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  • 人を弟子とし,次いでバプテスマを施す
    ものみの塔 1973 | 8月1日
    • 6章2節,黙示録 22章17節をもご覧ください。)ピリポから学んだエチオピア人はこう尋ねました。「わたしがバプテスマを受けることになんの妨げがあるでしょうか」。(使行 8:36,新)もしあなたが,エホバ神に仕えることとキリストのくびきを負うこととに関して同様に感じておられるなら,バプテスマの希望者に対して尋ねられる次のような二つの質問を考慮するよう,お勧めします。

      (1)あなたは自分の罪を悔い改めて転向し,エホバ神のみ前で,自分が有罪の宣告を受けた,救いを必要とする罪人であることを認め,またその救いはみ子イエス・キリストを通して,父なるエホバからもたらされるものであることを認めていますか。

      (2)神と,救いのための神の備えとに対するそうした信仰に基づき,神がイエス・キリストを通して,また啓発を与える聖霊の力のもとで聖書を通してあなたに啓示してくださるところに従って,これからは神の意志を行なうべく,神に無条件で献身しましたか。

      もしあなたがこれらの質問に「はい」と答えられるということに気づいておられるなら,バプテスマを受ける目的で,あなたの交わっているエホバの証人の会衆内の主宰監督にその旨相談するのは適切なことです。そうすれば,バプテスマに続いて,あなたも,「事物の体制の終結の時まで」追随者たちとともにいることを約束されたキリスト・イエスの祝福を受けつつ,人びとを弟子とする世界的なわざにあずかることを期待できるでしょう。―マタイ 28:18-20,新。

  • 国際的な一致は可能ですか
    ものみの塔 1973 | 8月1日
    • 国際的な一致は可能ですか

      1-3 (イ)国際的な一致をはばんでいるのは物質上のもの,あるいは技術上の知識の欠如ですか。(ロ)問題はどこにありますか。

      諸国民の間の一致は今日大いに願い求めて然るべき事がらです。核兵器の出現はそうした一致を願わしい事がら以上のものにしています。事実,科学者や政治家たちは一致を目ざすいっそう強力な努力を要請しており,そうした努力をしなければ,わたしたちの知っている文明は地上から消滅してしまうかも知れないとして恐れています。

      2 問題があるのは,世界がその必要とするものを技術的あるいは産業的手段でまかなえるほど十分に進歩していないためでしょうか。そうではありません。現代の科学的また技術的知識をもってすれば,食糧を生産し,分配してすべての人を養うことはできないわけではありません。とりわけ,今日戦争や軍事に費やされている努力や資源のすべてを建設的な用途に振り向けるなら,家や衣服その他の必要なものをすべて供給できるでしょう。

      3 では,どんな問題のために,世界の一致は幻想的目標,つまりいつもそれについてうんぬんしながら,決して達成できないものとされてきたのでしょうか。それは人びと ― 人びとの互いに対する態度ではありませんか。諸国民は互いに対抗し合っています。しかし,さらに重大なこととして,ほかならぬそうした諸国民相互の関係から隣人相互のレベルに至るまで,人種や国籍を異にする人びとの間の憎しみその他,他の人に対する徹底した嫌悪の情が見られます。人びとは互いに相手をいらだたせています。「世代の断絶」その他の要因は,家族をさえ分裂させるものとなっています。

      4,5 世界の一致という問題の解決策はどこに見いだせますか。

      4 ゆえに,人びとの態度が変わらないかぎり,世界の平和や一致はもたらされません。諸国民がどんな平和条約あるいは平和規定を設けようと,人びと自身が互いに愛し合い,おのおの他の人の最前の益のために働くようにならないかぎり,永続する一致はもたらされません。それは主として,一致を求めるべき真の理由を人びとの思いや心に銘記させる教育の問題なのです。

      5 人間は政治的な約束や計画を設けてはきましたが,一致のためのそうした基礎となるものを提供することはできませんでした。とはいえ,国際的な一致はもたらされるでしょう。それは人びとの心を動かし,態度や人格を変えさせることができる唯一のかたによってもたらされるでしょう。そのかたは創造者です。しかし,創造者は独断的に人の態度を変えさせるわけではありません。むしろ,創造者は,人びとを動かして態度を変えさせる教育計画を持っておられるのです。なぜなら,人びとが何を必要としているかをご存じだからです。そして,その計画を監督しておられます。

      今日,真の一致はどこに存在しているか

      6-8 (イ)国際的な一致が可能であることを証明する実例をどこにさし示すことができますか。(ロ)エホバの証人はどんな源から,またどんな力によって一致を得ていますか。

      6 このような考えはこじつけのように聞こえますか。もし,ある大勢の人びとの間に実際にそうした一致を見いだせるなら,あなたはそれらの人びとが問題の解決策を持っていることを信じますか。そのようなグループは確かに存在します。それはエホバの証人として知られる国際的な社会です。

      7 それらの人びとは実際に,生活や活動のあらゆる面で自分たちのうちに一致を保っていますか。彼らがまさしく一致を保っていることは,彼らの運営する大規模な大会を観察したり,あるいは各地の王国会館で開かれているそれらクリスチャンの集会に出席したりした人すべての目に明らかです。それらのクリスチャンはそうした一致をどこから得ているのでしょうか。神のみことば聖書を研究し,それに従うことによって得ているのです。それは彼ら自身の「善良さ」のためではありません。なぜなら,彼らは実に多種多様な個性を持っており,神の真理や神の目的に関する知識を得る以前は他の人びとと変わるところがなかったからです。―コロサイ 3:5-8。

      8 この地上で人びとが互いの間で完全な一致を保持するのは神の目的です。神は,ご自分のみことばに耳を傾け,ほんとうに神に仕えたいと願う人びとを集めて,ご自分の霊,つまり真理と一致と自由との霊をそれらの人びとに与えておられます。(ヨハネ 16:13。エペソ 4:2,3。コリント後 3:17)遠い昔,神はそのことを,今行なっている事がら,またやがて完全に成し遂げようとしておられる事がらの型として,一国民のために一時的に行ないました。

      神はどのようにして一致をもたらされるか

      9 レハベアムの時代からユダがバビロンへの流刑に処されるまでの時期におけるイスラエルの十二部族の事情を述べなさい。

      9 エホバは,4世紀間激しく張り合ってきた二つの国民を和解させて,統一を図るそうした実例を設けました。それらの国民はもともとある人の12人の息子の子孫で,一つの国民でしたが,互いに憎み合い,戦い合う仲に陥りました。聖書の次の格言が彼らの場合にあてはまりました。『怒れる兄弟はかたき城にもまさりて説き伏せがたし兄弟のあらそいはやぐらの貫木のごとし』。(箴 18:19)そのうちの十部族は,ソロモンの息子レハベアム王の治世中に反抗して離れ,北の王国を形成し,時にその主要な部族の名称にしたがって「エフライム」(ヤコブの息子ヨセフの子らのひとり)と呼ばれました。二部族で成る南の王国は「ユダ」と呼ばれました。エフライムはアッシリア人によって捕虜とされ,ユダはバビロンへの流刑に処されたため,十二部族すべては広く散らされ,霊的な意味だけでなく,地理的な意味においても彼らにとって一致を図ることは不可能に見えました。

      10-13 イスラエルの民族の分裂した状態に関して,エホバはバビロンにいるユダヤ人の前で,しるしとなるどんなことをエゼキエルに行なわせましたか。

      10 しかし,神にとっては不可能なことは何もありません。(マタイ 19:26)彼らがなおバビロンで流刑に服していた時,エホバは預言者エゼキエルを起こしました。彼らを助け,また現代における一致の預言的な型を設けるため,神はエゼキエルにこう告げました。

      11 『人の子よ汝一片の木を取りてその上にユダおよびその侶なるイスラエルの子孫と書き また一片の木をとりてその上にヨセフおよびその侶なるイスラエルの全家と書くべし これはエフライムの木なり しかして汝これをともにあわせて一つの木となせ これ汝の手のうちにて相つらならん』― エゼキエル 37:15-17。

      12 エゼキエルが演じた,そうした一致を象徴する事がらは,彼がその二つの木を単にいっしょにして手で握ったか,それともそれらの木が奇跡的に合体したかどうかにはかかわりなく,確かにユダヤ人の注意を直ちに引くものとなりました。エホバはそのことを予期して,こう言われました。

      13 『汝の民の人々汝にこれは何の意なるか我らに示さざるやと言う時は これに言うべし〔主権者なる〕主エホバかく言いたもう 我エフライムの手にあるヨセフとその侶なるイスラエルの支派の木を取りこれをユダの木に合わせて一つの木となし わが手にて一つとならしめん 汝が書きつけたるところの木を彼らの目のまえにて汝の手にあらし(むべし)』― エゼキエル 37:18-20〔新〕。

      一致をもたらす「一人の王」

      14-18 (イ)しるしとなる事がらをエゼキエルに行なわせることにより,エホバは何を考えておられましたか。(ロ)神は,エゼキエルのしるしによって表わされたことを成し遂げましたか。

      14 このことに関してエホバは何を考えておられたのでしょうか。確かに奇跡ともいうべき事がらを行なって,彼らを一国民として和解させ,彼らに多大の益をもたらすことを考えておられました。同時に神は,ご自分の目的を完全に達成する時代となる現代における永続する一致をわたしたちのために保証する基礎を置かれました。神はこう説明されました。

      15 『我イスラエルの子孫をその行けるところの国々より出だし四方よりかれを集めてその地に導き その地において汝らを一つの民となしてイスラエルの山々におらしめん 一人の王彼らすべての王たるべし 彼らは重ねて二つの民となることあらず再び二つの国に分かれざるべし』― エゼキエル 37:21,22。

      16 その驚くべき一致は,それら宗教的また政治的に分裂した民族が互いに寛容を示し合う単なる「平和共存」ではありません。それは真実の,心からの一致となるのです。ですから,エホバはこう続けておられます。

      17 『彼らまたその偶像とその憎むべき事どもおよびそのもろもろのとがをもて身を汚すことあらじ 我かれらをその罪を犯せしすべての住まいどころより救い出だしてこれを清むべし しかして彼らはわが民となり我は彼らの神とならん』― エゼキエル 37:23。

      18 神はそれら捕われていた人びとをエルサレムに帰還させた当時,一致をもたらしました。彼らはあらゆる国民から,あらゆる部族から一つの民としてやって来ました。何世紀も後の,イエスの生まれた時代においてさえ,パレスチナには十二部族を代表する人たちがいました。(使行 26:7)しかし,「一人の王」のもとにもたらされる真の永遠の一致は,なお後代に到来することになっていました。

      19 エゼキエルを通して与えられたしるしのより大規模な成就はいつ始まりましたか。

      19 それにしても,国際的な一致が達成される時はいつ到来するのでしょうか。それはイエスが王になるよう聖霊によって油そそがれた後に小規模な仕方で始まりました。(使行 10:38)イスラエルの12部族の中から,さらには異邦諸国民の中からも出てきてイエスの霊的な兄弟となる人たちに関してイエスは神にこう祈りました。『我かれらのためのみならず,そのことばによりて我を信ずる者のためにも願う。これ皆一つとならんためなり。父よ,なんじ我にいまし,我なんじにおるごとく,彼らも我らにおらんためなり』― ヨハネ 17:20,21。

      20 (イ)今やすべての人にとって一致は肝要な事がらです。なぜですか。(ロ)詩篇作者は,神の「一人の王」のもとで一致することの重要性をどのように示していますか。

      20 今やわたしたちは一致の不可欠な時代に住んでいます。それはひとり『霊的なイスラエル』だけに肝要なのではありません。(ガラテヤ 6:16)この世界は生き残るには,真の一致を達成しなければなりませんが,そうすることはできません。キリスト教世界の分裂した諸教派も,政治も科学も,その方式を持ち合わせてはいません。しかし,キリストの追随者は自分自身の知恵によってではなく,神のみことばのゆえに,そうした方式を持っています。エホバの証人は,「一人の王」キリストが王国の支配権を執って今やほとんど60年近く臨在してこられたということを宣べ伝えています。彼らは,すべての人が神の立てた「一人の王」に仕え,その恵みを受ける必要のあることをふれ告げてきました。それは詩篇作者が書いたとおりです。『されば汝らもろもろの王よ さとかれ 地のさばきびとらおしえをうけよ 恐れをもてエホバにつかえ……子にくちつけせよ おそらくはかれ怒りをはなち なんじら道にほろびん』― 詩 2:10-12。

      21 霊的なイスラエルのほかに,今やどんな人びとが,国際的な一致は可能であるばかりか,必ず到来することを証明する証拠を示していますか。

      21 すべての人びとは,もし望むなら「一人の王」のもとで一致した関係にはいる機会を持っています。西暦1935年以来,人びとの『大いなる群衆』は人種的・国家的・部族的・言語的障害や相違を克服してきました。それらの人びとは,分裂した世界の滅びを生き残る希望をいだいています。それらの人たちは,人類の国際的統合に不可欠な一致を保持しているので,人類のそうした一致が可能であることを示す実例また証拠となっています。そうです,それは可能どころか,確実なことです。なぜなら,神がそれを意図しておられるからです。

      22,23 エゼキエル書 37章24,25節で述べられているように,牧者としての,エホバの「しもべダビデ」のもとに来る人びとに対して,その「しもべダビデ」を通してどんな益がもたらされますか。

      22 人間が完全な健康に恵まれ,地の美化された文字どおりの楽園はまだ到来してはいませんが,エホバ神に仕えているそれらの人びとの間には今や,「エデンの園」ともいうべき霊的な『楽園』が存在しています。イエス・キリストは,彼らすべてを『一つの群れ』として集めておられる「善き牧者」です。(ヨハネ 10:11,16)彼は永遠の王国契約の相続者,より大いなるダビデとして支配しています。エホバは,そうした平和の存在する理由を,エゼキエルに述べたその預言的なことばの中で次のように示されました。

      23 『わがしもべダビデかれらの王とならん 彼ら全体の者の牧者は一人なるべし彼らはわが律法にあゆみ わが法度をまもりてこれを行なわん 彼らはわがしもべヤコブにわが賜いし地に住まん これその先祖たちが住まいし所なり かしこに彼らとその子およびその子の子とこしなえに住まわん わがしもべダビデとこしなえにかれらの君たるべし』― エゼキエル 37:24,25。

      24-26 (イ)王で牧者であられるイエス・キリストのもとに来る人たちには平和が保証されています。なぜですか。(ロ)神はご自分の「しもべダビデ」に服従している人たちのために何を行なってこられましたか。(ハ)それら従順な人たちは今何を成し遂げようとして一生懸命努力していますか。

      24 エホバは,「契約」つまり厳粛な約束の保証として王イエス・キリストをお与えになりました。そして,イエス・キリストは地上におられた時,ご自分の命をさえ犠牲にしてまで,人類に対する真の関心を示されました。(イザヤ 42:6)このことは,イエスに服従する人びとに対して平和を保証しています。この王の支配がもたらす,創造者との一致を神はこう描写しておられます。

      25 『我かれらと和平の契約を立てん これは彼らに永遠の契約となるべし我かれらを堅うし彼らを殖しわが聖所をとこしなえにかれらのうちにおかん わが住みかは彼らの上にあるべし 我かれらの神となり彼らわが民とならん わが聖所とこしなえにかれらのうちにあるにいたらば国々の民は我のエホバにしてイスラエルを清むる者なるを知らん』― エゼキエル 37:26-28。

      26 キリスト教に基づくエホバの真正の崇拝,つまりエホバの聖所は,書きしるされたみことば聖書に忠実に従う人たちの中にあります。神の保護と家族的関係を表わすエホバの幕屋は彼らの上に張られています。彼らは愛・喜び・平和・辛抱強さ・親切・善良・自制などのエホバの霊の実を培うことによって人格を作り変えるよう一生懸命努力しています。(ガラテヤ 5:22,23,新)そすうることによって自分たちの間に一致をもたらしています。今日,すべての人は彼らに加わって,神と仲間の人間との一致を保ちつつ,永遠の命にあずかる時を待ち望むことができるのです。

  • 覚えていますか
    ものみの塔 1973 | 8月1日
    • 覚えていますか

      あなたは最近の「ものみの塔」を注意深くお読みになりましたか。そうでしたら,次の点を覚えておられるでしょう。

      ● イエスは人びとに望まれていないことが明らかになった時,なぜガダラ人(ゲラセネ人)の地にしいて留まろうとはなさいませんでしたか。―ルカ 8:37-39。

      イエスの奉仕を受けるに価する人びとが他の場所にいた。イエスはまた,悪霊につかれていた人を解放し,その人を信者としてあとに残したので,その男はデカポリスに住んでいる親族や他の人びとに証言できた。―205ページ。a

      ● 食べ過ぎ,飲み過ぎ,それに生活の心配はどのように『心を重くする』おそれがありますか。―ルカ 21:34

      飲食に関する不節制は心を罪の意識でふさいでしまい,良い動機を与えないようにしてしまう。生計を立てることについてひどく心配するようになると,動機づけを行なう心は物質的な事がらを中心にして働くようになる。こうして,エホバ神がご自分のしもべに必要なものすべてを備えてくださるという確信がその人の心から奪われてしまう。―250,251ページ。

      ● 新しい契約は古い律法契約に対して,どんな面で優れていますか。

      新しい契約の取り決めのもとでは,イエス・キリストは後継者を全く必要としない不滅の大祭司である。イエスの完全な人間としての犠牲は繰り返しささげられる必要はなく,罪の真の許しを可能にしている。新しい契約のもとにいる人びとについて言えば,エホバはご自分の律法を彼らの心と思いの中に置かれた。書きしるされた詳しい法典はない。―270,271ページ。

      ● イエスの「名」は何を表わしていますか。

      その名を持っておられるかたを表わすだけでなく,神の意志を実行し,成し遂げる彼の権威を表わす。この権威には,王として,また神のお用いになる「命の主要な代理者」としてのイエスの地位が含まれる。―294-296ページ。

      ● なぜエホバの証人は麻薬の乱用に対してはっきりと反対の立場を取りますか。

      聖書中に麻薬という語は挙げられていないが,麻薬を使用することはその人とエホバ神との関係を危うくする。身体に有害な影響をおよぼすだけでなく,思考力を鈍くしたり,十分の「理性」を持って神に近づくのをさまたげたりする。(ロマ 12:1,新)多くの場合,麻薬常用者は心霊術に関係するようになる。ガラテヤ書 5章19-21節(新)によると,「心霊術の行ない」は,神の是認と命を得ることを妨げる「肉」のわざである。―398-401ページ。

      ● 箴言 10章7節の『悪しき者の名は腐る』ということばにはどんな意味がありますか。

      悪人の名あるいは評判は,楽しい思い出ではなくて,不快な鼻持ちならない思い出になる。このことは,同じ節の前半の『義者の名はほめられ』という対照をなすことばからも明らかである。―433-434ページ。

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