-
世界はついにひとつになるか目ざめよ! 1979 | 5月22日
-
-
世界はついにひとつになるか
麻薬
テロ
利己心
戦争
国家主義
憎悪
犯罪
世界がひとつになる! それは人類にとって実にすばらしい祝福となります。しかし,それが単なる夢の理想郷ではないことを示す何かがありますか。それとも,世界はついにひとつになろうとしているのでしょうか。
海外旅行をしたことのある人なら,所持金をきちんと計算するのに苦労したことがあるかもしれません。日本円をドイツ・マルクへ,さらにイタリア・リラへ,そして英ポンドや米ドルに換えるという問題に直面し,その間絶えず,それぞれの国の通貨が「日本円だと」いくらになるのか計算しようとしたことがあるでしょう。ですから,共通の通貨というようなささいな問題だけを取ってみても,ひとつの世界がもたらす利点を認識できるに違いありません。
また,長々と続くパスポートの検査や税関による規制はどうですか。実に不便で,時間の浪費以外の何物でもありません。世界がひとつになれば,そのようなこともなくなるのです。もはや,「スーツケースを開けてください。滞在期間は? 滞在地は?」そして場合によっては,「滞在の理由は?」などと,まるで余り歓迎されていないかのような質問をされることもなくなります。
もちろん,世界がひとつになることによって解決される本当に大きな問題と比べれば,そうした不便さは取るに足りないものです。政治上の争い,あら捜し,罵倒などは過去のものになるでしょう。それらは多くの場合に,通商制限や通貨規制や国交断絶にまでエスカレートしかねません。事態が悪化し,あらゆる惨禍や苦しみを伴う戦争そのものが勃発する場合もあります。
考えてみてください。もし人々が政治上の争いを解決できれば,現在は国防費に充てられている膨大な額の資金を,今すぐにでも活用できるようになるのです。その資金があれば,すべての人に人並みの住宅,ふさわしい勤め口や雇用条件などを備えることができます。また,荒れ地を居住可能にし,道路や病院を建設し,教育制度を改善することもできます。実際に,こうした可能性を挙げていけば切りがありません。
一致のもたらす益について考えると,それを成し遂げようとする試みが繰り返されてきたこともうなずけます。そうした試みには,小規模ながら成功をみているものもあります。数々の民族は強力な国家へと統合されてゆきました。例えば,神聖ローマ帝国や大英帝国,もっと最近ではソビエト社会主義共和国連邦などについて考えてみるとよいでしょう。
必ずしも政治上の統合を目的としたものではなくても,国家集団の間に思考や行動の面での一致を図ろうとした試みもあります。アラブ国家連盟はその一例で,国際連合組織も同様です。
しかし,世界がひとつになるなど全くのユートピア的発想であると考える人もいます。そうした人々は,神聖ローマ帝国や大英帝国でさえ,時とともに崩壊したことを指摘します。安定した連邦政府でさえ問題を抱えています。ケベック州が自国の残りの部分から分離しかねないことを憂慮するカナダ政府はその例です。
ですから,世界がひとつになることは望ましいことではあっても,それに逆行する大きな底流があるようです。イスラエルのエバン元外相は,次のように語ったことがあります。「我々の時代に見られる矛盾は,群小国家の拡散が,国際連合,欧州経済共同体,米州機構,アフリカ統一機構などに例示される,より広範囲な統合への追求と同時に進行している点にある」。この発言がなされてからの14年間は,この発言の正しさを証明しています。というのは,この期間に数多くの新国家が誕生しているからです。そのうちの三つだけを挙げてみても,アンゴラ,バングラデシュ,ボツワナなどの国があります。今や,国連加盟国は150か国に上り,その数はこれまでにないものとなっています。
国家主義へのこうした強い傾向を考えると,ひとつの世界について語るのは現実的と言えますか。確かに言えます。わたしたちは,世界がひとつになることが単に望ましく達成可能なばかりか必ずそうなり,今日の人間が夢想だにしないような恩恵をもたらす,と考えています。
しかし,それはどのようにして成し遂げられるのか,という疑問が残ります。西欧の人々は,提唱されている“ヨーロッパ合衆国”への進展を正しい方向づけを持つ一歩と見ているかもしれません。もしそれが実現されれば,大きな突破口となり得ますか。その結果,ひとつの世界はついに実現するでしょうか。では,事実を検討してみることにしましょう。
-
-
“ヨーロッパ合衆国”,正しい方向への前進?目ざめよ! 1979 | 5月22日
-
-
“ヨーロッパ合衆国”,正しい方向への前進?
ヨーロッパは,幾世紀にもわたって,世界の文明と文化の中心地となってきました。ヨーロッパはルネサンスを経験し,産業革命の発祥地となり,遠い“未発見”の土地を探険する資金を供給し,それらの土地を植民地化して,“異教原住民”を名目上のキリスト教徒に変えました。今日でも,ヨーロッパの影響力は世界各地で感じられます。
そのため,統合ヨーロッパ ― ことによると“ヨーロッパ合衆国”でさえ,世界の残りの部分に積極的で有益な影響を及ぼすと考える人は少なくありません。それは,正しい方向,つまり世界の一致に向かって一歩を踏みだすことになるでしょうか。
統合への試み
有名なフランスの作家,ビクトル・ユゴーは,1849年にパリで開かれ,世界平和を確実なものにするためヨーロッパ合衆国の建設を説いた会議の議長を務めました。後日,オーストリアのクーデンホーフ-カレルギー伯が同様の目標を持って,汎ヨーロッパ同盟なるものを設立しましたが,やはり成功を見るには至りませんでした。
ヨーロッパを二つの政治陣営に分割した第二次世界大戦を脱して以来,西欧諸国は統合の望ましさについて再検討するようになりました。東欧諸国は,その中に共産主義陣営に反対する西側諸国の政治的な動きを見て取り,その考えをはねつけました。ですから,いわゆる“ヨーロッパ合衆国”は,もっぱら西欧の構想となってきました。
1949年,これら西欧諸国のうち10か国が欧州会議を設立することに同意した際,その第一歩が踏み出されました。これは,「その共通の伝統の一部である理想や原則を守り,かつ促進することを目的とし,加盟国の社会および経済上の発展を助けるため」の機構でした。決定を下す権限こそなかったものの,同会議は諮問団体,あるいは加盟国が意見を表明し,提案をすることのできる討論の場としての役割を果たしました。
ウインストン・チャーチルはこの会議について,「最初の一歩が踏み出された。そして,大切なのはこの最初の一歩である」と語りました。もっとも,それが正しい方向への第一歩であればの話です。果たしてそうだったでしょうか。他のヨーロッパ諸国がこの会議に加盟したという事実 ― 現在加盟国は20か国に上っている ― は,少なくともそれらの国々がそのように考えていることを示しています。
1951年,フランスのロベール・シューマン外相の提案で,これら10か国の原加盟国中の五か国(フランス,イタリア,ベルギー,オランダ,ルクセンブルグ)にドイツ連邦共和国が加わって,欧州石炭鉄鋼共同体を形成しました。加盟各国は,その基礎資源を出し合い,それを新たな多国間管理機関の下に置きました。
この取決めがかなり実際的であったため,これら六か国は1957年に,あえてもう一歩前進し,欧州経済共同体と欧州原子力共同体を設立しました。後日,1973年1月に,デンマーク,アイルランド,そして英国がこの動きに加わり,これらの共同体の加盟国は九か国へと拡大しました。通例“共同市場<コマン・マーケット>”と呼ばれるこの組織は,目指すところの経済および政治上の完全な連合へ向かう,さらに進んだ一歩と考えられています。
人々はそれについてどう考えているか
一般の人々の態度は,この連合の政治的な含みよりはむしろ,自らの経験した実際に役立つ結果に基づいています。主婦は,今ではこれまでよりもバラエティーに富んだ食料品を選べることや,共同市場内また他の国々との有利な貿易協定のおかげで外国製品がより安くなる傾向にあることを喜んでいます。
旅行者は国々の間をより自由に動き回れるようになったことを喜んでいます。諸政府は,テロ,インフレ,失業,エネルギーなどの共通の問題に関して,これまで以上に前向きの姿勢で協力しているようです。欧州共通の運転免許は実現の日が近づいており,ひょっとすると後日,共通の通貨も出現するかもしれません。
欧州共同体委員会の出版物である,ユーローバロメーター誌は,その1977年7月号の中で,1973年以来六か月ごとに行なわれた世論調査の結果を公表しました。同誌はこう述べています。「共同体全体としての態度はほとんど変わっていない。……十人中六人(57%)は共同体を“良いもの”と考えており,十人中一人ないし二人(14%)は共同体を“悪いもの”と考えている。……共同体に対する態度は,依然,国によってかなり異なるが,1973年当時ほどのばらつきはない」。この記事はまた,解答者の42%は欧州統合の動きをスピードアップすべきだと考えており,34%は現在のペースで続けることを望んでいるのに対し,その動きを抑えるよう望んでいるのは11%にすぎないことを指摘しています。
遠からず実現しそうな二つの新段階
欧州共同体(EC)の機関の一つに,欧州議会(前述の欧州会議と混同しないこと)と呼ばれるものがあります。これは,共同体の抱える問題の共鳴板としての役割を果たしてきました。しかし,立法機関ではないために,その権限は限られたものでした。これまでこの議会の議員は各国の議会によって任命されていましたが,その議員を直接選挙で選ぶ総選挙を1978年の春に実施することが1976年に決定されました。ところが,選挙方法を決定する面で難問題に直面したため延期を余儀なくされ,その選挙は1979年6月7日から10日までに行なわれることになりました。
この選挙に対する関心は一向に盛り上がりを見せていません。ある世論調査の示すところによると,ドイツ連邦共和国で,現在投票することを真剣に考えているのは,人口の28%にすぎません。この選挙は実質的には全く無意味な単なる政治上の実験にすぎず,全体的な状況を変えるのには役立たない,というのが反対派の言い分です。一方,賛成派は,少なくともこの選挙が欧州議会に対する関心を募らせ,自分が選挙民に対して責任を持っているという事実を議員たちに印象付けるだろう,と考えています。いずれにせよ,選挙が行なわれるなら,その時,“ヨーロッパ合衆国”を目指す前進力にはずみが付くことになるでしょう。
論議の的になっている別の段階は,共同市場を拡大して,スペイン,ポルトガル,そしてギリシャを含めることと関係しています。中には,そうすることが同盟を弱める結果になりかねない,と懸念を示す人もいます。スペインのファン・カルロス国王がその即位演説の中で,『スペイン人抜きのヨーロッパは,画竜点睛を欠く』と述べたものの,この考えを押し進める点では双方に幾らかのためらいがあります。共同市場内でもすでに失業率が不快なほど高くなっているので,現在の加盟国は自国よりもさらに大きな失業問題を抱える国々の加盟にためらいを覚えるのです。中には10年間の交渉期間を置くという前提で話す人もいますが,それはより早い進歩を望む人に受け入れられないことは容易に理解できます。
多くの人は,欧州共同体(EC)の拡大が欧州の統一を促進するよりも,むしろ妨げになると考えているようです。ザ・オブザーバー誌上の一記事の中で,ジョン・コールはその点を次のように言い表わしました。「拡大はまた,ヨーロッパ連邦への希望 ― あるいは恐れ ―,そして経済および通貨の統一を早期に実現するいかなる可能性をも,長年にわたって放棄することを意味しかねない」。
進展を阻む他の障壁
確かに,国家主義は真の一致を阻む最大の障壁となっています。政治上対等の国々が相互の通商上の恩典のために協力することと,自国の国家主権を,たとえその一部分であっても譲り渡すことは別問題です。事実,数多くの同盟は,国家主権を尊重し,いかなる場合にもそれを侵害しないという理解に基づいて ― 場合によってはそれを条件にして ― 結ばれてきました。歴史の示すところによれば,国家や支配者が自分たちの主権を進んで他者に譲り渡すようなことはめったに見られません。
共通のイデオロギーに基づく似たような形態の政府を有する国々でさえ,単一の政府の下に統合されることに特に関心を示すわけではありません。例えば,ソ連と中国は各々独自の型の共産主義を発展させることさえしました。英国と米国は,列強の間にこれまで存在した中で最も親密な関係を享受してきたと言えるでしょう。それでも,両国を政治的に統合し,その結果,“英国大統領”あるいは“米国女王”のいずれかが登場するような計画が異議もなく,即座に承認されるなどと期待できるでしょうか。
政治上の統一を達成できれば,それは世界の統一を促進する上で大いに役立つに違いありません。しかし,政治上の統一は国家主義を除き去ることを意味しますが,国家主義はそう簡単になくなるものではありません。
もう一つの点は,統一の基礎として,すべての人が認め,またすべての人が例外なく服する共通の法律がなければならないということです。しかし,共通の法律は,単一の行動規準と倫理上の信念があってはじめて存在するものです。人々や国家が自分たちの規準を作り続け,“自分勝手なことを行なって”ゆくかぎり,果たしてひとつの世界は実現するでしょうか。同じような信念や行動規準のこうした欠如は,すべての人の服する共通の法律の作成を極めて難しいものにします。すべての人が進んで服する,そのような規準を作るのに必要とされる権威と知恵をだれが持ち合わせているでしょうか。
1978年の2月にブリュッセルで演説した英国の外相,オーエン博士は,ある人々が依然として主張している「十分に発達した連邦制度」について次のように語りました。「[それは]気高い目標ではあるが,我々英国人の大半にとって非現実的であり,ある者にとっては神話同然である。政治,社会,そして文化の伝統の非常に異なる九か国が……現実的な範囲でどれほどの期間政治活動に集中したところで,どのように連邦として結合できるようになるのか,我々には現実的なこととして理解できない」。
ドイツの月刊誌ウンゼレ・アルバイト(私たちの仕事)は,「明日のヨーロッパ」と題する記事の中で次のように述べています。「自らの立法府,政府,中央銀行,および主権国家の象徴すべてを備えたヨーロッパ連邦への道は,険しく,障害物が実に多い。連邦化への出発点である共同市場でさえ,……苦情なしには機能しない」。
タイム誌は,誕生後20年を経た共同体を,「成熟した大人というよりは,発育不全の青年」と呼び,さらにこう付け加えています。「本当の意味での欧州統合への一層の進歩は,この偉大な実験の始まった当初よりも今日のほうが捕らえ所のないものになっている。加盟各国は,いまだに,国益があると思えば,ためらうことなく共同体の諸機関を無視する」。
ですから,進展は見られるものの,西欧諸国のこの計画の前途に横たわる問題は,依然として並大抵のものではないようです。それらの諸問題は,国際連合機構が世界的な規模で直面している諸問題と多くの点で似通っています。では,しばらくの間国際連合に注意を向け,それが世界をひとつにする点で果たして成功したかどうか調べてみましょう。
[8ページの地図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
共同市場加盟国
1 イタリア 2 フランス 3 ドイツ連邦共和国
4 ベルギー 5 オランダ 6 ルクデンブルグ
7 英国 8 アイルランド 9 デンマーク
申請中
10 ギリシャ
11 ポルトガル
12 スペイン
ヨーロッパ
8
9
7
5
4
3
6
2
11
12
1
10
ノルウェー
スウェーデン
ドイツ民主共和国
ポーランド
チェコスロバキア
オーストリア
ハンガリー
ユーゴスラビア
アルバニア
アフリカ
[5ページの図版]
ウインストン・チャーチルいわく,「最初の一歩が踏み出された。そして,大切なのはこの最初の一歩である」。
-
-
国連は解決策を持つか目ざめよ! 1979 | 5月22日
-
-
国連は解決策を持つか
国連は破れを防げるか
フランス
中国
ソビエト
イギリス
アメリカ
テロ
国家主義
利己心
憎悪
麻薬
犯罪
戦争
印刷業に誤植は禁物です。国際連合(United Nations)に関する,数年前の英字新聞記事の中で,“連合”に相当する“United”の“i”と“t”がたまたま入れ換わっていたことがあります。結果としてその記事は,United Nationsについて語る代わりに,Untied Nations(国際分裂)に言及することになってしまいました。
もちろん,ひょうきんな人は,この誤りを少しも誤っていないとしてうまく言い逃れるかもしれません。設立されてから30年余りたっても国連は依然として存在してはいますが,国々が相互の関心事や努力の点で結ばれている,つまり連合しているというよりも,各国が独自の道を歩み,自国の利益を求め,“分裂”していたような時もありました。
賞賛に値する目標
国際連合機構の目標は賞賛に値します。国連憲章によると「国際連合の目的」は,「国際的平和及び安全を維持すること」にあります。
国連憲章の第55条は次のように述べています。「人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の平和的且つ友好的関係に必要な安定及び福祉の条件を創造するために,国際連合は,次のことを促進しなければならない。a)一層高い生活水準,完全雇用並びに経済的及び社会的進歩及び発展の条件。b)経済的,社会的及び保健的国際問題と関係国際問題の解決並びに文化的及び教育的国際協力。c)人種,性,言語又は宗教による差別のないすべての者のための人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守」。
立派な目標ではありますが,それはどの程度まで達成されているでしょうか。どの程度まで達成できるのでしょうか。フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙の一記事は,1965年にある事実に注意を引きましたが,それは14年後の今日にも依然として当てはまります。「20年にわたる国連の歴史の結果,および調停や仲裁の数々の示すところによると,国際連合は,“超大国”が直接に関係していない場合に,功を奏してきた」。
その記事は,国際連合の諸機関が他の分野で成し遂げた優れた事業に注意を向けています。その中には,世界保健機関(WHO),国連教育科学文化機関(UNESCO,ユネスコ),国連児童基金(UNICEF,ユニセフ)をはじめ数々の機関があります。
例えば,宇宙,原子力,そして海底などの平和利用の問題を扱う国連専門機関があります。環境,工業開発,そして経済開発などの諸問題も検討の対象となりました。国連麻薬乱用統制基金という機関もあります。災害の救援の点では多くのことがなされました。その最も著しい業績の一つは,パキスタンとの戦争の後に幾百万人に及ぶバングラデシュの難民救済に当たったことです。
犯罪防止統制委員会も優れた働きをしてきました。また1975年には,国連の主催により,大きな政府間会議としては初の婦人問題を専門に扱う会議がメキシコ・シティーで開かれました。
基本的な問題
しかし,こうした優れた成果があっても,それは概して,この機構自体に対する評価の基礎にはなりません。その記事はさらに,国連は,「政治という巻尺によって計測されるという考えに慣れなければならない」と述べています。
しかし,政治という巻尺を当てるのは難しいことです。国連は普通の国家政府ではありません。それとは異なったものです。国連は世界政府ではありませんし,そのような意図をもって作られたのでもありません。もっとも,現在の国連事務総長であるクルト・ワルトハイムは次のようなことを認めてはいます。「設立当初,国連が国の独立と主権を侵害するのではないか,という不安が広がっていた」。
しかし,どうしてそんなことがあり得るでしょうか。国連には法を執行する力はおろか立法能力すらありません。国連の決定は加盟国に対して拘束力を持ちません。その上,加盟国はいずれも主権国家で,対等とみなされているのです。加盟国すべてに尊重され,承認される真の権威のそうした欠如こそ国連国有の欠陥のひとつと思われます。
例えば,国際的な平和と安全にかかわる場合を除いて,国際連合が各国の国内問題に介入することを認める規定はありません。しかし,これはもちろん解釈の余地を残します。すなわち,国際問題とは何か,また純粋に国内問題とは何か,に関する解釈です。
カーター米大統領は人権を擁護する立場から強い調子で発言し,ある国々で国際連合憲章に反して人権がじゅうりんされていることに抗議しました。他の国々は,そのような発言は不当な内政干渉であるとして米国を非難しました。実際のところ,せんじつめれば,各国は自国が受け入れたいと考える事柄だけは受け入れますが,主権国家としての自国の権利が侵害されるとみなす事柄は受け付けないということになります。それは,“ヨーロッパ合衆国”の抱えていたと同じ問題です。ただ,その規模が大きくなったというだけのことです。
根強い国家主義
国連の国際司法裁判所に関して国連のパンフレットの述べる事柄は,この点を裏書きしています。「同裁判所の規程は国際連合憲章の一部となっており,加盟各国は自動的に同裁判所の当事国となる。同規程の当事国は,法的紛争に関する同裁判所の強制的管轄権を承認する旨いつでも宣言することができる。加盟国の大半は,まだこの強制的管轄権を受け入れていない」。[下線は編者による。]ですから,この裁判所は,実質的な権威を何ら持たない,“張り子の虎”にほかなりません。
クルト・ワルトハイムは,30年にわたる国連の活動を回想し,各国の主権を制限しないことには実質的な活動のできる国際体制は生まれない,と語りました。同事務総長によると,ある分野ではそのような制限を設けることに成功したものの,過去30年間には世界中で,「国家主義の強力な再主張」もありました。
「国家主義の強力な再主張」は,世界をひとつにすることを一層困難なものにします。ワルトハイム事務総長は,次のような言葉で国連の直面している問題を言い表わしました。「その主要な諸機関の決定に対する全般的な敬意を確保することにより,平和を維持する上での我々の機構の役割を強化することは,中でも最も困難な務めであろう」。
そうした「全般的な敬意」を勝ち得るのは,確かに容易なことではありません。N・J・バデルフォードとL・M・グッドリッチ共著の「岐路に立たされる国際連合 ― 功績と展望」という本は,国連に関して次のような意義深い所見を述べています。「国連は,人間の心の中に平和がないのに,平和を保つよう求められてきた。……諸国家が核戦争のことばかり考えているのであれば,同機構は核戦争が人類を席けんするのを防ぐことはできない。国連は超大国に有無を言わせずその命令を守らせることも,提案に従わせることもできない。……国連は,各国の代表にその意志があれば,共に筋道を立てて話し合うための討論の場を提供する。また,紛争の解決を助け,国際間の平和と安全を維持するため,予防外交,調停,および国連軍の平和維持などの手段を講じることができる。しかし,諸国家の側にはそうした手段を受け入れ,それを活用する用意がなければならない。さもなくばそうした努力は最初から無益である」。[下線は編者による。]
それこそ問題の核心です。統一を図るには,互いの益のために協力を惜しまない態度がすべての国に見られねばなりません。そのような惜しみない態度は,単に理性から出るのではなく,心から出た願いでなければなりません。簡単に言えば,世界をひとつにするためのかぎは愛です。
ところが,世界の統一の行く手にある最大の問題である国家主義は,愛の表現などではありません。むしろそれは,あらゆる国を包含する全体の福利を求めるのではなく,ひとつの国の私的,かつ利己的な利益を強調しています。
真の愛を表わすには,個人の関心や愛情を広げ,単に自分の国の者だけではなく,全世界の人々を含めることが求められます。それには,国際的な考え方が必要とされます。
しかし,愛は立法化できるものではありません。では,どうしたらそれを実践できますか。“ヨーロッパ合衆国”の構想をもてあそんでいる国々にしろ,国連に加盟している150か国にしろ,そうした国々がこのかぎを認識し,世界の一致に通じるとびらを開くためにそのかぎを用い,ひとつの世界をついに実現させうる証拠がありますか。
-
-
喜んでください! 世界がひとつになる日は近づいています!目ざめよ! 1979 | 5月22日
-
-
喜んでください! 世界がひとつになる日は近づいています!
平和と一致は切り離すことができません。平和があるところには一致もあります。世界が一つになれば確かに世界平和も実現します。その平和はその基となる一致と同じほどあまねく行き渡る永続的なものです。
しかし,両方とも他のものに依存しています。それは何でしょうか。詩篇 119篇165節(新)は次のようにそれに答えています。「豊かな平和はあなたの律法を愛する者たちのものです。彼らにとってつまずきの元はありません」。
平和と世界の一致に通ずる道に横たわるつまずきの元を乗り越えるのに必要なのは,神の律法を知ることだけでなく,それを愛することです。そうした愛は,世界の一致に通ずるとびらを開くかぎなのです。
こうした事実を指摘しているのは,オーストリアのローマ・カトリック枢機卿フランツ・ケーニッヒの言葉です。同枢機卿は,ヨーロッパの一致が達成できるかどうか,その見込みについて語り,こう述べました。「今日の西洋人に見られる霊的な病気の徴候は,簡単に要約すれば愛の欠如である。……我々の中で,ヨーロッパ人が重大な危機に直面していることを知らない人はいない。そして,西洋世界のこの危機は霊的な根が絶やされたことから生じているように感じている。……物質的な繁栄を狂ったように求めることにより,人は身体的にも霊的にも破滅に導かれつつある。……人々が霊的な病気にかかればかかるほど,今後のヨーロッパが抱える諸問題は解決不可能なものとなるであろう」。[下線は編者による。]
神への愛がない
世界の一致は,単なる政治的な問題ではありません。それには霊的な事柄が関係しています。それには,宗教,それも聖書に基づいた宗教が関係しているのです。神の律法を知るようになるためには,聖書を注意深く学ばなければなりません。神の律法を愛することを学ぶにはさらに多くの事柄,つまり,神の律法の知恵について,また従順を示すことにより得られる個人的な益について熟考することも含まれます。そのように神の律法を愛することを学ぶ人は,隣人を愛することにより,しかしまず第一に神を愛することにより学んだことを表わすでしょう。
政府や国連の人道主義的な諸機関は隣人に対してある種の愛を示すかもしれませんが,自らを神の王国に敵対する立場に置くなら,神への愛はどこにあるのでしょう。しかしそれらの機関は神の王国に敵対してきたのでしょうか。その通りです。
聖書の年代計算と,聖書預言の成就が示すところによれば,1914年に,啓示 11章15節の,「世の王国はわたしたちの主とそのキリストの王国となった」という言葉が成就しました。
このことは何を意味していますか。それは,人間が何千年にもわたり,干渉を受けずに世を支配することを許された期間か終わり,今度は神がご自分のみ子イエス・キリストを通して,人間には生み出せなかった世界の一致を実現させるため今や介入されたという意味です。しかし,諸国民は神の王国に頼るのではなく,いわば,国連や他の組織内に結集し,その王国に敵対して団結したのです。
詩篇 2篇2-6節(新)はこのことを次のように予告していました。「地の王たちは立ち構え,高官たちは一団となってエホバに逆らい,その油そそがれた者に逆ら(う)。……エホバが……彼らに語り……こう言われる。『このわたしが,わたしの王を就任させた。シオンに,わたしの聖なる山に』」。
「彼らを粉々にする」
イエスは,神の王国が支配を始めた後に世界的な伝道の業(マタイ 24:14)が遂行されることを予告されました。それにより,地上の住民各人に,エホバの主権を支持するか諸国民の主権を支持するかを決める機会が与えられます。
この機会が神のご意志にかなうまで与えられてから,キリストは諸国民に注意を向け,詩篇 2篇9節(新)に述べられている通りの事を行なわれます。「あなたは鉄の笏をもって彼らを砕き,陶器師の器のように彼らを粉々にする」。―ダニエル 2:44もご覧ください。
これは,神が異様であるとか残酷であるとかいう印象をわたしたちに与えるでしょうか。人間の政府は,自国の存在や国民の福祉が脅かされているとみなす時には,強力な手段に出ることがしばしばあります。では,人類の生存そのものが分裂した諸国家の核戦争によって脅かされているのをご覧になる宇宙の創造者には,行動を起こす権利がないと言えるでしょうか。
一つの政府の下に宗教的に一致する
ベルギーのラ・ヌーベル・ガゼット紙は次のような見出しの記事を載せました。「米国の権威筋は,25年以内に核戦争を回避する唯一の解決策を発見した。それはエホバの証人の解決策である」。
この記事は次のように説明しています。「その唯一の手段とは,各国が……世界政府を支持して自国の主権を全面的に放棄することであろう」。これはまさに「エホバの証人が唱道しているスローガン」である,とも述べられています。
しかし,オーストラリアの新聞をして,「エホバの証人は世界平和運動で成功している唯一の団体である」と言わせたこの「スローガン」とはどんなものなのでしょう。彼らは本当に,平和と世界の一致をもたらす手段を見いだしたのでしょうか。
エホバの証人は,一つの政府,神の政府の下に結び合わされる道を選びました。そのためには,現在自分たちが住んでいる200以上の国々の諸問題に対して厳正中立の立場を取らねばなりません。この立場は,今,証拠書類を提出する必要が全くないくらい,あまねく知れ渡っています。
神の王国は天的な政府ですが,実在するものです。その王国は平和と一致を促進する地上の代理者もしくは機関を持っています。それは,訓練計画,種々の学校,審理制度,助言の取決めなどです。幾万人もの人々が麻薬や喫煙,過度の飲酒,みだらな性関係を断つよう助けられ,正直で良心的な働き手になることを学びました。このことは,人々の健康や全般的な福祉,心の平安や幸福に寄与したでしょうか。それはあなたご自身で判断してください。
それらの代理機関はまた,読み書きのできるように幾十万もの人々を助けました。ナイジェリアのエホバの証人の非文盲率が約77%であるのに対して,ナイジェリアの新聞ザ・タイムズ紙は「[国全体の]非文盲率は20%にすぎない」と伝えています。ブラジル,サン・パウロのサント・アンドレに住む以前の文部大臣は,エホバの証人とのインタビューの中でこう言明しました。「エホバの証人ほど人々の教育に関心を持つ人たちはどこを捜してもいませんよ。それも,昔は読み書きができないという理由で社会から締め出されてしまった何万人という人々を,またその社会に送り出すためですからね。わたしたちは皆さんを支援して感謝を表わしたいと思います。他のグループも同じように骨折ってくれたらブラジルの文盲率はもっと低くなっていたでしょう」。
神の政府は,その臣民が政府の法に関する正確な知識を得られるように,その臣民の教育に関心を持っています。また,それらの法が施行されているかどうかを見届けるために審理制度も備えてくれました。しかし,その臣民は,それらの法が公正で義にかなったものであり自分たちを幸福にするために定められたものであることを確信しているので,天の政府の持つ絶対的な支配権を喜んで受け入れます。200以上の異なった国々に住みながら,なおかつ唯一の行動規準と倫理的信念に基づく共通の法の下に一致することができる人々,同じ一つの政府を活発に支持している人々は,確かに長年にわたって自分たちの間に世界の一致を達成してきました。
ミルウォーキーのセンチネル紙は,エホバの証人について次のように述べ,その点を強調しました。「彼らの一致は生活の末梢的な事柄に基づくものではなく,行動の規準,原則の遵守,神への崇拝など根本的な事柄に基づいている」。ブラジルの新聞オ・テンポ紙もその点に同意しました。「宣伝によって人目を引こうとする宗教は全世界至る所にあるが,エホバの証人の神権的な組織ほど,同じ愛と一致を示す宗教は現在,地球上に一つもない」。
それは,エホバの証人が自分たちの選んだ政府の忠節な臣民だからです。現在多くの国々では,政府の転覆を企てる急進的なグループや,口先だけで忠誠を示し,不正直にも税金をごまかし,自分の利益にならない不都合な法律を無視し,“主要な機関の決定”に敬意を払わず,指導者をばかにするような市民に悩まされているのですから,地上のどの国が忠節な臣民だけを有していると言い切れるでしょうか。
一方,神の治める王国の臣民は,不都合に思える場合でも,神の法を愛しているので,不完全ながら能力の及ぶ限りその法に従います。彼らは“主要な機関の決定”に敬意を払い,その政府が当然受けるべきものを喜んで支払います。
実際にその臣民たちは,天の政府を擁護して死ぬ,言わば,国のために死ぬことさえいといません。彼らの模範者であるイエス・キリストは,ローマ帝国を擁護したりユダヤ教の事物の体制を存続させたりするためではなく,神の王国の関心事を促進するために命を捨てられました。一致を保証するものは,神への愛に基づいた,神の政府へのこの破れることのない忠誠です。
しかし,この一致は,個性や多様性を殺してしまうものではありません。イスラエルのアバ・エバン元外相は次のように語ったことがありました。「国民性の相違は,それが国際的な秩序に関する制約や連帯と調和するものなら,積極的で強い力の源となり得る」。200以上の異なった国々に住んでいるエホバの証人には,“国民性の相違”つまり衣生活,土地の習慣,生活様式など,神が人類に意図されたあらゆる多様性が見られ,それが真に“積極的で強い力の源”となっています。その多様性により,彼らは互いに学び合うことができるのです。人をよくもてなす国民性を持つ人々は,比較的控え目な人々により率直で寛大になることを教え,組織力のある人々は,他の人々がさらに実際に役立つ考えを身に着け,有能なものとなるよう助けています。他の人々の美点は取り入れられていますが,非建設的な特質は除かれています。彼らは国際的な考え方を学んだため,彼らの“国民性の相違”は,この場合は神の王国という“国際的な秩序に関する制約や連帯と調和する”ものとなっています。
これらすべてに対して,エホバの証人は決して個人的な誉れを受けることをしません。彼らは自分たちが世界の一致を造り上げたとは主張しません。世界の一致をもたらすためのかぎを与えてくださったのはエホバ神で,そのかぎはだれでも手に入れることができます。エホバの証人たちが表わしている一致は,自らの道を神の道に進んで合わせることによって初めて得られたものです。これは行なうべき賢明なことであり,また,神の新しい事物の体制での生活を保証する唯一の道なのです。その様子を啓示 21章3,4節は次のように記しています。「そして神みずから彼らとともにおられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。これこそ神の王国が行なう事柄です。
法王パウロ六世は1965年に国連について語り,人々は“一致と平和のための究極の希望として国際連合に”頼っていると述べましたが,提案された“ヨーロッパ合衆国”も,国際連合組織も神の王国の貧弱な代用物でしかなく,実際には代用物ともなりません。事の真相は,さらに大勢の人々が,すでに小規模にもたらされた世界の統一に引き寄せられて,また王国が間もなく全地球的な規模でもたらす世界の一致に期待を置いて,究極の希望として神の王国に頼るようになっているということです。
「目ざめよ!」誌の発行者は,さらに多くの人々がこれからも,神のすばらしい備えについて学び,その益を得られるよう心から願っています。世界の一致へのかぎはすでに見いだされ,そこへ通ずるとびらは開かれました。喜んでください! 世界の一致は手の届くところにあります。あなたは手を伸ばしてそれを受け入れますか。
-
-
すぐにつく郵便物目ざめよ! 1979 | 5月22日
-
-
すぐにつく郵便物
近い将来,アメリカの郵政省は遅配の汚名をそそぐ手段を採用するかもしれない。郵政省長官はある伝達装置の実験を宣言したが,その装置とは,情報を電子的な刺激に変え,必要な場合には人工衛星を用いてそれらを目的地に送信し,それを再度文字に変えて次の日には配達できるようにするものである。同長官の言葉によると,この装置が作動すると,莫大な情報量を現在の第一種郵便物の料金よりも安く送ることができるという。もし政府が支援することになれば,この装置は三年以内に限られた範囲で実用化の段階に入るだろうと同長官は語っている。
-