一員であるセオドア・M・ブラックは,最近,評議員たちの調査を教育の成果をはかる標準として論じたさいに,次のような見解を述べました。
2 「少なくともわたしたち自身の怠慢と甘さが原因の一部となって,わたしたちはいつのまにか,『うす汚い人の時代』と呼ばざるをえない時代,つまり個人衛生,身だしなみ,ことばづかい,習慣などはだらしがなくなり,不道徳な行ないやみだらな行為が人前でこれみよがしに行なわれ,仕事をするにさいしては,無精で,無関心で,していると見せかけるだけであり,非常に自己中心的で,それが非礼な態度のみならず他人の権利や,真に文明化した社会の人間関係の良さを気むずかしく無視する態度に現われている時代である。これらはすべて時の流行のように思われる」― 1972年6月24日のニューヨーク・タイムズ紙。
3 子どもがクリスチャンの特質を持つ者に成長することを望むなら,両親は何をしなければなりませんか。そしていつ?
3 子どものことを気づかう両親は,子どもがそのように成長していくのを望みません。しかし子どもが,勤勉,親切,善良,愛といったクリスチャンの特質を示す,高い道徳規準を持つ者に育つことを望むなら,クリスチャンの親は,子どもが学校に上がるような年齢になるまで,正しい道,すなわち神の道にしたがって子どもを訓練することを待つわけにはいきません。クリスチャンの青年テモテの場合もそうでしたから,今日でも待たないことは賢明な策です。彼については使徒パウロは,「幼い時から聖なる書物に親しんできたことを知っているのです。その聖なる書物はあなたを賢くし,キリスト・イエスに関する信仰によって救いに至らせることができます」。(テモテ第二 3:15)ですから子どもの訓練は,子どもが幼いときから始めることがたいせつです。敬虔な素質は生まれつき子どもに備わっているわけではありません。それどころか,「愚かさが少年の心に結びついて」います。「懲らしめのむちは,それを遠くへ追い」やります。(箴 22:15)幼いときから正しくしつけ懲らしめて,悪い傾向を除くことが必要です。
4,5 (イ)箴言 22章6節はどんなりっぱな助言を与えていますか。(ロ)神のことばのなかに述べられていることに例外があっても,なぜそれはその聖句を無価値なものにしないでしょうか。
4 そういう理由で聖書は,「少年をそのゆくべき道にしたがって訓練しなさい。そうすれば,年老いても,それからそれることはない」と助言しているのです。(箴 22:6)新英語聖書はこの節を,「少年に正しい道を歩み始めさせなさい。そうすれは年老いてもそれを離れることはない」と訳しています。この節の別の翻訳は,「子どもをその生き方の要求にしたがって教育しなさい。年を取ってもそれからそれることはない」― 新バークレー聖書。
5 しかしなかには,「わたしは聖書に従って訓練された子どもを知っているけれども,彼らは悪くなってしまった」という親がいるかもしれません。一部の若者が神の真理からはずれたなら,この聖句は無価値なものになるでしょうか。いいえ,聖書が箴言 22章6節で述べていることは通則であって例外はあります。それはちょうど箴言 15章1節(口)に述べられていることに例外があるのと同じです。「柔らかい答は憤りをとどめ,激しいことばは怒りをひきおこす」。これはいつも真実であるとは言えません。こちらがどんなに柔らかく答えても,相手はいつまでも怒っていることがあります。しかしこれはよい規則で,たいていの場合よい結果をもたらすものです。
6,7 子どもを早くから訓練することが非常にたいせつなのはなぜですか。たいていどんな結果が生じますか。
6 この通則は妥当なもので,幼い時からエホバの道に従って息子や娘を訓練することには大きな益があります。子どもの生活の最初の4,5年はきわめて重要な時期ですから,早くから訓練することがぜひとも必要です。この時期は子どもの精神の型や能力が形成されつつあるときです。イリノイ大学のジョセフ・M・ハント博士はこう言っています。「子どもの発育が最も急速で,最もきょうせいしやすいときは,最初の4,5年である。この期間に子どもは,のちの能力の基礎となる能力を身につける。それら基礎的能力の20%は,1歳の誕生日を迎える前に,半分は4歳に達しないうちに発達すると言えるかもしれない」。
7 ですから,幼い子どもたちに神の原則を教え込むための時間を取るのはたいせつなことです。もし子どもが良い心を持っていれば,大きくなって正しい道を歩む結果になるでしょう。子どもは,広く見られる世代の断絶の犠牲者にならないよう助けを得ます。―エフェソス 6:4。申命 6:6,7。
意思疎通の道を常に開いておく
8 子どもと意思の疎通を図る道を親はどのように設け,それを維持することができますか。
8 子どもとの意思疎通の道を設けそれを維持するために両親にできることはたくさんあります。もし親が,学校や親族,保母その他の与える訓練に大きく依存するようなことをせず,自分でしっかり監督するなら,そのほうが家族のきずなは強くなるものです。子どもとはできるだけ早くから率直に話し合うようにすることがたいせつです。同じく重要なのは,子どもの質問に答えることです。可能なときには神のことば聖書から答えることがとくに必要です。(テモテ第二 3:16,17)それには,子どもの言うことをほんとうに関心をもって聞かねばなりません。ですから親は聞くことを学ばねばなりません。子どもがどういう問題を持っているかを知ってください。子どものささいな問題などにかかずらってはいられない,と決して考えないでください。
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