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魅力的な惑星 ― わたしたちが見て楽しめるもの目ざめよ! 1975 | 12月8日
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ご覧になれますか。あれがふたご座のカストルとポルックスです。下の方の星の右斜め下に,それほど明るくない別の星があります。天文学者はその星をふたご座κ(カッパ)星と呼びます。昨晩,望遠鏡で見たところ,その星と一緒により光のにぶい二つの星が見えました。一つは左側に,もう一つは真下にあり,κ星のところを直角にした直角三角形をなしています。さあ,望遠鏡をのぞいて,何が見えるか言ってください」。
「おっしゃる通りの所に,明るい星と他の二つの星が見えますが,光のにぶい方の二つの星と並んで四番目の星が見えます」。
「そうです。それは昨晩その位置に見られませんでしたから,惑星であるに違いありません。恒星と惑星の基本的な違いは,恒星が天空の定まった場所にいつもとどまっているのに対して,惑星は移動するという点を覚えておいてください」。
「これは,何という惑星ですか」。
「それは,小惑星つまり小遊星の一つで,エロスと呼ばれています。エロスは,地球の近くまで来て,天空を速い速度で移動するという点でかなり例外的な存在です。おっしゃる通り,今のところ二つの星と一線上に並んでいるように見えますが,非常に速く移動してゆくので,今から一時間もすると,他の二つの星を結ぶ線からかなり離れてしまいます」。
「他の惑星と違って,表面が見えませんね。移動しているという点を除けば,恒星と区別をつけられませんね」。
「エロスはとても小さい上,丸くさえありません。エロスは,長さ約35㌔,幅約16㌔であると推定されています。ゆえに,エロスは五時間に一度の割で自転し,昼と夜の周期を二時間半ごとに繰り返しています。実を言えば,エロスは,カリブ海に浮かぶ島の一つと同じほどの大きさの,宇宙の小島にすぎません」。
「エロスは度々地球に近付くのですか」。
「いいえ,エロスのような小さな惑星を見られるのは,本当にまれなことです。もしエロスが他の小惑星と同じように,火星と木星との間の空間にとどまっているとすれば,わたしたちは決してエロスを見ることがないでしょう。しかしエロスは,近日点,つまり太陽に最も近付く点まで来ると,地球の軌道にかなり接近するような軌道の上を運行しています。今月は,たまたま,地球からわずか2,200万㌔余しか離れていない所を通過することになっています。エロスが再びこれほど接近するのは,今から81年後のことです」。
「天文学者が非常に忍耐強くなければならないことがよく分かります。しかし,今晩は,時間のたつのが随分早いですね。ほかの惑星を見る時間がまだありますか」。
土星の驚嘆すべき環
「最後まで取っておいたものがもう一つあります。わたしが,天体の中で最も美しいと思うものをご覧にいれましょう。それは土星です。望遠鏡の倍率を80倍に合わせておきます。さあ,驚かれると思いますが,土星の回りには幾重もの環が見えますよ」。
「なるほどすばらしい眺めです。本当に印象的ですね。でも,一つの環しか見えませんが,幾重もの環とおっしゃいましたか」。
「そうです。では,倍率を上げてみましょう。さあ,もう一度ご覧になって,真ん中に細くて黒い空隙があり,その内側と外側に環が見えるかどうか確かめてください」。
「はい,今度は二つの環が見えます。内側のほうが明るいようですね。土星やその環は,きっと途方もなく大きいのでしょうね」。
「はい,確かに大きいです。土星とその環は,太陽系のどの惑星よりも大きな天体です。土星そのものは木星よりも一回り小さいのですが,その環の直径は約27万2,000㌔にも及びます。もっと大きな望遠鏡を使えば,今見ている二つの環の内側に,かすかに明るい第三の環を見ることができます」。
「何とすばらしい光景なのでしょう」。
「目に見える宇宙内で,土星の環は特異な存在です。土星が30年間かけて太陽の周囲を回るにつれて,わたしたちの見る環の角度は,様々な位相を経てゆきます。わたしたちは,15年間,現在と同じように南側から環を見,その後,同じだけの期間,北側からそれを見ます。土星が一回公転するたびに二回の割で,平らな環を真横から見ます。その状態になった時には,だれも環があることに気付かないでしょう。環は非常に薄く,厚さは15㌔にも満たないからです。それらは,性能のずっとよい望遠鏡で観測した場合でさえ,完全な円形で,全く平らで,同じ形をしています」。
「土星の環は,何でできているのですか」。
「それぞれの環は固体状のものではないでしょう。もし,固体状のものであったとすれば,外側の縁は内側の縁よりも速く動いていなければなりません。ところが実際には,環の内側の部分の方が速く動いているのです。それはまさに,土星からそれぞれの環までの距離にある各衛星に予想されることです。ですから,土星の環は,無数の微粒子から成っていて,各々の微粒子が,それぞれ独自の軌道を持ち,土星の周囲を回っているに違いありません。環の質量および反射光の強さから判断すると,微粒子はごく小さなもので,きっと塵のように細かいものであるに違いありません」。
「しかし,そうした無数の微粒子は,どのようにして,あの驚くべき環へと形成されていったのですか。それに,環を乱すような衝突を起こすこともなく,それらの微粒子はどのようにして安定した軌道上を運行し続けているのですか」。
「だれにもわかりません。こうした不思議な現象は,地上の動植物にも見られるように思えます。創造者エホバは,生物や無生物を含むおびただしい種類の創造物を設計する際,ご自分の偉大な力と知力のみならず,無限の多様性に富むご自分の創作力を示すことに喜びを見いだされたかのようです。このように澄み切った大気を持つ惑星つまり地球に人間を置き,望遠鏡を発明してそれを天空に向けるだけの知力と好奇心を人間に付与してくださった,愛のこもった神の配慮について考えてください」。
「それでは,土星の環や今晩わたしが見てきた他のすばらしいものすべては,人間がそれについて調べて楽しむというだけの目的で,そこにあるのですか」。
「これらすべてのものをなぜ造ったのかを知っているのは,神だけです。しかし,人間の見地からすれば,それ以上にもっともな理由があるでしょうか。物質の宇宙に関してご覧になった事柄は,その偉大な創造者に対する畏敬の念を起こさせるのではありませんか。生活上の他の祝福と共に,こうしたものをわたしたちの楽しみのために備えてくださった神の愛に対する感謝の気持ちに動かされるのではありませんか」。
「全くその通りです。しかし,今晩わたしが学んだ事柄から,二つほどの疑問が残りました。天文学者たちは幾世代にもわたって研究してきたとはいえ,宇宙に関して学ぶべき事柄のほんの一部を知り得たにすぎないのではありませんか。その上,お話しくださった諸現象の多くは,人の一生に一,二度しか起こらないような非常にまれなものですね。そのことを考えると,人間はこうした創造の驚異のすべてを見るだけ長生きできないので,いわば命が足りないような気がしませんか」。
「それは正に,神が人間を数十年しか生きられないものとして創造したと考えるのが,道理に添わないことを示す,別の理由です。人生を千回繰り返したとしても,エホバのみ手の業であるすばらしい天体を見たり,それについて学んだりする楽しみが尽きてしまうことはないはずです。では,神が,人間を地に置いて永遠に生きるように取り計らわれたという聖書の見解は何と道理にかなったものなのでしょう」。―啓示 21:4。
「確かに考えさせられる事柄はたくさんありますね。思い出に残る晩の一時を過ごさせていただき,本当にどうもありがとうございました」。
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太陽からのエネルギー目ざめよ! 1975 | 12月8日
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太陽からのエネルギー
● 地上の生物は,何らかの形で太陽に依存しています。この強大な太陽から来る光や熱やエネルギーは,地上の生物が生存してゆくために不可欠です。しかし,地球は太陽エネルギーのうちどれほどを受けているのでしょうか。ジェームズ・S・ピカリングは,自著「天文学に関する1001の質問に対する答え」の中で,こう書いています。「太陽の生み出すエネルギーのうち,地球に注がれるのは全体の二十億分の一にすぎない。このわずかな量が,地面一平方マイル(約2.6平方㌔)に対して469万馬力に相当する」。それは,地上の生物の必要をちょうど満たすものです。
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