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平和と安全 ― その希望ものみの塔 1985 | 10月1日
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人目を引く本部に代表を送って,国際連合を認めていることを示しました。
しかし国際連合は,「国際の平和及び安全を維持する」という基本的使命をどの程度果たしてきたでしょうか。また,公表された「国際平和年」はどんな影響を及ぼすでしょうか。
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平和と安全 ― どこから得られるかものみの塔 1985 | 10月1日
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平和と安全 ― どこから得られるか
国際連合は幾つかの分野において貴重な奉仕を行なってきましたが,ニュースに通じている人であればだれでも,国連が今までのところ平和と安全の分野においては失敗していることを認めなければなりません。このことは国連の非常に熱心な支持者が率直に認めているところです。
例えば,国連が誕生してからわずか8年後の1953年に,当時の事務総長ダグ・ハマーショルドは,「我々の先駆者は新しい天を夢見たが,我々の最大の希望は,この古い地を救うことを許されるかもしれないということである」と告白しました。それから26年後,米国の国務次官補であったC・ウィリアム・メイネスは次のように言わざるを得ませんでした。「安全保障理事会と総会の主要な目的は国際の平和及び安全の維持であった。……同機構がその中心的な目的の達成に失敗した証拠は明らかである」。
どれほど関係しているか
実際のところ,過去40年間に,平和と安全に影響する大きな決定のほとんどは主に国際連合の外で行なわれてきました。1982年に,ハビエル・ペレス・デクエヤル国連事務総長は,「今年は国連が,重要かつ建設的な役割を果たすべき,また果たし得たであろう状況からさまざまな理由で締め出され,拒絶されたことが多かった」と嘆きました。なぜそのようなことが生じたのでしょうか。
国連加盟国の飛躍的な増加を理由に挙げる人もいます。最初は51であった加盟国が150以上に増加し,総会では各加盟国が等しく1票の投票権を持っています。しかし加盟国の中には非常に小さな国もあります。例えば158番目の国連加盟国である島国のセントクリストファー・ネビスなどは,人口が5万人そこそこですが,10億に近い人口を抱える中国と等しく1票の投票権を持っているのです。この取り決めは確かに自国の意見を主張する機会を小国に与えますが,大国がその取り決めによって国連の決定を真剣に受け止めるよう促されることはまずありません。
シャーリー・ハザードは2番目の問題に触れて次のように述べています。「強制されることが最も必要であると思われる加盟国自体のうちに強制力が宿っていればそれは別として,国際連合機構には強制力が付与されていない」。言い換えれば,同機構はさまざまな決定を下すことはできるが,ほとんどの場合それらを実施することができないということです。世界の重要問題が定期的に長々と討議されます。さまざまな決議が厳粛に採択されます。しかしそのあとそれらは忘れ去られてしまいます。1982年に国連事務総長は,「国連の決定を告げられた国々がそれらの決定に対して敬意を欠いている」ことに遺憾の意を表明しました。
これらは組織上の問題です。このほかにも分析家たちの指摘する問題があります。しかし,国連が失敗したことにはさらに深い,さらに重大な理由があります。
さらに深い問題
「当時は,最優先されるべきこととして,憲章の条項に従って国際の平和及び安全を維持する体制を確立することは可能のように思えた」と,ハビエル・ペレス・デクエヤルは,国連設立者たちの理想を思い起こして述べました。「その壮大な構想はどこへ行ったのだろうか。その構想は大国の対立によってやがて覆い隠されてしまった。……その上,世界はいよいよ複雑になってゆき,希望していた状態よりはるかに無秩序な所となった」。
事実,国連が平和と安全をもたらす機会は全くありませんでした。それはあまりにも難しい仕事でした。事務総長のその言葉から,わたしたちは預言者エレミヤが語った,「自分の道を導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません」という言葉を思い起こします。(エレミヤ 10:23)知恵と能力に限界のある人間は,すべての人のために平和と安全をもたらすという問題を決して解決することはできないのです。
国連設立者たちは世界が自分たちの希望していたよりも「複雑」なものであることを知った,と事務総長は述べました。こうした状況が生まれたことには根本的な理由がありましたが,彼らはそのことには気づかなかったようです。しかし使徒ヨハネはそのことについて,「全世界(は)邪悪な者の配下にある」と説明しています。(ヨハネ第一 5:19)聖書によると,今日,その「邪悪な者」であるサタンは「大きな怒りを抱いて」『地に災い』を引き起こしています。(啓示 12:12)平和をもたらすための国連の努力が失敗に終わることは,サタンとその影響力が存在するという冷厳な事実によって,同機構が発足する前からすでに運命づけられていました。
もう一つ忘れてならないことは,国際連合機構もこの世の申し子である以上,この世の特性を受け継いでいるということです。個々の加盟国を特徴づける弱点や悪弊,腐敗は必然的に国際連合にも存在します。1972年には,アレクサンドル・ソルジェニーツィンが,「25年前,全人類の大きな期待を担って国際連合機構が誕生した。しかし悲しむべきことに,不道徳な世界にあって国際連合もやはり不道徳になってしまった」と述べたと伝えられています。聖書は,「エホバは言われた,『邪悪な者たちに平安はない』」と警告しています。(イザヤ 48:22)「不道徳な」機構は決して平和と安全をもたらすことはできません。
平和と安全はどうか
では,1986年を「国際平和年」と宣言することによって何か相違が生まれるでしょうか。その可能性はまずありません。前述の諸問題は人間の力では決して解決できないからです。1979年は「国際児童年」でしたが,それでも子供たちの国際的な立場が向上しなかったように,あるいは1975年は「国際婦人年」でしたが,それでも世界が女性にとってよりよい場所にならなかったように,「平和年」が人類を一層平和と安全に近づける可能性はまずありません。
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