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    目ざめよ! 1975 | 2月8日
    • ならない事業を次々とやめている。バチカンの説明によると,過去の遺贈や寄付にこたえて毎日ミサをあげる責任は緩和されつつある。なぜなら,その方面からの「歳入」は「貨幣価値の絶えまない低下のために取るに足りないものになった」からである。一方,代価を支払う顧客はいまや,あとまわしにされることなく司祭に定期的にミサをあげてもらうことが期待できるようになったわけだ。

      バチカンの反対

      ◆ ルーマニアのブカレストで開かれた141か国の国連世界人口会議は,「行動計画」を採択したが,そのときバチカン代表だけが承認を拒否した。しかし,AP通信の一記事によると,「幾人かのオブザーバーおよび代表は……バチカンがこの計画を拒否したところでさしたる影響はないと述べた」。また同会議に出席した,人口問題に関するアメリカの一専門家は,「バチカンはますます的はずれな存在となりつつある。[産児制限]を行なうカトリック教徒はしだいにふえている。……バチカン教会は,多数のカトリック教徒を代表するものではない」と述べた。

      それは“病気”?

      ◆ 精神病学者たちは,アルコール中毒と反社会的な性格を,喫煙のように予防可能な常用癖とせずに,遺伝因子がつくり出す精神「病」とする場合が多い。この問題に関する精神病学者のたばこの煙のたちこめる討論会に出席した一医師は,異なる結論に到達したことを,「ジャーナル・オブ・ザ・アメリカン・メディカル・アソシエーション」に書いている。彼はたばこを吸っている精神病学者たちに向かって,ニコチン中毒も精神病であるのかどうか,そしてたばこの煙でへやを満たすことを,喫煙しない人々は反社会的行為と見なさないかどうか質問した。彼は次のように結論している。「この矛盾は,精神病学者が言う精神病なるものが何であるかを,この“病気”の遺伝学上の原因と化学的療法の発見をかくれみのにして精神病学者たちが大衆に押しつけるごまかしやばかげたことよりも,より明らかに示すものだとわたしは主張する」― 1974年9月2日号,1,326ページ。

      長持ちのする女性

      ◆ ロンドン・デーリー・メール紙は,「おばあさんの国となるイギリス」という見出しで,「イギリスでは,10年前にくらべ,100歳に達しつつある人が5倍になった」と述べている。ただし,「その人たちはほとんど全部女性である」。

      スーパーマーケットのごまかし

      ◆ 最近号のニューヨーク誌は,スーパーマーケットのレジ係のある者がどのようにして店の得意客をごまかすかを論じている。それは主に金銭登録機の小計ボタンによって行なわれる。たとえば,一人のお客が食品を3㌦買ったとする。その人は,小計だけを打ってあるレジのレシートを渡される。次の買物客は30㌦ほど食品を買うかもしれない。しかし,前の小計である3㌦はまだ登録機に入っている。二番目の客のレシートには,買い上げられた品目の値段が正確に記載されて行くが,前の数字は表面に現われない。多額の買物をする客で,数ドルの違いに気付く者はまずいない。同記事は土曜日一日で900㌦(約27万円)近くかせぐ泥棒がいることを述べ,次の点を指摘している。「大ニューヨーク市には,小さな講堂がいっぱいになるほどの数の,盗みを事とするスーパーマーケット・レジ係がいる」。

      スピードは人を殺す

      ◆ 高速運転が命にかかわることを示す証拠は増えている。1973年の前半,フィンランドには路上運転の制限速度はなかった。1974年の同期間には,石油不足のために時速80キロに速度が制限された。結果はどうだっただろうか。死亡者数は44%減少した。同様の減少は,ベルギー(23%),フランス(22%),西ドイツ(21%),オーストラリア(18%)などでも記録された。

  • 聖書の第55番めの本 ― テモテへの第二の手紙
    目ざめよ! 1975 | 2月8日
    • 『聖書全体は神の霊感を受けたものであり,有益です』

      聖書の第55番めの本 ― テモテへの第二の手紙

      筆者: パウロ

      書き終えられた時期: 西暦65年ごろ

      書かれた場所: ローマ

      含まれている時代: 確定できない

      1 西暦64年ごろローマではどんな迫害の火の手が上がりましたか。どんな事がその表向きの理由とされましたか。

      パウロは再びローマで囚人となっていました。しかし,この二度めの投獄の状況は,最初の時よりずっと厳しいものでした。それはおおよそ西暦64年から65年ごろです。西暦64年7月,ローマ全市に及ぶ大火があり,同市の14の区のうち10の区で大々的な被害を出しました。ローマの歴史家タキツスは,ネロ帝についてこう記しています。「その大火は命令の結果であるという不気味な説を,彼は払い去ることができなかった。それで,そうしたうわさを一掃しようとしたネロは,その嫌悪される事がらのゆえに憎まれ,一般民衆からクリスチャンと呼ばれる人々にその罪を負わせ,言いようのない責め苦を彼らに負わせた。……無数の人々が有罪とされた。ローマ市を焼いた罪のある者とされたが,それ以上に,

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