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国連の二つの決議が意外にもねじ曲げられたてんまつ目ざめよ! 1977 | 2月8日
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れていますか。真に「致命的な型」が見られるでしょうか。それともこれらの決議は,実際には無力の,むなしい政治的な宣言に過ぎないのでしょうか。すでに述べたとおり,時がたってみなければそれは分かりません。
しかし人権委員会の討議は,宗教に対するある根深い感情を確かに示しています。これは考慮に値するものです。また今起きている出来事のために,教会は民主主義の西側世界からさえも次第に厳しさを加える批判の矢面に立たされています。次の記事の中でこの傾向およびそれが宗教の将来にとって何を意味するかに注目します。
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国連の攻撃にさらされる宗教の将来目ざめよ! 1977 | 2月8日
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国連の攻撃にさらされる宗教の将来
宗教は前述の決議の,無実で無力な被害者に過ぎないと全く正直に言えますか。それとも率直に言って世界の諸宗教には国連の代表団から疑いの目で見られても仕方のない点がありましたか。例えば,キリスト教を唱える世界の諸宗派の中で,キリストの定めた標準に全くふさわしく行動してきたものがどれだけありますか。人権委員会はその討議の最中に幾つかの歴史的な論争点を取り上げました。公正な人はそれを考慮することを確かに望むでしょう。
例えば,1973年のこと,ウクライナ共和国の代表は,「何かの宗教が他の宗教の人々に対して行なった圧制,聖戦,流血行為の歴史上の例は枚挙にいとまがない」と断言しました。またアラブ諸国の一代表は,18世紀の「貿易に聖書と,貪欲な搾取者の国旗が伴っていたこと」9 を指摘しました。他の代表も宗教の悪弊について同様な発言をしています。
しかし歴史に残る宗教の悪行について発言したのはソ連圏および他の二,三の国だけではありません。例えば,オランダ代表は,「宣教師が時に嘆かわしい行為をしたこと,またキリスト教の教会が植民地主義と結びつきのあったこと」10 を認めました。また1975年度の討議の中でフランス代表は,「新教徒が旧教徒に迫害されたフランスの歴史と,その結果,諸国民,諸国家間になお憎しみが残っている」11 ことを認めました。
今日の宗教は潔白か
暴力に訴える宗教的熱情は,現代という時代の感化と啓発によってさまされてきましたか。大きな発行部数を持つ二つの新聞の最近の論説記事のさし絵を見れば,その答えは一目りょう然です。
そのひとつにはがい骨の顔をした恐ろしい刈り手が描かれ,その黒衣には「宗教の殺りく」の文字が大きく染め抜かれています。累々たる犠牲者を描いた下には「史上最大の世紀であった」という言葉が読めます。
もう一つのさし絵はピューリツァ賞を獲得したもので,レバノンにおける悲劇的な殺りくを描いており,兵士たちが銃声を響かせながら叫んでいます。「アラーのために一発!」「聖母マリアのために一発!」「モハメッドのための弾丸を受けよ!」「イエスのために一発!」
しかしこれはレバノンだけのことではありません。ニューヨーク・タイムズ紙の外交問題専門家C・L・ザルツバーガーは次のように書いています。「いま世界各地で行なわれている戦争のおそらく半分かそれ以上は公然たる宗教戦争か,さもなければ宗教紛争のからんだものである」。12 またAP通信社のジョージ・W・カーネルも,「世界の諸宗教は平和,正義,愛を教え」ていながら,しかも宗教が「世界のおもな戦争の大多数になお大きな役割を果たしている」13 ことに注目しています。
回教徒が“キリスト教徒”に敵して戦うレバノンの悲劇に加えて,これら二人の寄稿家がその告発を裏づけるために挙げている宗教関係の紛争地点の幾らかに注目してください。
北アイルランド ― カトリック教徒 対 新教徒。
中東 ― ユダヤ教徒 対 回教徒。
キプロス ― ギリシャ正教徒 対 回教徒。
フィリピン ― 回教徒 対 カトリック教徒。
エチオピアではエリトリアの回教徒がコプト派のカトリック教徒と戦っています。神の名において行なわれているこのような悲劇的な殺りくを評価して,回教徒の元レバノン首相が胸を刺す次のような言葉を述べたのも,そんなに前のことではありません。「もし回教が殺人を許すならば,わたしは回教徒でありたいとは思わない。殺すことがキリスト教では許されているとすれば,わたしはキリスト教に反対である」。14 神にこのような汚名を着せる宗教には確かに重い責任があります。
このすべてに宗教の果たしている役割は,公正な人が見過ごすことのできないものです。戦争と流血を生み,あるいは容認することによって世界の平和と安全を損なってきたおもな要素は常に宗教的悪弊ではありませんか。そうであるのに,タイムズ紙のザルツバーガー氏が注目しているように「戦争の原因」の中でも宗教的激情は「無視される傾向」があり,ゆえに「それは例えば国連における特別な研究に値するのではないか」と同氏は問いかけています。
何が起こるかを知ることができるか
国際間の平和と安全を損なうことに世の宗教の果たしている役割が,寄稿家ザルツバーガーの提案するように国連の取り上げるところとなるでしょうか。それは時がたたなければ分かりません。しかし国連が将来どんな行動をとるにしても,世の宗教が暴力に傾いていることを示す記録が,宗教に有利なものでないことは確かです。
しかし国連の下で宗教の将来がどうなるかを確かに知る方法があります。例えば,現在,国連として知られている複合的な政治機構の存在が,ほとんど19世紀前に正確に予告されていたことをあなたはご存じでしたか。国連の前に同様な機構が存在したという事実さえも預言されていました。それは国際連盟です。
疑いなくこれはどちらかといえばこじつけのように聞こえることでしょう。しかしまず証拠を検討してください。その情報のほとんどは聖書の啓示 17章にあります。たぶんご存じのように,啓示の書には将来の出来事を表わす多くの象徴が用いられています。3節と10節そして11節には,七人の「王」の続いた後に現れる「八人目の王」を描くのに七つの頭と十本の角を持つ象徴的な「野獣」が使われていることに注目してください。これらの「王」とはだれのことですか。
これら「七人の王」について,10節には「五人はすでに倒れ,ひとりはいまおり,他のひとりはまだ到来していない」と述べられています。興味深いのは,聖書歴史と結びつく五つの世界強国,エジプト,アッシリア,バビロン,メディア・ペルシャそしてギリシャがその当時までに「倒れ」ていたということです。六番目のローマは,啓示の時代に存在していた「ひとり」でした。
七番目の「王」となったのは英米二か国から成る世界強国です。預言の示す通り,神聖ローマ帝国の時代から英米世界強国に至るまでの間には,世界的規模の「王」は別に「到来」していません。11節は次のように述べています。「そして,かつていたがいまはいない野獣,それ自身は八人め[の王]でもあるが,[その七人]から出(る)」。「八人めの王」はどのように「[その七人]から出」るのですか。明らかにそれは以前の七つの世界
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