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永続する命の真の泉ものみの塔 1968 | 1月1日
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を罪深い人類に適用するキリストの勤めは清く,汚れのないものであり,生命を得るために不可欠のものです。死から復活した人をも含め,地上のすべての人は,千年統治の全期間にわたって「いのちの水の川」から飲まなければなりません。
11 (イ)キリストと14万4000人の従属の祭司はどんな勤めをしますか。(ロ)生命を与えるこの力は人類に自動的に与えられますか。それともどのように与えられますか。
11 人類はどのようにして生命の水を得ることができますか。それは象徴的なものであるゆえに,人はそれから益を受けるために何をしなければなりませんか。黙示録に描かれた川の流れに添って行くとき,そのことを理解できます。川は聖都の黄金の大通りの中央にある水路を流れています。聖都は「霊なる神のすまい」すなわち宮級に属する人々であり,小羊の花嫁です。これらすべての用語は彼女が神の会衆の成員14万4000人の全体に相当し,キリストの霊的な兄弟たちであることを示しています。この時において彼らは共同の王また従属の祭司としてキリストの天の支配を享受していることでしょう。支配にあずかる彼らには,キリストのあがないの犠牲の益を人々に与える幸いな勤めがあります。黙示録は,聖都が諸国民に光をもたらすと述べています。ゆえに神のこれらの祭司は神の目的,導きとなる原則,律法,教訓を教えることでしょう。人々はこの王なる祭司に従う時,霊的な進歩に比例してからだの活力をも実際に与えられます。人々にとって,生命を回復することは自動的な事柄ではありません。神の道に従うために努力し,神の霊の助けによって人格を新たにし,熱心に義を望むことを表わさなければなりません。イエス・キリストおよび彼と交わる14万4000人はアブラハムの裔であり,この裔によってすべての家族,国民が祝福されます。しかし預言は人々が「みずからを祝福する」と述べています。それから明らかなように,祝福される側の人々が行動しなければなりません。(ガラテヤ 3:8,16,29。創世 22:17,18,新世訳)神は御子の犠牲をとおして備えられた祝福に人々があずかることを望まれています。神は生命の水を惜しむことなく,「すきとおったガラスのような純金」の「大通り」をそれが流れるようにされます。
つきることのない食物
12 食物もどのように天の都が供給するものの一部ですか。ききんのおそれがありますか。
12 のどのかわいた人にとって,1杯の冷たい清水はなんとさわやかではありませんか。しかし実際に生命をもたらす,水晶のようにすきとおったこの水は,それにもましてなんとさわやかなのでしょう。しかし生命をささえるには食物も必要です。神は食物をも備えられました。「大通り」の中央を流れる川の両岸には「いのちの木があって,十二回の収穫があり」ます。幾種類の実がなるかはこの幻の中に述べられていません。しかしそれらの木が毎月,実を結ばないことはないと述べられています。1年を通じて12回の収穫があるため,空腹に悩まされる人はいません。
13 (イ)附加的な意味において木はほかに何を表わしていると思われますか。(ロ)油そそがれた者に関する今日のどんな事実は,天の木についての理解を深めるのに役だちますか。
13 これらの木は命の水の川によってうるおされています。これらの木は信仰をいだく従順な人類に永遠の生命を得させる神の御準備の一部分を表わしています。小羊の妻となる14万4000人の成員はこの都に住み,彼らもイエス・キリストをとおして生命を得させる神の備えにあずかるゆえに,彼らはこれらの木によって表わされるものの一部になっているとも言えるでしょう。(黙示 21:6)イザヤ書 61章1節から3節において14万4000人は「義の樹エホバの植たまふ者」(文語)にたとえられています。天的な復活を受ける以前においてさえ,14万4000人は御国の実を生み出す,したがって御国を与えられる神の霊的な国民を構成しています。(マタイ 21:43)彼らが全世界で行なってきた聖書教育のわざによって,彼らはたとえ迫害に面してもこれらの霊的な実を休みなく,比喩的に言って一年中のすべての季節に産出していることを証明しました。彼らは天における御国の誕生を伝道し教えることによって,特定の実すなわち神の国の実を人類にもたらしています。多くの人がこの実を食べ,霊的に養われて命の水の川から飲む希望をいだくようになったことは,これら実を結ぶ者たちが死と復活ののち,木にかかわる天的な事柄の成就としてイエス・キリストとともになるにふさわしいことを証明しています。
すべての病気をいやす
14 そのとき地の諸国民に完全な健康が与えられることは,さらにどのように保証されていますか。
14 彼らは実を結ぶだけでなく,諸国民をいやす力のある葉を産出します。植物の葉は昔からいやすために用いられてきました。これは諸国民が生命をささえる水と食物を得るだけでなく,いやしを受けて完全な健康になることの保証です。いやしを受けるのは,聖都新しいエルサレムの光によって歩む諸国民です。―黙示 21:23,24。
15 どんな状態が実際にそれに伴うことが,この幻によって示されていますか。
15 地上の人類にとってもこの木に関連して現実的な見込みのあることが幻によって明らかにされており,幸福な期待を増し加えています。なぜなら全地は楽園となり,木々が茂り,清らな水が豊かに流れて,エデンの園に神が備えられたと同じくすべてが食べるによいものとなるからです。川や流れの水は清く,もはや汚されません。完全な健康を維持し,生命を享受するのに必要なものに事欠くことはありません。身体的な面での喜びを得,またもっと大切なことに心が新たにされて神と全く調和する時,地に住む人々は平和,健康,幸福,愛を享受します。
16 (イ)何を求めることがなくなりますか。どんな助けはもはや必要ありませんか。(ロ)人間はどれだけ生きますか。なぜそれは単調な生活ではありませんか。
16 そのとき若さの泉をさがし求めることも,病気をなおすために医者や精神療法医にかかることも,寿命を数年延ばす食事療法の研究も必要ではなくなります。このように一時的な手だては必要ありません。ハルマゲドンに生き残る地上の人,また死から復活してこれらのすばらしい備えに従順にあずかる人は,どれだけ生きますか。70年? 1000年? 100万年? 人は永遠の生命を得ます。しかもそれは単調な生活ではなく,愛された都,新しいエルサレムをとおしてエホバ神から次第に多くそそがれる祝福に心もからだも常にみたされた生活となることでしょう。
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静かな答えは怒りをとどめるものみの塔 1968 | 1月1日
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静かな答えは怒りをとどめる
● イタリアの一全時間奉仕者の経験は,静かな答えが怒りをとどめるということの真実を物語っています。彼があるアパートで戸別に伝道して親切な一人の婦人に聖書の話をしていると,階下からかなり大きな声が聞こえて来ました。「出て行きなさい! カトリック教会に帰りなさい! 教皇のもとに戻りなさい!」と女の人がわめいていたのです。ひどい騒ぎなので,彼は聖書の話を続けることができず,階下に行ってこの婦人と話し合おうと考えました。そして,親切にしかも静かに婦人に尋ねました。「奥さん,あなたはペテロが確かにローマにいたとお考えですか」。自分はそう考えていると婦人は答えました。そこで,彼は婦人に聖書を持って来てもらい,ペテロの第一の手紙 5章13節を開くように勧めました。そこには,明らかにペテロがこの書簡をローマからではなく,バビロンからしたためたことが示されています。次いでローマ人への手紙 16章8-27節を婦人に読んでもらいました。婦人は使徒パウロが幾人かのクリスチャンの兄弟に挨拶を送っているのにペテロについては何もふれていないことに気づきました。しかし,カトリック教会の教えによればペテロは当時ローマにいたとされているのです。この短い話し合いののちに,彼は居間に招じ入れられ,そこで真理について十分に証言できました。婦人は喜んで「失楽園から復楽園まで」という本を求め,次の訪問の約束もしました。2回訪問ののち家庭聖書研究が始まりました。その後,婦人は協会のすべての書籍を求め,「ものみの塔」と「目ざめよ!」を予約しました。二,三か月の研究ののち,この婦人は集会に出席するようになり,御国の福音を他の人に伝道しはじめたのです。そして,自分の生命をエホバにささげる決意をして,婦人は水のバプテスマを受け献身をあらわしました。
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