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  • 注意を払うべき警告
    ものみの塔 1981 | 3月1日
    • しかし,ここで考えているのは,予想される地域的な滅びに対する警告ではありません。そうではなく,ここで取り上げようとしているのは,迫り来る世界の滅び,すなわちハルマゲドンに関して,今や世界の至る所に知らされている警告のことです。この滅びを予告して,イエス・キリストはこう言われました。「その時,世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があるからです」。(マタイ 24:21)イエスの説明によると,この「大患難」は,人類史上これまでに生じたあらゆる天災を合わせたよりも多くの人命を損ないます。

      「そのようなことはあり得ない」と言われますか。しかし,神の預言者であるイエス・キリストの言葉が間違っていたことはこれまでに一度もありません。一般にハルマゲドンと呼ばれる,「全能者なる神の大いなる日の戦争」が到来するのは必定です。(啓示 16:14-16)それは「大患難」の最終部分を成します。ですから,ハルマゲドンが近付いている,それも今生きているほとんどの人の寿命が尽きないうちに到来するという警告に少なくとも考慮を払うのは,分別のあることではないでしょうか。

      ハルマゲドン ― いつ到来するか

      ハルマゲドンを含む「大患難」に関連して,イエスはさらに次の重要な預言を語られました。「人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです。洪水まえのそれらの日,ノアが箱船に入る日まで,人びとは食べたり飲んだり,めとったり嫁いだりしていました。そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の臨在の時もそのようになるのです」― マタイ 24:37-39。

      このようにイエスは,規模においてノアの大洪水をも上回る来たるべき世界の滅びがご自分の臨在と結び付いていることを明らかにされました。イエスが『その栄光のうちに到来し,[王として支配するために]自分の栄光の座にすわられる』時がその臨在の時です。(マタイ 25:31)ハルマゲドンの到来する時を知る手だてがありますか。

      確かにあります。イエスの弟子たちはそのことに関心がありました。そこで,弟子たちはそのことについて尋ねました。「大患難」に言及したイエスの話のきっかけとなったのは外ならぬ次のような質問でした。「そうしたことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。(マタイ 24:3)確かに,イエスがお与えになった「しるし」を識別することに深い関心を抱いて然るべきです。

      その「しるし」を自分で調べることができます。それは聖書のマタイ 24章および25章,マルコ 13章,ルカ 21章に記録されています。そこを読めば,地上の大きな苦難がご自分の臨在そのものおよび「大患難」の近いことをしるしづけるものである,とイエスが語っておられるのが分かるでしょう。国民が国民に敵対するような戦争を含む様々な戦争,大地震,食糧不足,疫病があるでしょう。同時に,不法が増すため,大半の者の愛が冷える事態が見られるでしょう。イエスはまた,ご自分の追随者たちが迫害されることをも予告されました。それでも,『王国の良いたよりは人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから[ハルマゲドンを含む]終わりが来るのです』。

      使徒パウロは霊感を受け,別の預言の中で次のように書きました。「終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。というのは,人びとは自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,裏切る者,片意地な者,誇りのために思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,敬神の専念という形を取りながらその力において実質のない者となるからです」― テモテ第二 3:1-5。

      「終わりの日」に関するイエス・キリストと使徒パウロの預言は今まさに成就しつつあると言われますか。200万を超すエホバの証人はそう信じています。だからこそ,ハルマゲドンが近いという警告を至る所でふれ告げているのです。エホバの証人は,こうした警告が本当に根拠のあるものかどうか自分で証拠を調べて確かめてみるよう人々に勧めています。

      その警告に注意を払うのは正しいことか

      確かに,何の根拠もない警告もあり,それに従うのは賢明ではないでしょう。しかし,地域社会の主立った人々を含む大勢の人が警告をあざ笑ったり過小評価したりしているという事実そのものは警告を無視する十分の根拠とは言えません。ペレー山の時のことを思い起こすとよいでしょう。5月5日,すなわち本格的な噴火の起きる三日前に火山から灼熱した物質が流れ出て,その行く手にいた幾十人もの人が死にました。これを避難開始の警告とみなした人は少なくありません。ピーター・フランシスは,最近の自著「火山」の中で次のように書いています。

      「多くの人が,サンピエールをあとにして,マルティニーク島第二の町フォール・ド・フランスに避難しようとした。ところが,地元の当局者たちは大規模な避難が行なわれることを好まなかった。あわてふためく多数の避難民を扱うという問題があったからだけでなく,5月10日に予定されていた選挙が近付いていたからである。町の政治家たちは,是が非でも選挙を実施しようと気遣うあまり,努力を結集して,危険をできるだけ過小評価しようと図った。島有数の識者から成る『科学委員会』が組織され,不安を静めるための報告書が作成された」。

      これらの人々はある程度までこれに成功しました。人々は市内にとどまり,一人を除いて全員が死亡したのです。

      今日,「終わりの日」に関する聖書の預言は成就しつつあります。イエスの挙げた複合の「しるし」の特徴すべてが見られます。キリストとその使徒たちが「大患難」の直前に生じるであろうと予告した事柄が今起きつつあるのです。証拠は歴然としています。イエスの予告されたように,「地上では……逃げ道を知らない諸国民の苦もん」があり,『人びとは,人の住む地に臨もうとする事がらへの恐れと予想から気を失わん』ばかりです。―ルカ 21:25,26。

      マイアミ・ヘラルド紙の編集長ジム・ハンプトンの論評は,これが成就していることを例示しています。必ずしもハルマゲドンを聖書的な見地から捕らえているわけではありませんが,1980年5月4日付の同紙で,ハンプトンはこう書きました。

      「近ごろ,胸の奥底にある難問題に悩まされているが,読者も同じものに悩まされているだろうか。自分の住んでいる国で,また全世界で何かがひどく狂っていることを物語る,夜も眠れぬ恐ろしい難問題のことである。ハルマゲドンが聖書に出てくる単なる比喩ではなく,現実のものであることが分かりかけているため,その難問題に時に身震いを感じるだろうか。導火線に今にも火がつきそうでハルマゲドンが現実のものとなりかねないことを人生で初めて感じさせる難問題に。

      「私はそうした難問題に悩まされている。これを認めることを少しも恥とは思わない。十数人の友人に尋ねてみたが,彼らも例外なく同じ悩みを抱えていたからである」。

      神が悪を終わらせるという考えを嘲弄する人々がいます。聖書の預言が成就しつつあることを示す証拠を過小評価する人もいます。しかし聖書は,外ならぬこうした事態を予告して次のように告げています。「終わりの日にはあざける者たちがあざけりをいだいてやって来(ま)す。その者たちは自分の欲望のままに進み,『この約束された彼の臨在はどうなっているのか。わたしたちの父祖が死の眠りについた日からも,すべてのものは創造の初め以来と全く同じ状態を保っているではないか』と言うでしょう」― ペテロ第二 3:3,4。

      しかし,これらのあざける者たちは考え違いをしています。実のところ,事態は変化してきたのです。聖書の預言は正しく成就しつつあります。昨年,セントヘレンズ山の噴火することが目に見えて明らかであったように,証拠はハルマゲドンが間近に迫っていることを明らかに示しています。しかし,セントヘレンズの場合にも,危険地帯から離れているようにという警告に注意を払わなかった人が大勢いました。それらの人々はその代償として自分の命を失いました。テレビのインタビューに出たある婦人は,危険地帯から人々を遠ざけるために課された旅行制限に不快感を表わしました。噴火後,その婦人はもう一度テレビに出て,今度はそうした制限に対する感謝の念を謙虚に言い表わしました。その制限のおかげで命が救われた,と婦人は語っていました。

      安全を見いだせる場所

      火山の噴火の脅威に面した場合,安全な場所がどこかは極めて明瞭です。火山から遠く離れていれば安全です。驚いたことに,セントヘレンズの噴火の際,380平方㌔の範囲内にいた人間や動物の死んだことが報告されています。火口から三方にそれぞれ23㌔の範囲まで樹木がなぎ倒され,その先何キロにもわたってあらゆるものが焼け焦げていました。しかし,間近に迫った「大患難」の間,どこに安全を見いだせるでしょうか。

      地球上にある自然のどんな場所も安全な所とはなりません。大洪水の時と同様,邪悪な者たちがどこに隠れ場を求めようと,エホバ神はそれらの者たちを滅ぼす手段を有しておられます。さらに,ご自分の選ぶ人々がどこに住んでいようと,それらの人々を保護することがおできになります。安全を得るかぎは,次のように語った使徒ヨハネの言葉に示されています。「[不従順な人類の]世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なうものは永久にとどまります」― ヨハネ第一 2:17。

      エホバとふさわしい関係にある人のみが安全を得られます。そうした関係は,神のご意志を行なって初めて享受できます。しかし,エホバのご意志を行なうには,まずエホバが何を求めておられるかを学ばなければなりません。それには,神の言葉である聖書を勉強し,それを自分の生活に当てはめることが関係してきます。このことを進んで行ないたいと思われますか。エホバの証人は喜んでご援助いたします。エホバの証人がふれ告げている,ハルマゲドンが近いという聖書に基づく警告を決して軽視なさらないでください。これは,十分に調べる価値のある警告,注意を払うべき警告です。

  • 神の助言に注意を払わないと
    ものみの塔 1981 | 3月1日
    • 神の助言に注意を払わないと

      20代前半の若い女性のエホバの証人は,神の助言に注意を払わなかったために自分の身に招いた結果について次のように書いています。

      「二,三年前,私はとんでもない間違いを犯しました。当時は聖書を勉強していた,バプテスマを受けていない若者と淫行を犯したのです。私はバプテスマを受けていました。その若者に愛してもらいたいと思っていたのですが,私たち二人はエホバの律法を破ってしまいました。……

      「今の私の生活は『…してさえいたなら』の連続です。エホバを愛する若者として,私がもっと強かったなら。神のご要求にもっと注意を払ってさえいたなら。悪行を犯す時に,自分の行動の重大さを考えてさえいたなら。私は今,自分のまいたものを刈り取らなければなりません。眠れぬ夜,絶望の涙にくれる時。これらはエホバに背いた私がその代償として払わなければならなかったものの一部です。……

      「若い人々にこれだけは知ってもらいたいと思います。長老の方々もエホバも皆さんを愛しておられ,痛い目に遭わないでほしいと思っているのです。神のご要求はいずれも私たちの幸福に役立つものです。ひとたび過ちを犯すなら,それを元に戻すことはできません。常にエホバを信頼し,エホバの愛と義の原則を固く守る決意を保つことが必要です。若者としての私たちの外ならぬ幸福はそれにかかっているのです。常に将来のことを,エホバと自分との関係を考慮すべきです。そのためには,今,聖書の原則に導かれた賢明な道を選ばなければなりません。これは私の学び知った教訓です。残念なことに,私はつらい仕方でこれを学びました。できることなら,他の人々には,エホバを信頼してあらゆる悪行を避けてほしいと願っています。

      「私はエホバを本当に愛しており,自分がエホバに背いたことで心の痛みを覚えます。でも,今の私の決意は,前進し,一生懸命に働き,エホバとの間に永続する強固な関係を築くことです。優れた道徳状態の行き渡る新体制という,忠節な臣民に与えられるエホバの賜物が現実のものとなり,すべての人がそれを享受する時の到来を私は心待ちにしています。その時に初めて,自分の罪が引き起こした心痛や苦痛を忘れ去ることができるでしょう」。

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