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    ものみの塔 1968 | 5月1日
    • 三位一体としてあやまり伝える

      この不敬でも足りないかのように,教会は,三つにして一つの神という理解のできない教えによって真の神をあやまり伝えてきました。教会では,神をさして「三位一体の神」あるいは「祝福された三位一体」と呼んでいます。聖書の中をさがしても,「三位一体」ということばは出ていません。また教会で教えるように,全能の神は同等かつ等しく永遠の三位が一体を成したものであるとは述べられていません。聖書にしるされている事柄はそれとは全く異なっており,したがって三位一体の教義はまちがいです。

      この教義を支持する教会は,神が三位一体であることはいろいろな聖句に示されていると主張しています。たとえば,「われわれにかたどって人を造り」と述べた創世記 1章26節の,「われわれ」ということばは,神が三位一体であることを暗示していると言われます。もっともこの「われわれ」が幾人をさすかは,この節に示されていません。彼らはその後生大事にしている教義に合わせようとして,聖書をまげているのです。ここで創造者が最初の被造物すなわち独り子に語っていられることは,コロサイ人への手紙 1章15,16節の聖句から明らかです。「御子は,見えない神のかたちであって,すべての造られたものに先だって生れたかたである。万物は,天にあるものも地にあるものも……御子によって造られたのである」。力あるこの霊者の御子は,エホバの主要な働き手でした。全能の神は単にご自身に語っていられたのではなく,当然にこの霊者に語りかけていられたのです。

      三位一体の教えを裏づけるがごとくに曲解されている別の聖句は,ヨハネの福音書 10章30節にあるイエスの次のことばです。「わたしと父とは一つである」。イエスはご自分が神であることを,このことばによってあかしされたと解釈されていますが,はたしてそうでしょうか。ヨハネの福音書 10章30節を同じ福音書の17章20,21節とくらべると,そうでないことが明らかです。あとの聖句にあるイエスのことばによると,イエスに信仰を持つ人々は,イエスおよび御父と一つであると述べられています。明らかに,イエスは,目的の一致について語っておられ,神性において一つであると言われたのではありません。

      多くの教会では,人類をあがなうために神がご自身を犠牲にされたと教えていますが,これは甚しく神をあやまり伝えるものです。ミズーリ州の永遠賛美ベネディクト修道院から出ているカトリックの出版物には,「神みずから我らの犠牲となり給う」という,聖書の教えと一致しない題がつけられています。またモルモン教書のアルマ 42章15節には,「神みずから世の罪をあがない給う」とあります。永遠の神をこのようにあやまり伝えることは,イエスが神であるという偽りから出ました。モルモン教書のエステル 4章12節には,イエス・キリストのことばとして「われは父なり」という句があり,この偽りを極端に押しすすめています。

      イエス・キリストが,その宣教期間をとおしてご自身を神と宣言されたことは一度もありません。イエスはご自分が神の子であると言われました。しかし,三位一体の神の一位である,と言われたことはありません。聖書の筆者も同様です。御父と同等であるとは言わず,イエスはこう言われました。「父がわたしより大きいかたである」。(ヨハネ 14:28)御父と同等ではないという関係は,イエスの復活と昇天ののちも変わりません。コリント人への第一の手紙 11章3節と15章28節は,復活後のイエス・キリストが御父に従属することを示しています。

      イエスは追随者に対する次のことばの中で,御父をさしてご自分の神であると言われました。「わたしは,わたしの父またあなたがたの父であって,わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く」。(ヨハネ 20:17)イエスは追随者が崇拝したのと同じ神を崇拝されました。刑柱の上で息をひきとる前に,イエスはこの神すなわちエホバに祈って言われました。「わが神,わが神,どうしてわたしをお見捨てになったのですか」― マタイ 27:46。

      キリスト教国の教会は,イエス・キリストが神であり,人間を救うために神が地に来て死なれたと教えています。しかし,前述の聖句から明らかなように,それは偽りです。神が三つにして一つ,すなわち三位一体の神であるという主張は,異教徒がその神々について主張するところと似ており,甚しく神をあやまり伝えるものです。会はその教義を裏づけようとして,聖句を曲解しています。真の神とその御名をこのようにあやまり伝えている教会が,神を代表しているはずはありません。このような組織に属しているなら,正直に言って真理の神に喜ばれると,あなたは思われますか。―黙示 18:4。

  • 時は迫っている
    ものみの塔 1968 | 5月1日
    • 時は迫っている

      けたたましい警察のサイレンの合間に,ラウドスピーカーから警報が発せられました。「たつまき警報発令。大型のたつまきです。至急避難してください」。賢明な人はとるものもとりあえず避難場所に急ぎました。警報をすぐに信用しないでぐずぐずしていた愚かな人は,建物をマッチ箱のように押しつぶし,あるいは空中高く持ちあげ,無数の物体を舞いあがらせる狂暴なたつまきに突然に巻き込まれました。

      今日,世界中の人は,このような事態から教訓を学ぶことができます。生き残った人が避難所から出て目撃するのは,多くの場合,恐るべき破壊のあとです。しかし彼らは少なくとも命だけは助かりました。犠牲者はたいていの場合,警報に注意しなかった人です。警報どおりの事柄が起きないことも時にあるかもしれませんが,しかし万一に備え,命の安全を図るほうが遙かによいではありませんか。たつまきの近づいているしるしがまちがいなく表われている時,警報を無視するほど愚かなことはありません。

      しかし今日,地上に住む人の大多数は,この時代に見られる真黒な地平線が世界的あらしの近いことを告げているのに,それには無頓着に行動し,生活しています。確かに今日すべてのしるしは,全世界の国々に対する神の大いなる戦い,すなわち平和と正義の新秩序をもたらすハルマゲドンの戦いが近いことを示しています。(黙示 16:14,16。ダニエル 2:44)あなたはどんな態度をとりますか。警告に注意を払い生き残るための手段をとりますか。それとも警告を無視し,「先祖たちが眠りについてから,すべてのものは天地創造の初めからそのままであって,変ってはいない」と嘲笑する人になりますか。―ペテロ第二 3:4。

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