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彼らは以前のままの人間として戻って来ますか目ざめよ! 1982 | 11月8日
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彼らは以前のままの人間として戻って来ますか
「私は砲弾ショックや爆弾ショックを受けました。もちろん,気が狂ったわけではありません。でも,野蛮人のような生活をしてきました」と,ジョンは病院のベッドの上で書いています。そして,こう付け加えています。「しかし,銃剣と榴散弾による傷はすっかりよくなりました。私たちのほとんどは6か月もすればかなりよくなるでしょう。しかし,完全に治るまでには皆何年もかかることでしょう」。これは,南太平洋で行なわれた最も血生臭い戦闘の一つ ― ガダルカナルの戦い ― に生き残って帰還したばかりの,第二次世界大戦の一兵士から寄せられた手紙です。
ジョンの状態は,この20世紀に行なわれた数々の戦争から帰って来た他の幾百万もの兵士たちの状況と非常によく似ていました。多くの兵士は,砲弾ショック,戦闘疲労症,あるいはもっと新しい言葉を使えば,外傷後ストレス疾患aと呼ばれるものを経験しました。どんな病名が付けられていようと,それは戦闘が精神に深い傷跡を残したことを意味しています。
そのような傷跡が「完全に治る」までには本当に幾年もかかるのでしょうか。そのような人々は生涯精神的に欠陥のある人間になるのでしょうか。あるいは悪くすると,何の警戒もしていない傍観者に,制御できない怒りをいつ爆発させるか分からない“歩く時限爆弾”なのでしょうか。
どんな影響があるのか
戦争に関連した精神障害に悩む兵士の治療に35年以上携わった後,復員軍人援護局に勤める著名な精神医学者,ローレンス・コルブ博士は,「目ざめよ!」通信員とのインタビューの中で次のように語りました。「私は第二次世界大戦や朝鮮戦争でひどい神経症の徴候を示すようになった人々の治療に当たりました。また,実に様々な兵士を見てきました。第二次世界大戦から帰還したソ連の兵士も幾人か見たことがあります。今では専ら,ベトナムで最も激しい戦闘を見て来た兵士たちの治療に当たっています。これらの人々は皆,実によく似たある症状を示します」。
コルブ博士はさらにこう述べています。「いずれも音に対して非常に敏感で,過度に用心深く,落ち着きがありません。そしていずれも,繰り返して戦闘の夢を見,眠れない人が少なくありません。戦闘を思い出させるような大きな音に対して激しい反応を示し,過去の出来事をまざまざと思い出して,自分はまた戦場にいるのだ,と実際に考える人も少なくありません。これには大抵の場合,罪悪感と結び付いた深刻な抑うつ感が伴います。戦友たちが殺されたのに,自分はなぜ生き延びたのだろうか,と考えるのです」。
第二次世界大戦中海軍にいて激しい戦闘を目の当たりに見たハーレーは,戦後数年間,戦闘の悪夢に悩まされたことを認めています。寝言で,「気を付けろ! 危ないぞ!」と叫ぶことがよくあったそうです。そして目を覚ますと,ぐっしょり寝汗をかいているのです。それで思い余って小さなラジオを購入し,それが夢をかき消してくれるかもしれないと考えてそのラジオを枕の下に置きました。やはり第二次世界大戦の復員軍人でヨーロッパで戦ったジョニーは,夢を見ただけでなく,同じベッドで寝ている妻がもがいているので目を覚ますことがよくありました。ジョニーは妻の首を両手で締めていたのです。しかし,どちらの場合も,時がたつにつれてそうした夢を見る頻度は少なくなり,激しさも和らぎました。
罪悪感と抑うつ感
多くの兵士は敵を殺すのは自分の務めの一部であると考えました。うまくそれを行なうことにより賞を与えられたので,戦後そのことに対して耐えられないような罪悪感にさいなまれることはありませんでした。
「交戦中に考えることと言えば,生き続けることだけですね。動物的な本能が理性の力に取って代わります。生き続けて家に帰るためにはどんなことでもやります」と,ジョニーは語りました。
それからジョニーはこう述べています。「遠くから人を殺すのは大して問題ではありませんでした。しかし,夜襲をかけて敵兵を殺す時に一度でも目が合うと,精神的にこたえました」。そのような白兵戦や,不必要な,あるいは不当な殺人を行なうことは,しばしば兵士に深い感情的な傷跡を残し,それが罪悪感や抑うつ感を抱く原因になりました。b
しかし,罪悪感とそれに伴う抑うつ感を抱く兵士の中には,敵に対して取った行動のゆえにそうした感情を抱いているのではない人もいます。例えば,25歳の一戦闘機乗りは,25回目の任務飛行の後療養所に入りました。この人は緊張しており,ひどい抑うつ状態に陥っていました。物の言い方が遅くなりました。不安感を和らげようとして大酒を飲んでみましたが,よくなりませんでした。とうとう,治療を受けている時に,この人は飛行隊長として,任務飛行中撃墜された部下のパイロットの死に対して罪悪感を抱いていることを打ち明けました。この若い男性は,「自分が別の地点,もっと安全な目標を選んでさえいたら,もしも自分が別の場所へ行ってさえいたら,あいつは撃墜されずにすんだのに……。どうしてもあいつのことが頭にこびり付いて離れないのです」と言ってむせび泣きました。
まざまざと思い出される過去の出来事
ベトナム戦争からの復員軍人であるデービッドは,言葉では言い表わせないような残虐行為に遭遇した後に,家に帰りました。デービッドの脳裏にはいつまでも消えない,そしてだれも信じないような大量殺りくの情景が焼き付いていました。帰還して間もないある日のこと,デービッドは奥さんとオープンカーに乗っていました。奥さんのイレインはその時に起きたことをこう説明しています。「反対車線を走っていた1台の車がバックファイアを起こしてバーンという音をたてました。運転をしていたデービッドは反射的に車から飛び出そうとしました。途中まで身を乗り出して,自分のしていることに気が付き,『そうだ,もうベトナムにいるわけではないんだ。弾が飛んで来ることはないんだ』と言いました。私は,『何をしているのよ! そんなことをしちゃだめじゃない!』と叫び声を上げだしました」。二人は奇跡的に車の向きを直し,路肩に車を寄せることができました。
復員軍人がサイレンや飛行機の音を聞いて再び戦場にいるような気持ちになることは珍しくありません。家に居る時には家具を掩蔽物としてその下へもぐり込むようなこともあるかもしれません。実戦に参加した復員軍人の中には,就寝中に不快な音を聞くと,跳ね起きていつでも攻撃に出られるような戦闘姿勢を取る人もいます。時にはこの障害が幾年も続くことがあります。そのような過去の回想に関する新聞の華々しい報道が油を注ぐ形になって,戦闘から戻って来た人々を,暴力行為に走りやすい“歩く時限爆弾”と,意識的にあるいは潜在意識のうちにみなす人は少なくありません。
復員軍人は暴力に走る傾向が強いか
実際のところ,ベトナムで軍務に服した数百人の人を対象にした調査によると,暴力的な感情を制御するのが困難だったのは,「復員軍人の中のごく少数」に過ぎませんでした。「一般精神医学公文書」に載せられた報告は次の通りです。
「復員軍人の暴力的な感情や行為について多くのことが書き立てられてはいるが,攻撃的な行為を抑えるのにひどく困難を覚えることが大きな問題となっている兵士は比較的少数である。帰って来た時には40%が普通より怒りっぽく,短気であると伝えられているが,ほとんどの人にとってこれは一時的な,時間の限られた現象で,最初の3か月以内に過ぎ去ってしまう」。
第二次世界大戦から戻ったある復員軍人は,「もう人を殺さなくてもよいと思うと本当にほっとします」と言いましたが,多くの人は同じように考えています。
戦争があると,どこの国でも暴力的な犯罪の増加が見られますが,その原因が帰って来た兵士たちにあることを示す統計的な証拠はありません。c 「今日の心理学」誌の中で研究者のアーチャーとガーナーは次のように説明しています。
「この増加は,殺人が社会全体の目にそれほどゆゆしいものと映らなくなったために生じたのかもしれない。戦争は殺人が許容されるものであることを示す具体的な証拠を提供するものとなる。殺人を禁ずることに逆行するこうした現象は,日常生活の紛争を解決する手段として殺人に訴えることをだれにとっても容易なものにしかねない」。
ですから,実際のところ,復員軍人だけでなく,社会全体が精神的に戦争の影響を受けているのです。1914年に始まった第一次世界大戦以来地上に見られる状況は,聖書の言う「終わりの日」にわたしたちが生きていることをはっきり示しています。聖書はその時期を示す特徴を挙げていますが,その中には次のようなものがあります。「人々[一般,復員した兵士たちだけではない]は……自制心のない者,粗暴な者……とな(り)……いよいよ悪に進(む)でしょう」― テモテ第二 3:1-5,13。
実戦を経験した復員軍人について,特に神経症の兆候がひどい兵士の幾人かの治療に当たっている,米国ニューヨーク州オールバニーの復員軍人援護局付属医学センターの研究者であるコルブ博士は次のような点を明かしています。「現在私が治療に当たっている集団の間でさえ,大半の者は一度も入院したことがありません。職を維持している人も少なくありません。その多くは良心的で,勤勉で,ひたむきな人々です。大抵の場合に,この人たちの価値大系はごく普通の一般人よりも優れています」。
それでも,これらの人々にはやはり専門家の助けを必要とする精神面での傷跡が残っているのです。1981年に行なわれた一調査は,ベトナムで激しい戦闘を目撃した人々の3分の1以上が外傷後ストレス疾患を経験していることを示しています。通常,助けとして差し伸べられているのは出先センターでの集団精神療法です。そこで復員軍人は,他の復員軍人や考え方を調整しようと努める訓練を受けたカウンセラーとの討論会に参加できます。時には薬物が用いられることもありますが,それは普通,精神安定剤か睡眠薬です。しかし,戦争で精神的な苦しみを経験した復員軍人の多くは別の解決策を見いだしました。前述の,容易ならぬ外傷後ストレス疾患を抱えてベトナムから戻って来た人もその一人です。
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あの人が戻って来た時には別人のようでした目ざめよ! 1982 | 11月8日
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あの人が戻って来た時には別人のようでした
「デービッドは別人のようになってベトナムから帰って来ました」と,奥さんのイレインは説明しています。「出征前は,彼の温かさと優しくて純情な熱意とに引かれていました。彼は私のことを非常に信頼しており,二人の間にはすばらしい関係がありました。ところが,復員した時には,彼の持っていた愛すべきところがすべてなくなってしまっていたのです。見たところは同一人物のようでした。同じようなほほえみを浮かべ,同じ大きな茶色の目をしていました。でも,温かみや信頼感はありませんでした。まるで別人のようでした。それは恐ろしいことでした」。それからイレインは,「彼は怒り以外のものは何も入っていない貝がらのようでした」と付け加えています。
帰って来た時に自分がどんな風に感じたかについて,デービッドはこう述べています。「戦場での生活がどんなものか十分に理解していない人々,理解できない人々と一緒にいるのがたまらなくいやだったのです。私は戦友の幾人かが極めて悲惨な死に方をしたのを見ました。イレインに自分の気持ちを,自分の見たものを理解してもらいたいと思いました。ところが,だれも本当に理解したいとは思っていないようでした。それで,この敵意をすべて内に秘めるようになったのです」。
戦争の引き起こす,心に痛手を残すような,個人的な価値基準の逆転をほとんどの人は本当に想像することができず,またそれが精神に及ぼす破壊的な影響を感じ取ることもできません。デービッドはこう説明しています。「戦場では絶えず自分の身を気遣っていなければならないことを学ばねばなりませんでした。他の人との個人的な関係はほとんど意味をなさないことも学びました。次の瞬間にはその人たちは殺されてしまうかもしれないのです。もう一日生き延びることさえできるならば,どんな行為も正当化されると自分の頭の中で言い聞かせていました」。それに加えて,イレインはこう述べています。「家へ帰って来ると,任務に就いていた時,貴重だと思っていた事柄すべてが結局は何にもならないということにほどなくして気付きます。そして,他の人との関係など自分が何の意味もないと思っていたものすべてが,民間人の生活の中では非常に貴重なものになるのです」。
その結果,デービッドは帰還した兵士の多くと同様,自分が感情的にのめり込むような,他の人との信頼関係を結ぶことをちゅうちょします。当然のことながら,これは結婚生活を混乱させます。
聖書の教訓の価値
二人の関係が緊張してほぼ限界に達していた時,デービッドとイレインはエホバのクリスチャン証人と聖書を研究するようになりました。デービッドはこう語っています。「それは本当に大きな助けになりました。やがて,生まれて初めて,神と親密な関係を持っていると感じ,自分の気持ちすべてを神に申し上げることができるようになりました。自分のしたことすべてに対してどんなに申し訳なく思っているか本当に語ることができ,神は私のことを進んで許してくださったと信じています」。
イレインはそれに付け加えて,こう述べています。「当然のことながら,デービッドにはまだ波がありましたが,それほどひどくはなくなってゆきました。今でも時には抑うつ状態にさいなまれることがありますが,聖書の教訓は私が結婚した時のデービッドを取り返してくれ,それ以上のものをもたらしてくれたのです。聖書の教訓は良いものを引き出しくれました。聖書は利他的な愛や同情心,与える精神を鼓舞しているからです。私は自分の夫を再び見いだしたような気がしました!」
確かに,聖書はデービッドや他の人々が愛のこもった信頼関係を築き上げるのを助けてきました。どのようにしてですか。聖書は,真の愛が「自分の利を求めず」,また「傷つけられてもそれを根に持た(ない)」と述べています。聖書は優しい同情心を推奨します。また,どうしたら仲間の人間に対する真の愛を培うことができるかに関して実際的な提案をしています。デービッドは本当のところをこう述べています。「それでもやはり容易ではありませんでした。今でも,人が私の信頼を踏みにじったり私に不公正な扱いをしたりすると,自分の内部で怒りが燃え上がります。しかし,そのような時には黙って,力を与えてくださるようエホバに祈り,その場を離れるようにします」。―コリント第一 13:4,5。ペテロ第一 3:8,9。
家族の役割
イレインはこう説明しています。「聖書の知識の活用は,デービッドにとって助けになっただけでなく,彼に接する私にとっても助けになりました。というのは,デービッドは言い争いを始める際に,『イレイン,僕はベトナムのことで敵意を抱いているから,今から君に怒りをぶちまけるぞ』などとは言わなかったのです。そうではなくて,『この腐りかけた食べ物は何だ? お前は家をろくに掃除しないし,母親としても失格だ!』というようなことを言うのです。別の時には,だんまり戦術に出て,幾週間も話をしてくれません。その間ずっと,私はどんな悪いことをしたのかしら,と思い悩んだものです。
「しかし,従順で敬意を示す者になり,思いやりを示し合い,『不満の理由がある場合でも,相手のことを忍ぶ』ようにということを聖書から学びました。こうした聖書の真理を知ったことは助けになりました。もちろん,デービッドが怒った時に,私が示してはいけない激しい反応を示してしまったこともありました。時には,私のほうが聖書の言葉に十分に従っていないこともありましたが,二人がそろってそれに従うときには,聖書の助言は確かに効を奏しました。それは容易なことではありませんでしたが,デービッドの行動がひどいので離婚したくなる時があっても,それをしませんでした。今では,事態ははるかによくなっています」。―コロサイ 3:13,18。
コルブ博士によると,家族の理解と同情心は,「社会的に受け入れられる者になるよう人を助けるのに非常に重要」です。博士によると,「結婚関係を維持している人はそうでない人よりもうまく行っています。一方,多くの場合にそうであるように,妻が“いたたまれなくなる”なら,結婚は長続きしません」。
しかし,聖書は理解や思いやりについて教えるだけでなく,将来に対する真の希望をも差し伸べています。
貴重な約束
「あなた方は来て,エホバの働きを見よ。……神は地の果てに至るまで戦いをやめさせておられる」。(詩編 46:8,9)戦争が引き起こす驚くべき数の苦しみを考えると,このような約束は実にすばらしいものです! 神はご自分の天の政府,ご自分の王国によって,戦争を助長する諸国すべてを「終わらせ」,地上に恒久平和をもたらされます。―ダニエル 2:44。
生き残る柔和な者たちは,神がわたしたちの地球にご自分の注意を十分に向けてくださる時,精神的にも,感情的にも身体的にも完全にいやされます。(啓示 21:3,4。詩編 37:10,11)この希望を学んで,多くの復員軍人は心を動かされました。イレインは次のように話しています。「これはデービッドに生きる真の目的を与えるものとなりました。またこのおかげで,私にとっても彼を励ますのが容易になりました。例えば,外部のだれかのちょっとした思いやりのない言葉に彼が憤慨するようなことがあると,『ほら,「復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる」という言葉を思い出して』とよく言ったものです。何度も抑うつ感にさいなまれてデービッドががっかりしている時には,彼がすでにどんなに進歩したかを示し,将来神がその精神的な傷を完全にいやしてくださる時のことを話しました」。―ローマ 12:19。イザヤ 65:17と比較してください。
イエスは,「記念の墓の中にいる者がみな,[イエス]の声を聞いて出て来る時が来ようとしている」と約束されました。(ヨハネ 5:28,29)戦争中に殺された無数の人々が生き返り,神についての真理を学ぶ機会を与えられるのを見るのは,本当に胸の躍るような見込みではありませんか!
ハーレーも,聖書の教訓が大きな助けになることを悟った復員軍人の一人です。第二次世界大戦が終わってから37年が過ぎましたが,幾人かの戦友の死を思い起こして激しい感情に襲われ,こみ上げる涙をこらえながら,「あの連中が復活してまた会えるとは,本当にすばらしいことです。この希望は心の痛みを本当に和らげてくれます」と,ハーレーは言いました。
確かに,聖書教育は,さいなまれた精神に本当に役立つ助けを与え,将来に対する真の希望を差し伸べるものとなります。
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