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    ものみの塔 1973 | 5月1日
    • がその民のためにつくられたこの新しい,よりすぐれた取決めのまさっていることを彼らに力説しました。ですからわたしたちは,この世やこの世の宗教制度に漂い出るような傾向をもつべきではありません。

      11 パウロがヘブル人に書き送った霊的な事柄によって,わたしたちはどのように益を受けますか。

      11 エホバが永遠の祭司制を通して設けられたすばらしい備え,新しい契約の益,キリストの一つの犠牲を通しで罪を永遠に取り除くこと,などについて思い出して,わたしたちもパウロがヘブル人に告げたことから益を受けることができます。わたしたちは,こうした事柄を幾度も聞いてきたかもしれませんが,しかしこれはありふれた,普通のことではなく,きわめてまさったことなのです。真理をくりかえし語ることは人を強めます。この『終わりの日』に,エホバの献身したしもべとしてわたしたちすべてが享受している霊的益について話すよい機会は,たくさんあります。これらの非常に重要な事柄をお互いに思い起こさせるようにすれば,わたしたちは,徐々に漂い出ることがないよう,互いに助け合うことになります。

      霊的な益

      12 (イ)永遠の生命を得る方法を知っているということは,なぜ現在それほど特別な事なのですか。(ロ)現在,比較的にわずかの人しか知らない他の事柄にはどんなものがありますか。

      12 わたしたちがエホバのクリスチャン証人として互いに話し合える霊的益にはどんなものがあるでしょうか。それは非常にたくさんあります。まず,わたしたちはどのようにして命を得るかを知っている,と言うことから始めることができます。わたしたちはキリストのあがないの犠牲に感謝しています。(ロマ 6:23)まだユダヤ教に属していて依然メシヤの到来を待っている人びと,あるいは,キリストおよび命の希望についてわずかしか,または全く知らない人びとのことを考えてごらんなさい。(コリント前 1:18,23)あるいは,キリスト教世界のことを考えてごらんなさい。多くの偽りの理論や哲学と混合してしまい,キリストによる救いへの道を歩んではいません。(マタイ 15:1-9と比較してください)それとは対照的に,エホバのしもべたちは,大いなるバビロンの伝統から解放されました。(ヨハネ 8:31,32)わたしたちは,煉獄や地獄での苦しみを恐れて生活してはいません。死者は無感覚であることをわたしたちは知っています。わたしたちにはすばらしい復活の希望があります。(ヨハネ 5:28,29。テサロニケ前 4:13-18。黙示 20:4-13)わたしたちは三位一体という偽りの教理によって混乱させられてはいません。数々の迷信から解放されましたから,お守りや彫像や偶像に頼ることをしません。宗教儀式として山腹をひざではい登ったり,祭壇までひざではっていく必要もありません。わたしたちは,キリスト教世界の偽りの牧者たちに霊的に打ち捨てられて苦しんでもいなければ,僧職者たちに圧迫されてもいません。(コリント前 10:14。マタイ 9:36。ルカ 22:25,26。コリント後 1:24)これらの真理は,比較的に少数の人しか理解していない,特別のものです。

      13 エホバに奉仕する人たちは,悪霊崇拝からどのように守られますか。

      13 占星術や占いなど,多くの事柄に現われている悪霊崇拝の危険を認識するよう,エホバがご自分の民の思いと悟りを開き,またそれからどのように守っておられるかを考えてごらんなさい。(申命 18:10-12。コリント前 10:21。ガラテヤ 5:19,20。テモテ前 4:1。黙示 18:4,23)ほかの人たちは恐れていても,わたしたちは交霊術を恐れる必要はありません。―民数 23:21,23。箴 18:10。

      14,15 世界の歴史のこの時期において,神のしもべたちはどんな強みを持っていますか。

      14 世界の状態は日増しに悪化しています。人びとは,こようとしていることを恐れて,きもを失っています。すべての人びとの中で,将来に対する真の希望を持っているのはエホバのクリスチャン証人だけです。これらのクリスチャンたちには,慰め強めてくれる愛のある兄弟たちがいます。困る時にはほかの人たちが来て助けてくれます。とりわけ大いなるバビロンが,激しい状態のただ中で滅びる時こそ,これらの忠実なクリスチャンたちが,互いに慰め助け合って,エホバの救いを見る時です。であれば,エホバの民の隊伍の中にいることによって,確かに多くの祝福を受けることになります。―ルカ 21:26。テサロニケ前 5:12-15。黙示 17:15-18; 19:1。

      15 わたしたちは悪の存在が許されてきた理由を知っています。「終わりの日」の意味も理解しており,世界の政治や混乱に巻き込まれる必要はありません。真のクリスチャンは,この「終わりの日」のストライキや暴動や反乱,不法行為などに巻き込まれません。このことはすべて,わたしたちにとっては保護です。―出エジプト 9:15,16。ヨブ 1:6–2:10。ヨハネ 6:15; 17:16。ロマ 13:1-9。

      16 神のことばを知っており,またそれに従って生活するために,わたしたちが個人的に得ている益にはどんなものがありますか。

      16 エホバの証人には個人的にも多くの益があります。この古い事物の体制の中にいる希望のない人びとがもつ心配を経験しないので,わたしたちは多くの苦悩を避けることができます。心配は心臓病の主因のひとつです。わたしたちは,道徳にかんするエホバの律法に従うことによって,この「終わりの日」に急速に広がっているこの世の性病を避けます。わたしたちは喫煙しません。これは,現在多くの人びとを苦しめているがんに対する保護となります。わたしたちは泥酔しません。ですから,心身に破壊的影響を与えるアルコール中毒に悩まされることもありません。かけ事がもたらすいろいろな不幸に悩むこともありません。この世の祝祭日は,多くの人びとが,「祝日の精神」を示すために借金をする原因になります。彼らはそのあと何か月も費やして借金の返済に努めます。それとは対照的に,神のことばの真理にかんする知識はわたしたちを幸福にします。そしてしあわせな心は良いくすりであると言われています。また真理を他の人びとに与えることにも大きなしあわせがあります。ですから,あらゆる面で多くの益があります。―ピリピ 4:6,7。ガラテヤ 5:19-23。箴 4:20-22。マタイ 5:3-12。使行 20:35。

      17 神の律法を守ることによって,クリスチャンの家族はどんな益を受けますか。

      17 エホバの律法を尊重しないために,たくさんのこの世的な家族が崩壊してしまいました。しかし,エホバの教えは,家族の一致を保つようわたしたちを助けてくれます。両親から,クリスチャンの活動を正しく教えられている子どもたちは,聖書に従うので,今日広く流行している,そして大きな苦悩と不幸に終わる非行と麻薬常用の悪影響から守られます。―エペソ 6:1-4。箴 3:1,2。

      18 クリスチャン同志の交わりが,この世の人びととの交わりよりもまさっていることを,聖句を用いて示しなさい。

      18 クリスチャン会衆内での交わりや,兄弟たちとの交わりは,大きな祝福です。霊の実を結んでいる人たちの近くにいることは,ほんとうに楽しいことだからです。ですからわたしたちは,非常に有害な肉の働きに巻き込まれないのです。―箴 17:17。ガラテヤ 5:22-26。コリント前 15:33。

      19 (イ)エホバに感謝すべき理由がまだありますか。(ロ)どうすれば最後まで忍耐できますか。

      19 エホバの取決めがそのしもべたちに与える祝福を数えあげれば,何時間でも費やせるでしょう。西暦1914年に王イエス・キリストが天で支配を開始されてからのちの神の王国が何を意味するかを,エホバのしもべたちのほかにだれが悟りうるでしょうか。(詩 2:4-6; 110:1,4。ダニエル 2:44; 7:13,14。マタイ 11:25-27; 13:44。黙示 11:15-17; 19:11-21)その王国の支配下で,エホバがこの地球を楽園にし,その中で人間が永遠に生きるということを,ほかにだれが理解しているでしょうか。(黙示 21:1-5。詩 37:9-11,29。伝道 1:4。イザヤ 65:17,23。エゼキエル 34:25-27。ルカ 23:42,43)神のことばを読む時には,エホバがあらゆる面で,わたしたちの必要とするものを備えてくださったことを考えつづけてください。そうすれば,エホバに対する感謝の念を失うことはありません。(ロマ 8:28)人を強くし励ますのは,エホバの良いものに対するこの種の認識であり,エホバの多くの祝福をこのように考えつづけることです。わたしたちが話題にするのはこうした事柄です。(使行 14:21,22。コリント前 14:3)以上のような方法でわたしたちは霊性を保つよう,互いに助け合うことができます。たとえ試練がのぞんでも,わたしたちは,忍耐するための助けとなる多くの備えをエホバから与えられています。(ヤコブ 1:12)個人としても,会衆としても,わたしたちは信仰を固くしたので,この「終わりの日」にのぞむ誘惑やいろいろの悪影響に抗して良いたよりの宣明に参加し,最後まで忍耐しうる非常によい立場にあります。それでわたしたちも,使徒パウロと同じ決意を持ちましょう。「ところで,わたしたちはしりごみして滅びるような者ではなく,魂を生きながらえさせるための信仰を持つ者である」― ヘブル 10:39,新。

  • ねばり強さ
    ものみの塔 1973 | 5月1日
    • ねばり強さ

      ◆ 他の人のために良いことをしようと努めているときでさえ,時にはかなりのねばり強さが要求されます。このことは,最善の事がらを行なう,つまり人びとが神のことば聖書を理解し,適用して,神の祝福にあずかるよう援助しているエホバの証人の奉仕者についてもしばしばあてはまります。

      マレーシアに住むエホバの証人のある婦人の奉仕者は,大きな家のうしろのガレージに住んでいる中国人の少女を訪問し,「失楽園から復楽園まで」と題する中国語の聖書研究の手引を配布し,その少女との無償の家庭聖書研究を行なうため,ふたたび訪問する取り決めが設けられました。婦人がふたたび訪問したときには,少女は山のようなたくさんの洗濯物に忙しくアイロンをかけており,その本は全然読んではいませんでした。土曜日は少女の休みの日だったので,その日に訪問する取り決めが設けられました。二度目に訪問してみると,部屋いっぱいに親せきの人が来ており,そのうえ,少女はやはり山のようなたくさんの洗濯物にアイロンをかけていました。次の土曜日に三度目に訪問したその奉仕者は,少女がアイロンかけの仕事をまだかかえているのを知りました。しかし,少女は依然として無償の聖書研究に関心をいだいており,聖書の勉強に加わるよう肉親の姉妹に話すつもりでいました。次の訪問つまり四回目の訪問のさい,少女の姉妹も聖書の勉強を望んでいるとの良い知らせに接しました。そこで,3㌔ほど離れた姉妹の家で翌週集まることになりました。

      次の土曜日は早くから雷雨になりそうな空模様でしたが,そのエホバの証人は約束を破りたくはなかったので,とにかく出かけましたが,途中でずぶぬれになってしまいました。家についてみると,戸にはかぎがかかっており,だれもいませんでした。その証人は,『もう一度だけ,少女に機会を与えてあげよう』と考えました。

      六度目に少女の家を尋ねたところ,少女は先回のことを心からあやまり,次の土曜日に聖書研究を行なう取り決めが設けられました。七度目の訪問で聖書研究が実際にはじまり,それ以後研究がとどこおったり,中断されたりしたことは一度もありませんでした。その中国人の少女はよく勉強し,エホバの証人のクリスチャンの集会にも出席し始め,そして今では任命された奉仕者になりました。このすべては,良いことをねばり強く行なったからこそもたらされたのです。―ガラテヤ 6:9。

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