ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 事実はどんなことを示しているか
    目ざめよ! 1982 | 6月22日
    • 事実はどんなことを示しているか

      宗教 ― 平和を促す力? それとも戦争を促す力?

      世界は全体として平和に見えますが,「世界中で20以上の小さな戦争の火が上がり,猛威を振るい……幾千幾万もの人命を奪っている」とAP通信の特電は述べています。さらに詳しく調べてみると,「世界中で現在行なわれている戦争のほぼ半数以上が明らかに宗教的な紛争であるか,宗教的な紛争とつながりがあるという暗い真実」が明らかになる,と新聞のコラムニスト,C・L・サルズバーガーは語っています。例を挙げてみましょう。

      十字軍の戦場の一つであったレバノンでは,キリスト教とイスラム教の政治分子がいまだに干戈を交えており,AP通信の特電はそれを「古くからの敵意に根ざす戦争」と呼んでいます。戦闘は主にマロン派キリスト教徒とスンニー派イスラム教徒との間で行なわれています。しかし,ギリシャ正教会や東方帰一教会の信者やシーア派イスラム教徒や秘密ドゥルーズ教徒も関係しています。1975年以降の死者の総数は少なくとも4万2,000人に達しています。同国の大きさを考えれば,これは歴史上最も血生臭い内乱の一つと言えるでしょう。

      「北アイルランドで宗教の名において人々が殺し合いをした結果,12年間に2,079人の人命が失われた。そのうちの144名は警察官である」とロサンゼルス・タイムズ紙は述べています。根底にあるのは公民権の問題 ― 少数派のカトリック教徒の権利対多数派のプロテスタント信者の権利 ― ではあると言うものの,宗教が大いに関係しており,いずれの側も軍事的な解決策に訴えてきています。その結果,国土は,「のどかな孤立した所,厳格な道徳規準の拠点であった所から,暴力的な言動により堕落させられ,変えられて,欲望の赴くままの生活をする,20世紀半ばの社会へと」変革させられていった,とバリー・ホワイトはトロント・スター紙に書いています。

      フィリピンでは,「国防省が二人のフィリピン人“反乱”司祭を捕らえた者に,その司祭の生死にかかわりなく各々につき4,000㌦(約88万円)の懸賞金を出すと言っている」とニューヨーク・タイムズ紙は伝えています。別のニュースの特電は,「4人のローマ・カトリックの司祭が教区を見捨て……共産主義者の反乱軍を率いて政府軍と小競り合いを演じているのが目撃された」と伝えています。北部で「活動家の司祭たちが銃を携行している」のに対し,ニューズウィーク誌によると,南部のイスラム教徒はカトリックによる多数派支配に反対する“聖戦”を行なっています。

      宗教の関係した紛争は,決してこれらのわずかばかりの地域に限られているわけではありません。キプロスではトルコ人とギリシャ人の間に,インドではヒンズー教徒とイスラム教徒の間に,中東ではアラブ人とイスラエル人の間に,ビルマではクリスチャンと仏教徒の間に,エジプトではイスラム教徒とキリスト教徒の間に争いが見られます。また,中南米の政治運動やゲリラ活動には僧職者が一枚加わっています。言うまでもなく,このような戦争には他の様々な要素も関係しています。しかし,どうして宗教が関係しているのでしょうか。また,宗教はどうしてそうした戦争をやめさせることができないのでしょうか。

  • なぜ宗教が関係しているのか
    目ざめよ! 1982 | 6月22日
    • なぜ宗教が関係しているのか

      宗教 ― 平和を促す力? それとも戦争を促す力?

      戦争に宗教が関係しているという否定しようのない現実に接すると,どうしてだろうか,という疑問が必然的にわいてきます。宗教にではなく,その宗教の教える事柄を実践していない人々に問題があると考える人は少なくありません。各々の宗教の信条を自分の日常生活に当てはめる人が増えれば,平和を実現できるとそうした人々は考えています。

      この説には一理あるかもしれませんが,宗教戦争に加わる人々の多くは,通常の戦争の兵士も顔負けの熱意と信念を持ってそうすることを見過ごしてはなりません。

      過去幾世紀にもわたって,“聖戦”あるいは“義戦”という概念は多くの宗教の追随者に計り知れない影響を及ぼしてきました。キリスト教世界の十字軍と,それに対するイスラム教徒の聖戦<ジハド>はその顕著な例です。十字軍を推し進めた者たちは自分たちの論議を裏付けるものとして必ずと言ってよいほど聖書に言及しました。しかし,歴史家たちは,「初期教会において広く受け入れられていたのは,戦争は組織的な罪悪であって,教会もキリストの追随者たちも戦争と少しもかかわりを持つことはできないという見方であった」ことを認めています。―ヘースティングの「宗教・倫理の百科事典」。

      ところが後代になって,アウグスティヌスやトマス・アクィナスのような著名な教会指導者たちが“義戦”を支持する強力な論議を繰り広げました。「キリスト教の信仰と戦争の実践を最初に大々的に結びつけたのはアウグスティヌス(西暦400年代初期)であった」と,神学の教授であるロバート・カルバーは「今日のキリスト教」誌に書いています。これは「その当時から今日に至るまで,同教会から枝別れした主要な宗派すべての標準的な立場になって」きました。

      “義戦”あるいは“正当化された戦争”の教理はそもそも,必要とあらば警察・法廷・刑務所・絞首台などの強制的な手段によって不完全な社会における法と秩序を維持する務めや権力が,神から支配者たちに与えられているという前提から出ています。この論議に従えば,国家の平和と安全を維持するためには,必要とあらば陸海軍やその他のいかなるものでも用いることが正当化されます。

      このような教理が支配者階級から大歓迎を受けた理由は容易に理解できます。しかし,この教理は一般の人々にも受け入れられました。この教理のおかげで庶民は良心上の決定を下すという重荷から解放されたからです。国の言う通りのことを行なっていればよかったのです。実際のところ,協力することによって,自分は神のご意志を行なっている,あるいは神は自分の側におられるという気持ちになることができました。戦争に加わっている兵士はだれしも事実上このように感じているのではないでしょうか。

      千年王国に関する誤った教え

      「しばしばメシア的な性格の人物に率いられる,

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする