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  • 任命された神の奉仕者たち
    ものみの塔 1960 | 3月1日
    • が,いずれかの種類の労働に費やされていますが,人はどのようにその仕事をして,生計を立てているでしようか。実際にすべての人は,雇い主と契約または協定を結びます。雇主は,ある仕事をさせるためにひとりの人を雇う時,その人にいくらかの賃銀を支払うことを同意します。雇われた者は,仕事をずるけて,同意したものよりも少なく働くべきではありません。彼は正直に,雇い主との契約を100パーセント果さねばなりません。かりにある大工さんが,1日に何時間という取り極めで雇われて,その時間に対していくらか賃金を受け取るなら,当然その時間中は,はじめから終りまで,良い大工仕事を勤勉にしなければなりません。のらくらするために賃金をもらつているのではなく,仕事をするためにお金をもつているのです。あるクリスチャンが,金持ちの経営する店に働いているならば,金持だからという理由で,その金持から盗む権利はありません。また,品物の価値よりも値段を高くし,差額を自分に取つて,お客から盗む権利もありません。それは盗みです。のらりくらりと仕事をしても雇い主から盗むことです。人は,雇い主が賃金を払うよう要求します。ではなぜ雇い主が,自分の払う賃金に対してそれだけの仕事を果すよう要求できないのですか。「あなたがたのすることすべて……仕事でも,いつさいのものを主イエスの名によつて行ないなさい」。あなたはそうしますか。

      29 使徒パウロは,クリスチャンになつた奴隷のオネシモに対してどんな態度をとりましたか。

      29 パウロは,ビレモンの奴隷オネシモを,彼の雇い主から引き離しておくべきではないと考えました。オネシモがクリスチャンになつた時,パウロは彼が奴隷であつたことを知つて,彼を主人に送り帰しました。ピレモンもクリスチャンであつたとはいえ,クリスチャンとなつたその奴隷はやはりピレモンのものでした。パウロは,オネシモについて書き,こう言いました,「捕われの身で産んだわたしの子供オネシモについに,あなた(ピレモン)にお願いする。彼は以前はあなたにとつて無益なものであつたが,今は,あなたにも,わたしにも,有益なものになつた。彼をあなたのもとに送りかえす。彼はわたしの心である」。パウロは,主人のもとから逃げていたオネシモが,彼にとつて非常に有益なことを見出しましたが,それでも彼が主人のもとへ帰るよう望みました。それは正しい事だつたからです。そして法律上彼はある人のものでしたし,ピレモンも「彼をいつまでも留めておく」かもしれないからでした。「しかも,もはや奴隷としてではなく,奴隷以上のもの,愛する兄弟としてである。とりわけ,わたしにとつてそうであるが,ましてあなたにとつては,肉においても,主にあつても,それ以上であろう」。(ピレモン 10:12,15,16,新口)聖書の示すところによると,クリスチャンは,奴隷であろうとも,また自由人であろうとも,どういう状況にあつても,主イエスの名によつて行なつているように働き,「彼を通して父なる神に感謝」しなければなりません。

      30 ですからクリスチャンは何でなければなりませんか。

      30 クリスチャンたちは正直でなければなりません。また誠実でなければなりません。そしてあらゆる種類人々が救われるよう,良いたよりを伝えている時に限らず,すべての事をなすのに,任命された奉仕者であることを証明しなければなりません。それによつて彼らは,「神の御言葉が信ずる者たちの中に働いている」ことを証明するのです。あなたは,食べること,飲むこと,話すこと,働くこと,伝道すること,あるいはその他のあらゆることをなす際に,良いわざをなしているクリスチャンですか。誰かが救われるために,すべてのことを神の栄光のためにしていますか。あなたは,「平和を求めて,それを追つて」いますか。クリスチャンは,「ヱホバの目は義人の上に」任命された奉仕者の上に「そそがれること」を知つています。―ペテロ前 3:11,12,新世。

  • あなたは光を輝かせていますか
    ものみの塔 1960 | 3月1日
    • あなたは光を輝かせていますか

      1,2 任命された奉仕者の活動を,山の上にある町およびあかりのついた燭台に比較して見るのはなぜ適切ですか。

      任命された奉仕者は重い責任をもつています。彼はイエスがやめられたところから出発します。「あなたがたは,世の光である。山の上にある町は隠れることができない。また,あかりをつけて,それを桝の下におく者はいない。むしろ燭台の上において,家の中のすべてのものを照させるのである。そのように,あなたがたの光を人々の前に輝かし,そして,人々があなたがたのよいおこないを見て,天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい」。(マタイ 5:14-16,新口)この真理の光は,真のクリスチャンが活発に活動しているために,世界で昼夜輝いています。任命された奉仕者が家から家に伝道する時その光は輝きます。でも,奉仕者が自分の光を輝かすのはその時だけではありません。それは,神の民の会衆の中にいる時はいうまでもなく,食べている間も,飲んでいる間も,日常の会話をしている間も,働いてる間も,輝いていなければならないのです。クリスチャンが光をかくしたり消したりできる時はありません。「あなたがたは世の光である。……あなたがたの光を人々の前に輝かし……なさい」。

      2 神の任命された僕は将来に期待をかけています。ですから,「いのちを愛し,さいわいな日々を過ごそうと願う人は……平和を求めて,これを追いなさい」。(ペテロ前 3:10,11)平和を追い求めている間は,悪い行をして,神の御言葉からはずれるようなひまはありません。もしはずれるようなら,目に見えるでしよう。彼は奉仕者として,クリスチャン生活をしていることをいつでも証明しなければなりません。ちようど丘の上にある町のように彼は観察されているのです。その町をかくすことはできません。その町があることは,周囲何マイルものところから分ります。その町をかくすことができないのは,真のクリスチャンの光をかくすことができないのと同じです。任命された奉仕者の光は絶えず輝いています。奉仕者が,彼の食べ方,飲み方,話し方,仕事のしかた,または神の御国の良いたよりの伝道の仕方によつて,故意にその光を包まないかぎり,常に輝いています。決して光をかくすようなことがあつてはなりません! あらゆる人々に,あなたの正しいわざを見せなさい。なぜならば,彼らがあなたの正しいわざを見る時,あらゆる種類の人々が,天におられるあなたの御父に栄光を帰かすらです。

      3 伝道におけるクリスチャンの正しいわざのほかに,何が人々の目によくうつらなければなりませんか。

      3 神の御国が近づいたことを,家から家に伝道するのは絶対に必要で重要なことです。そして,この良いたよりは,神が信ずる人々のためにたくわえておられる偉大な祝福を,もつとはつきり悟るよう人々を助けます。でも,その教える能力と共に,クリスチャンの正しいわざ,その生活の仕方,仕事をする時,遊ぶ時の振舞い方,子供たちの行儀,会衆内での交際の仕方も人々に観察させなさい。そうです。自分の光を輝かすなら,これらのことはすべて効果をあらわします。

      4,5 (イ)或る時間だけクリスチャンというようなものがありますか。なぜですか。(ロ)すべてのクリスチャンが同じ長さの時間を良いたよりの伝道にささげることができますか。(ハ)この問題について,どんな結論がでますか。

      4 ヱホバの奉仕に献身して水の洗礼を受けた人が,私はある時間だけクリスチャンです,と言うことはできません。その人は全時間のクリスチャンでなければなりません。開拓者や宣教者たちがしているように,目の覚めている時間全部を,戸別伝道や聖書研究の司会についやすことはできないかも知れません。だからといつてそれは,クリスチャンであることに少しも影響しません。すべてのクリスチャンは,神から同じ命令をいただいているのです。ヱホバの証者の中には,開拓者および宣教者,つまり全時間奉仕者と呼ばれるクリスチャンたちがたくさんいます。この人々は,自分の仕事を調節することができたので,戸別伝道をしたり,信ずる人々の家で聖書研究を司会して他の人々につかえることができるのです。ヱホバ神に献身して洗礼を受けた人がひとりのこらず,全時間を伝道の仕事にささげられないことは容易に分ります。しかし,彼らが全時間をクリスチャン生活にささげなければならないことは確かです。目のさめている時間全部を福音伝道に用いる人と同じくらい確実に,任命された奉仕者であることを証明しなければなりません。クリスチャンはみな,イエスの足跡に従つているのですから,イエスと同じく,光を全時間かかげる者でなければなりません。

      5 では私たちは,どういう結論を出すべきですか。それは,開拓者であろうと宣教者であろうと,あるいは会衆の伝道者と言われている人であろうと,クリスチャンは全時間,神の御前に任命された奉仕者でなければならないという結論です。聖書には,パウロやペテロの書いたものの中にも,イエス御自身の言葉にも,クリスチャン生活をしている人は,「まず神の国と神の義とを求めなければならない」ことが示されています。さらにイエスはこう言われました,「もしわたしのいましめを守るならば,あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守つたので,その愛のうちにおるのと同じである」。(ヨハネ 15:10,新口)例外はひとつもありません。クリスチャンはすべて,同じいましめを与えられ,同じあがない主,同じ神をもつているのです。

      わざは表われる

      6,7 人々の悪いわざに関し,テモテ前書 5章24,25節はどう説明できますか。

      6 人のほんとうの性質は,ついには表われるものです。パウロはテモテにそのことを指摘しました,「ある人の罪は明白であつて,すぐ裁判にかけられるが,ほかの人の罪は,あとになってわかって来る。それと同じく良いわざもすぐ明らかになり,そうならない場合でも,隠れていることはあり得ない」。(テモテ前 5:24,25,新口)次の簡単な例は,パウロの論点を理解する助けとなるでしよう。ある町にひとりの泥棒がいました。その泥棒は人の家に押し入つて,2年間も盗みを働いてきました。もうひとりの男がいます。彼は盗みをしようと,はじめて人の家に押し入ります。新参のこの泥棒は,最初の試みで,盗んだ物を持つて家を出る時つかまつてしまい,警察に引き渡されました。裁判が行われました。証人は証言を行い,彼は泥棒と証明されました。判決は,6ヵ月の入獄。この男の罪は「明白であつて,すぐに裁判にかけられ」たわけです。

      7 しかし,2年間盗みを働いてきた最初の男はどうでしようか。彼はまた盗みを働こうと決心します。ところがこの度は見つかつて,警官に逮捕されました。裁判にかけられます。提出された証拠は,彼が不法侵入した最後の家で盗みを働いたのみでなく,過去2年間,他の多くの家でも盗みを働いたことを証明します! それまでは,隣り近所でも評判が良かつたか知れませんが,いまは彼の「罪」も「わかつて来」たわけです。ただあとになつただけ,2年あとになつただけです。人がほんとうにどんな生活をしているかは,いつまでもかくせるものではありません。もし泥棒なら,ついにはわかつて来ます。

      8 正しい人のわざは,どのようにすぐ明らかとなるかも知れませんか。

      8 パウロはこう論じます。ある人の罪はすぐに明らかとなり,ほかの人の罪はあとになつてわかつて来るが,ある人々の正しいわざについても同じことが言える。

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