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  • あなたは約束を守りますか
    ものみの塔 1972 | 4月1日
    • には年配者の場合ほど多くを期待すべきではないと考える人がいます。しかし若いときこそ,約束を守る習慣をつちかい始めるべき適当な時期です。約束を守るか否かは,今の自分の内面のひととなりをよく表わすものとなります。またそれは,自分の思いと心を形づくることにも影響をおよぼします。人の態度,つまり一生続く性格を作り出す,ものの見方を築き上げるのです。

      もしあなたが今,信頼できる人ならば,おそらく何年かのちでも,信頼できる人でしょう。それと全く同様,その反対のことも言えます。たとえば,もしあなたが今,約束を果たさないならば,何年かのちに,ある仕事または割り当てを引き受ける堅い約束をかわしても,ほどなくして約束を取り消したいと思うかもしれません。そのようなことをする多くの人は尊敬されません。

      信頼できないというこの同じ問題は,結婚関係にも生ずる場合があります。結婚の誓いをしたときのおごそかな約束を短い期間のうちに破る人は少なくありません。そのために自分の生活を台なしにし,他の人々に悲しい思いをさせます。そのような人はたぶん,結婚する前でさえ,約束を守る人ではなかったでしょう。

      『大きなこと』つまり主要な事柄だと考えられることの場合だけ約束を守るのでは不十分です。『大きなこと』は,毎日,あるいは毎週起きませんし,信頼性という特質を培うのに十分なほどしばしば起きません。約束を守るということは,日々いつも習慣として行なう必要があります。

      小さなことで約束を果たすよう心がけるならば,大きなことで約束を堅く守ろうとする決意と力は強められます。小さなことに関してでも信頼できる人であるという評判を得て,人から信用され,また信頼されているならば,より大きなことに面したときでも,その評判とそれに伴う益を保つよう一生けんめい努力するでしょう。

      しかし小さなことで信用できない者であることを表わす人は,より大きなことで責任をになうよう,いったい依頼されるでしょうか。イエスは,物事が,それもとくに神と人間との交渉においてはとてもそのように運ぶものではないことを示されました。―ルカ 16:10。

      問題はどこにあるか

      人々はなぜ約束を破るのですか。一つには,約束を守ると,自分の行動が制限され,自分に義務が課されるからです。人と会う約束の時間,または他の約束を履行する時間がやってきても,何かほかのことのほうが,もっと魅力的な事柄のように思えるかもしれません。それにまた多くの場合,約束を守るには,最初考えたよりも,もっと一生けんめい努力しなければならないということに気づくでしょう。ある事柄を承諾した場合,その結果として物質上の利益が得られると思うかもしれませんが,あとになって,益がもたらされるどころか損をすることがわかるかもしれません。

      そのような場合,あなたならどうしますか。たとえそれが自分にとってつらいこと,あるいは損をすることであっても,約束を守りますか。それとも,自分が約束を果たしたくないばっかりに,相手に損失をこうむらせてもかまわないと思いますか。たとえば,人に会う約束を守らない場合,むなしく人を待たせて,その時間を盗むことになります。もしある仕事をしなかったとすれば,相手に他の問題をかかえさせたり,相手の目標達成を遅らせたりしてもしかすると,その人自身に自分の約束を果たせなくするようなことになるかもしれません。それで,こう自問する必要があります。わたしはどんな人間だろうか。あるいは,わたしはどんな人になりたいと考えているのだろうか。わたしは利己的だろうか。それとも,他の人に対して純粋の思いやりを持っているだろうか。

      「でも,わたしはこんなことになるとは知りませんでした ――」という人がいるかもしれません。ここでほんとうに問題なのは次の点です。いったいだれが悪かったのだろうか。相手のがわに欺まん,あるいはごまかしがあったのだろうか。もしそうではなくてあなたが約束を取り消さず,約束を果たすのに避けられないどんなつらいことでも耐えるならば,忘れられない貴重な教訓を学べます。それはすなわち,話す前に,また約束する前に考えなさい,ということです。それから,話すときには,本気で話しなさい。―箴言 10:19。

      たんにだれかに喜ばれるだろうと思って ― しかし,結果をまず最初に十分に考えることをせずに ― 何ごとかに同意するならば,問題に陥るおそれがあります。それとは対照的に,約束をするのに慎重であれば,つまり問題をよく考え抜き,今後の自分の生活にそれがどんな影響をおよぼすかを考慮するなら,一旦なにかをしようと約束する場合,約束を守るのはずっと容易になるでしょう。それは約束を守るよう,自分の心と思いを備えさせているからです。

      もちろん,人は万事を予見できるものではありません。約束をしたときから,約束を実行するときまでのあいだに,あるいは約束を実行しているあいだでさえ,事情は変わるかもしれません。しかし,もし相手が自分の分を果たすのに不誠実でないなら,自分が不誠実になる理由はどこにありますか。

      このことにかんする神の見解を示す,詩篇 15篇は,神がご自分の「客」としてどんな種類の人を受け入れられるかにかんする質問を提起し,そしてこう答えています,「直くあゆみ義をおこなひそのこゝろに真実をいふものぞその人なる……誓ひしことはおのれに禍害となるも変ることなし」― 詩 15:2,4。

      神は,約束を守る人々だけをご自分の友とみなされるといっても驚くにはあたりません。なぜですか。なぜなら,神ご自身がそのことを間違いなく行なわれるからです。その理由でヨシュアは,イスラエルの国民に次のように言うことができたのです。「視よ今日われは世人の皆ゆく途を行んとす 汝らは一心一念に善く知るならん 汝らの神エホバの汝らにつきて宣まひし諸の善事は一も欠る所なかりき 皆なんぢらに臨みて その中一も欠たる者なきなり」。(ヨシュア 23:14)聖書のかなりの部分は,エホバが守られた約束にかんする記録で成っています。エホバは過去において真実な方でしたからその約束が将来成就して祝福がもたらされるということに対する強い確信をいだけるのです。

      あなたは神の是認を得たいと思われますか。それでは,『おのれに禍害となること』を約束していたことがわかった場合,その約束を破って自分の約束のことばを変えてはなりません。もちろん,このことはあとで神のみことば聖書の原則に反しているということがわかるような事柄という意味での「禍害」をさしているのではありません。なぜならもしあなたが,神に仕えたいと神に告げたのであれば,神に対する自分の約束がまず第一に優先されるからです。(使行 4:19,20; 5:29)そのような場合,もし悪いことをする約束を果たすならば,神に不忠実な者となるでしょう。

      また,昔のイスラエルの父親や夫が,家族のかしらとして,自分の娘や妻の立てた誓いを取り消すことが適当であると考えるなら,そうすることができたのと全く同様に,あなたの親もあなたが結ぶ約束を取り消すことができます。―民数 30:3-15。

      イエスは,多くのささいなことをあれこれすると言っては誓いをたてる習慣のあった当時の人々を正されました。(レビ記 5:4とくらべなさい)イエスは彼らにこう言われました。「決して……誓ってはなりません……あなたがたの『然り』は然りを意味し,『否』は否を意味するようにしなさい。これを超えた事柄は邪悪な者から出るからです」。―マタイ 5:33-37,新。

      たしかに人は不完全であるため,時には安うけ合いをしすぎて,自分がすると言ったことが,すでに約束した何かほかの事柄に反するものであることがわかる場合があるかもしれません。では,どうしますか。ほとんどすべての場合にいえることですが,最初にした約束が有効なものであるべきです。自分の好みにもとづいて事を決めてはなりません。

      他の人に対する約束を守ることがたいせつであるならば,神との約束を守るのはなんとたいせつなことなのでしょう。もしかしてあなたが,ほんとうに悔いあらためて神に転じ,バプテスマの段階をふみ,そうすることによって,神のしもべにならせてくださいと願いもとめたのでしたら,その約束を裏切ってはなりません。もしそのようなことをしたとすれば,とこしえの命を得る希望は失われてしまうでしょう。

      もしわたしたちが神を愛し,神を喜ばせようと誠実に努力するならば,神はわたしたちを助けてくださり,約束を守るための強さを与えてくださるでしょう。神はそのような助けを約束しておられます。しかも神はご自分の約束を守られるのです。―申命 31:6。詩 27:9,10。ヘブル 13:5。

  • おぼえていますか
    ものみの塔 1972 | 4月1日
    • おぼえていますか

      最近の「ものみの塔」誌を注意深くお読みになりましたか。そうでしたら,次のような重要な事柄にお気づきになられたことでしょう。

      ● どうすれば,忠誠を保てるよう自分自身を強化できますか。

      聖書およびものみの塔協会の聖書研究の手引きを個人的に読み,また研究すること,悪い交わりを避けること,集会に出席すること,神の王国の伝道にあずかること,定期的に祈ることによってそうすることができる。―719-722ページ。a

      ● 『天の父が完全であられるように完全』であるとはどういう意味ですか。

      それは自分の友人という狭い範囲に愛を限ることなく,自分に敵意を示す者たちにさえ愛を差し伸べることにより,完成された全き仕方で愛を表わすということを意味する。―758-760ページ。b

      ● 諸国民すべてがまもなく神と正面衝突するのを避けられないのはなぜですか。

      神の主権を認めて,聖書に述べられている神の原則に従う代わりに,諸国民は人間の政治,政府による地の支配を固執しているため。また,諸国民は神のメシヤによる王国と戦い,混成政治組織である国際連合に人々の希望を向けさせているため。―4,5ページ。c

      ● いつも子どもとの意志の疎通を図れるようにするには,親にとって何が助けとなりますか。

      子どもの年齢の程度に応じて話すこと。子どもの好き,嫌いや子どもの意見を聞くこと。子どもがかかえている問題に対する解決策を見いだすよう助けること。いっしょに話し合って考えること。子どもに打ち明けて話したり,いっしょに計画をたてたりすること。―44-48ページ。d

      ● 結婚する年齢に達していないクリスチャンが“デート”をするのはなぜ賢明なことでありませんか。

      なぜなら,“デート”をすると,性欲を正しく満たせる立場にいないのに,往々にして性的欲求の圧力や誘引力を強めることになるから。それは事を「性急に」運ばせるものとなるため,後日,ほんとうに幸福な結婚をするに必要な,若い男女の能力,態度,知識,平衡の取れた見方などを培うことが妨げられる。―49-51ページ。e

      ● わたしたちは自分の名前以上に神のお名前を尊んでいることをどのように示せますか。

      聖書を神のみことばとして受け入れること。キリストを通して神に献身すること。エホバの民と交わり,彼のお名前を証するわざにあずかることによって。―83ページ。f

      ● クリスチャンの円熟とはなんですか。

      もはや霊的な「幼児」ではなく,霊的な成人になった状態。このような円熟は,キリスト教の真理すべてを十分に受け入れ,それに合致した生活をするように誠実に努力することによって得られる。―87,90ページ。g

      ● クリスチャン会衆内の長老たちの間にはどんな関係がありますか。

      会衆内の長老たちは互いに同等で,会衆の霊的な状態を見守る義務に等しくあずかる。それから長老たちはクリスチャンの統治体によって任命され,その導きのもとで働く。―115,117,118ページ。h

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