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神聖なる我らの戦ものみの塔 1955 | 2月15日
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し,こう言いました『天地の造り主,最高の神のアブラハムに祝福あれ。敵をあなたの手に付した最高の神に称誉あれ。』(創世 14:17-20,新世。ヘブル 7:1-10)アブラハムのした戦争は,神権的なものでした。4人の侵略王たちの戦争は,おのおのの異教の宗教儀式で潔められていましたが,神権的なものではなかつたのです。メルキゼデクは,その友アブラハムのために戦かつた最高の神ヱホバの代表者でした。それでメルキゼデクに,アブラハムが彼にその戦利品の10分の1を捧げたのは,全く適当なことだつたのです。
11 どの民によつて,神権的な戦は特別に著しく目立ちましたか? それは何時頃からでしたか? これについて,どんな昔の表現ができましたか?
11 アブラハムの曾孫にあたるイスラエルの12支族の場合に,神権的な戦は特に著しく目立つてきました。ヱホバは,その友アブラハムの子孫たちをエジプトの圧制から解放するために,ただにパロとその当時の優秀な戦具に対して戦つただけではなく,神々に対しても戦つたのです。つまり,エジプト人たちの崇拝していた悪鬼の神々に対して戦つたのです。ヱホバはこう言われました。『私はエジプトのすべての神々に裁きをなそう。私はヱホバである。』キリスト前1513年の最初の過越しの夜に,亡びをもたらすヱホバの御使は,神々に捧げられていた長子をみな殺しましたが,その後になつてパロは敗北を認め,そしてイスラエル人は出てゆきました。このことについて,聖書には次のように書かれています。『エジプト人は,その間ヱホバのお撃ちになつて殺した者たちつまりすべての長子を埋葬していた。ヱホバは彼らの神々に裁きを行われた。』(出エジプト 12:12。民数紀略 33:4,新世)その選民が約束の地に行く途中に荒野を通つたその40年の旅行のあいだ,ヱホバは彼らのために戦いました。彼らを導いて約束の地に入れた後,そして救助者としてヱホバの起てられた裁き人の時代のあいだ,またイスラエルとユダの国の時のあいだ,ただ真の神だけが,その聖なる民のために戦いました。それで『イスラエルのために戦われたのはヱホバであつた。』という昔の表現が生じたのです。―ヨシユア 10:14,42; 23:3,10,新世。出エジプト 14:14。申命 1:30。ネヘミヤ 4:20。
12 (イ)そのような戦に参加することは,なぜ正しいことですか? それに関連して,罪とは何ですか?(ロ)ヱホバはそのような戦をどのように支持しましたか?
12 最高の神のすべての活動は義である故に,御自分の民のためにすべての戦を戦われても,それは全く正しいことでありました。御自身の敵やその民の敵を打ち負かして,亡ぼしたのは,死罪に相当する敵に裁きを執行されたことでありました。神は,御自分の民がこの処罰された罪人を亡ぼすのに参加するようにと命じまた。彼らの戦を神権的なものとして,彼らを刑執行者として用いられました。神の御意と命令に従つてなされたために,そのような戦に参加することは罪でもなく,また道徳的にも悪いものではありません。サウロ王の場合のように,罪とは命令を果さず,神を悦ばせないことにあります。エレミヤ記 48章10節にこう書かれています。『ヱホバの業を行うて怠る者は詛われ,又その剣をおさえて血を流さざる者は詛わる。』ヱホバは,その選民が世界侵略の途をとり始めて,世界勢力を確立させるという権威を与えられなかつたのです。しかし,ヱホバは彼らに命じて,彼らに与えるとお約束になつた土地の不道徳な,悪鬼崇拝の異邦人たちを亡ぼし一掃させたのです。彼らがこの神権的な戦の命令を従順に果したあいだ,ヱホバは彼らのために多くの奇蹟をなされました。彼らの戦いのときに,ヱホバは彼らを後押ししました。
13 どんな軍事的な理由のために,イスラエル人はいろいろな面でくるしみましたか? その戦に従順に参加した人は,どのように恵まれた人でしたか?
13 イスラエル人は,肉体的にも,宗教的にも,霊的にも,また国家的にも,苦しみをうけました。というのは,不純な悪鬼崇拝者たちがその地から全く清められ,神の御意がなし行われる時までに彼らは愛の心からの勇気ある従順に不足していて,この神権的な戦をしなかつたからです。従順に従つて,その戦に参加したイスラエル人は,ヱホバの軍に戦うと言われました。王サウロが巨人を殺したダビデに次のように言つたとき,それはたんなる諂の言葉ではなく,実際の真実であつたのです。『汝たゞわがために勇み,ヱホバの軍に戦うべし。』(サムエル前 18:17)カルメルの邑の女アビガルは,良く理解していたために,同じダビデに次のように言いました。『ヱホバ必らずわが主のために堅き家を立て給わん。こはわが主ヱホバの軍に戦うによる。』(サムエル前 25:28)ヱホバの軍人になることは,高い名誉と尊敬であつて,ヱホバはそれぞれの神権的な軍人とともに居ります。神の祝福は,その者の上にあります。今日でも,ヱホバのクリスチヤン軍人がおります。彼らは,ある点から見ると,イスラエル人のヱホバの軍人よりも大きな勇気を示します。これらヱホバのクリスチヤン証者たちは,イスラエルの戦士たちがしたような肉の殺人武器を用いたり,頼つたりしないからです。それに,『全能の神の大いなる日の戦』であるハルマゲドンの戦のときであつてさえも,彼らはそのような暴力の武器を用いて頼つたり,また私営の軍事小隊をつくることがないからです。ヱホバのクリスチヤン軍人についてなぜそうなのですか? しらべてみましよう。
潔められた戦士
14 その戦が聖なる故に,それに従事する人は,どのようにそれに備えましたか? ダビデとアヒメレクのあいだのどんな言葉のやりとりは,この問題について関係を持ちますか?
14 神権的な戦は聖なるものであり,その戦に従事する特権を持つ者たちは,その戦の神聖なる故に潔められます。神聖なる奉仕として,潔められた状態でその戦に近づき,従事しなければなりません。このことは,ヱホバ神の聖なる櫃のうつされていたノブの邑で,大祭司アヒメレクとダビデとのあいだに取り交わされた会話からも明白に分ります。ヱホバの祝福が,その軍人であるこの若者に注がれたため,王サウロはダビデにねたみを感じました。ダビデは,遂に死をまぬかれるために,已むを得ず逃げ,サウロの手の届かないところに去りました。道すがら忠実な若者たちに伴われて,彼は空復を感じ,無武装でノブに来ました。ダビデは,自分のためにも,またある場所に残した若者たちのためにも食物を欲しました。彼は大祭司アヒメレクにこう言いました。『「いま何か汝の手にあるや。わが手に五のパンか,あるいはなににてもあるところを与えよ」。祭司ダビデに答えていいけるは,「常のパンはわが手になし。されど,もし少者女より遠ざかりてありしならば聖きパンあるなり」と。ダビデ祭司に対えて言いけるは,「実にわが出陣の時の常のごとく,女われらより遠ざかり,常の旅なれど少者の器は潔し。ましてや,彼らの器は今日いかばかりに潔きぞや?」 祭司かれに聖きパンを与えたり。そはかしこに供前のパンの外はパンなかりければなり。すなわち,そのパンは下げる日に熱きパンをさゝげんとてこれをヱホバのまえより取されるなり。』― サムエル前 21:1-6,改定訳。
15 それについて神聖さを考慮すべきであると,イエスはどのように示しましたか?
15 主イエスは,この歴史的な出来事を証明して,次のように言つたときに,ここに神聖ということを考慮すべきであると示しました。『ダビデと彼の従者が空腹になつたとき,ダビデが何をしたか,読んだことがないのか? ダビデは神の家に入り,祭司のほかには自分も従者も食べてはならない供えのパンを食べたのである。』(マタイ 12:3,4,新世)この理由のために,アヒメレクは最初に,ダビデとその若者は少くとも1日のあいだ女から離れていたかと尋ね,ダビデはそれに肯定の答えをしたのです。しかし,ここでは,神聖ということはどのように含まれ関係していましたか? 出陣するということについてのダビデの答えには何が意味されていましたか?
16 ダビデと従者たちが女と交接していたならば,なぜ供えのパンを食べる資格を失うことになりますか? ダビデは,軍事遠征と比較することにより,その清いことをなぜ強調しましたか?
16 女から遠ざかつているということは,妻あるいは妻妾との性交から遠ざかるということでした。普通の時では,そのような正当な交接をしても悪いことではなく,資格を失うことではなかつたのです。しかし,ある事態,または奉仕が儀式上の清めを要求したときには,イスラエル人とその妻とのあいだの交接は,止められました。なぜ? なぜならば,そのような交接の後には儀式上男もその妻も両方とも次の日の夕方まで汚れていたからでした。モーセを通してイスラエル人に与えられた神権的な律法の中に,こう書かれていました。『人もし精の洩ることあらば,その全身を水にあらうべし。その身は晩まで汚るるなり。すべて精のつきたる衣服皮革などは皆水に洗うべし。是は晩まで汚るるなり。男もし女と寝ねて精を洩さば,二人ともに水に身をそそぐべし。その身は晩まで汚るるなり。』(レビ 15:16-18)それで,ダビデと彼の従者がその日に性交をしていたならば,まだ使われていない聖なる供えのパンをいただく資格はなく,食べることはできなかつたでしよう。王に仕える常の旅であると,ダビデは言いましましたが,それでも自分と従者たちは『出陣』する,つまり軍事の遠征に出かけているのと同じく,妻や妻妾たちと性交を行わず,儀式上から見て清いものであると言いました。軍事の遠征または戦争に出かけるには,その『器』つまり体の機構を儀式的に清めて,潔めをうける必要がありました。軍隊の上に神の祝福が注がれ,ヱホバの戦をする者たちに勝利が与えられるためには,戦の神権的な性質からしてこの種の潔めが必要でありました。それは聖なる奉仕でした。
17 イスラエルの陣営は,どのように清く保つべきでしたか? そしてなぜ?
17 儀式上,道徳上,そして肉体の上からも清めを保つことは,神権的の戦に従事したイスラエルの陣営に要求せられていました。イスラエル人に与えられたヱホバの律法は,次のように述べていました。『あなた方が陣営に入り,敵を攻める時は,あらゆる悪いことから遠ざからねばならない。あなた方の中に夜中に,起る汚れのために万一にも清くない人がいるならば,その者は陣営を出ねばならず,陣営の内に入ることはできない。夕暮に水で洗い,日没の後に陣営に入ることができる。陣営の外に目立たぬ場所を設けて用い,あなた方はそこに行かねばならない。器具と共に小鍬を備えて用い,陣営の外で便をする時は,それで穴を掘り,土を返して排泄物を覆わねばならない。あなた方の神であるヱホバは,あなた方を救い,敵をあなた方にわたすために,あなた方の陣営の中を歩かれておられる。故に,その陣営を聖いものにしなければならない。それはあなた方の中に汚れたものをヱホバが見ず,またあなた方に伴うのを止められないためである。』(申命 23:9-14,新世)ヱホバの御使いで代表される神の臨在が,明白に軍隊にともない,最終の勝利にと導くのであるならば,その陣営は神権的な標準にしたがい是非とも清さを保つべきでありました。
18 異邦人たちは,陣営の中やまた征服したときに,これとはどのように異つていましたか? このちがいは,ダビデ王の戦士,ヘテ人ウリヤによつてどのように説明されましたか?
18 それで,ヱホバの神権的な民の陣営は,異邦人の軍隊の陣営とは違つていました。異邦人の戦士たちが女に耽けるために,女を伴つて行くのが常でした。またあるところを占領すると,兵士たちは勝手気儘に婦人をつかまえ暴行を加えました。(イザヤ 13:16。エレミヤ哀歌 5:11。ゼカリヤ 14:2)今日でも,それと似たものがあります。軍営の後を売春婦たちがくつついて廻り,士官たちは近くに売春の場所を故意に設けて兵士たちの性欲を満足させるというようなことを読んだり聞いたりいたします。イスラエルの神権的な陣営の中では,このことは禁じられていました。彼らの行つていた戦争は,神権的なものであるために,聖なるものであり,戦士たちに潔めが要求されたからです。それで,たとえその妻や妻妾と行うものにせよ,女との性交は禁ぜられており,また彼らは自分から進んで,禁欲いたしました。この理由から,善意を持つていたヘテ人ウリヤは,ダビデ王の命令で戦場から召されたときに,エルサレムの自分の家に夜行かず,妻と一緒にならなかつたのです。ダビデ王は,戦役についての聖なる要求を無視して,ウリアになぜその夜自分の家に帰らなかつたのかと尋ねたとき,その忠義の兵は神権的にもこう答えました。『櫃とイスラエルとユダは小屋の中に住まり我が主ヨアブと我が主の僕は野の表に陣を取るに我いかでわが家にゆきて食い飲みし,また妻と寝べけんや。汝は生く,また汝の魂は活く。我この事をなさじ。』(サムエル後 11:6-11)ウリヤは,戦のために潔めを保ちたく欲しました。それで,その当座のあいだは,妻なきもののようでした。このことは,使徒パウロがクリスチヤンに語つたことを思い起させます。『兄弟よ,私はさらにこう言う。残る時はちぢまつている。それで,妻を持つ者は,あたかも妻の無いもののように。』(コリント前 7:29,新世)神権的な義務は,時折りにクリスチヤンを妻の側から召しますが,彼は答え応じなければなりません。
19 イスラエルの軍隊の神聖のために,捕えた娘で妻に欲する者たちについては,どんな手順が必要でしたか? 娘に婚約していた男は,なぜにまたどのように軍務から解除されましたか?
19 ある場所を攻略して,その男と処女ではない女を殺せとイスラエル人に命ぜられた場合に,彼らは自由勝手に生き残された娘を犯すことはできなかつたのです。そうすることは,淫行,不道徳をすることになり,軍隊を瀆します。イスラエル人が捕虜にした娘を欲しても,捕虜にしたとき直ぐその娘と関係をすることはできません。彼は次のように述べている律法に従い,神権的な戦のために身の潔めを保たねばなりません。『汝出でて汝の敵と戦うにあたり,汝の神ヱホバこれを汝の手にわたしたまいて汝これを俘虜となしたる時,なんじもしその俘虜の中に貌美しき女あるを見てこれを悦び取りて妻となさんとせば,汝の家の中にこれを携えゆくべし。而して彼はその髪を剃り,爪を切り,また俘虜の衣服を脱すてて汝の家に居り,その父母のために一月のあいだ哀哭べし。然る後なんぢ彼の処に入りてこれが夫となり,これを汝の妻とすべし。』(申命 21:10-13,新世)戦役が終り,その戦の潔めが全うされるまで,神の是認をうけてのこの性交は行われなかつたのです。軍隊に召された者が娘に婚約していたならば,1年のあいだ軍務をゆるされて,家に帰ることができ,その許嫁と結婚し,子供を持つことができました。それは,子孫を持つて自分の名を生き存らえさせ,子供を持たずに戦で殺されることのないためです。―申命 20:7; 24:5。
20 陣営にとつて,儀式上または道徳上の汚れより,何がもつと重要なものでしたか?
20 勝利の神ヱホバを立証することが危急存亡に瀕していました。神の目から見て非難の打ちどころがないように,またヱホバの絶えざる祝福によつて勝利を得るのにふさわしいように陣営を保つことの方が,儀式上や道徳上の汚れを犯し,戦役の潔めを破ることより,よりはるかに重要なものでありました。このことは今日ヱホバのクリスチヤン戦士の聖なる戦についても真であります。もちろん,モーセを通して昔のイスラエル人と結ばれたヱホバ神の律法契約は,今日のクリスチヤンには適用しません。それで,クリスチヤン戦士は,聖なる戦に加わつているからという理由で,その妻との性交を控える必要はありません。しかし,彼らの振舞は,道徳的にも霊的にも清いものでなければなりません。不道徳から遠ざかり,またこの世の一部になつて,霊的な姦淫をすることから遠ざかることは,この潔いクリスチヤンの戦に相応しくなければなりません。(ヤコブ 4:4)ヱホバの立証にあづかる彼らの立場は,危急存亡のものであり,そして清めの感化,つまり道徳的にも霊的にも清くなるという刺戟を彼らに与えます。
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神権的な軍隊に伴う祭司ものみの塔 1955 | 2月15日
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神権的な軍隊に伴う祭司
1 誰がいることによつて,イスラエル人の陣営は潔められましたか? 彼らがいることは,なぜ必要でしたか?
神権的な戦の神聖さは,神のこの奉仕をするのに,イスラエルの男の潔めを必要としました。彼らは,神の宇宙的至上権を擁護し,また偽りの神々を崇拝する者に発する神の義しい御怒りの刑執行者でありました。その故に,レビ族の祭司たちがイスラエス人の軍隊に伴うことが必要でありました。彼らがいるということは,ヱホバの軍隊に神聖を加えました。ヱホバの聖なる契約の櫃が幕屋または天幕に置かれて護られた時代に,ならわしとして櫃を軍隊の陣営に持つて行きました。櫃は,ヱホバ神がその戦闘軍勢と共にいるということを象徴したからでした。(サムエル前 4:4-6; 14:18,19。サムエル後 11:11)このためには,レビ人の祭司がどうしても陣営にいなければならなかつたのです。彼らだけにヱホバ神の櫃を持ち運ぶ権威が与えられていたからです。祭司ではないイスラエル人は,あるとき,車から櫃の落ちるのを防ごうと思い,櫃に手を触れましたが,そのために殺されました。レビ人の祭司が櫃を運んでいたならば,このことは起らなかつたことでしよう。(申命 31:9。ヨシユア 3:17; 6:4-11。サムエル前 4:4。サムエル後 6:6,7。歴代志略上 15:2-15,26)また,イスラエルの軍隊は交戦に直面すると,犠牲をヱホバ神に献げるのが通例でしたが,このためにはヱホバの予言者かレビ人の祭司のいることが必要でした。(サムエル前 7:9; 13:9)さらに,ある戦術を行う前に,神を恐れる軍事指揮官は,契約の櫃によるか,あるいは祭司の衣服,または大祭司の着ていた聖なるウリムとサミムによつてヱホバの助言を求めました。バビロンの王ネブカデネザルのような異邦人は,いろいろな形式の占いに頼りましたが,ヱホバの民は真の神であるヱホバに頼り,戦の指示を仰ぎました。(シシ記 1:1; 20:27,28。サムエル前 14:37; 23:2,6,9-14; 28:6; 30:8。サムエル後 5:19,23。エゼキエル 21:21)このためにも,ヱホバの予言者または祭司がヱホバの神権的な陣営とともにいることを必要としました。
2 戦の前に,何の目的のために,祭司たちは先頭にいるよう直接命ぜられましたか? 彼らは武器をとつて戦うことが必要でしたか?
2 聖地,約束の地にいたイスラエル人に次のいましめを与えたとき,ホヱバはその祭司たちが先頭に立つようにと特別に命ぜられました。『なんじその敵と戦わんとて出るに当り,馬と車を見,また汝よりも数多き民を見るもこれをおそるるなかれ。そは汝をエジプトの国より導き上りし汝の神なんじとともに在せばなり。なんじら戦に臨むときは祭司進みいで民に告げて之に言うべし。イスラエルよ,聴け,汝らは今日なんじらの敵と戦わんとて進み来れり。心に臆するなかれ,おそるるなかれ,あわつるなかれ。彼らにおづるなかれ。そは汝らの神ヱホバ汝らとともに行き,汝らのために汝らの敵と戦いて汝らを救い給うべければなりと。』(申命 20:1-4)ヱホバの直接の代表者,聖別された祭司が,戦闘の最先頭に立つて,このはげましの言葉をヱホバの戦の軍人に与えるということはもつとも適当なことでした。しかし,祭司たち自身が武器を取り,戦をすることは必要ではなかつたのです。
3 戦の合図に,なぜ祭司たちが軍隊にいることを必要としましたか? 実際には,この戦の合図とは何でしたか?
3 戦の会図を吹き鳴らすことのためにも,陣営の中に祭司たちのいることを必要としました。ただ祭司たちだけが戦の会図を与え敵にむかつて勝利の突撃をすることができました。モーセを通してなされたヱホバの教は次のようでした。『なんぢ銀のラッパ二本をつくれ。すなわち,槌にてうちて之をつくりこれを用いて人を呼び集め,また営を進ますべし。またなんぢらの国において汝らその已を攻むるところの敵と戦わんとて出る時は,ラッパを吹きならすべし。然せば汝らの神ヱホバ汝らを記憶て汝らをその敵の手より救いたまわん。……ラッパを吹きならすべし。しかせば汝らの神これに由て汝らを記憶たまわん。我は汝らの神ヱホバなり。』(民数紀略 10:2,8,10)この2本のラッパを用いることについての聖書の記録によつて,誰が吹きならした者であるかが分ります。それはレビ人の祭司たちでした。戦の会図を鳴らして,ラッパの音が響きわたると,全軍は活気づけられ,軍の隊伍は活動を始めました。ラッパの音は,上からの援助を求めるものでした。それは祭司の鳴らした音であるため,神に彼らとともに行動し,彼らに勝利を与えるよう注意を促したもののようでした。
4 ミデアン人に対するイスラエルの勝利は,どんな原因によりましたか?
4 荒野でさまよつた40年の終りに近づいて,イスラエル人は,約束の地の邑エリコの手前,ヨルダン河のこちら側のモアブの平野に来て,営を張りました。モーセは,この場所から1万2000人の軍勢を遣して,悪鬼崇拝のミデアン人と戦わせました。聖書の記録は,こう述べています,『モーセすなわち各の支派より千人づつを戦争に遣し,また祭司エレアザルの子ピネハスに聖き器と吹き鳴らすラッパをとらしめて之とともに戦争に遣わせり。彼らヱホバのモーセに命じたまえるごとくミデアン人を攻め撃つ。』(民数紀略 31:1-7; 22:1)ヱホバにむかつてなされたラッパの響は,勝利をもつて答えられました。
5 軍事的などんな不利の状態で,ユダのアビヤ王はイスラエルのヤラベアム王と向き合いましたか? しかしアビヤにはどんな大切な附加の援助がありましたか?
5 ヱホバの敵に対してなされたその神権的な戦争から幾世紀も後に,約束の地にいたイスラエルの12支族の国は二つの国に分けられました。つまり,ユダの国とイスラエルの国でした。あるときは両方の王の軍隊は戦場で向い合いました。ユダの国の王アビヤは,神に忠実を保ち,40万の軍勢をもつて,その2倍にあたるイスラエルの王ヤラベアムの下の偶像崇拝者たち80万と敵対いたしました。しかし,ユダのアビヤ王は,40万人の戦士以上のものを持つていましたが,彼は敵勢にむかつて次のように訴えたとき,その非常に大切な附加の援助について述べました。『されど,われらにおいてはヱホバ我らの神にましまして我らはこれを棄てず,またヱホバに事うる祭司はアロンの子孫にして,役事をなす者はレビ人なり。……視よ,神みづから我らと共にいまして我らの大将となりたもう。またその祭司どもはラッパを吹きならして汝らを攻む。イスラエルの子孫よ,汝らの先祖の神ヱホバに敵して戦うなかれ。汝ら利あらざるければなりと。』
6 生じたところの危険な状態にあつて,アビヤ王の軍勢はヱホバにより頼んでいたことをどのように示しましたか? そしてヱホバはどのようにそれを立証しましたか?
6 この訴えの言葉は,敵には役立ちませんでした。戦が始まると,アビヤ王の軍隊は伏兵をうけていて,状勢は危険でした。しかし,神の助けは,ラッパに答えて来ました。聖書の記録は,こう述べています。『ユダ後を顧みるに敵前後にありければ,ヱホバにむかいて呼ばわり,祭司どもラッパを吹けり。ユダの人々すなわち吶喊を挙げけるがユダの人々吶喊を挙ぐるにあたりて神ヤラベアムとイスラエルの人々をアビヤとユダの前に打ち敗り給いしかば,イスラエルの子孫は,ユダの前より逃げ走れり,神かく彼らを之が手に付したまう。』それでは,なぜこの聖なる勝利が来ましたか? 聖書の記録の中で,ヱホバはこのように答えています。『このときには,イスラエルの子孫打ち負され,ユダの子孫勝を得たり。是は彼らその先祖の神ヱホバを頼みしが故なり。』祭司が聖なる銀のラッパを吹き鳴らしたことは,ヱホバにより頼んでいるという記念,覚えとして響き渡りました。ヱホバに確信を持つ一致した吶喊,ハレルヤ!は,その戦士たちの口から轟き出ました。ユダの軍勢は,神の勇気に皷吹され前と後ろの敵に突撃しました。そして,ヱホバは勝利を与え,彼らのより頼んだということを立証いたしました!。―歴代志略下 13:3,10-18。
7 エルサレムが,モアブ人,アンモン人そしてセイル山の人の軍隊で危険になつたとき,ヱホバは誰を用いてその音信を述べられましたか? それは何と述べましたか?
7 神権的な戦の神聖さということと,また軍勢に関連してヱホバはどのようにその献身したレビ人の支派を用いられたかを示す別の例証は,国の非常危急の時に起りました。悪鬼崇拝者たちの連合軍勢,つまりモアブ人,アンモン人,そしてセイル山の人々は,ユダの荒野を通つて攻め寄せ,エルサレムの聖都を攻撃しようとしていました。王ヨシヤパテは,国中に断食を布告し,すべての民をエルサレムの宮に集めました。王ヨシヤパテはすべての男,女,子供たちにおごそかな気持ちで訴え,ヱホバに祈りを捧げました。そのとき,ヱホバは,危機に臨むに際し,慰めと指示を与える御自身の代弁者を選ばれました。聖なる人,レビ人の歌い手ヤハジエルが選ばれ,ヱホバは聖霊を注ぎ,彼を感動してこう言わせました。『ヱホバかく汝らに言いたもう。この大衆のために懼るるなかれ,おののくなかれ。汝らの戦にあらず,ヱホバの戦なればなり,なんぢら明日彼らのところに攻めくだれ。……この戦には汝ら戦うにおよばず。ユダおよびエルサレムよ,なんぢらただ進みいでて立ち,汝らとともに在すヱホバの救を見よ。おそるるなかれ,おののくなかれ。明日彼らの所に攻めいでよ。ヱホバ汝らと共に在せばなりと。』
8 彼らがこの状況に会う神聖さはどのように示されましたか? 神聖さに強調が置かれたことは,なぜ間違つてはいませんでしたか?
8 翌朝,彼らはこの言葉に従つて,都の防壁から出て,殺倒する敵と会しようと進軍しました。しかし,どのように? 祭司たちの手に持つ2本の銀のラッパはたずさえて行かず音を吹きならすことはなかつたのです。吶喊をあげてモアブ人,アンモン人,そしてセイル山の民に突撃することはなかつたのです。彼らは,この戦闘に戦う必要がなかつたのです。それは聖なる戦でした。それは彼らの戦ではなく,神の戦でした。彼らが出かけて行つたときに,軍勢の総指揮官である王ヨシヤパテは申命記 20章5-9節に従い,立ちて,進軍する者たちをいましめ,こう言いました。『なんぢらの神ヱホバを信ぜよ。さらば,汝らかたくあらん。その予言者(ヤハジエルのような)を信ぜよ。然らば汝ら利あらん。』と同時に,彼らのヱホバへの信仰と確信を強めるために,ヨシヤパテ王はヤハジエルとその仲間のレビ人の歌い手に聖き衣をつけさせ,行進する軍勢の最先頭に置きました。ラッパの音にひきつづく吶喊をあげる代りに,これら聖なるレビ人たちは『ヱホバに感謝せよ。その恩恵は世々かぎりなし。』と歌を歌いながら進軍して行きました。ヨシヤパテ王と軍勢は,次位の地位をしめて従つて行きました。戦争の神聖さに,この強調を置いたことは,間違つてはいなかつたのです。聖書には,こう書かれています『その歌を歌い,讃美をなし始めるに当りて,ヱホバ伏兵を設け,かのユダに攻め来れるアンモン,モアブ,セイル山の子孫をなやまし給いければ彼ら打ち敗られたり。すなわち,アンモンとモアブの子孫起ちてセイル山の民にむかい,ことごとくこれを殺して滅ぼししが,セイルの民を殺しつくすに及びて彼らもまた力をいだしてたがいに滅しあえり。』荒野のものみの塔に来たとき神権的な行列は,行われたところの殺戮を見ました。
9 彼らはどのようにヱホバの勝利を祝いましたか? ヱホバの勝利によつて,昔の世は何を知りましたか?
9 彼らのすることは,ただ死体から戦利品を取ることだけでした。このことを3日間して後に,彼らはベラカの谷に集まり,ヱホバを崇め,それから聖なる音楽を奏して彼らはエルサレムとその宮によろこんで戻つて来ました。『そはヱホバ彼らをしてその敵の故によりてよろこびを得させたまいたればなり。』不敬虔な侵略者に対するヱホバの聖戦の結果は何でしたか? 聖書の記録は,こう答えています。『諸々の国の民ヱホバがイスラエルの敵を攻め撃ちたまいしことを聞きて神を畏れたり。』(歴代志略下 20:1-29)昔の世は,ヱホバが平和主義者ではなくして戦をする方であると知りました。しかも戦つていつも勝たれる方であり,私たちは彼を恐れるべきであります。神に反対して戦う者は災いです。彼らは敗け戦をしています! しかし,ヱホバの戦争を戦うものは,そうではありません。これらの者たちとは,クリスチャンの神権的な戦に全く自らを捧げる者たちです。彼らはただこの戦のためだけに潔めをうけています。なぜならば,その戦は聖いものであり,宇宙の聖者によつて権威を与えられ,また彼によつて支持され,勝利を必らず得るからです。
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泰国からの報告ものみの塔 1955 | 2月15日
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泰国からの報告
ある一青年はバンコックの宣教者と共に研究を始め,燃えるような熱心さを示しましたが,友達の殆んどは彼を見捨てて,仏教に対する反逆者だと非難したにもかかわらず,そうし続けました。もう一人の友達は ― この人はカトリックでしたが ― この青年が御国会館に出席するのを思い止めようと工作していました。『それなら,何故私をあなたの教会に連れていつてくれないのですか?』と仏教徒が尋ねました。「仏教徒を改宗する」というこの機会に,カトリックのこの信者は応えましたか? いいえ。その代りにやがて,聞いた新しい知識に感動されて,伝道を始め,遂には自分の友達をも御国会館へ来るように納得させました。今でも二人とも規則正しい出席者となつて,円熟へと邁進しています。その一人は彼の始めての研究生の話をしました。以前カトリック信者であつたものは,聖書の教えについて,以前の仏教徒よりも,もつともつと学ばなければならないと感じています! ―1955年のエホバの証者の年鑑より。
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