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  • 決定の谷で諸国民に一致して立ちむかう
    ものみの塔 1962 | 5月1日
    • 48,49 (イ)彼らはどこへ侵入しましたか。それはだれの手本にならったためですか。(ロ)ヨエルの描写の中でこれはどのように示されていましたか。だれの戦いの叫びに従って前進が行なわれますか。

      48 町々,村々そしてキリスト教国のよい所とするあらゆる首都に,彼らははいって行きます。彼らを近づけまいとする障壁にもかかわらず,彼らはそれを貫いて人々の家に行きます。それは「公衆の前でも,また家々でも」伝道して教えた1世紀の使徒のいなごに従うからです。(使行 20:20,新口)ヨエル書 2章9-11節は更に次のように述べています。

      49 「彼らは邑をかけめぐり石垣の上に奔り家によぢ登り盗賊のごとく窓より入るそのむかふところ地ゆるぎ天震ひ日も月も暗くなり星その光明を失ふ〔なぜならいなごの大群が飛んでくると天体の光をさえぎります〕ヱホバその軍勢の前にて声をあげたまふ其軍旅はなはだ大なればなり其言を為とぐる者は強しヱホバの目は大にして甚だ畏るべきが故に誰かこれに耐ふることを得んや」。

      50 この音信はキリスト教国の前途に何を投げかけますか。キリスト教国はなぜエホバの日に耐えることができませんか。

      50 エホバの刑罰を告げるさばきの音信は,昼も夜もキリスト教国とその同盟諸国に明るい希望を与えません。その前途は暗黒に閉ざされています。神の聖なる御名を冒とくし,汚し,非難した者に対して刑罰の執行されるエホバの大いなる,恐るべき日に,キリスト教国は耐えることができないでしょう。エホバの力は強く,象徴的ないなごの軍勢の宣べ伝える預言の言葉をなし遂げるからです。

      さばきの谷における壊滅

      51 (イ)エホバの民に対するどんな命令から見て,これは肉の戦いではなくて霊的な戦いですか。(ロ)キリスト教国と他のすべての国家に対する神のご命令はどんな種類のものですか。

      51 このすべては,見えると見えないとを問わずサタン悪魔の制度に対する霊的な戦いです。それは肉の武器を用いて戦うものではありません。エホバの油そそがれた霊的イスラエルの残れる者と,その献身した仲間である,あらゆる国民から出てきた「大ぜいの群衆」には,エホバの次の命令が与えられています。すなわち彼らは「つるぎを打ちかえて,すきとし,そのやりを打ちかえて,かまとし」,国は国にむかって,つるぎをあげず「もはや戦いのことを学ばない」ということです。(イザヤ 2:2-4,新口)しかしキリスト教国と他のすべての国々に対するエホバの御命令は平和なものではありません。それは戦いをいどませるものです。エホバは象徴的ないなごの大群を通してヨエル書 3章9-11節の言葉を言われます。「もろもろの国民の中に宣べ伝えよ。戦いの備えをなし,勇士をふるい立たせ,兵士をことごとく近づかせ,のぼらせよ。あなたがたのすきを,つるぎに,あなたがたのかまを,やりに打ちかえよ。弱い者に『わたしは勇士である』と言わせよ。周囲のすべての国民よ,急ぎ来て,集まれ」。

      52 諸国民は実際にはだれに敵対していますか。彼らはどれだけの兵力を結集しなければなりませんか。

      52 諸国家は神の御国の音信を無視して,国際連合制度の内外で自国の主権のために戦っています。諸国家は実際には神に敵対しているのです。彼らはいま最後の決定的な戦いの備えをしています。兵力を総動員しなければなりません。弱い者も不適格者も,説得して戦いに加わらせなければなりません。

      53 戦いが近づくにつれて,私たちはエホバに何を祈りますか。

      53 「全能の神の大なる日の戦闘」の近づくにつれて,戦いに参加しない傍観者の私たちはヨエル書 3章11節の言葉を祈ります。「ヱホバよ汝の勇士をかしこに降したまへ」。エホバはキリストと天使たちをかしこに下すことを約束されています。

      54 (イ)諸国民はどこに来るようにといどまれていますか。その場所の名前はどうして適当ですか。(ロ)1919年以来,エホバはご自分の民に対する諸国民の力をどのように除きましたか。そしてなぜ今彼らを遣わしましたか。

      54 ヨエル書 3章12節(新口)はサタンの世に対するエホバのさばきの音信を次のようにつづけています。「もろもろの国民をふるい立たせ,ヨシャパテの谷にのぼらせよ。わたしはそこに座して,周囲のすべての国民をさばく」。この戦いの谷は「ヨシャパテの谷」とよく名づけられています。ヨシャパテの名は「エホバはさばき主である」との意味だからです。またこの象徴的な戦いの谷において,エホバはさばき主の座につかれ,献身した神の民,忠実な証者を迫害して散らした周囲のあらゆる国民に対してさばきを執行されます。1919年以来,エホバは,霊的すなわち宗教的なとらわれから,まず残れる者,その後には「他の羊」の「大ぜいの群衆」を解放して一致させ,一人の羊飼イエス・キリストの下にあるひとつの群れにされました。(ヨハネ 10:16)エホバはいま象徴的ないなごの一致した軍勢として彼らを諸国民につかわし,「全能の神」であるエホバに対して戦うよう諸国民にいどまれます。

      55 (イ)戦いの始まるとき,比喩的に言ってエホバの証者はどこにいますか。(ロ)比喩的に言えば,諸国民は何を生み出しましたか。ヨシャパテの谷は何のために好適ですか。

      55 ヨエル書 3章13-17節の預言から見ると,この宇宙の戦いがまさに始まろうとするとき,私たちはエホバのさばきの執行される低地すなわち谷にいます。谷を見おろす山の頂きにエホバの一致した証者は立ち,なりゆきを見守ります。諸国民に告げ知らせる彼らのわざは忠実になし遂げられました。諸国民は苦い野性のぶどう,最悪の実である「肉の働き」を生み出したに過ぎないぶどうの木の茂みです。土地をふさぐぶどうの木のように,彼らは切り倒されて土地をあけなければなりません。悪のぶどうの実をつけたその巨大な枝は,切り落とされねばなりません。ヨシャパテの谷は,巨大なぶどうの酒ぶねとして適当な場所です。ゆえに諸国民をその中に投げいれなさい! 神は天使にむかって呼ばれます。

      56,57 (イ)エホバは天使たちにむかって何を叫ばれますか。そしてなぜ?(ロ)エホバはどこから声をはなたれますか。エホバのご命令と共に,谷の中では何が始まりますか。

      56 「鎌をいれよ穀物は熟せり来り踏めよ酒搾はみちかめは溢る彼らの悪大なればなりとかまびすしかな無數の民審判の谷にありてかまびすしヱホバの日審判の谷に近づくが故なり日も月も暗くなり星その光明を失ふヱホバ シオンよりよびとゞろかしヱルサレムより声をはなち天地を震ひうごかしたまふ然れどヱホバはその民の避所イスラエルの子孫の城となりたまはんかくて汝ら我はヱホバ汝等の神にして我聖山シオンに住むことをしるべしヱルサレムは聖き所となり他国の人〔敵対する諸国民〕は重ねてその中をかよふまじ」。―ヨエル 3:13-17。

      57 踏みつぶされるために集められた諸国民に対して,さばき主のエホバがさばきを執行するときは,昼も夜も全く暗い時となるでしょう。天の住み家シオン,すなわち天のエルサレムからエホバが戦いの声をはなたれるとき,その震動によって天地も震い動かされます。エホバは王イエス・キリストに対し,その足台とされた敵を踏むように命じます。王は天使の軍勢と共に巨大なぶどうの酒ぶねに踏み込むように,さばきの谷に踏み込みます。踏みつぶせ! キリスト教国を含む諸国民を踏むことが始まります。「ヨシャパテの谷」「さばきの谷」は「全能者なる神の激しい怒りの酒ぶね」となります。王なる御子イエス・キリストは先頭に立って踏みます。「彼は…全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む」と黙示録 19章15節(新口)は述べています。

      58 殺りくはどのぐらい大きなものですか。黙示録 14章20節はこれをどのように描いていますか。

      58 全人類の歴史の中でも,これほど大勢の人間が殺されたことはありません。人間の生命を表わす血は流れ出て大きな河のようになります。黙示録 14章20節(新口)はこの恐ろしい光景を次のように描いています,「そして,その酒ぶねが都〔神の制度〕の外で踏まれた。すると,血が酒ぶねから流れ出て,馬のくつわにとどくほどになり,一千六百丁〔二百マイル〕にわたってひろがった」。

      59 (イ)だれの生命の血はそこで踏まれて流されませんか。(ロ)どんな事実を彼らは知ると,エホバは言われますか。彼らはそれをどのように知りますか。

      59 エホバのさばきは完全に執行されます。諸国民とその悪のぶどうは踏みつぶされてしまい,地は清められて正義の人が楽しんで住むところとなります。すべての人がその象徴的な酒ぶねの中にいるのではありません。すべての人が踏まれてその生命の血を流すのではありません。エホバを避け所,よりどころとした人々がいます。エホバが王イエス・キリストによってその人々の敵また神ご自身の敵を酒ぶね,すなわち「さばきの谷」で踏みつぶすとき,彼らは安全に守られます。保護されるこれらの人々は,霊的イスラエルの残れる者と,救われるために残れる者と一致してエホバの御名を呼び求める献身した仲間の人々すなわち「大ぜいの群衆」です。(ヨエル 2:32)彼らは,エホバから次の預言的な言葉を告げられている人々です。「かくて汝ら我はヱホバ汝等の神にして我聖山シオンに住むことをしるべし」。彼らは息をのみ,畏怖の念をもって安全な高処からさばきの谷を見おろして,エホバのすばらしい勝利を目撃します。エホバはキリストにより,サタンの見える制度の結束した諸国民のすべてに対して勝利を得ます。

      60 それゆえに神の勝利を見て私たちは何をしますか。しかしその時まで,私たちは命令に従って何をしますか。

      60 宇宙至上権を立証するエホバの勝利を見て,私たち証者は喜びの声をあげてエホバの賛美を歌い,常に,またとこしえまでエホバを私たちの神と認めます。エホバの戦いと大いなる勝利の時は近づいています。その時まで私たちに対するエホバのご命令は,私たちがエホバへの奉仕に一致を保つことです。神の刑罰の日を宣べ伝えつつ,またキリストの御国による永遠の救いの良いたよりを伝道し教えつつ,私たちはこのことをします。

  • 箴言の背後にある考え
    ものみの塔 1962 | 5月1日
    • 箴言の背後にある考え

      聖書の箴言が書かれた当時も今日も,人情にたいした相違はありません。これを書いた賢い人は,多くの善と多くの悪を人間性の中に見ました。それらはすべて書きとめて注釈を加えるだけの価値あるものでした。この事は善をすすめ,悪を罰すると共に,実際的な知恵の道を確かには知らない人に正しい道を教えることになりました。箴言の根底にあるものを理解するとき,いっそう有益な教訓を学び取ることができます。次にあげる箴言の背後にある考えをご存じですか。

      箴言 4章18,19節(新口)

      「正しい者の道は,夜明けの光のようだ,いよいよ輝きを増して真昼となる。悪しき人の道は暗やみのようだ,彼らは何につまずくかを知らない」。

      太陽が東に昇る頃,パレスチナを旅する人を思い浮かべてごらんなさい。太陽の光が空を染めはじめるとき,物の形はぼんやりと見えます。輝きが次第に増すにつれて,すべての物は細部に至るまではっきりと見えてきます。正午になって太陽が頭上に輝くとき,道の上に落ちる影はありません。神の僕の道もそれと同じです。神の言葉を絶えずしらべることによって,神の御目的に関するその知識,知恵と理解は常に増し加えられてゆきます。間違った,あるいは不明確な考えや,理解できなかった教えも,神の言葉の増し加わる光の中で次第に明らかとなり,行くべき道は明白となります。他方,悪しき人は夜のやみの中でつまずく人に似ています。エホバの御言葉と御目的を少しも理解せず,啓示された真理を受け入れてそれに従おうとしないので,悪しき者は無知のままにつまずきます。皮肉なことに,彼らは自分が盲目にも認めないあやまりにつまずくのです。

      箴言 14章1節

      「知慧ある婦はその家をたて,愚なる婦はおのれの手をもてこれを毀つ」。

      この箴言は,良きにつけ悪しきにつけ,妻が家庭内に及ぼす影響を示しています。よく働く賢い,献身的な妻は,家計を上手にきりもりして家族を豊かにします。このような妻は,家具,食物,衣類を増し加え子供の宗教教育に大切な彼割をはたします。敬うことと倹約することを知らない愚かな妻は,それと正反対です。夫がどんなに勤勉に働き,また倹約しても,妻の時間と金銭の浪費のために家族は栄えません。家具はいたみ,子供たちの衣服と食物が粗末なだけでなく,その精神的な教育も顧みられません。彼女は家族の頭上に家をこわすに等しいことを

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