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  • 神の律法の下で繁栄する幸福な国民
    ものみの塔 1970 | 9月15日
    • また死にたる者の大なるも小なるも御座の前に立てるを見たり。しかして数々の書ひらかれ,ほかにまた一つの書ありてひらかる,即ち生命の書なり。死人はこれらの書にしるされたるところの,その行為にしたがひて審かれたり。海はその中にある死人を出し,死も陰府〔ヘーデース〕もその中にある死人を出したれば,各自その行為にしたがひて審かれたり」。

  • 『すべての国の人々を弟子とする』
    ものみの塔 1970 | 9月15日
    • 『すべての国の人々を弟子とする』

      エホバの証人の1970年度年鑑より

      アルゼンチン

      人口: 23,983,000人

      伝道者最高数: 16,583人

      比率: 1,446人に1人

      アルゼンチンでは,奉仕のすべての面で増加が見られ,伝道者新最高数を記録しました。最も顕著な事柄は,支部が受けとった150万冊の,「とこしえの命に導く真理」と題する本をすべて配布したことです。伝道者たちはこの本を十分の数量手に入れることができません。

      ひとりの特別開拓者は次のような経験を寄せました。「わたしは,『真理』の本を用いて一つの家庭聖書研究を始めました。3か月を経た今,研究生は会衆の集会のすべてに出席し,わたしといっしょに野外奉仕にも参加しています。わたしは,6か月間の家庭聖書研究について,また,研究生には何が求められているかを説明しました。その結果,もうひとりの,エホバの賛美者が生まれましたが,これこそ聖書研究の目的です」。

      ある伝道者は,「良い羊飼い」の声に人々がどのように応じるかについて,こう述べました。「昨年8月に,わたしはひとりの婦人とそのむすことともに家庭聖書研究を始めました。翌月,そのふたりは御国会館の集会に出席し,さらに,わたしの家で行なわれている研究にも出席しました。時には,経済的に困難な場合があったにもかかわらず,ふたりは定期的に集会に出席しています。そして4月,ふたりはわたしといっしょに奉仕に参加しはじめ,5月にも奉仕を続けたいと語っています」。

      巡回大会のプログラムで,6か月間の家庭聖書研究が強調されましたが,ひとりの巡回のしもべは,その結果について次のような経験を寄せました。「ある伝道者はひとりの婦人と聖書研究を3年間司会していました。その婦人は関心を示しており,真理を学びたいと考えているように見えましたが,いつも何かがその人を邪魔していました。集会に出席するよう勧められ,また,出席を助ける努力がなされたにもかかわらず,当人には集会に出席する努力が少しも見られませんでした。大会で実演を見たその姉妹は,学んだ事柄をこの婦人との聖書研究に実際に用いてみようと考えました。会衆に戻ると,さっそく,大会で学んだ事柄を婦人に話し,これからは,『真理』の本を用いて聖書研究を行なうこと,しかも,6か月間しか行なえないことを婦人に説明しました。同時に,地域のしもべが大会で,次のような質問をして,聴衆に語ったことも話したのです。『しばらく研究をした後にも,引き続き大いなるバビロンの教会に通い,御国会館の集会に出席しないなら,そのような人と研究を続ける理由がありますか。わたしたちはそのような人に,なぜ集会に出席しないのか,また,なぜエホバに従うべきかについて卒直に話し合うべきです』。このことを聞いて心を動かされたその婦人は,現在,ふたりの子どもを連れて,すべての集会に出席しており,また,『良いたより』の伝道に活発に参加しています」。

      聖書研究を勧めるちらしは,良い結果をもたらしています。ある伝道者がひとりの婦人に「真理」の本を紹介しました。婦人は,証言には好意を示しましたが,その本は求めませんでした。伝道者は婦人にちらしを手渡し,再び訪問したいと告げました。午前中の活動を終えたその伝道者が,同じ道を通って帰ろうとしたとき,前述の婦人に大声で呼び止められました。婦人は,ちらしに載せられた質問を読んで,興味を覚え,その本を読んでみたいと考えたのです。しかし,本が配布されただけでなく,研究が始められました。

      すべての伝道者は,各月,都合のよい時に休暇開拓奉仕に参加するよう励まされました。そして,喜ばしいことに,昨奉仕年度中,4,194名がこの奉仕に携わりました。

      家族の協力を得て休暇開拓奉仕を行なえた,ひとりの姉妹の経験があります。「わたしは夫と子どもたちと相談し,夫はお弁当を持って仕事に行くことを承知してくれましたから,わたしは昼食時でも自由に奉仕に出かけることができました。学校に通う4人の子どもたちは,家事をいくらか手伝い,食事の準備さえしてくれました。夫が仕事から帰ると,すぐ夕食をとれるようにしました。こうして家族全員の協力を得たわたしは,1か月の休暇開拓奉仕を行なえました。その期間に,ひとりの婦人との聖書研究が始まり,今では,その人と13歳になるむすこは御国会館の集会に出席しています」。家族全員が協力すれば,家族のひとりが休暇開拓をするのは,それほどむずかしいことではありません。

      休暇開拓奉仕を励ますという点で,地域のしもべと巡回のしもべは,著しい働きを行なえます。ある巡回大会の,開拓奉仕に関心のある人々の集まりで,ある会衆の40人の伝道者のうち,7名が休暇開拓の申込書を提出し,もうひとりは正規開拓奉仕を申し込みました。

      ひとりの巡回のしもべは,開拓奉仕を励ましてきたことについて次のように語りました。「過去6か月間に,九つの会衆で合計450名が休暇開拓奉仕をしました。110名の伝道者からなるある会衆を訪問したところ,89人が休暇開拓の申込用紙を求めました。したがって,今後,毎月15人ないし20人が休暇開拓奉仕に携わるでしょう。その会衆の公開講演に150名余の人々が出席しますが,休暇開拓者とその働きは,こうしたすぐれた出席者数に大きく貢献しています」。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1970 | 9月15日
    • 読者からの質問

      ● 忠実なクリスチャンは,直接の家族の範囲外の親族で,排斥された人に対して,どのようにふるまうべきですか。

      この事態は,エホバに忠実であることを願いながらも,排斥された親族に自然の愛情をいだくクリスチャンにとって,一つの試練となります。神がご自分のみことばの中で,この問題全般を明確にしておられることに,わたしたちは感謝できます。

      聖書は,エホバが進んで許しを与えられることを明らかにしています。人間はすべて罪深いものです。しかし,悔い改めて許しを求めるなら,キリストの犠牲に基づき,エホバはその罪を快く許してくださるのです。―ロマ 3:23。使行 26:20。

      しかし,過去にそうした許しを求め,神に献身したしもべとなった人が,罪を犯す場合どうなりますか。エホバは人間の不完全さを知っておられ,罪人が自分の誤りを認め,悔い改めていることを行動で実証するなら,やはり許してくださいます。(ヨハネ第一 1:9)しかし,クリスチャンと唱えながら,罪を常習にし,かつ悔い改めることも,心を変えることもしない人に対するエホバの指示は,はっきりしています。それは,1世紀に起きた事態からわかります。コリント会衆に交わっていた,ひとりの男の人は不道徳な行ないを常習にしたのです。霊感の下に,同会衆に発せられた指令は次のとおりです。「かの悪しき者を汝らの中より退けよ」。つまり,彼を会衆から追い出すことでした。―コリント前 5:13。

      その処置は重要でした。腐敗的な影響を及ぼすものは,それがなんであれ,神の組織内にとどまることは許されません。使徒パウロが書いたように,『少しのパン種が,粉のかたまりをみな膨れしむる』からです。問題の不道徳な人がとどまれば,会衆全体の良い霊的な思いがそこなわれるのです。―コリント前 5:5-7。ヨシュア 7:1-25。

      コリントの忠実なクリスチャンは,その男の人をどう扱わねばなりませんでしたか。パウロは次のようにしるしています。「ただ兄弟と称ふる者の中に或は淫行のもの或は貪欲のもの或は偶像を拝む者,あるひはののしるもの或は酒に酔ふもの或は奪ふ者あらば,かゝる人と交ることなく,共に食する事だにすなとの意なり」。(コリント前 5:11)したがって,このように会衆から追い出すことを,排斥する,と呼ぶのは適切です。なぜなら,忠実なクリスチャンは,罪をならわしとする者との交わりを断つからです。しかし,断つといっても,どの程度までですか。

      この点で助けとなるのは,使徒ヨハネのことばです。排斥された人は,背教者となって,聖書に反する教理を教えているかもしれません。また,不道徳な生活を送る者は事実上,人はクリスチャンでありながら,同時に姦淫や淫行を犯してもよい,と教えていることになります。そうであれば,イエスの正義の教えにとどまっていないことは明らかです。かつてクリスチャン兄弟あるいは姉妹であったにもかかわらず,そのような状態に陥った人々について,ヨハネはこう書きました。「凡そキリストの教に居らずして,これを越えゆく者は神を有たず,キリストの教にをる者は父と子とを有つなり。人もし此の教を有たずして汝らに来らば,これを家に入るな,安かれと言ふな」― ヨハネ第二 9,10。

      次の節は,そうすることの重大性を強調しています。「これを安かれと言ふ者は,その悪しき行為にくみするなり」。(ヨハネ第二 11)これは,たとえば,盗みの行為で排斥された者と話をするクリスチャンが,必ずしも,彼自身盗人になるという意味ではありません。もっとも,それは容易に起こりうることです。しかし,神の助言を無視して,その者と話をする人の態度は,その盗人の行為を,あたかも問題に

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