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  • あなたは進んで苦難を忍びますか
    ものみの塔 1975 | 9月1日
    • 「わたしの兄弟たち,さまざまな試練に遭うとき,それをすべて喜びとしなさい。あなたがたの知っているように,こうして試されるあなたがたの信仰の質[または証拠]は忍耐を生み出すからです。しかし,忍耐にはその働きを全うさせなさい。それは,あなたがたが完全に,またすべての点で健全になり,何事にも欠けるところのない者となるためです」― ヤコブ 1:2-4; 王国行間逐語訳。

      それゆえ,神への従順の道を歩み始めたならば,どんなに小さな試練でも,今それに屈してしまうようなことを確かに避けたいと思われるでしょう。肉欲ゆえの誘惑は,自分自身の内面から,またこの世の悪い「環境」や交わりから,クリスチャンに対して大きな圧力を加えます。そうした事柄には,性の不道徳,過度の飲酒,たばこを含め麻薬の使用などがあります。同様に迫害も,妥協して忠誠を破る罪を犯させる強い圧力となります。ペテロは次のように書いてクリスチャンが取るべき態度と決意を明らかにしました。

      「したがって,キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから,あなたがたも同じ精神の意向をもって身を固めなさい。肉体において苦しみを受けている者は罪をやめているからです。それは,肉体における自分の残りの時を,もはや人間の欲望のためにではなく,神のご意志に関して生きるためです」― ペテロ第一 4:1,2。

      クリスチャンとしての生き方を受け入れておられるなら,あなたは真理のゆえに苦しみがあることをご存じでしょうし,もしかすると既に義のためなんらかの苦しみを受けておられるかもしれません。それで今は後ろを振り返るべき時ではありません。―ルカ 9:62。

      自分自身を調べる

      自分が忍耐を培っているかどうかを調べるため,現在あなたが何を行なっているかを考えてみてください。あなたは今忠実を保っておられますか。今神のみことばを定期的に学んでおられますか。みことばの「乳」の部分,つまり初歩的な教義だけでなく,「より重要な事柄を見きわめるようにな(る)」ため「正確な知識と十分な識別力」を得ておられるでしょうか。―フィリピ 1:10,9。エフェソス 5:16。

      あなたは現在,他の人を助けるために「尽力して」おられますか。それとも自分に不都合なことはためらいますか。(ガラテア 6:10)真のキリスト教を擁護して,他の人のために進んでなんらかの困難を耐える人は,忍耐の資質を培っているのです。―ヤコブ 1:27。

      次の質問はもう一つの肝要な要素の大切さを強調するものです。首尾よく試練に耐えることができるのは,自分に何か良い点があるからではなく,神が与えてくださる力によることをあなたは認識しておられますか。(ペテロ第一 4:11)あなたは確信を抱いて神に知恵と力を願い求めておられますか。また,あなたが持っているすべてのものは,神が与えてくださったことを認識しておられますか。―フィリピ 4:13。ヤコブ 1:5。

      避けるべき事柄

      神への従順を示し,忍耐した事柄により目標に達したと考え,気をゆるめるべきではありません。また,何らかの試練に耐えたとき,自分が特別な敬意を受けるに値する「英雄」であると感じたり,兄弟たちよりさらに目標に向かって進歩していると感じたりして誇りの気持ちを培うべきでもありません。「終わりまで耐え忍んだ人が救われる者」なのです。(マタイ 24:13)誤った態度を避けるため,ナチ強制収容所で幾年にもわたって苦しみを耐えた後に,物質主義や不道徳のえじきになった人がいることを思い起こしてください。誇ることができるただ一つの理由はエホバを知っているということだけです。―エレミヤ 9:23,24。

      ある人は忍ばねばならなくなるかもしれない特定の身体的虐待について心配しますが,それは賢明なことではありません。わたしたちは各々どんな苦難にあうか分かりませんし,すべての人が同じ試練を受けるわけでもありません。大切なのはエホバにより頼むことです。「神は忠実であられ,あなたがたが耐えられる以上に誘惑されるままにはせず,むしろ,あなたがたがそれに耐えられるよう,誘惑に伴ってのがれ道を設けてくださるのです」― コリント第一 10:13。

      エホバはご自分の民が幸福であることを望んでおられます。ご自分の民が苦しむのを見て喜ばれるようなことはありません。しかし神は苦難にあっている人たちをさえ幸福にすることができます。なぜなら,そのような人たちは今,宇宙の主権者エホバ神に対する忠誠に関する永遠の記録を作る機会を持っているからです。―マタイ 5:11,12。

  • 聖書を生活の指針とする人々
    ものみの塔 1975 | 9月1日
    • 聖書を生活の指針とする人々

      ● ニューヨーク州に住む一傷い軍人がエホバの証人について知っていたことといえば,中立と国旗敬礼に関する彼らの見解だけでした。その人のことばを借りて言えば,そのような見解は「大抵の人にとって好ましくない」事柄でした。しかし,エホバの証人と聖書を勉強していた一人の友人との会話がきっかけとなって,その人はエホバの証人についてさらに知りたいと思うようになりました。その人はこう書いています。「エホバの証人とは目つきの鋭い狂信者の一群ぐらいに考えていました。ところが,エホバの証人は自らそれにのっとって生活している首尾一貫した信仰の原則を穏やかに,それでいて力強く示す,優しくて上品な人々であることが分かりました」。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1975 | 9月1日
    • 読者からの質問

      ● 「妻を持っている者は持っていないかのようになりなさい」。コリント第一 7章29節にあるパウロのこのことばはどういう意味ですか。

      使徒パウロの霊感の助言は,独身であれば「気を散らすことなく絶えず主に仕えられる」という理由で,よりまさった道としてクリスチャンに独身をすすめている論議の一部です。(コリント第一 7:32-35)ゆえに『妻を持っていないかのようになる』という夫への助言は,全き献身をもってエホバ神に仕えることと関連しているに相違ありません。

      結婚している人の多くは,結婚が人生において唯一の重要なことであるかのように事を行なっています。そして配偶者を喜ばせることに心を用いるあまり霊的な事柄を,全く無視しないまでも少なくともおろそかにしています。しかしクリスチャンである夫は,自分と神との関係が生活において第一でなければならないことを認識しています。彼はエホバに対し,心をこめて生きなければなりません。(ローマ 14:8)神に対する専心の愛という点では,独身の人々に比べて何ら劣るところがあってはならないのです。結果として起こることがどうあろうとも,主イエス・キリストの献身的な弟子としての神への正当な奉仕が,自分の結婚生活のために妨げられるのを許してよいわけはありません。これはイエスの次のことばとも一致すると言えるでしょう。「わたしのもとに来て,自分の父,母,妻,子ども,兄弟,姉妹,さらには,自分の魂をさえ憎まないなら[少なく愛するのでなければ],その人はわたしの弟子になることはできません」― ルカ 14:26; マタイ 10:37と比べてください。

      パウロの助言は,クリスチャンの夫が妻を無視して,まるで存在していないかのように妻を扱うという意味に解すべきではありません。それとは正反対にパウロはエフェソスのクリスチャンに次のように命じました。「夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する者は自分自身を愛しているのです。自分の身を憎んだ者はかつていないからです。むしろ人は,それを養い,またたいせつにします」。(エフェソス 5:28,29)それでクリスチャンの夫は夫の責任をおろそかにすべきではありません。しかしいつでも自分と神との関係を中心に全生活を築くことによって,パウロの助言に従うことが必要です。

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