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    ものみの塔 1956 | 9月15日
    • 正しい戦争をなす

      『私たちの戦の武器は,肉のものではなく,神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。』― コリント後 10:4 新口。

      1,2 今日,戦争の行われる原因は何ですか。

      ヱホバの御言葉の中に,次の言葉が書かれています,『天が下の万の事には期あり,万の事務には時あり。……戦うに時あり,和ぐに時あり。』幾世紀にも互つて,諸国家はたがいに戦争を行つてきました。それは,全き終が現在の組織制度に来る以前の期間中に,戦争や戦争の噂があるであろう,と言われたキリストの予言通りです。私たちは今,ながく待つていた世紀の最高潮に住んでいます。いまは地上から平和が取り除かれた時です。―伝道之書 3:1,8。

      2 戦争の災や悲しみ,残酷さと野蛮さはみな神のもたらしたものである,と信じるように教えられましたか。愛,智そして恵みの神が,戦争にともなう浪費,破壊,貴重な生命の損失をもたらすでしようか。そのように考えるのは道理にかなうでしようか。決して,そうではありません。ヤコブ書 3章14-16節,4章1-4節によると,貪欲,争い,戦争そして不一致は,すべて『この世の神』なるサタン悪魔の始めたものです。このサタン悪魔はヱホバに反逆している者で,力を得ようとする貪欲な気持からこの地に破壊をもたらしています。悪魔が諸国民を支配しているということは,諸国民の考え方に明白に反映されています,『彼らは小き者より大なる者に至るまでみな貪婪者なり。又予言者より祭司にいたるまで皆偽りをなす者なればなり。』彼らは全く堕落しています。そして,牧師たちは,諸国家の戦争に神の祝福があるようにとの祈りを捧げ,神の御言葉よりも国家の利害や宗教的な利害を大切に重んじている程です。かつ『平康からざる時に平康平康と言えり。』― エレミヤ 6:13,14。

      3 私たちは,なぜ聖書によつて導かれるべきですか。

      3 この世界の混乱の只中にあつて,正直な心を持つ人の従う最善の道とは何ですか。群衆と行動を共にしますか。または私たちの為に,より良い,より勝れた道が示されていますか。聖書の諭しの言葉によると,天が地よりも高いように,ヱホバの道と考えは私たちの道や考えよりもずつと高いのです。私たちはヱホバの道に十分の考慮を払い,軽んじて棄てるようなことをしてはなりません。正しい種類の戦についての聖書の言葉を真剣に考え,それが諸国民の道よりもずつと実際的であることを知りなさい。自分勝手な道に従う者の終末については,多く述べられています。彼らは人類に対して犯罪を行いながらも,まつたく無感覚になり,恥を感じないため赤面することもしません。『彼らは倒るる者と共に倒れん。我来るとき彼ら躓かんとヱホバ言い給う。』なぜですか。なぜなら,彼らは生命の血の神聖さに関するヱホバの律法,すなわち虹の契約を破り,そして,諸国民と軍隊の上にヱホバの烈しき怒りをもたらしたからです。(エレミヤ 6:15。イザヤ 34:1-4)現在まで行われたすべての戦争の結果は,確かな平和をもたらしていません。軍備を必要とする不安定なやりくりだけだつたのです。

      4 霊的な戦とは何ですか。

      4 諸国家の戦争は血肉に対するものです。しかし,クリスチャンたちは霊的な戦をせよと聖書は教えています。神の目的を成就するために『私たちの戦の武器は肉のものではなく,神のためには……力あるものである。』この霊的な戦を行い続けるためには,その戦をなす理由と,また何に対して戦つているかを知らねばなりません。これは全く血肉の戦でもなければ科学の優れた破壊武器を用いることにより主権を得ようとする戦でもありません。エペソ書 6章の中で,パウロはこう語つています,『私たちの戦いは,血肉に対するものではなく,もろもろの支配と権威と,やみの世の主権者,また天上にいる悪の霊に対する戦である。』といつて,私たちは今日の人間の政府に敵対したり,反対したりしなければならぬ,という意味では決してありません。実際のところ,私たちは平和で静かな生活をなし,神の命じ給うた業を成遂げるためには王や支配者たちの為に祈らねばならぬ,と教えられています。イエスは弟子たちにこう告げられました,『私の国がこの世のものであれば,私に従つている者たちは……戦つたであろう。』(ヨハネ 18:36,新口)使徒パウロがエペソ人に宛てた前述の手紙の中で述べている戦は,幾世紀にもわたつてこの地を統治して支配してきたサタンの霊的な制度に対する戦のことです。―コリント後 10:4。エペソ 6:12。テモテ前 2:1-3,新口。

      5 多くの人は,どのように盲目となり真理が見えませんか。それらの人々を助けるために,私たちは何をすることができますか。

      5 諸国民に及ぼすこの力強い悪鬼支配の結果,不信者の心は暗まされて真理の光を見ることができなくなりました。良いたよりに幕が覆われたため,亡んで行く人々はそれを見分けることも理解することもできません。天界にいる悪しき霊の勢力は神の御意についての混乱と暗やみをひろめてきました。しかし,彼ら自身も反逆をしたために今は暗やみに閉じこめられています。しかし,彼らが大成功を収めてきたことは,多くの人々,そしてキリスト教国内の人々でも聖書のことを知つていない事から分ります。教会に欠かさず行く人も,二,三の大切な聖句を記憶する位が精々で,神の目的を何も知りません。これは,なにも驚くにあたりません。聖書に関する文書は,教会の認めをうけないなら読んではいけない,と多くの人は教えられているからです。彼らは神御自身の『いざわれら共に論らわん』というすすめの言葉を忘れています。その結果,「くらきは地を覆い,闇はもろもろの民を覆わん。」という状態になりました。(イザヤ 1:18; 60:1-3,19,20)この霊的な背教の結果を打ちくずすことは,クリスチャンの為す最も大切な仕事の一つです。ギデオンの人々が,手に持つていた水差を割つて松明を光り輝かし,敵を驚かしたと同様に,地にいるヱホバの僕たちも真理の光を照り輝しています。それで,キリスト教国の暗いところからも,また異教国の最もくらいところからも,その光を見ることができます。

      6 クリスチャンの戦とその恩恵を説明しなさい。

      6 霊的な戦を行う際に最大のよろこびをもたらす一つの特色は,捕われ人を解放し,捕われている者に自由を宣伝え,また束縛されている者の牢獄の戸を開くことです。これは,善意者に真理を忍耐強く教え,そして子供の時から慣れ親しんでいる迷信と宗教的な暗やみの幕を徐々に取り除くことによつて為されます。真理の知識を得ることにより彼らが遂に自由にされるとき,そのよろこびは,自由にされた囚人または再びものが見えるようになつた盲人のよろこびと同じ程です。このことを成すためには,パウロの言う通りにしなければなりません。『御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても,それを励み……何事にも慎み,苦難を忍び,伝道者のわざをなし,自分の務を全うしなさい。』さらに使徒パウロは,こう言葉を続けています,『私は戦いをりつぱに戦いぬき,走るべき行程を走りつくし,信仰を守りとおした。』(テモテ後 4:2-7,新口)地上の国家が,この種類の戦を恐れる必要はありません。この戦は国民の最善の福利を図つているからです。それは神の知識と,神への愛および隣人への愛をすすめます。この戦は建設的なもので,善意者を精神的に,道徳的に,そして霊的に進歩向上せしめます。この戦の恩恵は,永遠の価値を持つもので,神の恵みをうけると共に,生命に導びきます。普通の戦争は,地を破壊してしまい,ひどい敵意と奴隷状態を惹き起します。しかし,この戦に,そのような結果はひとつも生じません。敬虔なクリスチャンの戦は,神の御言葉を通して,永遠の平和と相互の理解というきづなの中にすべての種類の人々,すべての国の人々を一致させます。

      7 清い崇拝を守るための戦についての例を述べなさい。

      7 全地にいるヱホバの証者は,聖書の知識をひろめるというこの戦に参加しています。むかしイエスと弟子たちがなしたように,ヱホバの証者は人々の家庭に及んでいる暗やみに対する戦をなしています。パウロは宣教の戦が何であるかを自分自身の経験から知つていました。そして,初期クリスチャンたちを威嚇しようとして2時間のあいだ『大いなるかな,エペソ人のアルテミス』と叫んだエペソの怒り狂つた宗教的な群衆について述べています。(使行 19:28,新口)パウロは又,彼に対する陰謀,牢獄に入れられたこと,鞭打たれたこと,海上と陸上の危険,そして,キリストの知識をひろめるための戦で耐え忍んだ困難や苦難についても語りました。(コリント後 11:23-27)その戦は今日に至るまで続いてきました。ヱホバの証者は暴徒や,禁止命令や,入獄というようなことがあろうとも,その平和な宣教を続けてきました。例えば,最近モーター船に乗つている4人の『ものみの塔』宣教者はカリブ海の島々に散在している人々に宣教を行うための燃料や供給品を得ようとして,トリニダードに寄港しました。ところが,『望ましからぬ訪問者』と言明されたのです。しかも何の理由も与えられませんでした。他の場所にいるヱホバの証者は,暴徒から襲われ,嘲笑され,追放され,愛する者から引離され,刑務所に入れられ,死さえも受けました。しかし,彼らは真の戦士として忠実を保ち続けています。ヱホバの証者は,平和のうちに音信をもたらしました。しかし人々は暴力でもつてその音信を拒絶しました。現在は諸国家間の戦が行われているだけでなく,真理を宣明するためのはげしい霊的な戦も行われているのです。

      絶対に負けない備え

      8 私たちは,なぜ真理の帯を腰にしめなければなりませんか。どのように?

      8 この神の為の戦に参加するためには,何をすることができますか。兵士と同じように,戦をするためには私たちの備えを良く知らねばなりません。私たちは戦をする理由を理解すると共に,その戦が正しいものであることに確信を持つべきです。パウロは,長年に亙る宣教奉仕の多くの経験に基いて,クリスチャンの戦の主要な武具を箇条書に記しました。最初に『真理の帯を腰にしめ』と語りました。すなわち,真理はいつも身近かになければならない,ということです。私たちは真理の帯を腰にしめ,身をしつかり保つべきです。これは,聖書の討議には耳を向けようとせず,『教会に行つていますから』と無雑作に言う人の態度とは全くちがいます。それらの人は,1週間の中1回か2回は敬虔の装いをしますが,他の時には敬虔を打ち棄ててしまいます。そのような人々は,自分が真理と思つているものが何であるかを調べようとはしません。また自分の信条を深く知つておらず,まして神の言葉には通じていません。しかし,真理の正確な知識はクリスチャンに欠くことのできないものです。真の崇拝と偽りの崇拝の区別を知ることができないなら,偽りを曝露するという戦に参加することはできません。(イザヤ 28:17,18)真のクリスチャンたちは分裂していません。聖書には唯一つの真の信仰が記録されている,と真のクリスチャンは知つています。彼らは,『あなたの御言葉は真理です』と語られたイエスの言葉を信じており,その言葉に従う行をしています。この知識を持つ彼らは儀式とか言伝えの束縛を投げ棄て,神と心を一つにすることができます。『自由を得させるために,キリストは私たちを解放して下さつたのである。だから,堅く立つて,二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。』― ガラテヤ 5:1。エペソ 6:14。ヨハネ 17:17,新口。

      9 正義の胸当はどんな保護を与えますか。

      9 次に,私たちは正義の胸当をつけねばなりません。もし私たちが真理を伝道するなら,正義の中に真理に一致する生活をすることは是非必要です。もしそうしないなら,私たちは偽善者であつてヱホバの真の僕ではありません。私たちの奉仕は真心から為されるべきものであつて,生半可のものであつてはならないのです。肉の慾に負けて不道徳な行をする者たちは,神の御国を相続しない,と戒められています。ほんの少しの腐敗も急速に醗酵してしまい,神の目から見るときに,良い業をみな駄目にしてしまいます。そのような肉の慾は,魂の福利に対して戦を挑みます。それで,正義の胸当によつて防禦しなければなりません。―ガラテヤ 5:9,13。ペテロ前 2:11。

      10 私たちは,どんな良いたよりを宣伝えるよう命ぜられていますか。

      10 『立つて平和の福音の備えを足にはきなさい』(エペソ 6:14,15,新口)ヱホバの証者は人々のところに音信と慰めをもたらします。イエスは次のように語つて,同じ事柄を強調しました,『この御国の福音は……全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。』(マタイ 24:14,新口)今日,全世界にいるヱホバの証者は,キリストが今や天の御座に即いており,また,私たちは信仰を持つすべての人々に神の御国を通して永遠の平和が来る変化の時に生活している,という良いたよりを人々に告げています。『よろこびの音信をつたえ,平和をつげ,善き音信をつたえ,救をつげ,シオンに向いてなんぢの神は統治めたもうという者の足は,いかに美しきかな。』(イザヤ 52:7)平和と希望の音信に悪しきことがらは一つもありません。神の御前にあつては,良いたよりを伝える者の足は美しく見えます。しかし,サタンの制度にとつては,この平和の音信は明白な宣戦布告のように見えるのです。

      11 (イ)信仰は,どのように私たちを守りますか。信仰は,どのようにして得られますか。(ロ)大きな信仰についての過去の例を述べなさい。

      11 そのわけで,『信仰のたてを手に取りなさい。それでもつて,悪しき者の放つ火の矢を消すことができる。』と私たちは戒められているのです。この戦で攻撃を受けることは必至でありましよう。故に戦を続けて行くためにヱホバへの信仰を必要とします。信仰によつて私たちは世に打克ち,そして忠実な奉仕を妨げるあらゆる妨害をも克服することができます。根気強く伝道しても,見たいと欲している結果が直ぐに得られない場合があります。しかし強い信仰のある時に,私たちは失意落胆することはないでしよう。ノアは長年のあいだ伝道した後でも失意せず,また断念しませんでした。ノアは神の真なることを知つていたのです。イザヤはこう語つています,『ヱホバよ,私たちの述べ伝えたことを信じたものは誰もいない……不従順で言返す民に私は一日中手を差し伸べた。』それでも彼は断念しなかつたのです。パウロはこの例をローマ人に告げています。なぜなら,たとえ多くの者は信じなくとも神の業は達成される,とパウロは悟つていたからです。私たちは信仰を打ち建てるための知識の基礎がないなら信仰を持つことはできません。神の正確な知識を多く持ち,また多く使用すればする程,私たちの信仰の盾は良く私たちを守るでしよう。―エペソ 6:16,17。ロマ 10:16,20,21。新世。イザヤ 53:1; 65:2。

      12 私たちはどのように救の冑をいただきますか。

      12 また,あなたの武具の一部として『救のかぶと』をも取りなさい。これはパウロの諭しの言葉です。過分の御親切を有せられる神は,キリストを通して私たちに永遠の救を与えられる御方です。パウロはそのことを良く知つておられました。この御準備は賜物であつて,すべての人に強制される者でない故に,その恩恵を受けるためには,私たちはこの御準備を受け入れねばなりません。多くの予言の成就を見たパウロは,次のように書きました,『今は,私たちの救が,初め信じた時よりも,もつと近づいている。』(ロマ 13:11,新口)この言葉は,今日のクリスチャンにとつて猶いつそう良く適用するものです。なぜなら,私たちは信仰を持つ人の救を見る時代に生活しているからです。(黙示 12:10)救を受ける人は直ぐに識別することができます。彼らが特別の衣服を着ているわけではなく,その信仰と業によつて識別することができるのです。彼らはヱホバのクリスチャン証者として生活し,また伝道することにより,その光を照り輝かしています。

      13 私たちは,なぜよろこんで霊の剣を取りますか。それをどのように用いますか。

      13 霊的な戦をするための武具で,極めて大切なものは,『御霊の剣,すなわち神の言葉』です。(エペソ 6:17,新口)これは,身を守るためにも,また攻撃をするのにも是非とも必要です。(コリント後 6:2-10)武器を持たない兵士は,何の役にも立ちません。また武器の使い方を知らないなら,戦場に長く居ることはできません。同じように,聖書を持つている福音の奉仕者が聖書を効果的に使用したり,聖句を見出したりすることができないなら,霊的な戦で無益な者となります。実際,今日の多くの牧師たちは,そのような状態なのです。彼らはヱホバの言葉を棄ててしまい,ヱホバの言葉が真実であり,霊感を受けたということを否定しています。そのような人たちは,どんな智恵を持つていますか。霊の剣を取りなさい,とパウロは言つています。ベレヤの人々は聖書を熱心に調べ,正しいと裏書きされたものを受け入れました。パウロはそのベレヤ人の行を賞めています。私たちもベレヤ人のように行うべきです。神は御言葉により人類に対する御目的と御意を知らせると共に,生命を頂くための要求を知らせているのです。私たちはこの霊の剣という武具を身につけて攻撃し,神によつて要塞をも破壊する程の力あるものになります。

      14 神はどんな祈りを聞きますか。

      14 パウロは霊感を受けて書いた諭しの言葉をこう続けています,『絶えず祈と願いをし,どんな時でも御霊によつて祈り,そのために目をさましてうむことがなく。』祈りをすることにより,私たちはこの霊的な戦の指揮者であり司令官であるキリストを通してヱホバに接し,かつ交わることができます。私たちは,必要な時に力と導きを与えて頂くよう神の御霊を願い求めねばなりません。私たちの祈りが神の御意と一致しているなら神は必らず私たちの祈を聞き給うでしよう。しかし,古い世の制度に属する戦士たちが血にまみれながら利己的なことを願う定期的な祈は,神に聞き入れられません。(イザヤ 1:15。エペソ 6:18,新口)兵士は『目をさましてうむことがなく』ということを是非行わねばなりません。しかし,この危急の時にいる今日のクリスチャンにとつてこのことは特に必要なものです。キリストが先見されたように,一般の世は彼の来ることを知りません。ヱホバの証者はそのことを公やけに発表していますが,世は認めないのです。大多数の人々は眠りつづけており,イエスの臨在されているしるしを見て叫ばれているよろこびの声にも目を覚まさないのです。―黙示 16:15。マタイ 24:42-44。

      15,16 私たちは,どのように霊的な戦に参加することができますか。私たちの為にどんな準備がなされましたか。

      15 最後に,ヱホバのどの戦士も真理を他の人に知らせる力を持たねばなりません。パウロはこう語りました,『私が口を開くときに語るべき言葉を賜わり,大胆に福音の奥義を明らかに示しうるように,……語るべき時には大胆に語れるように。』(エペソ 6:19,20,新口)くさりにつながれた大使として書いている時でも,パウロは自由に,そして大胆にいたしました。なぜなら彼は論争と,戦う理由を十分良く理解していたからです。クリスチャンの兵士は,神の真理の言葉によりこの知識を得ます。また,この源から彼は信仰に伴う勇気を得ます。光と正義の武具でこれらのあらゆる面で全き備えをしている故に,いまや臆病にも引きさがるべきでありません。夜は更けて日は近づいてきました。いまこそ行動をしなければならぬ時です。―ロマ 13:12。

      16 『戦することをわが手に教え,闘うことをわが指に教え給うわが磐ヱホバは讃むべきかな。』(詩 144:1)まつたく,闘うための武具,敵についての知識,戦を押し進めるための力と勇気,これらのものはみな賢明なヱホバによつて備えられたものです。しかし,私たちも,自分の分を果さなければなりません。普通の戦をするためには訓練が必要です。同じく,霊的な戦にも訓練は必要です。ヱホバは私たちの必要としているものを知つておられ,私たちの必要物に気づかれています。しかし,私たちはヱホバの御準備を用いなければなりません。ヱホバの御準備とは何ですか。研究,交わり,そして奉仕です。それぞれは,私たちに備えをなし,武装をなさせるのに是非必要なものです。研究といえば,熱心で絶えず行う個人的な研究と会衆の研究に積極的に参加することの両方を意味します。そのすべては,戦のために私たちを備えさす訓練計画の一部です。交わりをすることにより,私たちは励ましと確信を得,かつ兄弟たちの心からの支持を必らず得ます。もし一人で立つなら,誰も戦の勝運を持たないでしよう。それで,交わりは是非必要なものです。また奉仕をしている時に,私たちは自分の武具を調べ,知識を強め,そして御霊の剣を用いるのに慣れてきます。ヱホバのこれらの備えを十分に用いなさい。そして,あなたの出来得るすべての事を為してからは,神は勝利に必要なものを供給せられるでしよう。なぜなら,『私たちは,この宝を土の器の中に持つている。その測り知れない力は,神のものであつて,私たちから出たものでない。』からです。―コリント後 4:7-11,新口。

  • 真理のための戦士
    ものみの塔 1956 | 9月15日
    • 真理のための戦士

      『信仰と正しい良心とを保ちながら,りつぱに戦いぬきなさい。ある人々は,正しい良心を捨てたため,信仰の破船に会つた。』― テモテ前 1:18,19,新口。

      1 宣教の資格を持つ人は誰ですか。

      あなたは,真理のためヱホバの戦士の隊伍に参加し得る資格を持つていますか。男でも女でも,若い者も年老いた者も,ヱホバの奉仕に献身する人は,もし要求を守るなら,誰でもその資格を持ちます。パウロは『キリスト・イエスの正しい種類の兵士』であることについて語りました。私たちが正しい戦を行わねばならぬように,神の是認を受けるためには正しい種類の兵士でなければならず,また宣教に献身しなければなりません。かつ,宣教にともなう苦しみや迫害,そしてよろこびや祝福に分け与らねばならないのです。『キリスト・イエスの正しい種類の兵士として,悪を苦しむのに分け与りなさい。』(テモテ後 2:3,新世)人が実際にどの種類の兵士であるかは,戦のときに示されます。その人は自分に割当てられた任務を良く果しますか。あるいは,集会には欠席しており,奉仕にも不規則ですか。その人は信頼するに足りる人で,しつかりした堅い人ですか。あるいは最初に自分の利害を求める落ち着きのない傭兵のようですか。私たちは人間に奉仕しているのではなく,神に奉仕しているのです。私たちが自分の義務を怠るなら,人間の裁判所に呼び出されるのではありません。ヱホバは私たちを調べます。―コリント前 4:1-4。

      2 私たちは兄弟たちに対する愛の精神をどのように示しますか。

      2 私たちは自分だけの奉仕の荷を負うだけでなく,援助を必要とする他の人々もしばしば援助しなければなりません。良く知られている事実ですが,兵士が初めて戦つたときとか,戦を上手にすることができない時に,戦争の死傷者数はいちばん大きいのです。父親が子供たちを注意深く世話するように,霊的な戦の歴戦の兵士は最初の小競合に新しい兵士を援助し,そして神にふさわしく歩み続けさせねばなりません。(テサロニケ前 2:11,12)さらに,良く訓練された兵士たちの一隊は,その業績に誇りを感じています。クリスチャンは個人的な誇りで高慢な気持を抱くようなことをしません。しかし良い精神を持ち,兄弟たちと共に働くのをよろこぶべきです。『神が私たちに下さつたのは,臆する霊ではなく,力と愛と慎みとの霊なのである。だから,あなたは,私たちの主のあかしすることを……恥ずかしく思つてはならない。』― テモテ後 1:7,8,新口。

      3,4 宣教のための要求のいくらかは何ですか。

      3 クリスチャン戦士の資格を持つことにより,クリスチャン戦士の隊伍に加わるのにふさわしくあれ,とパウロは諭しています。しかし,それだけでなく,パウロは信仰に従つて生活せよ,ということも強調しています。彼はテモテにこう書きました。(テモテ前 1:18-20,新口)『この命令を与える。あなたは,これらの言葉に励まされて,信仰と正しい良心とを保ちながら,りつぱに戦いぬきなさい。ある人々は,正しい良心を捨てたため,信仰の破船に会つた。』この言葉を述べたパウロは,十分の良い理由を持つていたのです。当時の或る人々は信仰を破壊し,真理にひどく反対しようとしました。パウロは,もしそのままにしておくならば,そのような考えは壊疽と同じぐらいに危険なものである,と戒めました。躊躇して優柔不断な兵士が生命を失うように,もし自分の信仰をしつかり保たないなら,私たちも生命を失うでしよう。私たちは神の言葉に信仰と確信を置くことにより神を真としなければなりません。生命そのものであるかのように,神の言葉をしつかり保ちなさい。他の人の信仰を破壊しようとする人々は,ヱホバの制度からの懲しめをうけ,隊伍から取除かれます。パウロはコリント人に次の言葉を告げました,『すべて不従順な者を処罰しようと,用意している。』クリスチャン制度の初期の時代において,そのような懲しめの行は必要でした。それで,今日でも時折に必要です。昔の例はこう記されています,『その中に,ヒメナオとアレキサンデルとがいる。私は神を汚さないことを学ばせるため,このふたりをサタンの手に渡したのである。』― コリント後 10:6。テモテ前 1:20。

      4 神の導きの下に戦つたイスラエルの兵士たちは,戦のために潔めを保つことが是非必要でした。同様に今日の私たちも神の要求に従う生活をなし『正しい良心』を保たねばなません。『あなたがたはキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そして,私が行つてあなたがたに会うにしても,離れているにしても,あなたがたが一つの霊によつて堅く立つ……様子を,聞かせてほしい。』(ピリピ 1:27,28,新口)ふさわしく歩く仕方のいくらかは,次のように述べられています,『できる限り謙虚で,かつ柔和であり,寛容を示し,愛をもつて互に忍びあい,平和のきずなで結ばれて,聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。』― エペソ 4:1-3,新口。

      5,6 或る者は,ヱホバの戦士の隊伍からどのように失格しますか。

      5 ガラテヤ書 5章19-21節は,肉の業を極めて明白に述べています。その肉の業の中には,淫行,偶像崇拝,霊媒術,しつと,怒り,泥酔などのようなものが含まれているのです。そして,そのようなものを行う者は神の御国を決して相続しない,と述べられています。それで,神の御前にあつて,キリストの導きの下に行われる霊的な戦に参加し得る資格を得るためには,クリスチャンはそのようなものを避けねばならず,そして神の御霊の実を示さねばなりません。クリスチャンは名前だけの証者であつてはなりません。信仰と正しい良心を保たねばならないのです。正しい良心とは,神の御言葉に一致するよう訓練された良心のことです。私たちの行が友人の目からは正しく見えることがあつても,神は心の秘密の思いを知り給う,ということを忘れてはなりません。私たちがヱホバに献身するとき,肉の汚れを取り除くと誓うだけでなく,神に対する正しい良心を神に願い求めることです。(ペテロ前 3:16,17,21)それで,私たちは神の霊によつて戦に強くなり,肉の思いに対して戦をなします。―コリント前 10:13。ロマ 7:23。

      6 神の民と交わるだけでは生命が保証されるものでない,とパウロは知つていました。クリスチャン戦士にふさわしい生活と奉仕をしないなら,奉仕に参加することはできません。信仰の競走をして他の人に伝道しながらも,生命の賞を得るのに失格する人々がいます。しかし,パウロはそのような人々のひとりになりたいとは欲しなかつたのです。(コリント前 9:24-27)ヱホバの奉仕を行つている者が反逆の行為,心のかたくなな行為をするならば,その人自身が罰を受けるだけでなく,その人の奉仕している正義の業に非難をもたらすと言つて先づ間違いありません。また,他の人の信仰をも揺がしてしまうことでしよう。これについての明白な例は,アカンの場合に見られました。イスラエルの兵士であるアカンはヱホバのいましめを破つたのです。アカンの悪しき行の結果,ヱホバの祝福は与えられず,アカンと共にいた36人は死にました。故意になした不従順という不忠実な行の故に,アカンとその家族および資産はみな亡ぼされたのです。―ヨシュア 第7章。

      組織された戦闘行為

      7 クリスチャンの一致していることは,敵にどのような効果を及ぼしますか。

      7 軍隊にいる兵士は,自分勝手に行うことができません。補給品とか,戦の支持を得るために,他の者の援助を必要とします。兵士は上官の指示と指導を仰ぎます。同じように,今日のクリスチャンは組織された方法で共に働き,そして見える制度と任命された僕を通して備えられる神の導きを受け入れます。『一つ心になつて福音の信仰のために力を合わせて戦い,かつ,何事についても,敵対する者どもにろうばいさせられないでいる様子を聞かせて欲しい。このことは,彼らには亡びのしるし,あなたがたには救のしるしであつて,それは神から来るのである。あなたがたはキリストのために,ただ彼を信じることだけではなく,彼のために苦しむことをも賜わつている。』(ピリピ 1:27-29,新口)私たちは人に頼らず神に頼ります。『自分で自分を推薦する人ではなく,ヱホバの推薦する人こそ,御旨にかなつた人である。』ヱホバの支持がないなら,私たちの努力はみな水泡に帰します。そのわけでパウロは次のように語つたのです,『誇る者はヱホバにあつて誇りなさい。』― コリント後 10:18,17,新世。エレミヤ 1:19。詩 35:1-10。

      8,9 悪鬼の制度を説明しなさい。

      8 戦を行うのに必要な武具や,また資格について,今や十分詳細に理解しました。それでは,私たちはどんな問題に面するでしようか。戦をする軍隊は,先づ敵を探つてみてその弱点を確めます。前もつて警戒することは,前もつて武装を整えることです。故にサタンの制度の構造や働きの仕方を調べることは良いことです。『制度?』そうです。キリストは,刑柱の死にいたるまで忠実を守り通しましたが,ヱホバはキリストの忠実の故に,サタンの制度に対する勝利を得られました。それについては聖書にこう書かれています,『神はそれ(クリスチャンを責める律法)を刑柱の杭に釘づけることにより,これを取り除かれた。神は(サタンの制度の)もろもろの政府と権威を取り剥いで,凱旋の行進に加え,かくして人々のさらしものにしたのである。』(コロサイ 2:14,15,新世a)人間として地上に居られたイエスは,それらの悪鬼の政府や権威に対して戦わねばならず,また彼らの首なるサタンの提出した誘惑を斥けられました。そして,これら悪しき霊に憑かれている不幸な人々から多数の悪鬼を追い出したのです。西暦1914年,天で神の御国が誕生して後にヱホバの王イエス・キリストとその御使たちは,サタンと悪鬼共に対して戦争を行い,悪しき御使共を天からこの地の近くに追い落しました。そのわけで,いまやこの地の近くに結集しているこれらの悪鬼共にたいして,特別な警戒を払うよう私たちは戒められているのです。―黙示 12:1-12。

      9 エペソ人に宛てた手紙の中で,使徒パウロは悪鬼共で構成されているサタン悪魔の見えざる制度について,再び述べています。そして,この見えざる制度の或る部分は,私たちに敵対している,と述べております。パウロは,血肉でない『悪魔の策略に対抗して立ちうる』仕方を述べています。『私たちの戦いは,血肉に対するものではなく,もろもろの支配と,権威と,やみの世の主権者(この世の支配者)また天上にいる悪の霊に対する戦である。』(エペソ 6:11,12,新口)いま地に活動を制限されているこれらの悪しき霊共は,惑しの言葉を霊感しています。その言葉は,龍の口から,獣から,そして偽りの予言者から出て来て,地の王たちをハルマゲドンの戦に向つて行進させます。―黙示 16:13-16。

      10 ヱホバは,御自分の民を亡びからどのように守りますか。

      10 エゼキエル書 38章には,神の民の包囲されることが述べられています。神の民は,見たところでは何の守りもない『石垣のない』状態で全世界に生活しています。そして,サタンの軍勢は真暗闇の嵐のごとくに攻め来り,神の民を亡ぼそうと威します。しかし,ヱホバの民は無力であつて,何の守りもないのでしようか。彼らがヱホバの備え給う戦の武具を身につけている限りは,決してそのようなことはありません。彼らはヱホバの保護を受けます。丁度ドタンでスリア王の軍隊に取囲まれた予言者エリシャと同じようです。その時ヱホバの御使の軍勢は,エリシャを保護して守り,敵であるスリア人たちの目を暗ましたのです。(列王紀略下 6:14-19)ヱホバは御自身の僕たちがサタンによつて亡ぼされないように,今でも僕たちを保護しており,守つておられます。このように保護をうけている私たちは,間もなくハルマゲドンで行われる最後の戦を恐れずに期待することができます。ハルマゲドンの時,ヱホバは現代のゴグであるサタンと悪鬼の軍勢に対して戦うでしよう。―詩 34:7。

      11,12 大論争の原因は何ですか。私たちは,どのように答え応じますか。

      11 今日サタンは地上の民に多くの災をもたらし,また『神の戒めを守り,イエスのあかしを持つている者たち』に対して戦をいどんでいます。それで,いまこそヱホバの僕たちが真実の戦を為すべき時です。(黙示 12:17,新口)聖書の示すところによると,人々の心を暗まして真理を見させないとするサタンの企ては良く成功するため,『あなた方(イエスの弟子たち)を殺す者がみな,それによつて自分たちは神に仕えているのだと思う時が来るであろう。』(ヨハネ 16:2,新口)これは誤りに対する真理の戦であり,サタンに対するヱホバの戦です。そして,私たちは真理を宣明するという奉仕の特権を持つことに誇りを感じます。

      12 パウロは次のように語つています,『悪魔の策略に対抗して立ちうるために,神の武具で身を固めなさい。』このことから,悪魔は私たちの信仰と忠実を破るために攻撃を加えるということが分ります。私たちが警戒しなければならぬ燃える火の矢に,どんなものがありますか。―エペソ 6:11,新口。

      13 私たちは,キリストに対する愛をどのように示しますか。

      13 クリスチャンは自分の家庭内で絶えず攻撃をうけるかもしれません。このことについて,イエスは次のように言われました,『あなた方は,私が平和をこの地上にもたらすためにきたと思つているのか。あなた方に言つておく。そうではない。むしろ分裂である。というのは,今から後は,一家の内で五人が相分れて,三人はふたりに,ふたりは三人に対立し,また父は子に,子は父に,母は娘に,娘は母に,しゅうとめは嫁に,嫁はしゆうとめに,対立するであろう。』『家の者がその人の敵となるであろう。私よりも父または母を愛する者は,私にふさわしくない。私よりも息子や娘を愛する者は,私にふさわしくない。』(ルカ 12:51-53。マタイ 10:36,37,新口)家の者からいつも反対され,また真理を嘲笑される,という試練を耐えることは極めて困難なものです。これを克服するためには,真理によつて強められる大きな信仰の盾が必要です。また,あらゆる場合に御霊によつて祈ることも必要です。そして最初に御国の事柄を求めねばなりません。もし家族の圧迫に屈してしまい,ヱホバの崇拝を棄てるなら,戦に負けることになり,兄弟たちとの大切な交わりから切り断たれてしまうでしよう。

      14 商業本位にたいしてパウロはなぜ警告しましたか。

      14 私たちをいつも惑わす別の罠は,現在の制度のものを愛するために,商業的な利害に巻きこまれてしまうことです。パウロと共に宣教をしていたデマスは,そのために真理から外づれました。パウロは『デマスはこの世を愛し,私を捨てて』と述べています。(テモテ後 4:10,新口)私たちは二人の主人に兼仕えることはできません。また,兵士は二つの大義名分に同時に仕えることはできません。『兵役に服している者は,日常生活の事に煩わされてはいない。ただ,兵を募つた司令官を喜ばせようと努める。』(テモテ後 2:4,新口)パウロは自活するために働かねばなりませんでした。しかし,そのために宣教を中止するようなことをしなかつたのです。私たちも同じような見解を持つべきです。将来の為に貯える必要はありません。兵士の場合と同じく,私たちの必要とするすべてのものは,その日一日の必要品だけです。食物と衣服があれば事足れりとすべきです。

      15 どのようにして,私たちはサタンに反抗することができますか。

      15 しかし,人々を欺くためのサタンの最も成功した策略は,神の言葉に反対する宣伝をひろめることです。善と悪の知識を得るであろうと約束してエバを欺いたエデンの園の時以来,悪魔は巧妙な仕方で真理を歪曲し,宗教的な欺きを育成してきました。また幾世紀にもわたつて,悪魔サタンは偽りの教理や主義をつくり上げました。そのため,現在の世界は分裂するようになり,各人はあらゆる面で互に敵対し合うようになつたのです。崇拝のことについても人々は分裂しているのです。いまこそ,真理の古い道に再び歩んで,誤りの要塞を打ち砕き,神の知識を建て起すべき時です。こうすることにより,私たちはサタンに反抗し,かつ精神的に囚われている人々を自由に解放することができるのです。『私たちの戦の武器は,肉のものではなく,神のためには要塞をも破壊するほどの力あるものである。私たちはさまざまな議論を破り,神の知恵に逆つて立てられたあらゆる障害物を打ちこわし,すべての思いをとりこにしてキリストに服従させる。』― コリント後 10:4,5,新世。

      16 (イ)真理はどのように決定されますか。(ロ)真理は,どのようにしたならば一番良く他の人に宣伝えられますか。

      16 『真理とは何ですか』とピラトは尋ねました。多くの人々は,両親の信仰が真の信仰である,と軽々しく信じています。しかし,260以上の自称『キリスト教』分派のあることを考えるならば,聖書的な『一つの信仰』一つの希望に育てられるのは260に一つの運しかありません。それで,神の目的についての真理を決定する為には,賢明に尋ねることが必要です。大丈夫だなどと偽りにも感じてしまい,多分悪鬼に源を発している先祖代々の宗教を信ずるなどということはできません。そのように尋ねる時,私たちはヱホバに感謝の気持を抱きます。というのは,ヱホバは愛の心を持つ父親のように私たちを教え導いてきたからです。ヱホバは霊感によって書かれた聖書の頁の中に御自身の御意を私たちに示されているのです。ひとたび聖書の明白な理解を得るなら,私たちの信仰について守勢を取るべきでなく,むしろ攻勢を取るべきです。そして,私たちの知識を他の人に分かち与えるという霊的な戦を行うべきです。偽りの崇拝に正面攻撃をするよりも,多くの人を得るためには戦略を用いよと,パウロは諭しています。『ユダヤ人には,ユダヤ人のようになつた。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には,私自身は律法の下にはいないが,律法の下にある者のようになつた。……すべての人に対しては,すべての人のようになつた。なんとかして幾人かを救うためである。福音のために,私はどんな事でもする。私も共に福音にあずかるためである。』パウロは伝道をする際に真理を曲げず,むしろ巧みに判断をなしつつ真理を伝えたのです。パウロは,どのようにしたならば誤りについての精神的な障壁を打ちくずし得るかを考えました。こうするならば聞く者は自由に解き放たれ,よろこんで真理を受け入れるでしよう。―コリント前 9:20-23。

      戦争の死傷者になるのを避ける

      17 私たちは神と隣人に対する愛を,どのように示しますか。

      17 私たちはこの宣教に参加するという大きな特権を持つています。そして,その機会を大事に取扱つてそれを正しく用いたいと欲します。神を愛すると言うなら,宣教に上達することにより,それを示さねばなりません。つまり,正確な知識と正しい分別を得るために良く研究し,大事な事柄に確信を持つことです。そうするなら,私たちが誰かに躓くということはなく,奉仕に対して真実の熱心を持つことができます。(ピリピ 1:9-11)この正確な知識を持つてそれを正しく用いるなら,この戦で死ぬことがなく,生命を得ることができます。(伝道之書 7:12)それは人々を導いてこの世の分裂や不一致から離れしめ,ヱホバの奉仕をするときにのみ得られる一つの思い,一つの行に一致させます。全国民から来る大群衆が,信仰の家に集まれとの召に答え応ずるとき,彼らはヱホバの道を学び,その道に歩みます。彼らはもはや国家主義的な敵意を抱かず,互いに剣を振うということをしません。彼らの戦は今や信仰の良い戦だからです。それで,霊的な戦は,永遠の平和を促進いたします。それは,真理にもとづいていると共に神および隣人に対する愛を持つものです。肉の戦では,決して得ることができません。―伝道之書 9:18。

      18,19 私たちはどんな危険に面しますか。どのようにしてその危険を克服し得ますか。

      18 この霊的な戦に死傷者はいますか。います。私たちの身を守るすべての武具を持つていながらも,或る人々は無関心になるならば必らず失敗します。しかし,正しい心を持つなら私たちには恐れる理由がありません。敵に怖気つくべきでなく,また人を恐れるべきでありません。(イザヤ 41:11,12)私たちの知つているように,サタンがその活動を続けるあいだは,私たちは戦をしているのです。しかし,私たちは自分に与えられている機会を失いたいとは欲しません。『有力な働きの門が私のために大きく開かれているし,また敵対する者も多いからである。』(コリント前 16:9,新口)あなたは敢然とその門を通つて活潑な奉仕に加わりましたか。

      19 多くの人々が真理を嘲笑しようとも,その人々の消極的な考え方を持つとか,無関心な態度を取る必要はありません。ノアの時代の全世界は,ノアの持つていた新しい世の考え方に反対しました。しかし,彼は戦を断念しなかつたのです。無関心は,霊的な病気のひとつの型であり,サタンの細菌戦術の一部です。仮にもし致命的な病気を持つているならば,できるだけ早くその病気を直すよう努めるでしよう。霊的な病気にも,同じことをすることができます。兄弟たちの援助とヱホバの備えられる治療によつて,そうすることができるのです。今は私たち自身の考えに従うべき時でなく,自分の目に善いと見える事を為すべき時でありません。そのような好い加減な仕方では,戦にとうてい勝つことができません。私たちは一つの心,すなわち主の心を持つ必要があります。奉仕の際には協力して戦いを為し,また集会を支持して,信仰と正しい良心を保つべきです。

      20,21 正しい戦を続けさせるどんな聖書的な励ましがありますか。

      20 不思議な事柄とは,こうです。真理を守つて,真理に従う生活を為し,そしてサタンの攻撃を斥けるというすべての戦を行つた後でも,私たちは弱くならず,また疲れ果てません。私たちは戦の疲れとか,困憊を示しません。これらのすべての試錬は,私たちを霊的に強めるものであり,私たちの益になるものです。霊的な戦は,私たちを強め向上させるものだからです。『患難をも喜んでいる。なぜなら,患難は忍耐を生み出し,忍耐は錬達を生み出し錬達は希望を生み出すことを知つているからである。そして,希望は失望に終ることはない。なぜなら,私たちに賜わつている聖霊によつて,神の愛が私たちの心に注がれているからである。』(ロマ 5:3-5,新口)正しい戦を為して信仰を守り,そして最後まで忠実を保つてこそ戦の報いを受けるのです。私たちの待ち望む最終の報いは,生命そのものです。生命はあらゆるものの中で最大のものである故,何ものもそれに匹敵することはできません。たとえ忠実な証者として今生命を失おうとも,復活を受けることにより新しい世で生き得る見込みがあります。それで,正しい信仰の戦で勝利を得るよう戦いなさい。―黙示 2:10。テモテ前 6:12。

      21 生命の約束だけに止まらず,日々たくさんの他の報いがあります。それは私たちを希望の中にしつかりと支えるものです。それは掠奪したものという報いでなく,大きな価値を持つ霊的な賜物です。これらの報いは,すべての心,思,魂,そして力をこめて神を愛し,また自分自身のごとく隣人を愛せよ,という二つの大きないましめに結びついているのです。これらの正しい要求をしつかり守れば守る程,私達の祝福は大きくなります。私たちの生活で先ず神を第一とし,すべての力をこめて神に奉仕しなければなりません。軍隊に召される兵士は,何もかも打棄ててその召に答え応じます。同じことはクリスチャンの戦についても言えます。『私に従つてきなさい』という召集の命に対しては家族の義務も第一次的なものではありません。イエスはこう言われました,『その死人を葬ることは,死人に任せておくがよい。あなたは,出て行つて神の国を告げひろめなさい』。―ルカ 9:59,60,新口。

      22 古い世の戦士と新しい世の戦士を比較しなさい。

      22 ひとたび神の奉仕を始めたなら,審判人ギデオンに従つた多くの戦士のように,後ろのものを振向いてはなりません。彼らはそのために最後の勝利を失つたのです。次の聖句を記憶して下さい,『手をすきにかけてから,うしろを見る者は,神の国にふさわしくないものである。』(ルカ 9:62,新口)奉仕を多く為すときに最大の祝福が与えられます。それで開拓者奉仕のように全時間奉仕を為し得る人々は,心からヱホバに仕える者たちに与えられるヱホバの豊かな祝福を楽しむことができます。これら全時間奉仕者たちは,この霊的な戦で最前線に立つて戦つている戦士です。そして,新しい区域で戦をする場合には,しばしば猛烈な攻撃をまともに受けます。しかし,あらゆる試錬にもかかわらず,彼らはヱホバに確信を持ち,完全な心の平和を保つことができます。それは,弾丸の飛び交う戦場にいる兵士の気持とは全くちがいます。戦場の兵士は攻撃の合図を待つ時に心配と懸念の気持に充されているからです。(イザヤ 26:3,4。ロマ 8:6)戦場にいる兵士は,隣人を愛せよ,といういましめを考えておらず,むしろその反対のことを考えています。しかし,霊的な戦はこのいましめを守つている故に,十分の報いをもたらすのです。何ヵ月も,何年もかかつて忍耐強く教え,また注意を払わねばなりません。しかし,他の人を援助して真理の知識に円熟させ,強くならせる程すばらしいよろこびは他にないでしよう。そのような人に,真理の光を暗やみにいる人々に反映させる仕方を示すことができます。それらの人々を導いて,御霊の剣を用いる実際の戦を行わせなさい。そして,大いなるギデオン,キリスト・イエスの兵士のごとく真理と光の松明を高くかかげなさい。(シシ記 7章。ダニエル 12:3)或る人々を自由に解放するという特権をあなた御自身も持つたことがありますか。多数の人々は,サタンに従う悪しき霊者たちのために暗やみに束縛されているのです。これは新しい世の側に立つ各戦士の目標です。そして,正義と平和を愛する他の人々に,この生命の見込みを分け与える報いは,全く豊かです。

      23 霊的な戦は,どのように建設的な仕事であり,また培う仕事ですか。

      23 霊的な戦の結果,焦土と化した地上に死体が残るということもなく,子供たちが飢餓のために苦しんだり,また両親が不具になつたり死んだりするとか,或は家が破壊されるというようなことはありません。そのような亡びをもたらす者たちに対し,ヱホバは地を亡ぼす者たちを亡ぼすと述べられました。それらの者の中でサタンは長たるものです。御霊の実および霊的な戦の実は,悪いものでなく,良いものです。それは,霊的な意味で植えたり,培つたり,建て起す仕事です。すべての国の男も女も,理解と愛,そして信頼の中に共に集められています。新しい世の社会は,秘密な社会ではなく,真実の聖書のクリスチャンで成り立つ自由を語る社会です。彼らは大道をつくり,躓きの石を取除き,人々を新しい世の生命に導いています。これこそヱホバにより命ぜられ,キリスト・イエスによつて指示されている正しい種類の戦です。

      24 どのように,そして何時ヱホバは大論争を終了させますか。

      24 この戦は何時まで続きますか。ヱホバの許される限り,私たちは真理の伝道を続けて行きます。またはイザヤの記したごとく,「邑はあれすたれて住むものなく」ならん時まで,伝道をつづけます。戦時休暇は私たちに与えられません。それに,ハルマゲドンにおける世界異変という最高潮に導く準備の仕事をこの地で行う大きな特権が与えられているときに,休暇を欲する人はひとりも居ません。(イザヤ 6:11。伝道之書 8:8)ハルマゲンの時,ヱホバは戦闘指揮官キリスト・イエスを用いて,見えるものと見えないものとから成立つサタンの世界制度を亡ぼす報復の行動に出られます。そして,目に見える地的の部分を粉砕してしまい,また目に見えない悪鬼の部分をキリスト統治の千年中,死のごとき無活動の坑に投げこみます。この『全能の神の大いなる日の戦』のときに,ヱホバの地上の僕たちは,実際の武器を用いず,またこの戦に参加することをしません。キリストの正しい種類の兵士として,私たちは今働きます。ハルマゲドンの時には神が働かれます(詩 46:9。ロマ 12:17-21。黙示 19:11-16,19)その時まで,私たちは正しい種類の戦をしなければなりません。それは,サタンの制度の見える部分の戦でなく,誤りに対する真理の戦であり,偽りの宗教に対する正しい宗教の戦です。パウロの述べたごとく,『うしろのものを忘れ,前のものに向つてからだを伸ばし』熱心と信仰に弛みがあつてはなりません。(ピリピ 3:13,新口)かくすることにより,私たちはヱホバより勝利が与えられ,ヱホバの新しい正義の世で平和と生命という報いをうけます。(ペテロ後 3:13)現在は戦争の時です。ハルマゲドン後は平和の時です。

      [脚注]

      a 1956年1月1日号の『ものみの塔』13-15頁,26-31節を見なさい。

      [357ページの図版]

      New World Highway

  • 外面だけの宗教
    ものみの塔 1956 | 9月15日
    • 外面だけの宗教

      アメリカ合衆国で教会の会員は増加しています。しかし,すべての牧師がそのことに満足を感じているわけではありません。その中のひとりに,アメリカ連合ユダヤ会の会長チャールス,ロセンガーテンがいます。彼はこう語っていました,『私は,数が増したからといつて進歩しているとは思わない。深みが加わつてこそ進歩したものと思う。もちろん,数が増すことはけつこうなことではあるが,しかし生活の諸問題に対する宗教的な答が必要になつたために,そういうことになつたのであつて,その必要が充たされたから数が増したというわけではない。』さらに,ロセンガーテンはこうつけ加えて話しました,『宗教は祈り以上のものである。宗教は四旬祭儀式以上のものである。宗教は我々のすべてと,人間のすべてを献身することである。』

  • その28 国際大会(1946年-1950年)
    ものみの塔 1956 | 9月15日
    • ヱホバの證者の近代歴史

      その28 国際大会(1946年-1950年)

      1946年のクリーブランド大会において,尨大なヱホバの証者の大会を,どのように運営するかについて,沢山の経験を得ることができました。まず必要なのは,自発奉仕の部門です。大会中,他の兄弟たちに喜んで奉仕したい希望者は,この部門に申し出で,割当てられた部門で,自発的に進んで働きます。1946年の大会の最初の日に,1100名が自発奉仕しました。技術部門によつて,必要な機械器具が円滑に動くようにされます。取付部門に働く,色々の経験者により簡易食事の設備の一時的な取付,演壇の製作,電気や水道設備の拡大等がなされます。医者や看護婦からなりたつ応急班は,病人の手当をします。その他,大きな大会を運営するためには,次のことを取扱う部門が必要です。たとえば,遺失品扱い,運輸,案内,公共宜伝,受付,拡声設備,書籍,大会楽団,運営,司会者事務所(大会のプログラムの進行を受けもつている)及び編輯などの役務をもつ部門が必要です。クリーブランド大会のとき,編輯部は,5つの大会報告を発行しています。それには,写真ものせられ,また大会中の出来ごとについて色々の註解がのせられていました。8日間のクリーブランド大会中,その報告書は,65万冊も印刷され,『使者』と名付けられています。クリーブランドにおいて,1946年ひらかれた『国民歓喜の神権大会』に,幾万人という証者は出席し,いろいろの経験,喜び,霊的励ましを得ましたが,それは,1950年のヤンキー野球場世界大会の模図でありました。ヤンキー野球場の大会は,『ヱホバの証者の「神権拡大」大会』と呼ばれ,1950年,7月30日から8月6日まで,ニューヨーク市で開かれました。この8日間は,何と喜びに溢れた神権の祝いのときだつたでしよう。それは出席したすべての人々の胸裏から決して去らない

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