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残された「善意の年」を活用するものみの塔 1971 | 2月1日
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られていることの奇跡的な証拠となりました。―使行 1:12– 2:47。
「わたしたちの神の復しゅうの日」
22 (イ)イエスの,油そそがれた追随者たちは,なぜ,「善意の年」を熱心に布告しましたか。(ロ)その善意は,どれほどの期間に限られていましたか。それで,危険にさらされていた民には何をする理由がありましたか。
22 メシヤなるイエスに忠実に従う,油を注がれたこれらの人々は,「エホバの善意の年」を布告することにおいて非常に熱心でした。彼らは,「わたしたちの神の復しゅうの日」も近づいていること,それゆえ,「善意の年」には限りがあってまもなく終わること,そうです,彼らの世代のうちに終わることを知っていたのです。西暦70年のエルサレムの滅亡を描写し,「これらのことがすべて起こるまで,この世代は決して過ぎ去らないであろう」と言われたイエスは,時間が限られていることをほんとうに認めておられました。(マタイ 24:34,新)活用できる時間が限られていることを同じように認識していたのは使徒ペテロであり,五旬節の日の聖霊降臨を見守った3,000人以上のユダヤ人に向かって,「このねじけた世代から救われなさい」と語りました。(使行 2:37-40,新)したがって,「善意の年」の継続時間は人間の一世代ほどであり,それゆえ,その「年」はそれほど長いものではありません。このことのゆえに,危険にさらされた民は,いよいよ急いで「善意の年」を活用すべきであり,遅れるなら致命的な結果となり得るのです!
23 (イ)ルカ伝 21章22,23節のイエスの預言によれば,エホバの善意がやむことは,なんの始まりを意味していましたか。(ロ)それと一致して,パウロは,迫害するユダヤ人についてなんと述べましたか。
23 神の善意がやむことは,神の憤りの始まりにほかなりません。西暦70年のローマ軍団によるエルサレムの攻囲および滅亡について預言的に語ったイエスは,その中でこう言われました。「これ録されたるすべての事の遂げられるべき刑罰の日なり……地に大なる艱難ありて,御怒この民に臨(まん)」。(ルカ 21:22,23)こうしてイエスは,エホバから油を注がれた者として,『わたしたちの神の復しゅうの日をふれ告げる』自分の使命を果たしておられたのです。それはご自分の「善意の年」を活用することを拒んだ者たちに対する神の復しゅうでした。それらの者たちは,愛をもって差し伸べられた,神の善意もしくは好意を選び取るかわりに,かえって,神の敵意を身に受けるようなことを行ないました。使徒パウロは迫害するユダヤ人たちについて,こう語りました。「(彼らは)我らが異邦人に語りて救を得させんとするを拒み,……かくして常に己が罪をみたすなり。しかして神の怒りは,かれらに臨みてその極に至れり」。(テサロニケ前 2:16)それで,神の選ばれた民であると偽善的に装った者たちが,神の「復しゅうの日」に滅びをこうむりました。
24 「善意の年」の続く間,神の取られた態度は,ロマ書 10章1-4節にパウロがしるしたどんなことによって表わされていますか。
24 ご自分の「善意の年」が続く間,神がイスラエル国民に対して取られた態度は,ユダヤ人のクリスチャン使徒パウロの態度に表われました。彼はこう書きました。「兄弟よ,わが〔心臓〕の〔善意〕,神に対する祈は,彼らの救はれんことなり。われ彼らが神のために熱心なることを証す,されどその熱心は知識によらざるなり それは神の義を知らず,おのれの義を立てんとして,神の義にしたがはざればなり。キリストはすべて信ずる者の義とせられんために律法の終となり給へり」― ロマ 10:1-4,〔新〕。
25 パウロが表わした,その心臓に宿る善意に対して,ピシデヤのアンテオケのユダヤ人はどんな反応を示しましたか。
25 使徒パウロが自分の心臓に宿る善意を自国民に示したにもかかわらず,その民は,救いの音信を受け入れる態度を表わしませんでした。ピシデヤのアンテオケにおけるパウロの経験がそのことをよく示しています。「ユダヤ人は,その群衆を見てねたみに満され,パウロの語ることに言ひ逆ひてののしれり。パウロとバルナバは憶せずして言ふ『神のことばはまず汝らに語るべかりしを,汝らこれを斥けて己をとこしへの生命にふさわしからぬ者と自ら定むるによりて,みよ,我ら転じて異邦人に向はん』」。(使行 13:45,46)これら敵対的なユダヤ人の中には,過ぎ越しの祝いのため,西暦70年にエルサレムに行き,そこで滅びた者がいることでしょう。
26 暦の上で,1日を1年に比べる場合と同様「復しゅうの日」はどのように「善意の年」と対比できましたか。
26 1年に比べれば,1日は短い期間です。同じように,西暦29年のメシヤ出現から,西暦70年にエルサレムの攻囲が始まるまで40年間続いた善意の期間に比べれば,西暦70年の春から夏にわたった「復しゅうの日」は短いものでした。それでも,神の善意が表わされたこの長い期間は,偶然に終わったのではなく,神の定められた時に終わったのです。神の「善意の年」が,復しゅうを執行する時よりも長かったことは,神の忍耐と寛容とを明らかにしています。
27 どんな期間の終わりが迫っているゆえに,神の忍耐と寛容に対して,どのような行動を取るべきではありませんか。
27 神はご自分の復しゅうを定めの時まで控えておられるのですから,わたしたちは神の忍耐と寛容を軽く扱ってはなりません。それの示されている目的,すなわち,わたしたちの救いを念頭において,わたしたちはそれを活用すべきです。クリスチャンと唱えたローマ人に,使徒パウロの投げかけた問いを,わたしたちもよく考えねばなりません。「神の仁慈なんぢを悔改めに導くを知らずして,その仁慈と忍耐と寛容との豊かなるを軽んずるか」。(ロマ 2:4)わたしたちが今,この問いに対する自分の態度を決定し,それに従って行動することは緊急に必要です。わたしたちは今日,エホバの「善意の年」の終わりに近づいているからです。
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「善意の人々」であることを,みずから実証するものみの塔 1971 | 2月1日
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「善意の人々」であることを,みずから実証する
1 (イ)「主キリスト」が人間として誕生した時,天使の軍勢は声をそろえて,なんと言いましたか。(ロ)そのような「人々」は今日,ごく少数しかいないに違いありません。どうしてそう言えますか。それで,どんな質問が生じますか。
『わたしたちの神の善意の年をふれ告げる』ために油を注がれた者となるべき,「主キリスト」が人間として誕生した時,天使の軍勢は,「上なる高き所では神に栄光,地上では善意の人々の間に平和があるように」と声をそろえて語りました。(ルカ 2:13,14,新)以来,今日までの19世紀間,この「善意の人々」がごく少数であったことは疑いありません。それは,「[神]が好意をもたれる人々」(モファット)であり,エホバ神の善意もしくは好意を得ている人々です。そうした人々は,ほんとうに少数でしょう。なぜなら,特に西暦1914年から今日まで,地上にはほとんど平和がなく,『すべて人の思ひにすぐる神の平和』を得ていないことを示す人々がいよいよ多くなっているからです。(ピリピ 4:7)では,大いに時間の経過した今日,どうすれば神の「善意の人々」のひとりとなれますか。わたしたちは,そうなることを願っているのではありませんか。
2 西暦1世紀当時のユダヤ人からどんな教訓を学び取るべきですか。なぜですか。
2 わたしたちは,西暦1世紀当時にパレスチナにいたユダヤ人の例から警告を学び取るべきです。彼らの悲惨な経験は単に史実であるだけでなく,予影であり,ひな型であり,みせしめでもある
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