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  • 刑務所には何が起きているか
    目ざめよ! 1972 | 3月22日
    • 刑務所には何が起きているか

      犯罪を罰することは,歴史を通じて社会の権利とされてきました。今日,ほとんどの国で行なわれている重罪犯人の扱いかたといえば,刑務所に監禁することです。一部の犯罪者は余生を刑務所で送ります。

      こういう方法で刑務所の内部を見る人々は1年に何人くらいいるでしょうか。アメリカだけでも約250万人います。常時125万人ほどの犯罪者が裁判を待っているか,刑務所,感化院,労働キャンプ,矯正施設などで服役するか,あるいは仮釈放もしくは保護観察下にあります。彼らの世話をする人々は約12万人います。これは納税者にとってどのくらいの負担になりますか。年額10億ドル(約3,100億円)になります。

      最近多くの国の刑務所は,大規模な暴動や流血騒ぎで世間の注目を集めました。このことはとくに,刑務所が危機に面しているアメリカで言えることです。1971年の9月,その危機は,刑務所における今世紀最悪の血なまぐさい衝突となって爆発しました。

      ニューヨーク州のアチカ州矯正施設で1,200人の収容者が暴動を起こし,38人の看守と雇人を人質にしました。四日後,1,000人を越える州の騎馬警官と州兵が刑務所に押し寄せ,撃ち合いのすえ,32人の受刑者と,人質にされた10人の看守および雇人が死に,200人の受刑者が負傷しました。人質のうち9人は,攻め込んだ警官隊がそれと知らずに発射した銃弾に当たって死にました。

      各地の刑務所で問題が起きている以上,次のような質問を取り上げて考えてみるのは時宜を得たものと思われます。現代の刑務所はどのようにはじまりましたか。所期の目的を果たしていますか。刑務所における生活は犯罪者の改善に役だっていますか。犯罪の犠牲者はどうなっていますか。だれがその犠牲者に償いをしますか。刑務所がまったく必要でなくなる時がくるでしょうか。

      その起源

      今日あるような刑務所の起源が比較的に新しいことを知ると,ある人は驚くかもしれません。昔は,刑務所は非常に少なかったのです。1700年代以前の人々は,普通,罪を犯した罰として牢獄に入れられることはありませんでした。牢獄の中でくさりにつながれるとか,監禁されたまま強制労働をさせられるとか,あるいは拘留中に他の方法で残虐な扱いを受けるなどして罰せられたのは,特殊の犯罪者だけでした。

      昔の刑務所は一般に,罪を訴えられているがまだ裁判が終わっていないという者たちを収容する留置場にすぎませんでした。裁判が終わると被疑者は,有罪の場合は罰を言い渡されました。しかしその罰は,わずかの例外を除けば,拘禁刑ではありませんでした。彼らは,斬首もしくは絞首によって処刑されるか,または苔刑,焼印刑,切断刑などの身体刑,つまり体罰を受けてのち釈放されるかのどちらかでした。

      なかにはストック(さらし台)につけられる罪人もいました。ストックというさらし台は,両足を,また時には両腕も差しこむ穴のある木製のかせで,罪人はすわった姿勢で一定の時間公衆の嘲笑にさらされ,それから釈放されました。ピラリーというさらし台もこれに類する木製のかせで,くいの先に取り付けられ,罪人の頭と両手を差し込む穴がありました。これにつけられる罪人は立ったままの姿勢になりました。これも,罪人を一定の時間公衆の嘲笑にさらすことに使われ,そのあと罪人は釈放されました。罪人は時に奴隷労働を科されることもありました。多くの場合それはガレー船のどれいになることでした。ガレー船というのは,多数のオールを使って進む船のことで,罪人は普通くさりにつながれ,一定期間そのオールをこがねばなりませんでした。

      アメリカと英国では,1700年代の初め,死刑が200種以上の罪に適用されていました。軽い犯罪の場合は,むち打ち,手足の切断,またはさらし台にさらすなどの身体刑を科されました。しかしそのあとは釈放されました。今日拘禁刑として知られている刑に処せられた人はごくわずかだったのです。

      古代イスラエルのモーセを通して神から与えられた律法には,刑務所にかんする法的規定が何もありませんでした。人々が一時的に拘留されたのは,事件がとくにこみいっていて,解明を待たねばならない時だけでした。(レビ 24:12。民数 15:34)しかし,古代イスラエルの歴史の初期に,拘禁刑に服した者はひとりもいませんでした。

      犯罪者を扱うこうした昔の方法は,犯罪者のために公金がほとんど使われなかったことを意味します。維持費の必要な刑務所もなく,給料を支払わねばならない看守もいなかったのです。

      刑罰の概念の変遷

      18世紀から19世紀にかけて,違法者の処遇を変える改革運動が始まりました。そしてその改革は,多くの犯罪から死刑を徐々に取り除いて行きました。近年になって,死刑を完全に廃止した国は少なくありません。身体刑も徐々に廃止され拘禁刑が死刑や身体刑にとってかわりました。

      これは刑務所が今や多数の人々を収容し,ある者は長期間収容しておかねばならぬことを意味しました。したがって,それらの犯罪者を収容するには多くの刑務所を建てねばなりません。アメリカに建てられたいくつかの刑務所は「懲治監」と呼ばれました。なぜなら,犯人はその中で深く罪を悔いると考えられたからです。時間をかけておのれの罪を黙想し,後悔するであろうから,釈放されたのちは再び罪を犯す気にはならないだろうと考えられたのです。

      しかし,そうした昔の刑務所は多くの場合ひどいところでした。最初のころは,既決囚も裁判を待っている者(罪のない者も含まれていた)も,男も女も,老人も若者も,健康な者も病人も,初犯の者も常習犯もみんないっしょにほうり込まれたのです。たいていの刑務所には害虫がおり,不潔で,混雑しており,すぐに,身体的,道徳的堕落の中心となりました。1759年の「ゼントルマンズ・マガジン」は,英国のある典型的な刑務所について,次のように述べています。

      「それはあらゆる種類の悪の温床となった。なまけ者の新参者は感化院に入れられるが早いか,追いはぎ,押込み強盗,すり,うろつき回る売春婦などの仲間になり,最も忌まわしい不敬けんと,最も破廉恥な行為を目撃して,自分が持ち込んだ良い特質をすべて,健康もろとも捨て去ってしまうのが常である」。

      1834年のこと,ある役人が,オーストラリアはシドニーの北東1,450キロのところにある犯罪者植民地ノーフォーク島に行きました。その役人は,処刑の迫ったいく人かの囚人を慰めるためにそこへ派遣されたのです。その時の経験を彼は次のように書いています。

      「驚くべきことに,私が死刑にされる者たちの名前をあげたとき,自分の名前が発表されると彼らは次々にひざまずき,その恐ろしい場所から[処刑されることによって]救い出されることを神に感謝した。一方死刑の執行を延期された[処刑されない]者たちは,一言も言わずに黙って立ったまま泣いていた。私はこんな恐ろしい光景を見たことがなかった」。

      この20世紀のしかもアメリカにおいてさえ,刑務所の状態には多くの場合忌まわしいものがありました。1920年代の初めに刑務所を検閲した一役人は受刑者の扱い方にたいへん驚き,「われわれは残虐なことをしていた」と言いました。

      このように刑務所は,過去数世紀間裁判の前に未決囚を留置する場所である代わりに,罰を加える場所となりました。監禁,内部の状態,受刑者に対する態度はすべて非常に苦しいものでした。しかし大多数の人はこれを,他の者たちに犯罪を思いとどまらせ,また服役した者にも再び罪を犯すことをちゅうちょさせる,よりよい方法として受けいれていたようです。受刑者は二度と再びあんな苦しみはしたくないと思うだろう,と考えられていたのです。しかし犯罪者たちを改心させてより有用な社会人にするための試みは行なわれませんでした。

      そういうわけで,違法者を扱うこの段階において,刑務所は遺憾ではあるが必要悪である,と考えられました。他の人々が受刑者のひどい苦しみを取り上げて非難すると,返事として「だから刑務所に入れられないように注意すべきだった」という意見がしばしば聞かれました。

      しかし,こうした考えのもとで,刑務所は犯罪のよりよい予防策となったでしょうか。以前の死刑や身体刑よりもすぐれたものだったでしょうか。

  • 刑務所はその目標を達成しているか
    目ざめよ! 1972 | 3月22日
    • 刑務所はその目標を達成しているか

      人々に罪を犯させないための罰という刑務所の概念は,実際には効を奏しませんでした。それどころか犯罪は増加しました。

      服役した者も益を得ませんでした。刑務所はたいてい逆効果をもたらしました。これは皮肉な現象でした。社会は,犯罪者が社会のために悪いので獄に投じたのに,刑務所の環境が卑しむべき状態であったため,犯罪者はいっそう悪くなるのが常でした。悪くなったままで釈放され,社会にもどった犯罪者が再び刑務所に逆もどりし,前よりも長い刑に服するということは少なくありませんでした。

      もっと最近になって,刑務所の基本的概念はもう一度大きな変化を見ました。誠実な改革者たちによって提唱された新しい思想というのは,リハビリテーション(更生),つまり受刑者の改善を刑務所生活の第一目標とするということでした。監禁はそれ自体十分の刑罰であると考えられ,受刑者を以前のように身体的に虐待することは許されなくなりました。

      27年間,米連邦刑務所の所長をつとめたジェームス・ベネットは,この新しい概念に従って体罰が廃止されることにかんし,次のように語りました。「連邦刑務所の職員は,直接行動に類する,あるいは身体刑と解し得る行為をすべて厳重に禁止されている。彼らがそれをしないのは,ひとつにはそれが望ましくないからであり,また特権のはく奪,仕事の変更,楽しみにしている面会の取り消しなどよりも効果が少ないからである」。

      非協力的な受刑者たちは,仮釈放を早めたであろう『善行信用』も失って,刑期が延長されることもありました。この損失への恐れが受刑者に正しい振舞いをさせるだろうと考えられたのです。

      しかし,残虐な処遇の廃止や生活状態の改善のほかに,何が更生の基礎とされたでしょうか。それは正しい教育によって,気まぐれな生きかたを変えるよう受刑者に教えることのはずでした。これには,釈放後より有用な社会人となるよう受刑者に新しい職業訓練を施すことも含まれていました。

      そのことは実際に生じているでしょうか。現代の刑務所はこの目標を実現させつつありますか。

      刑務所の内情

      刑務所の状態が一,二世紀前にくらべて一般にずっとよくなっていることは確かです。しかしそれは人々に良い影響を与え,考えを改めさせるような状態ですか。

      マサチューセッツ州選出の上院議員エドワード・ブルックの述べるところによると,『刑務所はほとんどどこでも嘆かわしい状態で,人間性を失わせる結果を生んで』います。テネシー州選出の下院議員ウィリアム・アンダーソンは,「アメリカの懲罰制度は全く国家の恥辱である」と述べました。

      ウェスト・バージニア州刑務所を視察した連邦当局者たちは,同刑務所を「大きな不幸」「保護管理上の悪夢」と呼びました。暴力行為はほとんど野放しの状態であり,麻薬とアルコールは盛んに使用されています。検察官は同刑務所について,「犯罪者をその刑務所に送るのは全く無意味である。なぜなら犯罪者はますます悪くなって出てくるからである」と言いました。

      サンフランシスコ・クロニルク紙は,良心的理由で参戦を拒否したために投獄されていたあるエホバの証人のことを伝えました。それによると,ある日この平和を愛する男の人は,別の房で騒ぎが起きたのを目撃しました。のちほど看守がやってきて,その証人も含め受刑者たちを打ちました。「看守たちは彼のくびをしめて打ちたたき,それから廊下の端に連れて行った。そこでは『他の受刑者たちがあまりにも残虐な,無慈悲な打たれ方をしていたので彼は見るにしのびず』顔をそむけた」と同紙は伝えています。その証人の話によると看守は棍棒で証人の目とこめかみを打ちました。それから証人は独房にほうり込まれ,なんの手当てもなく放置されました。最初の騒ぎに全く関係がなかったのにそうゆう扱いを受けたのです。

      また,異性の受刑者がいないために,男子の刑務所でも,女子の刑務所でも同性愛がはびこっています。同性の輪姦も珍しくありません。連邦刑務所の元議員は,「私は刑務所を選んだ」という本の中で,この問題につき,「この問題の解決策を持ち出した者はひとりもいない」と言っています。

      カナダでは,23人の裁判官が問題を調査し,その結果に「胆をつぶした」とウィンザー・スター紙が報じています。「元収容者たちが管理委員会に報告したところによると,若い男が少しのあいだでも性的攻撃からのがれることは,カナダ全土の大部分の刑務所で不可能に近い。13年間獄中生活をしたジョン・テンナントは,『それは四六時中起きている。私は若い男たちが,来る夜も来る夜も三,四人の収容者に襲われるのを見てきた』と語った」。

      女性にとっても,刑務所の生活は退廃的です。行動の制限,獄中生活のこまごました事柄,スケジュールにかんする厳しい規定,愛する者たちにたびたび会えないこと,性の不道徳の危険など,どれをとっても非常に憂うつなことばかりです。

      前インド首相の姉妹クリシュナ・ネール・フシーシングは何年かまえ,政治犯として投獄された時のことについて,「そこには人間味がなく,わたしたちに話しかける態度はおうへいで,威圧的なふんいきが強く,時には耐えがたいほどであった」と述べ,刑務所での生活は,「危険,暴力,さもしさや収賄に満ちた生活で,常に一方をのろい,他方にすがりつくことが行なわれた。敏感な人はいつも神経をとがらせ緊張のほぐれるひまがなかった」と語っています。

      家庭裁判所によって矯正センターに送られた子どもたちについては,1971年7月27日のニューヨーク・タイムズが次のように伝えました。「矯正センターでは子どもは,殺人,強盗,暴行その他の犯罪を行なった子どもたちといっしょに監禁される。同性愛行為は盛んである。裁判所は,ひとつの問題を解決しようとして,いっそう多くの問題を招くだけの状態の中に子どもを置くのである」。

      改善はどうか

      そのような状態はいずれも人の改心を促すものではありません。しかし,新しい職業技術の習得など,社会復帰計画はどうですか。これは他の好ましくない影響を相殺することができますか。

      刑務所の職員のあいだにおいてさえ,ノーということに意見が一致しています。彼らが率直に認めるところによると,受刑者たちは有用な技術をほとんど習得しておらず,仕事は活気のない単調なもので,しかも改心のかぎといえる受刑者の精神状態を改善するための健全な計画がありません。

      1971年9月18日のニューヨーク・ポスト紙は,バーガー米最高裁長官のつぎのことばを引用しています。「今日,ほとんどの刑務所は,自活する有用な人間として社会に復帰するように受刑者を改善する最小限の教育もしくは職業訓練さえ施していない」。

      イギリスのガーディアン・ウィークリー紙は,ある期間服役して最近釈放された一受刑者からの次のような内容の手紙を掲載しました。「刑務所は健康が害されるまでに混雑し,衛生設備が非常に悪く,その『状態』は最悪の意味での不潔ということばでしか表わせない。……拘禁刑は人の自尊心と性格を傷つけ,低下させ,汚すものかもしれない……いずれにせよ,それは受刑者のために改心の期間をつくりもしなければ,犯罪を防止することもしない」。

      この評価は,あらゆる面における証拠によって裏づけられています。世界のほとんどすべての国で刑務所は“爆発”していますから,現代の刑務所は犯罪を防止するものとなっていません。また刑務所は,改革者たちが期待していたことを行なってもいません。社会に復帰するときに,より有益な生活をするよう犯罪者を更生させることをしていないのです。1971年9月27日のUSニュース・アンド・ワールド・リポート誌が,「刑務所が犯罪者の矯正に失敗していることは,重罪の80%が常習犯によって犯されるという統計を見ても明らかである」と述べているとおりです。

      [9ページの拡大文]

      英国に住むある元受刑者は言う。『拘禁刑はいずれの場合においても,受刑者のために改心の期間をつくりもしなければ,犯罪を防止することもしない』。

      あるニュース雑誌は言う。「重罪の80%が常習犯によって犯される」。

      [8ページの図版]

      矯正センターに送られる子どもたちは,いっそう多くの問題を招くだけの状態の中に置かれる場合が多い

  • どんな解決策が提案されているか
    目ざめよ! 1972 | 3月22日
    • どんな解決策が提案されているか

      一般的傾向として刑務所が犯罪者を矯正しておらず,犯罪の広がりを確かに阻止していないとなると,どうすればよいのでしょうか。罪を犯す人々をどう処置すべきですか。官吏,警察官,一般人の述べる解決策は相容れず,一貫したパターンがひとつもありません。当局者自身,相反する意見をもっています。

      もっときびしく? それとも,もっと寛大にする?

      一つの考え方は,受刑者を「甘やかす」のをやめよ,ということです。この考えをもつ人々は,刑罰はもっと重く,拘禁刑はもっときびしくあるべきだ,と言います。ロンドン・タイムス紙の指摘するところによると,英国の「ポリース・レビュー」は,「特定の犯罪者たちを絞首刑にし,むち打ち,飢えさせ,その他いろいろな事をして苦しめる時が来た」と述べ,人々は犯罪者に対して示される寛大さに「うんざりしてきて」いると述べています。

      受刑者の中にさえ,刑期が短くされることを条件に体罰に賛成する者がいます。アルカトラス刑務所にはいっていたある受刑者は,刑務所の職員に,「犯人が刑務所に送られる理由は三つある。罰するため,更生させるため,そして公衆を守るためだ。刑を言い渡すさいに,あとの二つは忘れられている,と私は時おり思う。3年,5年,あるいは10年,家族や友人から離れ,公平ではあっても抑圧的な扱いを受け,監房の中に閉じ込められ,正常な生活のよさをすべて奪い取られ,単調なきまりきった仕事を押しつけられて暮らすのはひどすぎるのではないか」と言いました。

      その受刑者はどんなことを提案したでしょうか。彼はこう言いました。「大部分の受刑者は,刑務所の改革には賛成しないと私は思う。彼らは『やれやれ,刑務所をもっときびしく,徹底的に荒っぽいところにしろ。残虐なところにさえしたっていい。ただし刑期を短くしてさっさと片づけてくれ』と言うだろう。ひとりの人間を同じ罪のために,来る日も来る日も,来る月も来る月もむち打つことを考える者はいないだろう。しかし何年もの刑務所の生活はそれ以上にひどいものだ」。

      ところが,これと正反対のことをいう人たちもいるのです。刑務所の生活は今でもか酷にすぎる,と彼らは言います。刑務所を受刑者たちが品位ある生活をすることのできる,また生産的で活気のある仕事を与えられるところにするために,もっと多くの税金がつぎこまれることを望んでいます。つまり受刑者の受ける分をより楽で,よりしあわせなものにしてやりたいというわけです。

      明らかに,この問題にかんしては意見の一致がありません。しかしひとつ注意すべきことがあります。それは,近世において,刑務所にかんする事柄はすべて試みられてきたということです。現在一部の人たちが提案している,受刑者をより残虐に扱うこと,あるいは扱いをよりゆるやかにすること,刑期を延ばすことまたは短くすること,矯正することしないことなど,すべて試みられてきたのです。そしてそれらはたいてい失敗に終わりました。過去において失敗したことをもう一度試みるのは理にかなっているでしょうか。

      刑務所そのものが疑問視されている

      そのわけで一部の当局者は今,刑務所の概念全体に対して疑問を持ちはじめています。現在入所している受刑者の圧倒的大多数は,刑務所にいることさえ妥当でないのではないか,という疑念をいだいています。

      「刑罰の倫理」という本は次のように述べています。「刑務所は150余年にわたって改良されてきたが,現在の動きの著しい特徴は,投獄そのものにかんする懐疑であり,刑務所外での新しい,より適正な処遇の模索である」。

      米連邦刑務所の元所長ジェームス・ベネットは,刑務所における生活について,次のように言っています。「刑務所は人々を家族や友人から長期間引き離し,一生消えない汚名を着せる。刑務所は人々をいくヘクタールかのわびしい場所に監禁し,いく時間もの単調な仕事を極めて規則正しく押しつける。刑務所は個性の全くない安っぽい囚人服を着せ,プライバシーを破壊し,彼らが忌みきらう連中の中に彼らを入れる。正常な性関係を彼らから奪って同性愛行為への誘惑を強いる。最も重い拘禁刑は身体刑よりもずっときびしい手の込んだ拷問に等しい」。

      ほかにもこれに同意する人たちがいます。刑務所長のある会議に出席した一弁護士は,彼らの見解について次のように書いています。

      「出席者はいずれも大きな刑務所の所長であった。全員その道のベテランであった。犯罪に対しては『同情的』でも『寛大』でもなく,犯罪者に対して甘い考えもいだいていなかった。

      「私は隣にすわっていた刑務所長に,あなたの管轄下の人々は何%投獄が必要ですかと尋ねてみた。『何を標準にしてですか』と彼は聞いた。『社会を個人的な害から守るために』と私は答えた。『10%から15%くらいですね』と彼は言った。私たちはそのへやの中にいた他の刑務所長の意見も聞いてみたが,みんな同じ考えであった。

      「それ以来私は,国内や外国の多くの刑務所を尋ねるとき,いつも同じ質問をしてみたが,違う答えがかえってきたことは一度もなかった」。

      元米司法長官ラムゼー・クラークも,ほぼ同様の見解をいだいていて,「犯罪を予防する努力,社会による処置,保護観察など」を通して,できるかぎり拘禁を避ける哲学を強調します。

      こうして,長年にわたる試行錯誤のすえ現在ますます多くの役人たちが到達している結論とは,刑務所は犯罪を防止してもいなければ,犯罪者たちを改心させてもいない,ということです。刑務所は期待されていた働きをしていません。そのために何かほかのものが必要とされています。しかし,それに代わるものをつくるための標準が何であるべきかについては,なんの一致も見られません。一致の代わりにあるものはまちまちの思想です。

      それ以上の事柄が関係している

      しかし,刑務所の失敗を犯罪の爆発的増加の根本原因と結論するのは早すぎます。もっとも,刑務所の失敗が状態の悪化に拍車をかけているのは事実ですが,それは原因ではありません。

      これに関係しているのは,それよりもはるかに基本的な事柄です。それは人類一般に浸透している病弊です。刑務所人口の増加は,社会のこの病弊の単なる反映にすぎません。

      長いあいだ,とりわけ第一次大戦以来,諸国家に退廃的な影響が浸透し,集団暴力,戦争による破壊,人種的偏見,スラムやゲットーや貧困の増大,そして政界・宗教界・経済界の指導者層の利己主義と偽善などが見られました。道徳にかんするなまぬるい教えは高い標準をさらに侵食し,犯罪化の傾向を促しました。

      人はまいたものを刈り取る,と聖書は述べていますが,これは至言です。人々がそのような退廃的な影響の攻撃に半世紀以上もさらされてきたのですから,莫大な数の違法者を刈り取っても驚くにはあたりません。

      また,米司法省の発表したある報告は,「強盗を働いたかどで逮捕された者の75パーセントが,25歳以下であったこと」を指摘しています。同報告によると,そのうちの「33パーセントは少年少女」でした。ですから若い人々の多くは,刑務所の内部を見たこともないうちに犯罪を犯すのです。したがって犯罪増加の主因として,刑務所生活を責めるわけにはいきません。それは社会のもつ欠陥が生み出しているものです。

      また,ごく一部の人々が犯罪に関係し,犯罪を支持しているのでもありません。責任は大部分の住民の上にあります。組織犯罪にかんする前の大統領顧問ラルフ・サレルノは,カナダ人の聴衆に向って次のように話しました。

      「かけごとをし,組織犯罪者たちの提供する物資やサービスに迎合する人々はまた同時に,あなたやわたしの世論調査家に,法と秩序と公正を望むと言う人たちでもあります。

      「[あなたは]あすの朝8時に組織犯罪をやめさせたいと思いますか。あなたは全部のカナダ人に,彼らの不法行為の支持をやめさせてください。私は全部のアメリカ人にそれをやめさせます。そうすれば組織犯罪は失業します。警官は必要ありません。必要なのは正直な市民です。あなたは偽善を攻撃する必要があります」。

      刑務所内で受刑者を改心させようとする努力が失敗に終わるのは,刑務所外の犯罪者が生み出されているのと同じ理由によります。この世の教え,態度,また活動は,健全な精神の人々をつくる役にはたちません。人々が現在得ている精神のかてを考えれば,刑務所における矯正が効を奏し,あるいは犯罪が減少することを実際に期待することはできません。では解決策はどこにあるのでしょうか。刑務所自体にかんしては何をすることができますか,違法者を生み出す状態に対して今後何か手が打たれるでしょうか。

      [10ページの囲み記事]

      犯罪を生み出すいくつかの主因

      戦争における集団暴力,人種的偏見,スラムとゲットー,貧困,政治的・宗教的偽善,気ままな行為を許す教え。

      [12ページの囲み記事]

      犯罪から守るための費用は高い

      アメリカには50万人の警官がいる。年間必要経費は40億ドル(約1兆2,300億円)。これには判事や刑務所職員の給料,建物や設備の費用は含まれていない。多くの都市における個々の警官の初任給は現在のところ年俸約8,500ドル(約260万円)。

      [11ページの図版]

      元連邦刑務所長は語った。「最も重い拘禁刑は,身体刑よりもずっときびしい手の込んだ拷問に等しい」

  • 解決策はどこにあるか
    目ざめよ! 1972 | 3月22日
    • 解決策はどこにあるか

      刑務所人口は増加をつづけています。犯罪も増加しています。何か対策が必要なことは明らかです。しかしどんな対策がありますか。

      考慮すべき事柄がいくつかあります。一つは人間の力の範囲内にあることです。もう一つは人間の力の範囲外にありますが,必ず実行されることです。

      人々や政府にやる気があれば変化させうる事柄というのは何でしょうか。

      一貫した法の施行が必要

      彼らに変えうる一つのことは,一貫性に欠けた現状です。一つの場所におけるある罪の刑罰は,必ずしも他の場所のそれと同じではありません。これは法に対する敬意をそぎ,犯罪者たちの感情を害します。

      一例をあげると,アメリカのコネチカット州で強姦を働いた者は,平均1年と9か月の刑に服すと言われています。ところが同じ罪でも州の境界線をひとつ越えたニューヨーク州となると,平均4年と2か月の刑になるということです。テキサス州の殺人犯は平均2年9か月服役しますが,オハイオ州では同種の罪で平均15年と2か月服役するのが普通です。

      失業中で,流産したばかりの妻をかかえた32歳のある男は58ドル40セントの小切手を偽造しました。彼には前科はなく,しかも栄誉ある退役軍人でした。裁判官は彼に15年の刑を言い渡しました。同じ年に,別の32歳の男が,彼も失業中でしたが,35ドル20セントの小切手を偽造しました。しかしその男は前科二犯で,一度は妻子を扶養しないかどで6か月刑務所にはいっていました。それにもかかわらずこの事件を扱った裁判官は,その男にわずか30日の刑を言い渡しました。よい経歴をもっていた男のほうが,約180倍きびしい罰を受けたのです。

      アトランタに住む中年のクレジット・ユニオンの会計係りは,2万4,000ドル(約740万円)を使い込んだ罪で,わずか117日の刑を宣告されました。刑務所の中で彼は自分と同年輩のやはり使い込みをした男に会いました。その男は前科もなく平和な家庭生活をしていた者でしたが,20年の懲役と5年の保護観察の刑を宣告されて服役していました。テキサスのあるストリッパーは,マリファナを所持していたかどで15年の懲役刑を受けました。ところが,何百人もの人々を害する薬品について偽りのデータを作成したことを認めた3人の製薬会社の科学者は,6か月の執行猶予になりました。

      これらの事件は,法律が,犯罪者の経歴を考慮に入れた,一貫した,公平なものである必要を示す例といえます。ところが,その種の公平,その種の首尾一貫した裁判は,人間の見地から見てどこにもないのです。

      被害者の場合はどうか

      犯罪者を扱うにさいしてほとんど完全に見落とされている要素は,被害者への配慮です。不具にされたり,強奪されたり,だまされたり,強姦されたりすることがあっても,被害者に対する償いはほとんど行なわれていません。その代わりに犯罪者は懲役刑を言い渡され,後日人々の同情は大部分受刑者に集まり,被害者は忘れ去られてしまう場合が少なくありません。

      この不均衡な状態に代わるものが何かありますか。ワシントン市に住む弁護士ロナルド・ゴールドファーブは次のような提案を行なっています。

      「投獄に代わるすぐれた道は行きとどいた被害者補償計画である。犯罪の80%以上は財産に関係したものであるから,犯罪者を罰することは被害者の保護にも,あるいは被害者の損害を完全に償うことにもならない。

      「ほとんどの場合,被害者,たとえば窃盗罪の被害者が望むひとつのこと,また一般社会が社会全体の精神的平和のために望むひとつのことは,被害者の救済であるように思われる。

      「仮に私がだれかに100㌦盗まれた場合に,その泥棒が1年間刑務者に入れられたところで,私には何の益にもならない。私はむしろその100㌦が,できれば迷惑の埋め合わせとして100㌦と少しのお金がもどってくるほうがいい」。

      犯罪者にお金がない場合にこれを行なう方法としては同弁護士はどんなことを提案していますか。彼はこう言っています。「お金のない犯罪者は,公共土木事業に従事する刑に服してお金をもうけ,自分の罪の代価を支払うことができる。異常な犯罪者は,保護観察のもとに刑務所外で働く権利ははく奪されるかもしれぬが,それでも被害者に支払いをするために刑務所内での働役を要求されるべきである」。

      そのような制度は,現在服役中の一部受刑者に効果的に適用できるでしょうか。それは可能のようです。というのは受刑者の大多数は,いわゆる『根っからの』犯罪者ではないからです。事実,刑務所長のベネットはこう言っています。

      「刑務所にかんする誤った概念の一つは,刑務所はサディスト的な殺人犯,命知らずのピストル魔,小説に出てくるような金庫破り,ずるがしこい詐欺師などでいっぱいだという考えである。実際のところそういう『大物』は,10人に一人いるかいないかである。

      「あとの者は“要領の悪いやつら”で,典型的な受刑者のうち,一度の犯罪で50㌦以上かせいだ者はいない。盗んだ車でエル・ドラド(黄金国・宝の山)を探しに出かけた自動車窃盗犯や,薬局の金銭登録機から10㌦盗むために10年の懲役の危険を冒すような愚か者である」。

      こうした受刑者の多くは,刑務所に入れなくても,社会に危険がおよぶことはなかったという意見の官吏が次第にふえています。それどころか,その種の受刑者の一部はすでに,スウェーデンやその他のいくつかの国々が実験してきた『オープン刑務所』制度のもとにいます。それらの施設には,壁もなければ鉄格子もなく,パトロールする武装した看守もいません。受刑者は無監督制度のもとにあり,仕事が終わったら自室にもどって報告します。その種の受刑者ですから,もし仕事と被害者への償いが結びつけられたなら,大多数の刑務所はほとんどからになるだろうと考える当局者もいます。刑務所に監禁する必要があるのは根っからの犯罪者だけだと彼らは感じています。

      一国全体が,犯罪者を投獄するのでなく犯罪者に償いをさせる同様の制度を用いた時代がかつてあったでしょうか。ありました。その制度は効果的でしたか。そうです,それは効果的なものでした。それを全国的規模で用いたのは古代のイスラエルでした。

      イスラエルの律法はどんな効果をおよぼしたか

      古代イスラエルを支配した律法は,モーセを通して神から与えられたものでした。神は人間をお造りになりましたから,犯罪者の扱い方をも含め,人間活動全般をいかに処理するか,たしかにいちばんよくご存じでした。

      前にも述べたように,モーセを通して与えられた神の律法は拘禁刑を定めていませんでした。神の律法は犯罪に対して他の明確な刑罰を定めていました。窃盗・破損・詐欺など,財産に対して犯される罪が,犯罪者を投獄することによって処罰されることはなかったのです。その代わりに,その基本的刑罰は被害者に対する償いでした。

      一例をあげますと,人が雄牛または羊を1頭盗んで,それを連れているところをつかまったなら,その人は雄牛2頭,または羊2頭を持ち主にかえして償いをしなければなりませんでした。その罰は,盗んだ物,または破損した物の2倍を償うことでした。もし盗人が雄牛または羊をすでに殺すか売り払っていたなら,それに対する賠償はさらに高くなり,雄牛なら5頭,羊なら4頭をかえさねばなりませんでした。家畜以外の盗品に対しては2倍の償いが要求されました。―出エジプト 22:1-9。

      しかし,犯罪者が盗んだ物を償えない場合はどうなりましたか。犯罪者は奴隷に売られ,その価が償いに使われたのです。彼は借金を払い切るまで働いて主人に仕えました。しかし奴隷といっても,律法は彼を雇い人のように親切に扱うことを要求しました。このようにして被害者は償いを受け,奴隷のためにお金を払った人も,その代わりに労働力を得たので償われました。―出エジプト 22:3。

      今日では,人を殴打する者は,懲役刑を科されるかまたは執行猶予で保護観察下におかれます。しかし被害者は何週間も,あるいは何か月も仕事を休まねばならないかもしれません。仕事ができない間の被害者の生活費はだれが払いますか。加害者ではありません。場所によっては,被害者に全く収入がないためにそれは地域社会の負担になります。

      しかし神が古代イスラエルにお与えになった律法のもとでは,加害者が,被害者の失った仕事の時間を償わねばなりませんでした。「人相争ふ時に一人石または拳をもてその対手を撃ちしに死にいたらずして床につくことあらんに……これを撃ちたる者は……その業を休める賠償をなしてこれを全くいえしむべきなり」― 出エジプト 21:18,19。

      とはいえ,今日のように複雑な混迷した状態の中で,全く同じ方法が使えると言うのではありません。しかし,加害者が被害者に償いをする方法は,現在の場合のように,加害者には懲役刑を科し,被害者は何の償いも受けないまま放置するよりすぐれています。

      死刑についてはどうか

      今日,死刑は凶悪な殺人犯に対してさえ行なわれなくなっていく傾向にあります。その代わりに犯人は投獄されます。

      しかし何年かするとある者は釈放され,また殺人を犯すことがあります。フランスのポンピドー首相は最近,フランスのある刑務所で受刑者たちが人質を殺した事件を取り上げました。同首相はその機会を利用して,妻を殺したある男について語りました。その男は“模範”囚として服役し,釈放され,刑務所のソーシャル・ワーカーと結婚し,そして2年後にその妻を殺したのです。

      もうひとりの殺し屋は,32人の人を殺したといって自慢し,33人目は看守だと言っていました。カンザス州のリーベンワース刑務所にいたあいだに彼はそのおどしを実行しました。彼は看守を殺しました。またもや罪のない人が死にました。

      これは非常によくあることです。釈放された殺人犯は再び殺人を行ないます。そして罪のない最初の犠牲者も,そのあとにつづく犠牲者たちも,殺人犯に対する誤った同情のために影を失ってしまいます。

      このような罪に対して,古代イスラエルに与えられた神の律法は何を定めていたでしょうか。有罪と認められた殺人犯は必ず死刑にされました。この刑は罰にもなり,犯罪の予防にもなりました。この問題についてはあいまいなところはひとつもありませんでした。

  • 幼い銀行どろぼう
    目ざめよ! 1972 | 3月22日
    • 幼い銀行どろぼう

      ◆ 最年少の子どもがわずか6歳,最年長の子どもが11歳の5人の少年たちが,カナダのノバスコシア州ハリファクスのある銀行にどろぼうにはいることを企てた。下町のその銀行にはいると,この5人の幼い一味のひとりはカウンターを飛び越えて,仲間に現金を渡しはじめた。警察官が2ブロック離れた所で5人組を逮捕し,盗まれた金の大部分を取り戻した。彼らが映画やテレビで何を見ているかを考えれば,幼い子どもたちがしばしばおとなの犯罪を企てるのも少しも不思議ではない。

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