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  • 子どもたちが学校で直面する事がら
    目ざめよ! 1974 | 5月8日
    • と題する本にある例題などにしたがって独創的な文章をまとめることも求められており,その本の中には,筆跡観相法・占星術・その他の神秘的な行為に関する章がある」。

      そうです,子どもたちは,今日の学校においていろいろと難しい問題に直面します。学業に対する一般的な無関心さや,権威に対する不敬の風潮は,子どもたちの考え方に不健全な影響を与えます。今日の若者の間の犯罪,暴力,また他の人に対する一般的な顧慮の不足なども有害な影響を与えます。教育の課程の中にさえ必ずしも有益でない教科の取り入れられることもあります。こうした影響に対処するために何か行なうことができますか。親は,学校で直面する難しい情況を切り抜けられるよう子どもをどのように助けることができますか。

  • 子どもをどのように助けることができるか
    目ざめよ! 1974 | 5月8日
    • 子どもをどのように助けることができるか

      どうしたら子どもを助けて,道徳的に方正で,責任感のあるおとなに成長させることができますか。反抗・暴力・麻薬・性の不道徳・その他の悪行に誘う力が学校にも他の所にも働いていますが,そうした力に抵抗する備えを,どうしたら子どもに身に着けさせることができますか。難しい問題があっても,教育から最大の益を受けられるように,親として子どもをどのように助けることができますか。

      「人間の養育」と題する本にある,リー・ソーク博士とリタ・クラマーのことばに注意してください。[のちの生涯においても]物事を学び取ることができるために,[子ども]はすでに,信頼感と自制心とを培っているべきである。これは,他の人を喜ばせようとするのは価値のあることであるという意識であり,また,衝動のままに行動することを控える能力である」。子どもには,家庭における早いうちからの訓練が大切です。

      早いうちからの訓練が大切

      子どもの養育についてエホバ神以上に知るかたはいません。箴言 22章6節で神のことばはこう諭しています。「少年をそのゆくべき道にしたがって訓練しなさい。そうすれば,年老いても,それからそれることはない」(新)。若い人々が教えを受けるべきその「道」については聖書の中に述べられています。

      聖書を読むことによって,子どもたちは神を「知る」ようになります。これは子どもの心に健全な影響を与えます。神の数々の優れた特質や,神が人類のために行なってこられた事がらについて学ぶことにより,人は神に対する愛と,神の是認を受けようとする真剣な願いとをいだくようになるからです。親がそうした健全な教えを与えても与えなくても,子どもの考えや習慣はそれぞれに形成されてゆきますが,ごく幼いうちから子どもにエホバの道を教えるなら,それは親の分別と,愛のこもった関心のしるしとなります。

      広く認められている点ですが,若い人々が物事に対して無関心な態度を取るのは,生きていることの真の目的をはっきり知らないためである場合が少なくありません。そして,こうした点で子どもの問いに答えを与えているべきなのはだれですか。親です。確かに,そのように努めている親もいます。そうした親は,生活上の健全な規準を与えようと努力しています。しかし,大多数の人が,ときには自分の親さえもが不正なことや不道徳なことを行なっているのを見るとき,子どもは,教えられた事がらを,“別の時代”に属するただの理想として退けてしまいがちです。したがって,子どもに対する教えを効果的なものとするためには,親の個人的な見解以上のものが必要です。その必要を満たすのが聖書です。聖書は,人間の命の源なる創造者のことばだからです。―テモテ第二 3:16,17。

      当然のことですが,聖書によって子どもを助けようとするならば,親自身が神と聖書の教えとを信じていなければなりません。子どもは簡単なことでは欺かれません。子どもにあることを教え,親自身がそれとは逆のことをするならば,子どもは親の偽善にすぐ気づきます。それゆえ,親には重い責任があります。今日の若者の間に広く見られる,自己本位の物質中心的な態度から自分の子どもを守ろうと思うなら,親はことばと自分の手本とによって神の原則を子どもに教えてゆかなければなりません。

      懲らしめの果たす役割

      子どもが生活上のさまざまな圧力としっかり取り組んでゆく備えを身に着けるためには,懲らしめを伴う訓練が肝要です。聖書は神について,「エホバは自分の愛する者を懲らしめる」と述べています。(ヘブライ 12:6)聖書はまた次のようにも述べています。「むちを差し控える者は自分の子を憎んでいるのである。しかし,子を愛している者は懲らしめを加えつつ子を見守る」― 箴 13:24,新。

      これは時代遅れの見方ですか。家庭や学校における懲らしめは必要のない厳しさである,とみなすべきですか。マクギル大学のノーマン・ヘンチー博士はこう書いています。「今日の知恵にしたがえば,懲らしめは自由の侵害であり,自由を与えることによってのみわれわれは他の者に自由を教えうる,とされている。……しかし,現実の経験と常識から言う場合,これは全く逆である。……気ままな生活は自制心を学び取る道ではない」。

      毅然とした態度で終始一貫して与えられる懲らしめは,親が子どもを愛していることを示すしるしとなります。子どもたちは実際には懲らしめを切望し,それを受けないためにいたずらをする場合も少なくありません。著述家ソークとクラマーはこう書いています。

      「構成化された環境においてこそ子どもはいっそうの安心感をいだき,より生産的になるものである。これは研究の結果によって証明され,臨床的な実験によって確証されている。全く制限のない自由な状態というものは,むしろ不安な感じを与え,挑発的な“試みの”行動をいろいろと誘うように思われる」。

      愛をこめてなされる懲らしめは,多くの面で子どもを助けるものとなります。それによって子どもはいっそうの安心感をいだきます。のちの生涯で物事が“自分の思いどおり”にゆかない場合があっても,それによってすぐに失意落胆してしまうことはありません。そして,懲らしめを伴う訓練は,権威に対する敬意を幼いうちから培う助けとなります。しかし,懲らしめを伴う訓練とは,単なる処罰を言うのではありません。

      「精神の規整」によって助ける

      聖書のエフェソス 6章4節は,こうした懲らしめに何が伴うべきかを示しています。「父たちよ,あなたがたの子どもをいらだたせることなく,エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい」。ここで言う「精神の規整」とは,神に関する知識を子どもに与えて単にその知力を訓練することをいうのではありません。「新約聖書神学辞典」は,精神の規整と訳されているギリシャ語の動詞形についてこう注解しています。

      「[これ]は,意志と気質とに与える影響を述べることばであり,克服すべき反作用のあることを前提としている。それは,人の思考を矯正し,誤ったものを正し,精神態度を改善することを意図している。

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