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  • キリスト教世界の「聖なる所」は間もなく荒廃する
    ものみの塔 1976 | 3月15日
    • などの称号で呼ばれてはならないというイエスの教えに逆らって,彼らは「神父」,「尊師」その他同類の呼び方をされることを自分たちの権利とみなしています。(マタイ 23:8-10)キリスト教世界の宗教組織は壮麗な建造物を世界中に建ててきました。彼らは別の形でも巨万の富を積んでいます。多くの国においてこれらの莫大な財産は,彼らの主張する宗教上の身分のゆえに,一般の企業に課せられる賦課や税金を免除されています。

      しかしキリスト教世界の「聖なる所」は間もなく侵略され,滅ぼされるでしょう。それは西暦70年の滅亡を前にしたエルサレムとその神殿と同じく,神の目に神聖なものではありません。キリスト教世界の諸宗派はその支配しているものすべてを失い,その活動分野を奪われるでしょう。その主張する宗教上の諸権利もひとつとして尊重されることはありません。キリスト教世界の「聖なる所」に立ち,それを荒廃させようとしている『嫌悪すべき荒廃者』とはだれ,あるいは何ですか。

      嫌悪すべき荒廃者

      聖書は,現代の政治体制全体の欠陥と弱点を反映した一つの組織を指し示しています。この組織は「野獣の像」であると述べられており,またそれ自体も「緋色の野獣」として描かれています。(啓示 13:15; 17:3)「緋色の野獣」という像の本体である「野獣」は「ひょうに似て」,「くまの足のよう」な足と,「ししの口のよう」な口を持つ野獣として聖書中に描かれています。(啓示 13:2)この描写をダニエル書 7章3-7,17-23節に述べられている事柄と比較すると,この「野獣」はダニエル書に述べられているような野獣の複合体であることがわかります。これらの野獣は王あるいは王国であることが明白に示されています。

      従って「海」から出て来た「野獣」は,「王たち」つまり地上の支配勢力から成る世界的な政治体制を表わすに違いありません。それには「十本の角と七つの頭があり,その角の上には十の王冠があった」と述べられています。(啓示 13:1)ゆえにそれは常に真の神を冒とくしてきた,昔からのサタンの政治組織です。

      「野獣」の正体を明らかにすることによって,その「像」が何であるかを確定するかぎを得たことになります。今日どの組織がこの「像」すなわち世界的な政治体制を反映するものとなっていますか。それは国際連合組織ではありませんか。この組織は世界の政治組織の欠陥と不完全さを写してはいませんか。

      聖書は娼婦「大いなるバビロン」が「緋色の野獣」つまり「野獣」の政治的な「像」,すなわち今日の国際連合の背に乗っていると述べています。国際連合組織が誕生した時,キリスト教世界の諸宗派を主要な部分とする「大いなるバビロン」は平和と安全のための人類の唯一の希望とそれを見て国連を支持しました。彼女はその破滅をもたらす可能性のある戦争を防止する手段として国連に頼ったのです。このようにして国際連合は彼女のまたがる馬のような組織であることが判明します。乗り手が馬に頼るように彼女は国連に依存してきました。

      しかし「大いなるバビロン」は苦い失望を味わうでしょう。彼女は憎しみの的となります。「緋色の野獣」が彼女に何をするかについて,啓示 17章16節はこう述べています,「あなたの見た十本の角,また野獣,これらは娼婦を憎み,荒れ廃れさせて裸にし,その肉を食いつくし,彼女を火で焼きつくすであろう」。

      啓示 17章12節によれば,「十本の角」は「十人の王」です。聖書の象徴的な言語において十は完全さの数(足の指十本と手の指十本になぞらえ得る)であるゆえに,地の支配者たちの少数の者ではなくて完全な数の者たちがキリスト教世界の諸宗派と「大いなるバビロン」の他の部分に敵対するでしょう。しかしこのような攻撃を加えるのは「十人の王」だけではありません。「緋色の野獣」(国際連合)によって表わされている組織全体がそうするでしょう。

      キリスト教世界の諸宗派に敵対する『荒廃者』は神に対する愛に動かされてそのような行動をするのではありません。それでも神が『荒廃者』を操り,「キリスト教」とは名ばかりの諸宗派を滅びに向かわせるのは神の目的にかなった事です。荒廃者の動機は全く利己的なものです。それはキリスト教世界の諸教会を全く軽べつしています。しかしこれらの宗教組織は真の神を代表すると主張しているゆえに,荒廃者はこれら宗教組織が仕える振りをしている神に対しても憎しみを抱いて行動します。神に敵対するこの悪意ある野獣的な態度と,神のお名前に対する「冒とく」のゆえに,荒廃者はエホバの見地から「嫌悪すべきもの」です。

      いま行動してください

      「大いなるバビロン」と「嫌悪すべきもの」の正体がまさに明らかにされているという事実は,キリスト教世界の宗教組織から離れ去るのを一刻も猶予してはならないことを示しています。これは西暦一世紀の場合のように別の土地に逃れることではありません。「大いなるバビロン」は一地域に限定されているのではなく全世界的な宗教帝国です。従ってキリスト教世界の宗教組織から逃れるとは,それとのかかわりを一切絶ち,また主イエス・キリストの真の弟子であることを明らかに示すという事です。

      「嫌悪すべきもの」が実際にキリスト教世界の「聖なる所」に侵入し始めるまで,逃れることを延ばしてもよい人は一人もいません。別の土地に逃れる必要がない以上,西暦66年にローマ軍がエルサレムの包囲を断念したことに相当する事態が世界に起きてくる事を期待すべきではありません。ローマ軍の出現とその撤退は,「嫌悪すべきもの」が何かを間違いなく明らかにすると共に,キリスト教に帰依したユダヤ人がイエスの警告に従って逃れることを可能にしました。

      今日,キリスト教世界の宗教組織が「大いなるバビロン」の一部であることを見分け,「嫌悪すべきもの」がその「聖なる所」にまさに立とうとしているのをひとたび悟るならば,人は啓示 18章4節に記された命令に従って行動しなければなりません。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄をともに受けることを望まないなら,彼女から出なさい」。

      あなたはすでにそうされましたか。もしまだであれば,延ばしてはなりません。キリスト教世界の聖なる所 ― その活動の分野とその主張する宗教上の諸権利 ― は間もなく荒廃に帰するからです。

  • りっぱな行状により真理に光輝を加える
    ものみの塔 1976 | 3月15日
    • りっぱな行状により真理に光輝を加える

      ● エホバの証人の優れた態度がきっかけとなり,ある男の人は真の崇拝を受け入れました。ベルギーに住むひとりのエホバの証人はれんが職人の一グループに加わっていました。職人の中にはエホバの証人を見ることさえがまんできないという人たちがいました。たまたま,そのうちのひとりで,仕事に慣れていない職人は,塀の角を仕上げることができないでいました。むろん,彼はエホバの証人に助けを求めるつもりはありません。塀の具合がますます悪くなるにつれ,その職人は興奮していら立ち,びっしょり汗をかいていました。証人は事の次第を見て自分の持ち場からその人のところへやって来ると,その状態を自分に直させてもらえないかと尋ねました。仕事の具合を直した後も,同兄弟は2時間ごとにその人のところへ来て援助しました。その後数週間にわたり,彼はその未経験な職人に非常に役立つ提案を与えました。

      そうした思いやりを示されたのですから,そのれんが職人はそれまでエホバの証人に対して抱いていた憎しみをいつまでも持ち続けることなどできません。しかも,彼は兄弟が,働いているすべての人に対して同様の態度を示しているのに気づきました。人々が助けを必要としている場合に,証人は喜んで彼らを教えました。彼は自分の仕事を怠けませんでしたし,建築現場から物を盗むこともしませんでした。未経験なその人は仕事をしながら,エホバの証人が真理を持っていることを悟りました。そのエホバの証人の態度は,神のみことばを学ぶよう彼を促し,ついに,その人自身も真理を受け入れました。その兄弟の良い行状は『神の教理に光輝を加えた』のです。―「エホバの証人の1976年の年鑑」より

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