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  • 1,900年の間『世の光』
    ものみの塔 1974 | 11月1日
    • (コリント第二 4:4。イザヤ 60:2)使徒パウロは,光を掲げる彼の仲間に書き送ったときにこの点を指摘しました。「すべての事を,つぶやかずに,また議論することなく行なってゆきなさい。それはあなたがたが,とがめのない純真な者,また,曲がってねじけた世代の中にあってきずのない神の子どもとなるためです。その中にあって,あなたがたは世を照らす者として輝き,命のことばをしっかりつかんでいます」― フィリピ 2:14-16。

      「油」は何を象徴しましたか。クリスチャンが持つ光の源は何でしょうか。それは,彼らが「しっかりつかんで」いなければならない「命のことば」以上のものです。「あなたのみことばはわたしの足のともしび,わたしの道の光です」と詩篇作者は言いました。(詩 119:105,130,新)象徴的な「油」には,神のことばを理解するうえで欠くことのできない神の霊も含まれています。さらに神の聖霊は実を結びます。つまり,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,柔和,自制などの霊の実です。そのような霊の「油」は照明力を持ち,他の人びとも同様にクリスチャンの特質を持つよう彼らを促します。

      思慮深い処女たちは,ともしび皿の中に油を入れていたばかりでなく,容器にも油を入れて携えていました。彼女たちは,花婿の到着が予想外に遅くなった場合でも,結婚の行列について婚宴にはいる機会を失いたくないと考えていました。成就においてはこれは,「天の王国」級が,神のことばとそれを理解する力,および神の聖霊の両方を豊かに有していることを意味します。処女級の個々の成員は,他の成員すべてとともに供給を受けます。花婿に会おうとして行く時,この世で忠実に忍耐するために適切な供給が必要です。彼らは神の啓発を与えることばと霊とで満たされています。彼らは,非常に必要とするこの「油」を,絶えまない勉強や仲間の「処女」たちとの交わりにより,また神の霊で満たされることによって豊かに得ます。また彼らは,クリスチャンの人格を身につけることに積極的に努力し,王国の良いたよりを他の人びとに宣べ伝える奉仕に熱心に携わります。これら「思慮深い」処女たちは,「子羊[キリスト]の行くところにはどこへでも従って行く者たち」です。―啓示 14:4。

      霊の「油」と,キリストのような人格を持つようクリスチャンを励ますその力とを十分に持つことを明らかにしているのは,今の時代では,強制収容所や刑務所で長年苦しみに耐えてきた,天の希望を持つ人びとです。その中には,何年間も独房生活をしてきた人たちもいます。他の人びとは他の形の試みに苦しみました。しかし彼らはどんな状態のもとに置かれても忠実に耐えました。彼らを霊的に生き生きとした健全な状態に守ったのは何でしたか。それは彼らが自由であったときに,そして神のことばを勉強し,神の民と交われる立場にあったときに,その機会を利用して神のことばを自分のうちに満たしたことでした。また彼らは,「霊に満たされ」るよう神に祈りつづけ,神は彼らの祈りを聞かれました。―エフェソス 5:18。

      「花婿が遅れている間に」

      「処女」たちは花婿をどのくらい待つことになっていたでしょうか。ある人びとは花婿が早く来ることを期待していたかもしれません。事実,自分の予想がはずれたとき,『疲れて魂が弱り果てた』人たちもいました。(ヘブライ 12:3)花婿は,西暦70年にエルサレムがローマ人に破壊されてユダヤ教の事物の体制が終わった時には出現しませんでした。そして年老いた使徒ヨハネは,西暦96年ごろに書いた啓示を,「来たりませ,主イエスよ」ということばで結んでいます。(啓示 22:20)しかし使徒ヨハネとパウロは,イエスが王国の権を持って臨在される前に,反キリスト,すなわち「不法の人」がしばらく勢いを得るということを予告していました。―ヨハネ第一 2:18。テサロニケ第二 2:1-3,7,8。

      事態は十人の処女のたとえ話の中で予告されていた通りになりました。「花婿が遅れている間に,彼女たちはみな頭を垂れて眠り込んでしまいました」。(マタイ 25:5)偽善的なコンスタンチヌス大帝は,キリスト教に“改宗”したときに,名目だけのキリスト教を,ローマ帝国の国教としました。そのために,キリストが教会を通して統治しているかのように,したがってキリストの再臨は必要ないかのように見えました。クリスチャン司教と自称する人びとは,クリスチャンの責任に対して眠っていました。

      この宗教上の状態は,イエスが小麦と雑草にかんするたとえ話の中で預言されていたことと一致しているようです。「天の王国は,自分の畑にりっぱな種をまいた人のようになっています。人びとが眠っている間にその人の敵がやって来て,小麦の間に雑草をまき足して去りました」― マタイ 13:24,25。

      それからイエスは,イエスがもどられるときに生ずる収穫のわざについて説明されました。今日キリストは,真の「王国の子たち」を刈り入れるとともに,別の仕事,つまり「ほかの羊」の大群衆を集めるわざも行なっておられます。ほかの羊は,天の婚宴に招かれていないので,天の王とはなりません。彼らは,人類が祝福を受ける来る千年期の間,正しい人間社会である「新しい地」の基礎として地にとどまります。今日,多数の人は,この真の「世の光」から光を受けて,この「大群衆」の中に集められています。―ヨハネ 10:16。啓示 7:9-17。

  • エホバは人の心を開かれる
    ものみの塔 1974 | 11月1日
    • エホバは人の心を開かれる

      人は非常に珍しいきっかけで聖書の音信に接することがあり,エホバが確かに人の心を開いて真理に目を向けさせておられることを示しています。―使徒 16:14。

      オーストラリアで特別開拓奉仕者として宣教に携わる一人のエホバの証人は,次の報告を寄せています。

      「コオナンブルに初めて着いた時のことです。神のことばである聖書に関心を持つ青年のいることを聞きました。その青年はトニーと言い,コオナンブルから190㌔以上離れたライトニングリッジで,差掛け式テントに住んでいるとのことでした。ライトニングリッジに実際に行くまでは,苦もなくこの青年を見つけられるものと考えていました。ところが,ほとんどすべての木の下に差掛け式のテントが建っているのです。しばらくの間自動車であたりを回り,最後に一つのテントに目を留めました。近づいてみると,一人の青年が出てきました。聖書を勉強することに関心を持っている青年を捜しているのですがと言うと,その青年は非常に興奮して,まさに自分がそれだと答えました。

      「この青年は,アンナルケの干上がった古い川底でサファイアを探して歩いていた時に,小さな本を見つけました。その本の表紙は水を吸って膨張しており,つまみ上げるとはがれてしまいました。青年はその本を二回読み,さらにそれをスロベニア語に訳して,ヨーロッパにいる両親に送りました。それは,『とこしえの命に導く真理』という本でした。

      「二か月間,わたしたちは毎週月曜日の夜にトニーを訪ね,ろうそくの明りを頼りにして『真理』の本を勉強しました。その後トニーは,オパール探しをやめる決意をし,コオナンブルにやって来て,わたしたちといっしょに王国会館に住みました。個人研究以外の時間に,トニーは王国会館を掃除したり,修繕したりして働きました。職業が電気技師であったため,彼は王国会館の照明装置を全部取り付けました。

      「トニーは,王国会館の後ろを流れる干上がりかけた小川に,自分が楽に入れる大きさと深さの穴を掘り,ついにそこでバプテスマを受けました」。

      「エホバは私の羊飼い。私は少しも乏しくありません。草の多い牧場に彼は私を横たわらせ,水でよく潤された憩いの場所のそばに私を案内されます。私の魂を彼はさわやかにされます。彼は私をそのみ名のために義の道に導かれます。たとえ,深い陰の谷の中を歩もうとも,私は何も悪いことを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖は,私を慰めるものなのです。私に敵意を示す者たちの前で,あなたは私の前に食卓を整えてくださいます。あなたは私の頭に油を塗ってくださいます。私の杯は満ちあふれています。まことに,私の命の日のかぎり,慈しみと愛ある親切とが私を追って来るでしょう。私は,いつまでも,エホバの家に住まいましょう」― 詩 23:1-6,新。

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