ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 「その日と時刻」が知らされていないのはなぜですか
    ものみの塔 1975 | 8月1日
    • 1:1の「ほどなくして」と比較してください。

      18 マタイ 24章29節の成就について説明しなさい。

      18 西暦1914年以後,「太陽は暗くなり,月はその光を放たず,星は天から落ち,天の諸勢力は揺り動かされるでしょう」と,予告されていた通りのことが起きました。第一次世界大戦を始まりとして人類は本当に暗い時代に入りました。人がいつも頼りにしていたところからは,将来を照らす光は来ませんでした。また実際の天が歴史を通じて鳥の領域と見られていたことは事実です。しかし20世紀の初めに,人間は飛行機で空を飛ぶことに成功し,その飛行機はすぐに戦争の種々の目的のために利用されました。それは,人を死に追いやるロケットの開発,さらには人を月に運ぶ宇宙探検へと発展し,その結果,月は地球を支配するための重要な軍事基地とみなされるようになりました。同期間中に,太陽や星からくる宇宙線が地にふりそそぐことについても知られるようになりましたが,そのことも人々が恐怖するものの一つとなりました。天そのものが変化したからではなく,人間自身が行なっていた事柄の結果として,また人間が制御できない地球外の諸勢力についての知識が増したために,この時代の多くの人々にとって物質の天は前兆を示すもののようになりました。―マタイ 24:29。マルコ 13:24,25。

      19 こうした事柄はすべて,マタイ 24章30節に記述されているどんな出来事がしだいに近づいていることを示していますか。

      19 こうした事柄はすべて,この事物の体制の終わり,つまりマタイ 24章30節に,「人の子のしるしが天に現われます。またその時,地のすべての部族は悲嘆のあまり身を打ちたた(く)」と記されている時がしだいに近づいていることを示すものです。その時はいまや間近に迫っています。―マルコ 13:26。

      20 その「悲嘆」にすべての人が加わるのではありませんが,それはなぜですか。次の節はそのことをどのように示していますか。

      20 しかしながら,この邪悪な事物の体制を滅ぼすために『人の子が力を伴って来る』時を,すべての人が嘆くわけではありません。その時までには,「選ばれた者たち」,すなわち霊で油そそがれる14万4,000人のイエス・キリストの追随者は,イエスの預言通りに全員集められているでしょう。(マタイ 24:31。マルコ 13:27)またそのほかの人々も多数,油そそがれたそれらの人々といっしょの立場を取り,彼らと共に,神のメシアの王国について,あらゆる国民に対して証しを行なうわざにあずかっています。―ゼカリヤ 8:23。

      21 人の子の「来る」時が非常に近いということを,わたしたちはどのようにして知ることができますか。

      21 イエスの予告された事柄がすべて確実に成就するということについては,彼らの心には何の疑いもありません。イエスは言われました。「では,いちじくの木から例えとしてこの点を学びなさい。その若枝が柔らかくなり,それが葉を出すと,あなたがたはすぐに,夏の近いことを知ります。同じようにあなたがたは,これらのすべてのことを見たなら,彼[人の子]が近づいて戸口にいることを知りなさい」。イエスが予告された「これらのすべてのこと」は,現在,間違えようがないほどはっきり見ることができます。―マタイ 24:32-34。マルコ 13:28,29。

      時を確かめる

      22 破壊的な力をもってイエスが「来る」のを見る世代として,イエスはどの「世代」に言及されましたか。

      22 では,人の子が,不義の道を愛する者たちをこの地から一掃するために破壊する力をもって来るのはいつでしょうか。イエスご自身が次のように答えておられます。「あなたがたに真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません」。(マタイ 24:34。マルコ 13:30)その世代とはどの世代のことですか。西暦1914年以後,預言の成就である出来事を目撃してきた世代です。イエスの言われたことが真実であることについては何の疑問もありません。イエスは力をこめてさらにこう言われました。「天と地は過ぎ去るでしょう。しかしわたしのことばは決して過ぎ去らないのです」― マタイ 24:35。マルコ 13:31。マタイ 5:18と比べてください。

      23 その出来事の起こる「日と時刻」をだれかが知っているかどうかについて,イエスは何と言われましたか。

      23 イエスはこれよりもさらに詳細な点を示し,これが起こる正確な時を弟子たちに告げられましたか。反対にイエスは,「日と時刻」とはだれにも分からない,と彼らに言われました。そして幾度も,そうです,五度も繰り返して言うことによって,その点を強調されました。「その日と時刻についてはだれも知りません。天の使いたちも子も知らず,ただ父だけが知っておられます」と言われました。―マタイ 24:36–25:13。

      24 「大患難」に関する預言が一世紀に成就したとき,イエスの弟子たちは,大患難の襲う時を前もって知らされていましたか。

      24 「大患難」に関するイエスの預言が第一世紀に成就したときにも,弟子たちは,エルサレムから逃げるべき時について,前もって日時を知らされていたのではありません。そのことを銘記していましょう。その代わりに,彼らが常に注意していなければならなかったのは,一つのしるし,つまり「嫌悪すべきものが,預言者ダニエルを通して語られたとおり,聖なる所に立つ」ことでした。(マタイ 24:15,16)しるしは西暦66年に現われました。歴史の記録によると,イエスの追随者たちは従順に都市から出て,ヨルダン川の向こうのペラの山地に居を定めました。しかしそのあと,「大患難」が西暦70年にエルサレムに臨むまで幾年か経過しました。その大患難がいつ襲うかを,イエスの追随者たちが前もって教えられていたことを示すものはなにもありません。彼らはすでに安全な場所にいました。それを知らなければならない理由は実際にありませんでした。

      25,26 ノアが洪水の起こる日を前もって知らされていた事実は,わたしたちが「大患難」の来る「日と時刻」を前もって知らされることを期待する根拠とはなりません。なぜですか。

      25 しかしイエスはご自分で,ノアの日をご自分の臨在の時にたとえられませんでしたか。(マタイ 24:37-39)ノアは,洪水が始まる正確な日を前もって告げられませんでしたか。そうです。しかし,ノアが「日」を告げられた理由は,わたしたちの状況には当てはまりません。ノアとその家族は,洪水の始まる時を知る必要がありました。それは,洪水の水が落ちる前に,基礎となる動物の類をすべて安全に箱船の中に入れ,それから自分たちも箱船に入ることができるようにするためでした。これは,何か月も前に行なうことのできない事柄でした。そのようなことをすれば,時期もこないのに,蓄えた食糧を使い果たす結果になったでしょう。それで神がノアに,『今七日ありて我四十日四十夜地に雨ふらしめ我造りたる万有を地の面より拭去ん』と言われたのは,ちょうど適当な時でした。―創世 7:4。

      26 しかしわたしたちは,神のきたるべき破壊的なみわざの始まる「日と時刻」を知る必要はありません。わたしたちには動物を生き残らせる仕事を任されてはおらず,またいま世界中の200以上の国で見られる,神を恐れる人々の保護も,一か所にあるなんらかの物質の建造物の中に彼ら全部が入ることにかかってもいません。神の民の保護を含む神の目的の遂行には,彼らが「日と時刻」とを前もって知らされる必要はありません。

      生存者の前途

      27 「大患難」の生存者の一人となるためには,どんな条件を満たさねばなりませんか。

      27 聖書はきたるべき「大患難」を生き残る人々がいることを明示しており,またそれら生存者の一人となるために何が要求されているかを示しています。啓示 7章14節は,大患難生存者の「大群衆」を描写し,「彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」と述べています。これは,「大患難」の襲う時に彼らがエホバ神のみ前に清い,エホバ神の意にかなった様子をしていることを意味します。そのためには彼らはどんなことを要求されることになるでしょうか。それは,自分の罪を許していただくための基礎として,イエスの流された血に信仰を働かせ,神のご意志を行なう努力を続けることです。―ヨハネ 3:36。ヤコブ 2:26。

      28 その「大患難」を生き残る人々にはどんなすばらしい前途がありますか。

      28 生存者の「大群衆」の前途は本当にすばらしいものです。子羊イエス・キリストは「命の水の泉に彼らを導かれる」でしょう。(啓示 7:17)その時「大群衆」は,地上の生活を不快なものにしていた圧制的な体制すべてから解放されているので,人間の弱さや不完全さから脱して元の状態を取り戻すのに理想的な状態に置かれているでしょう。イエス・キリストは,ご自分の贖いの犠牲の価値を,余すところなく彼らに適用されるでしょう。彼らは,イエスの援助に従順に答え応ずるとき,しだいに完全になっていくでしょう。先祖から受け継いだ罪と不完全さに起因する病気,老齢,それに死は,ついには永遠に滅ぼされてしまいます。(啓示 21:3-5)幾十億もの人々が復活するので,死がもたらした被害さえも,もと通りになります。(ヨハネ 5:28,29)これら復活した人々も同じく終わりのない命を得る機会を持ちます。

      29 各自いま何をするのは賢明なことですか。

      29 患難が襲う「日と時刻」はあなたにとって確かに生死を意味するものです。であれば,その「日と時刻」が明日くるかのように今自分が生活しているかどうかを確かめてみるのは,知恵の道ではないでしょうか。わたしたちは,「大患難」が襲う「日と時刻」を知りません。しかし,そのために大患難が急速に近づいている事実が変わるわけではありません。大体の時期は,神のことばの中に明確に記されています。1914年の出来事だけでなく「大患難」をも見るとイエスが予告しておられた「世代」は,現在かなりの年齢に達しています。そのことは,情勢の緊迫感を増し加えます。わたしたちは自分が個人的に,神の裁きの「日と時刻」が近づいている事実を本当に十分に認識して生活しているかどうか,注意深く考えてみなければなりません。

  • その「日と時刻」を知らないことは,あなたにどのような影響を及ぼしますか
    ものみの塔 1975 | 8月1日
    • その「日と時刻」を知らないことは,あなたにどのような影響を及ぼしますか

      1 神の支配的な特質は,神が「大患難」の始まる「日と時刻」を示しておられないこととどんな関係がありますか。

      「大患難」が現在の事物の体制を荒廃させ始める「日と時刻」をエホバ神が示されなかったことには,一つの目的がありました。その目的は,神の支配的な特質,すなわち愛と密接なつながりを持ちます。(ヨハネ第一 4:8)神は愛の神であられますから,神を本当に深く愛する者だけをご自分のしもべとして望まれます。(詩 119:97。ヨハネ第一 5:3)理性のある被造物が非常な恐怖をいだいて神の前に卑屈な態度を取り,神から受けるかもしれない罰を恐れるがゆえに神に奉仕する,というようなことをさせるのは神の望まれるところではありません。神はいつも,人々に本心を示させながら人々の愛をも同時に引き出すという方法で,人々を扱ってこられました。

      2 エホバは不完全な人間に対しその愛をどのように示されましたか。

      2 エホバは大いなる過分のご親切を表わされ,地上での生存を可能にするためにご自分が働きを開始させた自然のサイクルから益を得ることを,感謝も認識もない人間たちにさえ許してこられました。(使徒 14:16,17; 17:24,25)さらにまたエホバは,16世紀以上の期間にわたり,40人ほどの人々に霊感を与えて,エホバがどんな神であるか,エホバが是認される者はエホバから何を求められるかなどを知らせる,一つの記録書を作らせました。(テモテ第二 3:16,17)聖書に書かれているその記録は,わたしたちが,多くの問題や困難な状況の存在する現在においてさえ,最も有意義な人生を送ることを可能にする健全な指針を与えます。(詩 19:7-11)その記録はまた,わたしたちのために命を捨てるべくその独り子を与えたときに神が示された驚くべき愛を,わたしたちに知らせてくれます。このことは,唯一まことの神との是認された関係を得る機会を人類に開き,また病気や老衰や死から解放された生活のできる前途を可能にしました。―ヨハネ 3:16。テトス 3:4-7。啓示 21:3,4。

      3 エホバが「大患難」をもたらすことは,エホバが愛の神であることと矛盾しません。なぜですか。

      3 しかし,そのような神が,人類に恐怖を抱かせるような破壊的な患難をもたらすというのは,どういうわけですか。実際に,神が愛の神であられるために,そうすることが必要となるのです。これは今日の多くの人々にとって奇異に聞こえるかもしれません。27世紀ほど前,ヘブライ人の預言者ミカが,エホバは十支族の王国イスラエルと,二支族の王国ユダの上に災いを下される,と発表したときにも,それは多くのイスラエル人にとって奇異に聞こえました。彼らは疑念を抱いて尋ねました。『エホバの気 短からんや エホバの行為かくのごとくならんや』と。これに対してエホバは答えられました。『我がことばは品行正直者の益とならざらんや』。(ミカ 2:7)そうです,正しく歩んでいる者たちの益を図るには,義の道に従うことをかたくなに拒否する,そしてそうすることによって不公正や圧制や不法を助長する者たちをすべて神が処置される必要があります。そうした事柄は,今日の地上での生活をますます危険で不愉快なものにしています。

      4 エホバは全人類に関してどんなことを望んでおられますか。

      4 それでもエホバは,邪悪な者たちに対して行動を起こすご自分の「日と時刻」が来る前に,悪い道を捨てるよう,すべての人に温かく訴えておられるのです。(イザヤ 55:6,7。エレミヤ 18:7-10と比べてください)エホバは,不従順な子どもを罰しなければならないことを悲しむ,しかし子どもが正しいことを行なうのを喜ぶ,慈愛深い人間の父親のようです。西暦前607年にエルサレムの上に臨ませた激しい滅びについてエホバがどのように感じられたかに関し,聖書は,「心より世の人をなやましかつ苦しめ給うにはあらざるなり」と述べています。(哀歌 3:33)エホバはむしろ人々が命の道を追い求めるのを好まれます。命の道は,エホバが人々に対して不利な措置を取ることを不必要にするだけでなく,人々に個人的な幸福や満足をももたらし,また仲間の人間の安全や喜びにも寄与します。「エホバは……ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれる」と,使徒ペテロは書いています。―ペテロ第二 3:9。

      5 (イ)エホバが「日と時刻」とを示しておられないために,個々の人は自分自身について何を表わしますか。(ロ)神が「日と時刻」を知らせておられないという事実は,誠実な人々が真のクリスチャンを見分ける際にどのように助けになりますか。

      5 エホバ神が,この地球上の邪悪な事物の体制に裁きを執行すべくご自分のみ子を送る「日と時刻」を知らせておられない事実は,人々に本心を示させる点で確かに一つの役割を果たしています。もし創造者を本当に愛しているのでなければ,そして創造者とのりっぱな関係の価値を認識していなければ,人々は自分の心が傾く対象 ― 豊かな物質の財産とか,この世での名声,自己中心の生活などを追い求めるでしょう。そのような人々は,神は「日と時刻」とをわたしたちに告げておられないので,多分わたしたちの時代には来ないだろう,と考える傾向があるかもしれません。神が「日と時刻」を知らせておられないことはまた,神のご意志を行なうことを望む人々の益となっています。なぜそう言えますか。なぜなら,エホバ神がされたことは,エホバの「日と時刻」の直前になって,エホバ神のしもべを装っているだけの人々の間で偽善的な信仰が誇示されるのを不可能にするからです。したがって誠実な人々は,神の献身的な民を見分けるのに困惑することはありません。神の裁きの「日と時刻」を無視する人々と,それをしない人々との違いをはっきりと見ることができます。

      その「日と時刻」を無視することは危険

      6 今日,多くの人々は,ペテロ第二 3章3-7節に述べられているようにどんな態度を示しますか。

      6 「大患難」が近いことを示す聖書的証拠に注意を引くと,多くの人々はそれを軽視し,嘲笑します。それは聖書が述べている通りの行為です。「終わりの日にはあざける者たちがあざけりをいだいてやって来るからです。その者たちは自分の欲望のままに進み,『この約束された彼の臨在はどうなっているのか。わたしたちの父祖が死の眠りについた日からも,すべてのものは創造の初め以来と全く同じ状態を保っているではないか』と言うでしょう」。ノアの日の洪水のような,過去において神が行なわれた刑の執行は,彼らにとっては何の意味もありません。神が,過去において行なわれたように邪悪な者たちを滅ぼされるということを,なんとしても信じたくないのです。生き方を変えずに,自分の利己的な欲望にいつまでも屈していたいのです。(ペテロ第二 3:3-7)もし彼らがそのような態度を固執し,神の「日と時刻」が彼らに追いついたなら,彼らが災いを逃れることは決してないでしょう。

      7 裁きが執行されるきたるべき「日と時刻」を真剣に考えない態度は,クリスチャン会衆と交わっている人にさえどのように影響しますか。

      7 エホバの裁きが執行される,エホバのきたるべき「日と時刻」を無視することは,今日真のクリスチャン会衆と交わっている人々にさえ伝染する恐れがあります。「大患難」について聖書が何と述べているかを人は知っているかもしれません。そのことについては何年も前から聞いており,もしかしたら献身しているクリスチャンの両親からさえ聞かされてきたかもしれません。しかし,実際には大したことは起きていないので,自分自身の思いの中では,神の「日と時刻」の来る時を,遠い将来のことのように考え始めているかもしれません。会衆内の人々の健全な交わりは楽しむかもしれませんが,キリストが追随者たちにお命じになった宣べ伝えるわざや弟子を作るわざには,彼らと一緒に魂を込めて直接に参加することをしません。この世や,この世が提供する物質上有利に思える立場が,いままでよりも大きな魅力を帯びてくるかもしれません。やがてその人

  • 霊的食物の益にあずかる
    ものみの塔 1975 | 8月1日
    • 霊的食物の益にあずかる

      ● トーゴ共和国では,地域あるいは巡回大会を開く許可を得ることはできません。しかし,兄弟たちの何人かがアクラに行って,同地の大会に出席しました。とはいえ,兄弟たち全員が霊的食物にあずかるようにするため,トーゴ共和国の支部は謄写版で大会のプログラム全部の写しを作って各会衆に送り,そのプログラムの資料を提供する特別集会を開くよう兄弟たちに要請しました。この取決めは非常な成功を収め,非常に優れた教訓や励ましを与えるものとなりました。―「エホバの証人の1975年の年鑑」より。

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする