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  • あなたはどこに信頼をおきますか
    ものみの塔 1975 | 10月15日
    • あなたはどこに信頼をおきますか

      政治および経済の指導者たちは,世界的な非常事態が発展しつつあることを警告しています。たぶんあなたは次のように考えたことがあるでしょう。「軍備の拡張,大衆の貧困,食糧不足,インフレ,失業など,世界の緊急な問題の解決策は何か。問題の解決を世界の指導者に頼ることができるだろうか」。

      このような疑問はかつてなかったほど人々に不安を抱かせるようになってきました。広く読まれている欧州の経済誌ビジョンの最近号は,「現在の事態に関して最悪のことは,だれもそれから逃れ出る道を知らないことである」と述べています。経済史家のロバート・ヘイルブローナーも同意見です。彼は次のように述べました。「我々を悩ましているものがほかにある。それは責任を持つ者がだれもおらず,また迫ってくる問題に対処する用意のある者がいないのではないかという不安である」。

      あなたもこのように感じていますか。つまり問題は人間の手に負えないほど大きく,また複雑になっているということです。他方,このような悲観的見方をするにはあたらないと感ずる人々もいます。「有能な政治家が危機に応じて立ち,問題を解決するだろう。過去においてそうではなかったか」と,人は言うかもしれません。

      歴史の証言

      ある人々はまさにこうした事を信じています。人類が今なお生存している以上,過去の文明はそれぞれの主要な問題を解決してきたに相違ないと,彼らは結論します。しかし果たしてそうでしょうか。もとハーバード大学教授だった米国のヘンリー・キッシンジャー国務長官は次のように述べました。

      「歴史家であるならば,かつて存在した文明すべてが,遂には崩壊した事実を意識しなければならない。歴史とは,失敗した努力,実現しなかった野心,成就はしても期待どおりの結果にならなかった願望の物語である。ゆえに歴史家である人は,悲劇は避け得ないという認識をもって生きるべきである」。

      確かに今日の差し迫った問題を,過去の経験に基づいて政治家が解決することはできないでしょう。事実,キッシンジャーによれば,証拠は悲劇を避け得ないことを示しています。それでも彼はこうことばを加えました,「政治家たるものは,問題は解決されるという仮定に基づいて行動しなければならない」。

      しかし実際にはそれは希望的な仮定にすぎないのではありませんか。過去の指導者が解決できなかった問題よりもはるかに複雑な世界の諸問題を,今日の政治家が解決できると考えるのは理にかなっているでしょうか。ふつうの人は,どんな見通しがあるといま考えていますか。ビジョン誌は次のように述べています。

      「ふつうの人がいま感じているのは,自分たちの直面するインフレ,失業,エネルギー危機,暴力などの問題に効果的に対処する策を持ち合わせている政治家はいないということだ」― 1975年1月号,21ページ。

      あなたもこのように感じていますか。あなたはどこに信頼をおきますか。

      証拠に照らしてみるとき,聖書は良い助言を述べているということに同意されないでしょうか。聖書はこう述べています,「もろもろの君によりたのむことなく人の子によりたのむなかれ」。(詩 146:3)人間がみずから与えることのできるものよりもすぐれた導きが必要なことは,確かに明白なはずです。しかしそのような導きはどこから得られますか。

      信頼すべき確かな源

      考えてみてください。そもそも人間を造って地球上においた創造者に頼るのは理の当然ではありませんか。創造者には世界の諸問題を解決して人類を益する最善の備えがあるのではないでしょうか。聖書のことばにあるとおり,創造者に信頼をおくならばまちがいありません。「その望をおのが神エホバにおくものは福ひなり 比はあめつちと海とそのなかなるあらゆるものを造り とこしへに真実をまもり……たまふ神なり」― 詩 146:5,6。

      それでも,もし神がほんとうに人間のことを考えているならば,なぜ人間を苦しみから救わないのかという疑問があるかもしれません。ご自身のことば聖書の中で神はそのわけを知らせています。

      最初の人間夫婦が神に反逆したとき,重大な論争のおきたことを聖書は明らかにしています。その中には,人間が神から独立してみずからを治め,永続する益をもたらし得るかどうかという問題も含まれていました。この論争を解決するために神は十分の時間つまりおよそ6,000年の猶予を与えたのです。そしてその答えは明白になったではありませんか。人間が神から独立してみずからを正しく治め得ないことは,いまや明らかではありませんか。

      たしかに人間は神の導きを必要としています。そして聖書は人間が神の導きを受け入れる時に得ることのできる祝福を告げています。今でさえ人は神の目的を理解することから得られる心の平安を持ち,また間近い将来には王国の約束の成就を実際に経験できるのです。神の王国の支配の下では,争いと戦争にかわって平和が,貧困と飢えにかわって豊かさが,そして犯罪と暴力にかわって安全があると,聖書は予告しています。悲しみ,痛みそして死の原因は全く除き去られるでしょう。―詩 37:10,11; 72:7,16。啓示 21:1-5。

      神のこのような約束は実際に信じられるものです。というのは神は信頼できることを示す具体的な証拠があるからです。神との交渉を持ったイスラエル国民の一員であるヨシュアは人々に次のことを思い起こさせました。「汝らは一心一念に善く知るならん汝らの神エホバの汝らにつきて宣まひし諸の善事は一も缺る所なかりき皆なんぢらに臨み(たり)」― ヨシュア 23:14。

      全くのところ,これほど確かな神に信頼をおくのは理にかなったことです。あなたもそう思われますか。

      信頼している証拠

      神に信頼していると言うだけでは,ほんとうに信頼している証拠とはなりません。第一世紀のユダヤ人とその祭司たちは神に信頼していると主張していました。しかし神の任命された王イエス・キリストに対する信頼を表わす機会がおとずれたとき,祭司たちはこう言ったのです,「わたしたちにはカエサルのほかに王はいません」。(ヨハネ 19:13-15)この選択は災いとなりました。この民の百万を超える人々と彼らの祭司が,西暦70年のエルサレムの滅びの時に死ぬ結果になったからです。しかしクリスチャンは神に信頼し,神の警告に従ってエルサレムから逃れたので生き残りました。―ルカ 21:20,21。

      今日あなたは神に信頼していることを証明するどんな事柄を行なっていますか。神のことば聖書を読むのはもちろん良いことですが,それだけで神に信頼しているということは証明されません。なぜならたいていの人が読んでいる新聞その他の出版物にしても,それを読んでいること自体は書かれている事柄を信頼しているという証拠ではないからです。しかし読んだ事柄を自分の生活の上で実践するとき,そのことばを信じ,また信用していることが示されます。

      あなたの行動は,あなたが神に信頼していることを示していますか。神のことば聖書の教えにご自分の生活を一致させていますか。そうであれば,世界の諸問題の解決を人間の指導者に頼ってはいないでしょう。むしろエホバ神とその確かな約束に信頼をおいていることでしょう。神の約束は現在の不義の事物の体制を一掃し,その王国政府によって全地に良い状態を確立することです。

      十分な根拠に基づいて神の約束に信頼するには,聖書の知識が必要です。エホバの証人はあなたがこの聖書の知識を得られるように喜んでご援助します。土地のエホバの証人にご連絡くださるか,本誌の発行所にお知らせくだされば,だれかが無償であなたを訪問するように取り計らわれます。

  • なぜ彼らは国民としての存在を失ったか
    ものみの塔 1975 | 10月15日
    • なぜ彼らは国民としての存在を失ったか

      ペルシャ人,ギリシャ人あるいはエジプト人に会ったことのある人はいるでしょう。そのすべては非常に古い歴史を持つ国民です。しかしモアブ人,アンモン人あるいはペリシテ人に会ったことがありますか。いいえ,そのような人はいません。それは驚くべきことではありません。ひとつの国民としての彼らの存在は,何世紀も前に全く失われてしまったからです。

      しかしモアブ人,アンモン人,ペリシテ人はかつては古代イスラエル人の隣人でした。モアブの領土は死海の東岸に沿って北はアルノン川から南はゼレドの谷川にまで及んでいました。アンモン人は,曲折するヤボク川の上流から砂漠にむかって東に広がる地域を領有していました。ガザからヨッパに近い地点に至る地中海沿岸の土地は,ペリシテ人の領土でした。歴史のさまざまな期間において,ペリシテ人,モアブ人およびアンモン人はイスラエル人を悩ませました。

      サウル王の治世の初めごろ,ペリシテ人はイスラエル人の領土の中に駐とん軍を置いていました。彼らは強力で,イスラエル人に自分たち自身の鉄工を持つことを許さなかったため,イスラエルの国は武器を全く持つことができないようにされていました。(サムエル前 10:5; 13:1-3,19-22)こうした外国の圧迫は非常に強かったので,同胞に敵してペリシテ人に組する利己的なイスラエル人も少なからずいました。(サムエル前 14:21)しかし,とくにダビデが王となって後は,ペリシテ人の力は弱められました。それでも彼らはその後何世紀ものあいだ,ひとつの国民として存在し続けたのです。

      アンモン人およびモアブ人について言えば,彼らは西暦前七世紀の後半にユダの地を荒廃させたバビロニア人に協力しています。(列王下 24:2)その後ほどなくしてアンモン人とモアブ人自身,彼らの土地を奪われました。ユダヤ人の歴史家ヨセフスによれば,ネブカデネザル王はエルサレムを荒廃させてのち五年目にアンモンとモアブを攻めました。考古学上の証拠は,アンモンとモアブの占めていた土地から西暦前六世紀の中ごろまでにおおかた住民が絶えたことを確証しています。西暦三世紀までにはアンモン人は明らかに全く消滅しました。モアブ人もまた歴史から姿を消してしまったのです。ネボ,ヘシボン,アロエルなどモアブ人の町は,今日,廃虚になっています。他の多くの町々はその所在さえも知られていません。

      モアブ人,アンモン人およびペリシテ人がなぜ消滅したかについては,今日まで伝わる古代の歴史の記録が唯一の説明を与えています。その記録とは聖書です。大英百科事典も認めているよう

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