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良心および権威への服従ものみの塔 1962 | 12月15日
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をもたらす神の御国の側に立つことを決定しました。
40 (イ)どんな日が近づいていますか。どの夜がふけていますか。(ロ)ゆえに私たちは権威に関して,どんな暗やみのわざをしませんか。
40 「夜はふけ,日が近づいている。それだから,わたしたちは,やみのわざを捨てて,光の武具を着けようではないか」。(ロマ 13:12,新口)1914年以来,キリストの千年統治の日は,今までよりずっと近づいています。そして,目に見える組織制度を持つ悪魔の支配の夜はふけています。いまは私たちが「やみのわざ」にふけるべき時ではないことは常識からもはっきり分かります。悪心を持つ人々が,「剣」を帯びる「上なる権威」の怒りにみちた報復を恐れるため,暗やみにかくれて行なうようなわざに私たちはふけるべきではありません。どんな事情であろうとも,私たちは秘密の政治的な陰謀に加わるべきでなく,また自衛の戦いをしている政府を妨害するべきでなく,あるいは反乱や革命を起こすべきではありません。第一世界大戦と第二世界大戦中,多数のエホバの証者は,うしろぐらい陰謀を試みたと非難されました。しかし,法律に従う正しい訴訟の結果,そのような非難はことごとく偽りであることが判明しました。なぜそうですか。なぜなら,私たちは政治に介入しないからです。
41 私たちがいま行なっている戦いについて,パウロは何と言いましたか。
41 私たちは,私たちのしている戦いを知っています。それは血肉に対する戦いではありません。それは人間の「上なる権威」に対する戦いではありません。使徒パウロは,次のように語りました,「悪魔の策略に対抗して立ちうるために,神の武具で身を固めなさい。わたしたちの戦いは,血肉に対するものではなく,もろもろの〔霊的な〕支配と,〔霊的な〕権威と,〔霊的な〕やみの世の主権者,また天上にいる悪の霊に対する戦いである」。―エペソ 6:11,12,新口。
42 したがってパウロの示しているように,クリスチャンが権威に従いながら,持つことを許されているのはどんな武器ですか。また何を擁護し,何に敵対するために,この武器を使いますか。
42 したがって,私たちは共産主義の東ドイツにいたドイツの新教徒のように板ばさみの苦境に立たされません。(1960年8月8日号の「目ざめよ!」〔英文〕12-15頁)暗やみに対し,悪魔の策略に対して戦うために,私たちは霊的な「光の武具」を着けています。クリスチャンは,「上なる権威に服従」するとき,この種の武具を着けることが許可されています。クリスチャンは他の種類の武具を着けることを命ぜられていません。またこれらの武具を着けるクリスチャンは,愛についての神の律法をも破らず,また他の人を害しません。(ロマ 6:13。コリント後 6:7; 10:4)これらの武具は,不道徳,殺人,強奪の暗やみに対して戦います。それは,すべての国の人を啓発するために戦います。かくして,彼らも,祝福を受ける神の御国の側に立つことができます。
43,44 (イ)私たちはどのように振舞うべきですか。そのようにしてだれとの争いを避けますか。(ロ)このような行いによって,私たちはだれをも喜ばせますか。また何を危険にしませんか。
43 これが「光の武具」の目的であることは,使徒の次の言葉からも明白に分かります,「宴楽と泥酔,淫乱と好色,争いとねたみを捨てて,昼歩くように,つつましく歩こうではないか。あなたがたは,主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない」。―ロマ 13:13,14,新口。
44 国の権威やすべての者が私たちを見ることのできる昼歩くように,つつましく歩くことによって,私たちは「上なる権威」と衝突しません。なぜなら,私たちは良い,平和に満ちた道徳的な振舞を要求する彼らの法律を破らないからです。もし私たちがそのような法律に反する行いをするなら,地的な権威をよろこばせることはできません。まして,そのような行いをするなら,最高の神をよろこばすことができません。しかし,昼歩くように,つつましく歩くことによって,剣を帯びる「上なる権威」から賞賛を受けるにふさわしいものとなります。また,私たちは私たちの神,彼の真理,および彼の会衆にそしりをもたらしません。また,神の御国による救いを失う危険もありません。
45 「主イエス・キリスト」を着る私たちは,暗黒のしわざに対してどんな立場をとりますか。私たちに敵対して何が使われることはありませんか。
45 イエスが地上におられたとき,彼は暗いもの,宴楽,泥酔,淫乱,好色,争いとねたみ,そして肉欲の追求をはかる人々のするような行いをしませんでした。これらの人々は肉欲をみたすことを意識的に計画します。それで,私たちが「主イエス・キリストを着る」なら,そして彼のごときさまを人々に示すなら,私たちはそのような暗やみのものから遠ざかります。私たち自身のためにも,私たちのクリスチャン兄弟のためにも,私たちは「光の武具」をもってそれらのものと戦います。私たちはそのようにして,私たちの伝道する神の御国の良いたよりを飾ります。この特別な面においても,私たちが服従している「上なる権威」が,私たちに対して「剣」を使用する理由はまったくないはずです。
46,47 (イ)いつまで私たちは「存在している権威」に従いますか。どのように従いますか。(ロ)良心的に服従することによって,預言者ダニエルの場合と同じく,私たちは何を保つことができますか。
46 私たちはロマ書 13章に従い,「存在している権威」が来たるべきハルマゲドンの宇宙的な戦争で滅ぼされるまで,それに従いつづけます。どの政党が権力を得ようと,あるいはどの政治的な群れが政権をとろうと,私たちは彼らに従います。
47 このように,私たちは「存在している権威」に良心的に服従することにより,この世のすべての国の政治的な運動や戦いに対して,クリスチャン中立を保つことができます。私たちは予言者ダニエルのようです。メデア ― ペルシャ人の征服者ダリヨスとクロスが悪いバビロンを滅ぼして後,ダニエルは彼らに反対せず,むしろ服従しました。―ダニエル 5:26から6:5まで。
48 (イ)ゆえにクリスチャンの中立を守る者として,私たちはどんな事に参加しませんか。(ロ)神の新しい世において,愛の心から従う人々にとってはどんな事に問題がありませんか。
48 中立を保つクリスチャンとして,私たちは反逆,暴徒,無政府主義,あるいは他の治安妨害に参加しません。来たるべきハルマゲドンの戦いでも,私たちは「存在している権威」に反抗して,その滅亡を早めようとしないでしょう。私たちは,一切の権威のみなもとなる神が「存在している権威」から支配権を取りさり,その跡に御子イエス・キリストの正義の御国がはいるようにします。(歴代志下 20:15-17。ダニエル 2:44)そして,神の新しい世では,クリスチャン良心と王イエス・キリストに対する従順ということについて,難問題はひとつもないでしょう。なぜなら,「キリストは……天使たちともろもろの権威,権力を従えておられるのである」。(ペテロ前 3:22,新口)神の御心にしたがい,愛の心から王に従い,かつ神の完全な取決めを支持する,楽園の地上に住むすべての人に,永遠の祝福は天から注がれるでしょう。
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神の過分の御親切から恵みを受けてものみの塔 1962 | 12月15日
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神の過分の御親切から恵みを受けて
エエロ・ニロネンの経験談
全宇宙の創造者,その偉大さは諸天の天も容るるに足らずといわれるエホバ神が,私たち微小な人間に親切を示されるとは,なんと素晴らしいことではありませんか。深い愛のうちにエホバは,私たちがエホバを知り,その崇高な属性を理解するのを許しておられるのです。エホバは私たちが勇気と希望を抱くに十分な理由をそなえられ,さらに,私たちが神の同労者として共に働くようにも招待されているのです。なんという親切,なんと過分のご親切ではありませんか! 神が示されたこの過分のご親切を知った事,それこそ,私の生涯の針路を決定したものでした。
私はフィンランド,マーンテハリューの屋敷に住んでいた小さな頃から,神が親切にも人間の喜びのために造られた自然の美しさに感じて,創造者に対する畏敬の念を抱いていました。しかし私の周囲にあったどの教会も,私がその活動に生涯をうち込んで働き
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