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  • 子供は祝福ですか,それとも悩みの種ですか
    目ざめよ! 1981 | 7月8日
    • 子供は祝福ですか,それとも悩みの種ですか

      「家にたどり着いた時には,全身から力が抜けたようになっていました」。一人の父親は自分のバンで男の子をはねてしまった直後のことを回想してこう述べています。子供は突然道へ飛び出して来て,はね飛ばされたのです。自分の子供たちと一緒にやっとの思いで家にたどり着いたこの父親の頭の中では,鋭いブレーキの音,気分を悪くさせるような衝突音,救急車のサイレンなどが一緒になってうずを巻いていました。

      「子供たちは私が惨たんたる状態にあることを見て取りました」とその父親は語っています。そして,子供たちが自分を居間の床の上に横にならせ,背中をさすってくれたことについて述べています。「お父さん,できるだけのことはしたじゃない。お父さんはできるだけのことをしたんだよ」と,思いやりのある子供たちは言いました。父親の背中をさするこの子供たちの手から流れ出る愛ある気遣いは緊張をほぐしただけでなく,父親がそうした悲劇に付き物の感情的な苦悩の多くから逃れるのに役立ちました。

      この父親は子供たちの存在をどんなにかうれしく思ったことでしょう。そのような子供がいたら,その子をかわいがるのではありませんか。確かに,子供たちは喜びの源となり得ます。

      一方,別の家では全く異なった光景が見られました。父親はやはり床の上に横たわっており,息子と娘が父親の上を行ったり来たりしていました。ただこの父親は死んでいました。警察の話では,その父親の実の息子と娘が雇った殺し屋に殺害されたということです。欲望にうごめく二人の若者の手は死んだ父親の所持金300㌦(約7万2,000円)とクレジット・カード数枚を奪い,すぐにそれを使い果たしてしまいました。「おやじはおれたちのしたいことを何一つさせなかった。マリファナもだ」とこの若者は自分を正当化しました。

      自分の親を実際に死に至らせる子供はめったにいませんが,様々な仕方で反抗する子供は無数にいます。自分の子供の言動を大いに憂慮する親の数は増加しています。かわいい幼子が成長して若者になると,親や社会を痛烈に批判する,という事態が余りに多く見られます。無数の親の脳裏から離れないのは,「子供たちはどうしてあんなことをするのだろうか」という質問です。

      その答えはいろいろありますが,決して単純なものではありません。同じ両親から生まれた子供でも,全く異なった行動を取ることは珍しくありません。親から申し分のない世話を受けた子供でも,非行に走ることがあります。その逆も真です。一人の男の人はため息まじりにこう話しました。「私が私生児であったため,母は自分の姉の所に私を里子に出しました。おばはひとかけらの愛情も示さず,たびたび殴り,私を家事をさせる“道具”としか見ていませんでした。14歳の時には賭博狂になり,おじから『おまえのようなやつはろくな人間にならない』とののしられました」。ところが,この人は今では10人の子供を立派に育てています。

      後で述べるように,この人の経験は成人してからの行動の仕方に著しい相違をもたらす一つの要素を明らかにしています。

      親の場合 ― 子供がある種の行動を取る様々な理由について深い理解を得ているかどうかで,親として成功するか否かが決まることもあります。そうした知識は,子供をしつけるための努力を一層効果的なものにするのに役立ちます。

      子供の場合 ― ある種の行動を取らせる原因となる強力な力が数々存在しています。それらが何であるか,またどうすればそれに首尾よく対処できるかを知っていれば,自らの幸福を増し加えることになります。

      では,子供たちがある種の行動を取るのはなぜか,その理由の幾つかを考えてみましょう。

  • 子供はどうしてそのような行動を取るのか
    目ざめよ! 1981 | 7月8日
    • 子供はどうしてそのような行動を取るのか

      研究者たちはその答えをすべて解明したと思っていました。200人の子供たちを幼児のころから青春期を過ぎるまで詳しく観察し,親や家庭環境や子供たち各々の気質などを分折しました。そして,これらの子供たちのうちのだれが大人になってから幸せになるかを予告しました。それは簡単なことのように思えました。心地良い家庭環境の下で幸せな幼年時代を送れば,大人になってからも幸福になるというわけです。

      その子供たちが30歳になってから,再びその人たちと面接してみました。その予告は三つのうち二つまでが間違っていました。子供たちがどうしてある行動を取るのかを簡単に説明する方法はありません。しかし,子供が成長してからどんな人間になるかを決定する上で重大な役割を果たす要素が幾つかあります。

      生まれつきそうなのか

      人の外見はほとんど親から受け継いだものです。では行動の方はどうでしょうか。権威者の中には,A・H・チャップマン博士のように,「遺伝が子供の人格形成に及ぼす影響は,育て方が及ぼす影響よりもはるかに少ない。……遺伝の果たす役割はわずかである」と述べる人もいます。しかし,そうではない,と強く主張する親は少なくありません。例えば,一人の母親は自分の子供についてこう尋ねました。「うちの息子は実の父親を一度も見たことがないのに,どうして父親の生き写しとも言えるほど意地が悪く,けんか腰で執念深いのでしょう。この子の父親は私を妊娠させてから2分もしないうちに[私を捨てた]のです」。

      最近,科学者の一チームが,別々に育てられた15組の一卵性双生児について調査しました。科学者たちは,「研究の対象となった双生児の類似性に当惑させられ」ました。双生児は離れ離れにされ,異なった環境で育てられたので,その行動に驚くべき類似性が見られた要因は遺伝にあると科学者たちは考えました。その一人であるデービッド・リケンは結論として,この調査から「人間の行動で遺伝によって定められるかその影響を受けるものは,我々がこれまで考えてきたよりずっと多い」ことが分かる,と述べています。

      環境

      子供が住んでいる所。5年間青少年を扱ってきた社会事業家はこう話しています。「トミーは私が知っている中で一番不幸な子供でもありました。4間半しかない安アパートで10人の親族と一緒に生活していました。……家に帰るとトミーは,飲んだくれの父親から,すし詰めの住居から……それに自分は全く無価値で望まれていないという気持ちからくる欲求不満に直面しました」。その少年は14歳でヘロイン中毒になり,3年後に麻薬を摂取しすぎて死亡しました。この若者の住んでいた場所は,確かに悪い影響を及ぼしました。一方,やはりごみごみした都市に住んでいた別の十代の若者の場合,結果は異なっていました。若者の母親はこう話しています。「時々ジェフが欲求不満に陥るのが分かりましたが,そばにいる大勢の人々が子供たちのことを本当に気遣ってくれたおかげで,子供たちは二人とも人に対して温かく,友好的な態度を示すようになりました」。

      子供の見るもの。ある国では,子供が学校に上がるまでに8,000時間近くテレビを見ると伝えられています。これは必ず子供の人生観に影響を及ぼします。子供の行動の研究者の中でも最も尊敬されている心理学者の一人,ロバート・リーバートは,「それは子供に力は正義という考えを教える。テレビの連続番組のほとんどが教える教訓と言えば,富と力があり,悪を大目に見る者が一番成功するということである」と述べています。

      それに加えて,テレビの見過ぎが学習能力を妨げることを示す数多くの研究が公にされています。一権威者はこう伝えています。「テレビがついていると,すべての人の動きは止まってしまう。……ゲームや議論,人格や能力の形成に寄与した感情の交流の場面など,人々の間で行なわれていた事柄すべては止まってしまう。ゆえに,テレビをつけると同時に,人間を人間たらしめる過程を消すことになるのである」。

      食べる物 ― どれほど重要か

      『非常に重要です』と言う医師もいます。一人の少年の経験はこの点を例証しています。その子の母親はこう語っています。「うちの子は7歳で,学校に着いてしまえば学校をいやがるわけではありません。しかし,息子をベッドから引きずり出し,有無を言わせず服を着換えさせ,おしりをたたいてやらなければ食事をしません。息子はもどしてしまいます。私たちは息子を学校まで送って行きます」。そうした事態を情けなく思ったこの母親はさらに,「もっと良い生き方があるでしょうか」と述べました。しかし,明敏な医師はその男の子が毎晩床に就く前にアイスクリームをたくさん食べていたことを突き止めました。その甘い物の代わりにもっと栄養のある物を与えたところ,その子の朝の行動は著しく改善されました。この観察力の鋭い医師,レンドン・H・スミスは,自著「化学で子供の振舞いを改善させる」の中で,適切な栄養補給の必要性を強調してこう述べています。「どんな人の場合でも,その機能がうまく働くかどうかは,脳に十分の栄養が与えられるかどうかにかかっている」。

      「栄養価のないくず同然のスナック食品はやがて“くず同然の体”を造り出すことになりかねない」と,サイエンス・ワールド誌(1979年2月22日号)は伝えています。その記事は特に若者の間で炭酸飲料や板チョコ,ホットドッグ,果物のパイなどの消費量が増えた結果生じている害に注意を向けています。少なくとも一つの研究は,そのような食べ物が「ゆゆしい性格上の変化を[もたらし],[人を]一般に極めて攻撃的で落ち着きのない[人間にしてしまう]」と主張しています。

      食べ物やその他の物質に対するアレルギーも子供の行動に影響を及ぼします。11歳になる一人の男の子は,母親に言わせると,非常にむら気で,いつも不きげんで,むっつりしており,理屈っぽい子でした。医師はその子にアレルギーがあることを突き止めました。両親の話では,適切な治療を受けてその子は「生まれ変わったように」なりました。幾人かの非常に落ち着きのない子供たちの食べ物を注意深く制限したところ,同じような結果が得られたと伝えられています。

      親の模範

      「お母さんがかわいそうだったんだ」と17歳の少年は説明しました。少年はその気持ちをどのように表わしましたか。ナイフを一人の少女に突き付け,性的いたずらをしたのです。母親を公然と欺く父親に恥ずかしい思いをさせるためにそうしたことを行なったと,少年は語りました。

      親の悪い手本を激しく責める代わりに,別の反応を示す子供も少なくありません。「だれがその子たちを育てているのか」という本はこう説明しています。「幼児は模倣の力を通して学ぶ。……子供は自分が模倣する大人の習慣や感情,緊張,喜び,悲しみ,振舞いなどすべてを吸収する。乱暴な親に育てられた子供には暴力をまねる傾向があり,慈しみ深い親に育てられた子供はそうした行動を模倣する傾向がある」。

      子供の生活に影響を及ぼす力は数々ありますが,ある教育専門家はこう述べています。「親は……自分たちが依然として子供の生活の中で最も影響力の大きな存在であることを自覚すべきだ」。

      愛と受け入れられることとを望む子供たち

      生まれ出て3か月にしかならないのに,ある赤ちゃんはなくてはならないものが欠けていることを感じ取りました。この子にできる一番激しい抗議の意思表示と言えば,絶えず引付けを起こすことでした。医師たちが診てもどこも悪い所はありませんでした。「しかし,母親がその子を望んでいなかったため,子供を抱き上げることもあやすことも全然なく,授乳の時間になるとサークルベッドの中でほ乳びんを支えているだけであったことを医師たちは知った」と,「子供たちの秘められた世界」という本は伝えています。看護婦がその子に愛情を示すようになると,引付けは治まりました。

      わたしたちは生まれながらにして愛を求めます。「子供の行動を説明する要素として最も重要なのは,愛と世話を受けているという感じをこのように探し求めることと言えよう」と,児童心理学者ブルース・ナラモアは語っています。この愛が与えられないと,子供は欲求不満に陥り,うそ・盗み・放火・薬物の乱用・不道徳などほとんどどんなことでも行ないかねません。愛を求めるこの欲求は子供が大きくなるにつれて膨らんでゆき,別の面にも現われてきます。

      若者にとって“最大の圧力”。『それは先生からの圧力でも,成績のことでもありません』と一人の十代の若者は告白しています。「それはほかの子たちからの圧力です」。他の若者たちに好かれたいという欲求が多くの子供たちの行動を支配しています。十代の凶暴な非行少年のグループの成員を更生させようとしていた一社会事業家はこう伝えています。「このかわいそうないたずら小僧どもは本質的に,だれもが望んでいるようなことを求めているに過ぎない。取るに足りない者とされるよりはひとかどの人間になりたい,人間として認められたい,感謝され愛されたいということを求めているのである」。(下線は本誌)子供たちはそれを自分の仲間のグループの中に見いだそうと必死になるのです。

      グループの中で受け入れられたいというこの願いは一体どれほど強力なものでしょうか。医師の一団がそれを調べることにしました。そこで,10人の十代の若者から成るグループを一部屋に呼び入れ,何本か線が引いてあるカードを見せました。医師たちは,「わたしたちが一番長い線を指した時手を上げてください」と言いました。しかし,一人の子供は別として,ほかの9人は間違った所で手を上げるよう事前に告げられていました。

      手を上げる時になって,観察の対象になっているその十代の若者は他の者すべてが短い方の線の所で手を上げるのを信じられないような顔つきで見ていました。「どうやら要点を取り違えたらしい。みんなと同じことをした方がいいぞ。さもなければ笑われる」と,その若者は考えました。そこで,ほかの人たちに合わせて慎重に手を上げたのです。これが幾度か繰り返されました。『笑われない』ようにするため,この若者は自分の知力を否定しました。「調査の対象になった若い人の何と75%以上が同じような反応を示した」とジェームズ・ドブソン博士は伝えています。

      グループに受け入れられたいというだけの理由で,不道徳や薬物の乱用,大酒などにかかわるようになり,自分の知力を否定した子供たちは実に大勢います。しかし,別の感情も子供たちがどのように行動するかに影響を及ぼします。

      「友達の中にいるといつも劣等感にさいなまれました」。15歳の少女は自分が太めでボーイフレンドがいないためにこう感じていました。少女は自殺を計画しましたが,機敏な“いのちの電話”の相談員のおかげで命を失わずに済みました。こう感じるのはこの少女だけではありません。

      「我々の社会の十代の若者の約80%が自分の容姿に満足していないことをご存じだろうか。何と8割である」とドブソン博士は自著「青春期に備える」の中で述べています。若い人々は背が高すぎるとか低すぎるとか,太り過ぎているとかやせ過ぎているとか思っているのです。顔にできたニキビに悩む人もいます。その上,今は親の多くが子供の内面ではなく成績に重きを置く時代で,子供たちは自分に失望し,ほとんど自尊心を抱いていないのが普通です。若者の多くが反抗し,蛮行に走り,粗暴で無法な行動を取り,絶えず動き回っているのは,自分自身に我慢がならないからに過ぎないのです。

      性欲の盛り。脳の基部にある小さな腺が十代の若者に,ある鋭い“命令”を与えるようになります。脳下垂体は実質上,体に『さあ,子供をもうける備えをしろ』と命じるのです。内分泌腺の分泌物は性器を発達させます。しかし,これらのホルモンが行なうことはそれだけではありません。

      「思春期には……内分泌腺の変化のために若い人々は体の内部から刺激され,元気一杯になる。彼らは文字通り内分泌腺の分泌に振り回され,それはやがて新たなバランスに達することになる」と,G・M・ロット医博著の「人間の感情の話」は述べています。確かにこれらのホルモンは十代の若者の感情を『文字通り振り回し』ます。十代の若者が独立を主張するようになるのはこの時期です。異性に対する関心も高まるものです。

      聖書はこの時期を「若さの盛り」と呼んでおり,この時期を「過ぎて」から結婚するよう勧めています。(コリント第一 7:36)ここで用いられているギリシャ語の原語(ハイパーアクモス)は「字義的には『ある事柄の最高潮,花の満開時』を過ぎていることを指しています。性欲は思春期に初めて盛んになる,つまり強くなります。初潮を経験する年齢は100年前16歳であったのが,今では12歳にまで下がっています。これは問題を大きくしています。今では,十代に入ったばかりの子供たちの中に,自分の手には負えない状況に追いやられる者がいるからです。

      十代の若者がこの性欲に支配されてしまうなら,大抵の場合,性病,望まれない妊娠,堕胎,自尊心の欠如など悲劇的な結果を被ることになります。そのような欲望は抑える必要があります。(コロサイ 3:5)一大学生は自分の人生のそうした時期を思い起こし,次の点を認めています。『僕が初めてガールフレンドと性関係を持ったのは二人が15歳の時でした。それまでに,最後の一線を越える以外のことはすべてやり尽くしていました。そして,ある晩,彼女の方から最後までやってみたら,と言いだしました。数日後僕たちは別れました。それは人生で一番つらい時期でした。憂うつになって,ふさぎ込み,神経質になっていました。自分が落伍者のように思えました』。

      子供たちの取る行動の背後には様々な要素があることは明らかです。子供たち一人一人は異なっていますから,同一の影響を受けても皆が皆同じ反応を示すわけではありません。残念ながら,一生涯消えないほどの感情的傷跡を残すような行動を取る者もいます。そのような苦しみを味わわずに済むよう子供たちを助けるために,親にはどんなことができますか。また,必ず良い結果を得るのに役立つものがほかにもあるでしょうか。

      [4ページの図版]

      悪い環境は犯罪の温床となり得る ― しかし,必ずそうなるとは限らない

      [5ページの図版]

      テレビを見過ぎると学習能力が妨げられることがある。その上,悪い行動を教える番組もある

      [6ページの図版]

      栄養価のないスナック食品を食べてばかりいると,攻撃的な行動が引き起こされることがある

      [7ページの図版]

      慈しみ深い親に育てられた子供は親の行動を模倣する傾向がある

      [8ページの図版]

      他の若者たちに好かれたいという欲求が多くの子供たちの行動を支配している

  • 親はどんなことをして助けになれるか
    目ざめよ! 1981 | 7月8日
    • 親はどんなことをして助けになれるか

      「開業した時に四つの理論を持ち,子供のいなかった児童心理学者の話がある」と,心理学者のブルース・ナラモア博士は伝えています。「ところが数年後,その人は4人の子供を抱え,一つの理論も持たなくなっていたのである」。

      確かに,子育ての理論の移り変わりは激しく,子供を育て上げるのは決して容易なことではありません。しかし,自分の子供を育てる機会は一度だけです。どれが最善の方法なのでしょうか。

      様々な意見の中にあって,一つの情報源は終始成功してきた子育ての指針を与えています。それは聖書です。続く数ページから,(1)聖書の勧める事柄,(2)世界中の大勢の人々がより良い親になるのに聖書が役立つ理由,(3)その助言を家庭に当てはめる方法を読み取ってください。

      親は子供に衣食住を備えることにより愛を示しているのではないか

      その通りです。親は大抵幾年もの間犠牲を払うことになります。ある親は家族のために粗末な食事,「一皿の野菜」しか備えられないかもしれません。しかし,聖書によると,「愛をもって」備えるなら,それは「憎しみをもって供される最上の牛肉より」優れています。(箴 15:17,モファット訳)愛は良い食物よりも勝っています。子供は愛情で育まれるのです。それは,ひざ小僧をすりむいたら優しい言葉を二言,三言かけること,温かく抱きしめること,一言ほめること,ただ『おまえのことをとても誇りに思っているよ』と言葉をかけることなどに現われます。子供には,その幼い頭で理解できる仕方で,本当の温かさや親の気遣いを示してあげなければならないのです。

      しかし,行状の悪い子をどうして愛することができるだろうか

      それは容易なことではありません。しかし,聖書は,「思いやり」を重視しています。(ペテロ第一 3:8)子供の行状が悪いことの背後には,大抵深い理由があるものです。例えば,ある子は学校でわるさをするようになりました。心配してその子と何時間も話し合った父親はこう語っています。「息子を気遣っていることを示し続けたところ,その原因を話してくれました」。補聴器をつけていたのでほかの子供たちからからかわれ,受け入れてもらおうとしてわるさをしたのです。

      父親が「思いやり」を示し,さらに幾度か温かい話し合いを重ねた結果,その子の行状はよくなりました。幾年もたってからその子は両親に,「お父さんやお母さんの喜ばれない事柄をしてきたのは分かっていますが,私のことをあきらめずに育ててくださりありがとうございました」と書きました。欲求不満やねたみ,うっぷん,恐れ,不安などはしばしば悪い行状を助長するものです。

      子供が生まれながらに悪い特質を幾らか持っているならばどうだろうか

      自分か配偶者に同じ弱点がきっと見られるでしょう。それなら「思いやり」を育み,自分の経験から的を射た助言を与えることもできるでしょう。例えば,ある母親は9歳になる我が子が自分の子供のころを思わせるほど引込思案なのに気付きました。母親はこう語っています。「そのことについて息子と話し合い,私は自分が若かったころにも,息子と同じことを感じ,息子の内面で今生じているような事柄を経験したことを話しました。『どんな気持ちかよく分かるわ,ローランド。お母さんは今でも努力しなくてはならないのですもの』と言いました。その結果,私たちはずっと親密になり,以前よりは心を開いてくれます」。

      子供に本当に悩み事がある場合,どうすれば親はそれを悟れるだろうか

      子供の感情や考え,本心は,深い井戸の水のように心の中に秘められています。くみ出すのは大変なことです。「人の心の中にある計り事[人の目的あるいは意図]は深い水のようだ。しかし,識別力のある者はそれをくみ上げる者となる」という点を聖書は認めています。(箴 20:5,新)探りを入れるような質問は,その気持ちを「くみ上げる」かもしれません。子供が故意に反抗しているのか,欲求不満のために行動しているのかを見極めるには識別力が必要です。―箴 24:3。

      親が子供にどのように話すかは本当に重要なことだろうか

      確かに重要です。例を挙げて説明しましょう。インタビューをした記者は驚いて5歳の女の子に,「どうして死にたいと思ったの」と尋ねました。悲しげな目をした幼子はこう答えました。「だって,そしたらとても静かになるもの。いつもママにしかられないで済むでしょ」。子供にも感情があります。親の無思慮な言葉は深い傷跡を残しかねません。箴言は,「剣で突き刺すかのように無思慮に話す者がいる」と述べています。それは人を傷つけます。しかし,「賢い者たちの舌は人をいやす」のです。(箴 12:18,新)心からほめて,子供に自尊心を持たせましょう。どれほど小さくても,成し遂げたことをほめるのです。

      子供は自分の感じ方のために『どなられる』と思うと,それを表に出しません。性に関する感情を打ち明けるのは子供にとって特に難しいことです。若い人は恥ずかしく思うでしょう。しかし,その子の考え方がたとえ間違っていても,子供は,自分の考えは自由に言い表わしても構わない,と感じているべきです。一人の親はこう述べています。「子供が心にある事を吐き出す時,親の方が煮えくり返るような気持ちになることがあります。しかし,それをあらわにしてはなりません。さもないと子供は口をつぐんでしまうでしょう」。

      子供の世界に,その気持ちのあるところに入り込むのです。寝かし付ける時に5分ほど一緒に過ごしましょう。自分がどんな事柄で幸せになったり悲しんだり心を乱されたり恐れたりしたかを話します。経験だけではなく,感情を分かち合うことが大切です。何よりも,子供が自分の気持ちを打ち明ける時には耳を傾けなければなりません。

      愛とは,子供にいつも思い通りのことをさせてやるという意味だろうか

      そう考える人は少なくありません。子供から愛されたいと思っているのです。「アメをくれなきゃきらいになるから」と子供は脅すように言います。後にそれは,「遅くまで起きていさせてくれなければ」とか「好きな物を食べさせてくれなければ」とか「好きな友達と交際させてくれなければ」とかいうことになります。親は折れてしまいます。その結果が,制御できない,安心感を抱いていない若者の世代です。聖書はこう勧めます。「[自分の子]を愛する者は,懲らしめをもって子を捜し求める」。懲らしめとは人格を形成し,矯正するための教えを意味します。それは人格を築き上げ,安心感を与えます。―箴 13:24,新。

      子供が懲らしめに耳を傾けないならどうしたらよいか

      「あなたの子を打ち懲らせ。そうすれば,彼はあなたに休みをもたらし,あなたの魂に多くの喜びを与えるであろう」と聖書は勧めています。(箴 29:17,新)打ち懲らすとは罰を与えることです。文字通りおしりをたたく場合もあれば,子供の大事にしている特権を与えない場合もあるでしょう。これは子供に肝要な教訓,つまり権威に対する敬意を教えることになります。神は罰を与える然るべき方法の模範を示し,『わたしはあなたを適度に懲らしめねばならない』と語られました。しかし同じ人々に,「わたしはあなたと共にいるからである」という保証の言葉を与えておられます。神はまだ彼らを愛しておられました。ですからエホバは,受け入れることのできる振舞いに関して,愛のある,それでいて揺らぐことのない境界を設けておられるのです。子を持つ親も同じようにすべきです。―エレミヤ 46:28,新。

      親はどんな事柄に関してき然とした態度を取るべきか

      子供が栄養のある食物を食べるようき然とした態度で求めるべきです。栄養が著しく欠乏すると,体の発育が止まりかねません。同時に,暴力や不道徳を特色とするテレビ番組や雑誌や映画などの“不潔なもの”で子供が思いを養うことを許してはなりません。

      しかし,親の立派な教えにとって最大の脅威となるのは子供の友達,つまり遊び仲間です。子供が堕落した習慣を持つ者と友達になるなら,その子は普通そうした行動を必ず「熟知する」ようになり,罠にかかってしまいます。(箴 22:24,25,新)親にはそのような悪い交わりを断ち切らせる務めがあります。これには懲らしめが必要です。しかし,親が悪い交わりの代わりに良い交わりをあてがい,家族の活動をより楽しいものにすれば,その仕事ははるかにやりやすくなります。

      子供はどれほど幼い時から正邪の観念を培うか

      子供が自分の方からそうすることは決してないでしょう。聖書は,幼い子供が『悪を退け,善を選ぶ方法』を知らないことを示唆しています。―イザヤ 7:16,新。

      どうしたら子供にこれを教えることができるか

      心を動かさなければなりません。子供は「悪を退け,善を選ぶ」内的な動機付けを培う必要があります。さもないと,問題を起こさずにすむ表面的な抜け目のなさだけを身に着ける恐れがあります。ですから,「懲らしめ」に加え,「エホバの……精神の規整」をもって子供を「育てて」ゆかねばなりません。―エフェソス 6:4。

      それには子供の心を動かすような情報を思いの中に入れてやることが求められます。それは正しいことを行なう動機付けを与え,将来臨む危険を警告するものであるべきです。「精神の規整」という聖書の用語には,「訓戒を納得させ,心に据えるため必要とされるものすべて」が含まれます。a

      子供に神について教えることはどれほど重要か

      一人のクリスチャンの長老は,クリスチャンであると唱える若者の一グループの事件を注意深く考察しました。若者たちは薬剤の乱用,不道徳,泥酔などのゆゆしい問題に陥っていました。何がいけなかったのでしょうか。長老はこう語っています。「この若者たちは全く神を恐れていません。こんな状況がありました。暗い車の後部座席に異性と一緒に座っています。感じることと言えば,ホルモンが体内を激しく行き巡っていることだけで,その結果などお構いなしです。しかも毎週毎週それを行なうのです」。しかし,「悪を退け」た人もいました。この長老は次のような観察を述べています。「そうした子たちは心を動かされており,エホバと包み隠しのない関係を築いていました。神を,すべてをご覧になる,愛ある存在者と見ていたのです」。ですから,お子さんがそのような関係を培うよう助けましょう。―箴 16:6。

      まず親が神とこうした関係を持っていなければなりません。聖書の個人研究と黙想が必要です。エホバの証人は喜んでご援助します。事実,冒頭の記事で取り上げたあの悪い背景を持つ若者を立派な親に変えたのは,証人たちから与えられた聖書の教えでした。「この違いすべてをもたらしたのは聖書研究です」とこの人は認めています。

      善きにつけ悪しきにつけ,親の振舞いは子供を教える一番手っ取り早い手段であり,ほかの何よりも深い印象を与えます。生まれつきの罪深さのために,子供は悪い習慣の方をたやすく模倣します。(詩 51:5)ですから,親にとって自分自身を見つめることがまず第一歩になります。

      子供が悪くなるならそれはいつでも親の責任なのだろうか

      親も子供も完全ではありません。どちらも後で残念に思うような失敗をします。しかし聖書には,きちんと育てられた子供はその道から「離れないであろう」とあるので,子供が悪くなった責任は自分だけにあると考える親もいます。(箴 22:6,新)しかし,この聖句は正しい背景の下で考えなければなりません。これは箴言が親に与えている諭しの一部です。親は,自分がこの助言に口先だけで従っていたかどうか分かるはずです。

      子供にも諭しが与えられています。良い結果を得るには,親の戒めや懲らしめに『聴き従い』,「注意を払い」,それを「蓄え」,『忘れずに』,「守り行ない」,『捨て去らない』よう勧められています。(箴 1:8; 2:1; 3:1; 4:1; 6:20,新)聖書のこの本の中だけでも,親に対する助言の4倍以上もの助言が子供に対して与えられています。

      親に対する「従順をさげすむ」子供もいます。(箴 30:17,新)模範的な父親でありながら,不従順な息子を持った一人の人はこう述懐しています。「何とかして息子の心を動かそうと幾度も試みました。これまでに余りにも多くのことを試みているので,何をしてよいか分かりません。うまくいったものは一つもありませんでした」。

      子供には,自分に当てはまるこれらの聖句に従う責任があります。もし親と子供が共に聖書の助言に従うなら,一般論としては子供がそれてゆくことはありません。親が過去に起きてしまった事柄について罪悪感を抱き,がっかりする必要はありません。今自分の子供にどんな助けを差し伸べられるかに注意を集中するようにしましょう。

      [脚注]

      a ギリシャ語学者R・C・トレンチ。

      [10ページの囲み記事]

      子供の行ないがよくない時に尋ねてみるべき質問

      気分が悪いの?

      わたしが不公平だと思うの? どうして?

      学校で何かあったの?

      荷が重過ぎるように感じるの?

      気がめいっているだけなの?

      お友達とうまくいっているの?

      期待され過ぎていると思うの?

      何かできることがあるかしら?

      [10ページの囲み記事]

      若者はなぜ自殺を図るのか

      「圧力に耐えられなくなるのです」と一専門家は説明しています。この人はさらにこう力説しています。「若者が圧力を受けてもつぶれてしまわないような性格を築くしつけが必要です」。

      [11ページの囲み記事]

      どれほど早く始めるべきか

      悲嘆に暮れた一人の親はこう語っています。「私は子供たちのことを後回しにし続けてきました。子供たちの人生を形造ってやる時間はまだあると思っていたのに,もう成人しようとしています。私たちは最も影響力を与えることのできる時機を逃してしまったのです」。子供が幼い時から始めましょう!

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      大人の生活のための「訓練」

      「少年をその行くべき道にしたがって育て上げよ」。(箴 22:6,新)子供は,決断力,進取の精神や自制心を示すことなど,大人として身に着けているべき能力の点で訓練される必要があります。そのような訓練が与えられなければ,大人になってから失敗することになり得ます。

      十代の数年間は特にデリケートな時期,過渡期です。ある時子供は「いちいち指図しないで」と言ったかと思えば,1時間後には「お母さん,このあとどうしたらいいの」と尋ねます。子供が過渡期を乗り越えるのを助けるためには,制限を与え過ぎても放任し過ぎてもいけません。

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      聖書を共に学ぶことにより神との関係を培うようお子さんを助けてあげてください

  • 子供のみなさん ― あなたがどう行動するかは本当にどうでもよいことですか
    目ざめよ! 1981 | 7月8日
    • 子供のみなさん ― あなたがどう行動するかは本当にどうでもよいことですか

      自分の行動が精神的な苦痛をもたらし得ることを15歳のジョアンナに教える必要はありませんでした。ジョアンナは知っていました。性の乱交を1年間続けた末,少女は言いようのない挫折感から「気分が悪くて死んだ方がまし!」と書き残し,猟銃でその惨めな人生を自ら終わらせました。実に悲惨な,命のむだ使いです。

      自殺を考えたことはないにしても,人間がほかのことはどうでもよくなるほどの問題に陥り得ることはご存じでしょう。惨めな精神状態を和らげようと,薬物の乱用,泥酔,不道徳などに走る若者もいます。その効果は,あっても精々一時的なものです。『こんなことをするのではなかった』と言う声が至る所で聞かれます。わざわざ惨めな状態に陥る人はいません。しかし,惨めな結果になってしまうなら,それはだれの責任ですか。

      親を責めるべきだろうか

      一人の少女は,アルコール中毒の父親が死んで悲しみに打ちひしがれていました。少女は実の母親からも継母からも捨てられました。それでも幾年も後に,「苦しくても,そのために自分を損なうことはありません」と思い出を語っています。同じほど厳しい背景を克服した子供はほかにもいます。心理学者,アーリーン・スコルニックは,幾百もの例を検討した後に結論として,「長年にわたって,一部の心理学者が[親たちに]告げてきた事柄とは逆に,子供の成長過程に関する親の影響力は絶対的なものではない」と述べています。自分がどのように行動するかについて最終的な決定権を持つのはあなたがた子供たちなのです。

      聖書もこう述べています。「少年はその行ないによってさえ,その行動が清く,廉潔であるかを明らかにする」。(箴 20:11,新)どんな親に育てられたか,あるいはどこで育ったかではなく,「その行ないによって」子供は自分のひととなりを表わします。ある若者の「行動」は「清く,廉潔」なものではありません。しばしば悲惨な結果がもたらされるので,『どうしたら自分の行動を制御できるのだろうか』と思われるかもしれません。

      心と思いを守りなさい

      聖書は「我が子よ」と呼び掛けて,こう勧めています。「守るべき他のすべてのものに勝って,あなたの心を守れ。命はそこに源を発しているからである」。(箴 4:20,23,新)あなたの感情や動機付け,好き嫌いは心から出て来ます。人がどんなことをするかは,普通,心で決まります。

      心の状態は,どんな事柄で思いを養うかで決まります。正しい基準を思いに入れれば,無数の若い人々の思いを荒廃させた態度に陥らずにすむでしょう。聖書は,「どのようにして若い人はその進路を清めるのでしょうか」と問い掛けてから,「[神の]み言葉にしたがって注意深くあることによってです」と答えています。(詩 119:9,新)聖書とそれを説明する文書を読むことが必要です。円熟したクリスチャンは喜んで援助するでしょう。

      一度こうした基準を心に深くとどめたなら,あなた次第でその状態を保つことが容易にも難しくもなります。ある若い人はこう語っています。「映画は罪を美化します。生活の中で本当に重要なのは性だけのように思わせます。少しすると,自分が何かを得損なっているように思え,幸福になるにはそれが必要だと思うようになります」。この少女は自分の思いが知らぬ間にどれほど影響されているかに気付きました。その後,暴力や性を取り上げた映画やテレビ番組や本を避けるようにしました。それと同じ歩み方はあなたの心と思いを守るのにも役立つでしょう。

      「独りでは決してしなかったでしょうに」

      殺人の容疑で逮捕された16歳の少年の継母はむせび泣きながら,「あの子はいい子で,優しい子だったのよ。独りでは決してしなかったでしょうに」と語りました。ほかにも3人の少年が関係していました。自分をその少年の立場に置いてみるとよいでしょう。主に“友達”のために,そのような苦もんを経験したのです。

      遊び仲間の圧力に屈して,薬物の乱用に手を出した若者はこんな思い出を語っています。「友達を見て考えました。『この子たちはこれからどうなるんだろう。5年後にはどうなるのだろう』。僕は怖くなり,そう思っただけで憂うつになりました」。この少年は生き方を変え,「賢い者たちと共に歩(む)」ようになりました。(箴 13:20,新)そして,さらに言葉を続けています。「良い仲間と共にいる時にも楽しく時を過ごせることが分かりました。それは本当に偽善のないものでした。彼らと一緒にいると心温まる思いがしました。僕は,『これはすばらしい』と思いました。前に抱いていた罪悪感は全く消え去りました」。

      そのような良い交わりは,「心温まる思い」を与えるだけでなく,聖書の言葉に従おうとする決意を強めます。ですから,「清く廉潔」な人々を友達にするようにしましょう。それは自分がどのように行動するかに大きな影響を与えます。

      大人と子供の分かれ目

      赤子は自制というものを知りませんが,年を経るに従ってそれが必要になります。「力強くなるよりも忍耐強くなる方が勝っている。都市全体を制するよりも自分を制する方が勝っている」と聖書は述べています。―箴 16:32,今日の英語聖書。

      「へえー,お前はまだ女を知らないのかい」と一人の若者はあざけりました。聖書の述べるところに従って生きようとしていた若者は簡単に,「抵抗するのと屈服するのとどちらが力を必要とすると思いますか」と答えました。

      「自分を制する」ことが必要です。『自分に厳しくなり』,性について絶えず思い巡らさないようにするのは挑戦です。「若さの盛り」の最中にはそのために本当に大きな闘いが必要です。(コリント第一 7:36)健全な趣味や何らかの運動など,有意義な活動についてひたすら考えるようにするとよいでしょう。それが大きな助けになると考える人は少なくありません。こうした欲望を制するよう一生懸命努力してやめないなら,性欲が頂点に達するこの時期を過ぎると闘いは楽になります。このことを片時も忘れてはなりません。

      異性と親しく交わることは,闘いを難しくするだけです。婚前交渉を試みずに自制心を培えば,相手の敬意を勝ち得,より幸福な結婚に備えることができます。淫行の最初の行為を犯さないほうが後でやめるより,自制心を働かせることが「一千倍も容易になると思われる」と言われます。

      また,両親の助言に従うことにより自制心を示しましょう。その懲らしめの言葉に答え応じるのです。(箴 17:10)当然のことでも,できるだけしないで済ませたいと思っている事をするよう親から言われることもあるでしょう。しかし,気の進まない事柄をすることを学ばなければ,円熟することはできません。自制心は自尊心につながります。それは外面の美しさや力よりもはるかに優れた内面的な特質だからです。

      貴重な関係

      ご両親は神に関する事柄を何か教えてくださったことでしょう。しかし,若い人々(大人の場合も変わりませんが)の大半は,神を遠い存在と考えているようです。しかし,自分の思っている事柄を何でも打ち明けることができ,必ず理解してもらえるような友人がいたらよいとは思いませんか。あなたの持ち物ではなく,あなたについて気遣ってくれる友です。たとえ失敗しても,それを残念に思っていれば,「大丈夫,今でもあなたの友達ですよ」と言ってくれる人です。そのような友人を大事にするのではありませんか。

      全能の神との間に持てる関係は正にそのようなものです。神は,そのみ前に『わたしたちの心を注ぎ出す』ようわたしたちに勧めておられます。神は『わたしたちの造りをご存じで,あわれみ深い』方であり,『神はわたしたちを顧みてくださる』からです。(詩 62:8; 103:13,14,新。ペテロ第一 5:7)神に祈り,神に喜ばれたいという心からの願いがあれば,神との間にそのような交友関係を築くことができます。18歳になる一人の人はこう言明しています。「私が何よりも大切にしているのはエホバ神と自分との関係です」。それはどうしてそれほど大切なのでしょうか。「エホバ神を自分の友として知ることを学んだからこそ,同じ年頃の仲間からの圧力や誘惑に抵抗するための円熟性や常識を身に着けられたのです」と別の少女は説明しています。

      「人生に希望があります」

      15歳の一少女は,「聖書の述べるところに従って生活しない人々と比べて,どんな利点がありますか」と尋ねられて,ためらうことなくこう答えました。「人生に希望があります。それはほかの人たちにはないものです。聖書は神に従う人々に地上の楽園での永遠の命を約束しています」。

      聖書は『善を行なう』人が邪悪な者の滅びを生き残り,「豊かな平和」を享受することを約束しています。病気と死は永遠になくなります。墓に眠っている者もよみがえります。地球は再び美しい楽園になり,互いに愛し合う人々がそこに住むようになります。すべての人の「心の願い」はかなえられます。そのような報いを受けたらうれしく思われるのではありませんか。―詩 37:3,4,10,11,新。ヨハネ 5:28,29。啓示 21:3,4。

      この希望は聖書に従うように促す強い力になります。父親を亡くしたばかりの一人の少女はその点について次のように書いています。「私はパラダイスになった地上で生活し,再び父に会いたいと思います。それが私の人生の主要な目標です。それを得るために私は最善を尽くします!」

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