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  • 『もはや自分のために生きるのではない』
    ものみの塔 1974 | 9月15日
    • ていたのです。彼らは,「神は不義なかたではないので,あなたがた(の)……その働きと,こうしてみ名に示した愛とを忘れたりはされないからです」という,霊感による保証を信じていました。(ヘブライ 6:10)「だれでも,自分の魂を自分のために安全に守ろうとする者はそれを失い,一方,それを失う者は,それを生き長らえさせるのです」― ルカ 17:33。

      24 これに似たどんな状況のもとでわたしたちは自分が『自分のために生きて』いるのではないことを示せますか。

      24 あなたは,神への信仰をためすそのようなきびしい試練に個人的に直面することはないかもしれませんが,現在でも神を第一にしていますか。あなたの忠実さの試みには,あなたの家族の成員が関係しているかもしれません。彼らは,あなたが『宗教にこりすぎる』と言ってあなたを非難するかもしれません。あるいは学校の友だちや職場の同僚から,クリスチャンの節義を捨てるよう圧力をかけられるかもしれません。そのような困難に直面してあなたはどうしていますか。また直面したならどうしますか。迫害や圧迫に譲歩すれば生活はもっと楽に,もっと耐えやすくなるように思えるかもしれません。それに反し,神への忠実を証明することは,しばらくの間非難がつづくこと,あるいはひどくなることさえ意味するかもしれません。もしあなたが,神とキリストに対する恩を思いにとめているなら,正しい決定をくだすでしょう。あなたは「神の栄光を表わし」つづけるでしょう。―コリント第一 6:20。

      あなたの「自由な」時間を用いる

      25 『もはや自分のために生きるのではない』ということには,迫害されたとき忠実に耐えることのほかにどんなことが関係していますか。

      25 しかし,もはや自分のために生きるのではないということには,迫害されるときに忠実に耐えるということだけでなく,もっと多くのことが関係しています。クリスチャンは,「何をしていても,人にではなくエホバに対するように魂をこめてそれに携わりなさい。あなたがたは,しかるべき相続財産をエホバから受けることを知っているのです。主人であるキリストに奴隷として仕えなさい」。(コロサイ 3:23,24)したがって,もはや自分のために生きないということには,道徳,考え方,ふるまい方,話し方,働き方,妻としての服従,夫としてのかしらの権の行使,両親への服従など,生活のあらゆる面が関係してきます。―コロサイ 3:5-22。

      26 名前だけのクリスチャンは,ふるまい方の面で,どんな例外をもうけますか。

      26 しかしあなたは,クリスチャンと自称する人の多くが,そうしないで例外をもうけるのを見てきたかもしれません。ある程度礼節の観念を持つ名前だけのクリスチャンの間でさえ,教会の祝日と関連した祝いには,泥酔,不道徳,資産の破壊といった,放縦な慎みのない行ないがしばしば伴うことはよく知られています。休暇,晩,週末なども,人びとが,自分の好きなように「生き」られると考える時で,そう考える人はますます多くなっています。

      27,28 (イ)くつろぐ時間はありますが,真のクリスチャンはどんなことをしたり,考えたりしないでしょうか。(ロ)彼らは『自由な』時間をどのようなよいことに用いますか。

      27 もちろん,気晴らしや娯楽は,平衡のとれた生活をし,平衡のとれた性格を持つのに役だちます。そして真のクリスチャンは自分の時間の一部を,くつろぐことや楽しい事をするのに用います。しかし,快楽のためだけに生きることはしません。生活の特定の部分を,「自分の時間」,神に奉仕していることを忘れられる時間,として取り分けることはしません。

      28 それが事実であることは,エホバのクリスチャンのしもべたちが,彼らの「自由な」時間を用いるその用い方をみるとわかります。彼らが行なう楽しい事の筆頭は,彼らの崇拝と直接に関係しています。彼らは彼らの創造者について語ることと,毎週クリスチャンの集会に出席することに喜びをいだいています。そこで得る健全な交わりと教えは,それらの集まりを非常に喜ばしいものにします。家族ぐるみの旅行のときでも,彼らは,クリスチャンの集会に出席することを計画に入れるでしょう。そのようにして,別の都市また国に住む新しい友だち,つまり霊的兄弟姉妹に会う機会を持ち,余分の喜びを得ます。王国会館からかなり離れたところにいるとき,たとえば森の中でキャンプをしているときなどは,創造者のことを黙想したり,家族で聖書の討論をしたりすることに喜びを見いだします。それからまた多くのエホバの証人は,休暇のとき,毎年開かれるクリスチャンの大規模な大会の一つから十分の益を得ることを計画に入れます。

      29 『自由な』時間の使い方を考えるさいにどんなことを考慮すると有益ですか。

      29 ですから,晩,週末,あるいは休暇の過ごしかたを考えるときには,神とキリストのみまえにおけるあなたの立場をよく考えてください。肉体的に,精神的に,または霊的にあなたをさわやかにする事がらを行なうよう努力してください。「自由な」期間が終わったのち引き続き行なう神への奉仕に役だつ力を得ることを目標にしてください。世の人びとは,『しばらくどこかへ行ってきまりきった仕事のことは忘れてしまいなさい』と言うかもしれませんが,神とキリストがあなたのためにしてくださったことに対する感謝を示してください。あなたの良心を苦しめるような事がら,さもなければ報いのあるさわやかな気分が味わえたであろう時を,後悔の念をいだいてふり返ることになるような事がらを避けてください。

      30 神を信ずると言いながら快楽のために生きる人びとについてはどんな疑問が生じますか。

      30 実際に,神のしもべは,すべてのことを創造者の栄光のために行なうべきであることを思いにとめていなければなりません。(コリント第一 10:31)たとえ不完全であっても,罪深い性向を制御して,「罪の奴隷」とならないように努力しなければなりません。(ローマ 6:16)しかしあなたは,創造者とそのみ子を信ずると言う人の中に,この世で今得られる快楽すべてを楽しむことを中心にした日常生活をしている人がいるのを知っているかもしれません。何が欠けているのでしょうか。将来の希望を信じていないということでしょうか。将来に対する見方はあなたの日々の生活にどのように影響しますか。この点の考察は次の記事に譲ります。

  • 永遠の前途を見ながら奉仕する
    ものみの塔 1974 | 9月15日
    • 永遠の前途を見ながら奉仕する

      1,2 (イ)人びとや国家は,将来についてどのような見方をしていますか。(ロ)ある人びとは自分自身の将来さえ考えません。それはなぜですか。

      彼らの言動が示すように,「楽しめるうちに楽しもう。あすはどうなるかわからない」ということを生活の基本的モットーとしている人は,今日珍しくないのではないでしょうか。国家でさえ多数こういう考えに従っているようです。ヨーロッパの非常に有力な経済学者のひとりは,自国の政府が,「あとは野となれ山となれ」式の政策を進めることを,つまり目先のことだけで将来のことを考えない計画を立て,お金を費やすのを非難しました。

      2 多くの人びとは,「既存の体制」の目標や業績にひどく幻滅しているので,同じことを繰り返すだけの将来に関心を持っていません。1972年のこと,ある大学教授は,「青年たちは自分個人の将来にさえたいした関心を持たないようである」と述べ,さらにこうつけ加えています。「若い人びとは,社会学者が『目標志向』と呼ぶものに欠けている。そしてその時間を,麻薬や抗議からさまざまな生き方の実験,無意味な計画や快楽まで,あらゆる事がらに時間を浪費しているように思われる場合が多い」。また,汚染,犯罪,ききん,戦争などにかんする警告がますます恐るべきもの

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