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賢人はどんな意味で述べたかものみの塔 1978 | 3月1日
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寛大になる点で,あるいは必要とされている事柄を行なう点でためらうのですか。雨が降るときには降るものです。木がある方向に倒れるのであれば必ずその方向に倒れます。そうしたことは,人生の他の多くの事柄に関しても真実です。何もしないからと言ってそうした事柄が起こらないという保証はありません。
まず何が起こるか起こらないかをはっきり確かめることにより生活を調節しようとする人は,結局何も成し遂げられないでしょう。ソロモンが述べたとおりです。「風を見守っている者は[種が吹き飛ばされるのではないかと考えて]種をまくことがない。そして雲を見つめている者は[穀物を刈ると倉庫に入れる前に湿ってしまうのではないかと考えて]刈り取ることがない」― 伝道 11:4,新。
それゆえ,わたしたちは不確かな事柄が必ずあることを認めて,行なう必要のあることをためらわずに行なわねばなりません。神の業を推し量る,つまり神がご自分の目的の完成に際して何を行なわれ,また黙認されるかを正確に見定める何らかの規則を見いだし,それに従って物事を行なうことは不可能です。ソロモンは,子宮の中の胎児の発育と同じように,神の業は人間にとって不思議なものであると指摘しました。ソロモンはこう書いています。「妊娠している女の腹の骨の間における霊の道がどのようなものかを知らないのと全く同様に,すべてのことを行なわれる真の神の業をあなたは知らない」― 伝道 11:5,新。
人生の不確かなこと,またある種の不変の法則を変えられない人間の無能さを考慮して,ソロモンは次のような助言を与えています。「朝に種をまき,夕方になるまで自分の手を休めてはならない。あなたは,これがどこで成功するか,ここでかそこでか,あるいはそれらが両方ともよくなるかを知ってはいないからである」。(伝道 11:6,新)それで,最善の道は,霊的な事柄の追求であれ世俗の仕事であれ,また寛大な行為であれ,不確かな事柄を過度に心配するあまり,自分の活動を差し控えてしまうのではなく,ためらわずに勤勉に働き続けることです。
こうした生き方は,人が人生に対して明るい見方を持つのに役立ちます。ソロモンは次のように書きました。「光もまた快い。太陽を見るのは目にとって良い。人が多くの年生きようとも,そのすべての年を歓べ」。(伝道 11:7,8,新)生きている者だけが光や太陽の価値を知ることができるので,ソロモンはここで,生きていることは良いこと,また人は生きていることに楽しみを見いだすべきであることを指摘しています。しかし,ソロモンは次のような思慮深い考えを付け加えています。「人は闇の日々を覚えておくがよい。たとえそれが多くとも。やって来たすべての日はむなしいのである」。(伝道 11:8,新)人は,「闇の日々」,つまり老年期に入ると体力や精力が衰えるということを忘れてはなりません。老衰した状態が何年も続くと毎日がむなしく,空虚で意味のないもののように思えるかもしれません。それで,優れた判断力を働かせ,行なうべきすべての事において神の導きを求めつつ,できる間に人生から健全な楽しみを得るよう努めるべきです。
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「勝利の信仰」国際大会ものみの塔 1978 | 3月1日
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「勝利の信仰」国際大会
使徒ヨハネは,60年余りにわたる忠実な奉仕の後に,「世を打ち負かす勝利はわたしたちの信仰です」と書くことができました。(ヨハネ第一 5:4,新英語聖書)今日,「事物の体制の終結」が始まって以来すでに60年余りたっていますが,使徒ヨハネのように,忠実な忍耐の生きた模範となっている,1914年の世代の人々の幾人かが今でもわたしたちと共にいることをうれしく思います。(マタイ 24:3,34)また,現在では神に仕える他の僕たちが全地に200万人余りおり,「大患難」の際にイエスがご自身を表わし示されることを待ち望みつつ,『自分の信仰の試された質』を示しています。―ペテロ第一 1:7。テサロニケ第二 1:6-8。啓示 7:9,14。
1978年の晩春に始まる,エホバの証人の「勝利の信仰」国際大会は,この不穏な「終わりの日」にあって決して打ち負かされることのない信仰を示す人々がいることを,全世界に証しするものとなるでしょう。(テモテ第二 3:1)中には次のように尋ねる人もいることでしょう。こうした大規模な大会はどんな目的を成し遂げるのだろうか。どうしてそのような大会を開く必要があるのだろうか。それには,大会出席者の多くに求められるような自己犠牲を払うだけの価値があるのだろうか,と。では,そうした大会の幾つかを振り返ってみましょう。
あなたは,1958年8月3日,ニューヨーク市の「神の御心」国際大会に出席した25万3,922人のうちの一人ですか。それは八日間にわたる霊的な宴の最高潮として,何とすばらしいものだったのでしょう。また,神のご意志を行なう点でそのように結び合わされた群衆の一員になるのは何と感動的なことだったのでしょう。大会会場まで旅行をしたり,大会に出席したりするために数々の困難はありましたが,そこで得られた霊的な祝福と比べればそうした事柄も取るに足りないものでした。集合した神の民の一部となる喜びとともに,すべての人が覚えているのは,そうした祝福のことです。―箴 10:22。
また,世界的な大規模な大会によって成し遂げられた,広範にわたる証言についても考えてみてください。1963年,1969年,そして1973年に開かれた国際大会は,エホバの証人の信仰と熱意を“全地で”証しするものとなりました。神の民の示す愛,清潔さ,そして熱意は,多くの人々の賞賛の的になり,偏見を打破するのに役立ちました。数多くの外国の地に住む兄弟たちは,いまだにそのような大会を懐かしく思っています。それらの大会は,エホバの真の民の間にしか見られないあの驚くべき一致のうちに,黒人も黄色人種も白人も分け隔てなく楽しく交わり合うすばらしい機会となったからです。それは実に地上のパラダイスの前触れでした。
「勝利の信仰」国際大会の少なくとも一つの大会に五日間ずっとあずかれるよう今から計画し,準備を進めれば,きっと豊かな祝福を味わえるでしょう。聖書時代のヨセフとマリアが七人以上の子供を含む家族を引き連れて,年ごとの祭りのため遠いエルサレムへ上るには,じゅうぶん前もって計画を立てねばならなかったことでしょう。(マタイ 13:55,56。ルカ 2:41-43)彼らは徒歩でその旅をしたに違いありません。疲れはしても,それは報いの多い旅でした。そしてこの家族は,今日,霊的な物事を認識する家族すべてに,立派な模範を残しています。確かに障害はあるかもしれませんが,イエスは,「からしの種粒ほどの信仰があるなら……何事もあなたがたにとって不可能ではないのです」と言われませんでしたか。(マタイ 17:20)全地のエホバの民と共に「勝利の信仰」国際大会にあずかるための準備をするに当たって,「エホバがあなたの行ないに報いてくださいますように」― ルツ 2:12,新。
日本における1978年の国際大会
日本支部と沖縄支部の管轄下におられるすべての方々が日本で開かれる四つの国際大会の一つに出席するよう計画を立てるための助けとして,次に記す表には大会の開催される都市とその近隣の巡回区が挙げられています。休暇の計画や他の事情でやむなく他の大会に出席する場合を除いて,できるだけご自分の巡回区に指定されている大会に出席するようお勧めいたします。もしみなさんがこの提案に従ってくだされば出席者のための座席を十分に確保できるでしょう。
大会は一か所を除きすべて確定的なものです。宿舎本部などに関する詳細は追ってお知らせいたします。どうぞ今からすぐ出席を計画なさってください。
過去何回か開催された日本での国際大会はいつも一か所で開かれ,日本中の方々がそこに集まりました。しかし,日本のエホバの証人の組織そのものが大きくなっており,またより大勢の方々の出席の便を図って1978年は全日本の四か所で国際大会が開かれます。わたしたちはこのような備えに感謝し,わたしたち各人はもとより,友人,共に聖書を学んでいる方々などと一緒に出席を計画いたしましょう。
7月26日-30日 愛知県名古屋市 第8,9,17,24,29,41,42,56巡回区
8月2日-6日 大阪府吹田市 第10,11,12,13,14,15,16,23,25,26,30,31,32,33,38,39,40,43,44,45,50,55,57巡回区と沖縄
8月2日-6日 東京都(計画中) 第3,4,5,6,7,18,19,22,27,28,34,37,46,49,51,52,53,54巡回区
8月9日-13日 北海道札幌市 第1,2,20,21,35,36,47,48巡回区
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読者からの質問ものみの塔 1978 | 3月1日
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読者からの質問
● 十の災いのうち最初の災いで,モーセはエジプトの水すべてを血に変えました。エジプト人の祭司がその後に登場して,その業を模倣しています。しかし,彼らはそのための水をどこから手に入れたのでしょうか。
最初の災いに関してエホバはモーセにこう言われまし
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