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    『その時,神の秘義は終了する』
    • ことに対し,大いなる報いが与えられます。忠実な「大群衆」は地上でしかるべき報いを得ますが,王国の共同相続者である,油そそがれた残りの者たちを強めるため,主イエス・キリストは患難に直面しているスミルナ会衆にこう告げられました。「忠実であることを死に至るまでも示しなさい。そうすれば命の冠をあなたに与えよう」― 啓示 2:10。

      19 (イ)油そそがれた残りの者の中には,迫害の下での残酷な死を経験しない者もいることでしょう。しかしそれでも何をしなければなりませんか。(ロ)「命の冠」は何を意味していますか。彼らが勝利を得る競争は何ですか。

      19 油そそがれた残りの者の多くは,患難の下での残酷な死に至るまで,クリスチャンの原則に忠実であることを実証してきました。すべてがそうした残酷な死に遭うわけではありませんが,地上の生涯の終わりに至るまで忠実を保たねばなりません。そうすることにより,確かに「命の冠」を受けます。ここで使われている「冠」という言葉は,神性を備えた不滅性つまり,天的な命の最高形態を指すかのように,“最上級”を意味するのではなく,キリストのような忠実さに対する報いとしての賞を指しています。彼らはこの世に対して勝利を得る競争に加わっているのです。この激烈な競争において,悪魔の手先にかかって,たとえ地的な命を悲惨な仕方で失おうとも,悪魔のような敵は彼らの命を永久に消し去ることはできません。神は定めの時に,キリストを通して彼らに天の命を授けます。それゆえ,彼らが死を恐れる理由はありません。

      20 忠実な油そそがれた者たちが報いとしてどんな命を得るかを,イエスはどのように示されましたか。

      20 不死,不滅性が彼らの報いです。これは,栄光を受けたイエス・キリストが,スミルナ会衆にあてた結びの言葉から理解されます。「耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい: 征服する者は決して第二の死に損われることがない」― 啓示 2:11。

      21 「第二の死」とは何ですか。

      21 ヨハネに与えられた啓示にのみ,この「第二の死」という表現が使われています。それは,復活の可能性の全くない,とこしえの死を示しています。啓示 20章14,15節,21章8節で,それは次のように象徴されています。「そして,[罪人アダムから受け継がれた]死とハデスは火の湖に投げ込まれた。火の湖,これは第二の死を表わしている。また,だれでも,命の書に書かれていない者は,火の湖に投げ込まれた」。「しかし,憶病な者,信仰のない者,不潔で嫌悪すべき者,殺人をする者,淫行の者,心霊術を行なう者,偶像を礼拝する者,またすべての偽り者については,その分は火といおうで燃える湖の中にあるであろう。これは第二の死を表わしている」。

      22 命の書に書かれるということは何を意味しますか。他方,象徴的な火の湖に投げ込まれるということは何を意味しますか。

      22 命の書に書かれるということは,その人にとって永遠の命を意味します。象徴的な火の湖に投げ込まれるということは,その人にとって永遠の死つまり「第二の死」を意味します。悪魔サタンは,永遠の死の刑罰を受けます。彼は第二の死を受け,「第二の死に損われる」からです。その使いの悪霊たちも同じです。―啓示 20:10。

      23 「第二の死に損われる」ことのあり得ない者がだれかを聖書から示しなさい。

      23 「第二の死に損われる」ことのあり得ない者たちは,間違えようのない仕方で示されています。啓示 20章1-3節における,悪魔サタンと悪霊たちが縛られ,底知れぬ深みに入れられる記述の後に,こう記されています。「これは第一の復活である。第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。これらの者に対して第二の死はなんの権威も持たず,彼らは神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼とともに王として支配する」。(啓示 20:5,6)それゆえ,啓示 20章4節に描かれている者たちを,幸いな者,聖なる者と呼ぶことができます。彼らについて使徒ヨハネはこう記しているからです。「またわたしは,数々の座を見た。それに座している者たちがおり,裁きをする力が彼らに与えられた。実に,イエスについて行なった証しのため,また神について語ったために斧で処刑された者たち,また,野獣もその像をも崇拝せず,額と手に印を受けなかった者たちの魂を見たのである。そして彼らは生き返り,キリストとともに千年のあいだ王として支配した」。

      24,25 (イ)油そそがれた忠実な征服者はどんな復活を受けますか。なぜですか。(ロ)使徒パウロの説明によると,それらの者はどんな体で復活させられますか。

      24 それらのクリスチャン征服者は,死に至るまでも忠実であり,「第二の死に損われる」ことがないので,死人からの復活を受けます。キリストを通して行使される神の力により,彼らは,復活つまり,「第一の復活」によって生き返るのです。それは霊の被造物としての天の命への復活であり,それゆえに彼らは,神とキリストの天的祭司となることができ,キリストと共に千年間統治するのです。彼らの復活と,命によみがえらされる時の体については,次のように記されています。

      25 「死人の復活についてもこれと同じです。朽ちるさまでまかれ,朽ちないさまでよみがえらされます。不名誉のうちにまかれ,栄光のうちによみがえらされます。弱さのうちにまかれ,力のうちによみがえらされます。物質の体でまかれ,霊の体でよみがえらされます。物質の体があるなら,霊の体もあります。まさにそう書かれています。『最初の人アダムは生きた魂になった』。最後のアダム[すなわち,イエス・キリスト]は命を与える霊になったのです」― コリント第一 15:42-45。

      26-28 (イ)霊の被造物である者は,第二の死に決して遭いませんか。例を示しなさい。(ロ)征服を遂げるクリスチャンは,聖句の示すとおり,霊の被造物としての復活以上の何を受けますか。

      26 霊の被造物であるということ自体は,その者が永遠の滅びである「第二の死」を受けないという意味ではありません。悪魔サタンと悪霊たちは霊の被造物ですが,象徴的な「火の湖」に投げ込まれることにより,「第二の死」を経験します。(啓示 20:10。マタイ 25:41)つまり,征服を遂げるクリスチャンは,死者から霊の被造物に復活させられるだけでなく,復活のさい不朽と不滅性を付与されるのです。その証拠として,使徒パウロは彼らの復活についてこう描写を続けます。

      27 「ラッパが鳴ると,死人は朽ちないものによみがえらされ,わたしたち[使徒パウロと仲間のクリスチャンたち]は変えられるからです。朽ちるものは不朽を着け,死すべきものは不滅性を着けねばならないのです。しかし,朽ちるものが不朽を着け,また死すべきものが不滅性を着けたその時,『死は永久にのみ込まれる』と書かれていることばがそのとおりになります」― コリント第一 15:52後半-54。

      28 不朽と不滅性を付与されるので,彼らが「第二の死に損われる」ことは決してありません。

      29 それでイエスは,征服を遂げるクリスチャンにどんな壮大な事柄を約束されましたか。

      29 こうして,啓示 2章11節のすばらしい約束は,霊が諸会衆に述べることを聴く,征服を遂げるクリスチャンたちが,「第一の復活」つまり,起こる時,質そして重要さの点で「第一」の復活にあずかることを意味します。また彼らは,「神のパラダイスにある命の木から食べる」ことを許されるのですから,天的な,「神のパラダイス」において,とこしえに,「第二の死」を完全に免れるという特権を享受します。死に至るまでも忠実な征服者に対する,なんと壮大な報いではありませんか。

  • ペルガモンの使いへ
    『その時,神の秘義は終了する』
    • 第10章

      ペルガモンの使いへ

      1 (イ)ペルガモンはどこにありましたか。(ロ)その都市はどんなことで有名でしたか。

      パトモス島の北北東約210㌔,スミルナの北約80㌔,ローマのアジア州の北方境界線近くに,ミシアの都市ペルガモンがありました。そこには,約300㍍の城砦(アクロポリス)と,医術の神アスクレピオスの神殿および医学の大学がありました。クリスチャンの使徒たちが使ったような羊皮紙(パーチメント)は,その名をペルガモン,すなわちカルタ・ペルガメナに由来します。(テモテ第二 4:13)ペルガモンは皇帝崇拝を支持し,同市にはローマ

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