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知らなかったではすまないこともあるものみの塔 1967 | 2月15日
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が,そのことを使徒ペテロはこう書いています。「彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し,地は神のことばによって,水がもとになり,また,水によって成ったのであるが,その時の世界は,御言により水でおおわれて滅んでしまった」。(ペテロ第二 3:5,6)警告を退け,知らなければすむという態度をとった人はだれひとりとしてその水による滅びを生き残りませんでした。
仲間の人間に何が必要かを知りながら,それに目をつぶる人は自らに災いを招きます。聖書はそのことを明らかにしています。霊感を受けた賢人は述べました。「おのれを人と異にする者は,おのれの欲するところのみを求めて,すべてのよき考へにもとる」。(箴言 18:1,文語)よく考えるならその人自身にも他の人との建設的な交わりの必要なことがわかるでしょう。孤立主義的な態度によって責任をのがれることはできません。またそれは災いに対する身の守りともなりません。
それで,ことわざのだ鳥のように砂の中に頭を隠すだけでは何の役にも立ちません。知らなかったと言っても,知る機会を自分で退けていたなら,その者は責任を免れません。神の警告を聞こうとしなかったイスラエル人に恐るべき事態の臨んだことを忘れてはなりません。その者たちについて神ご自身が言われました。「彼かくよばはりたれども彼らきかざりき,そのごとく〔その災の日に〕彼らよはるとも我きかじ,万軍のエホバこれを言ふ」― ゼカリヤ 7:13,文語。
重要な事柄について知ろうとしない人,知らなければ知らないですむと考える人は,それによって実際には自分の命を危険にしているのです。なぜ? キリスト・イエスは天の御父への祈りの中でその理由をこう述べられました。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」。(ヨハネ 17:3)それで,確かな知識を取りいれることは非常に大切です。知識は知恵を生み,知恵は災いに対する身の守りとなるからです。―伝道 7:12。
1900年前,キリスト・イエスとその弟子たちは御国のたよりを宣明しましたが,それは耳を傾けると傾けないとによらず,聞く者すべてに大きな責任をもたらしました。さて今日,知識のゆきわたったこと,また今が重大な時代であることを考えるなら,その責任はいよいよ大きいと言わねばなりません。それで今,適切なのは使徒パウロの次のことばです。「神は,このような無知の時代を,これまでは見過ごしにされていたが,今はどこにおる人でも,みな悔い改めなければならないことを命じておられる。神は,義をもってこの世界をさばくためその日を定め,お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている」― 使行 17:30,31。
神が地の果てまで知識を広めておられる今の時代にあって,神の御目的に無知であるなら,神の裁きの大庭にあって言いのがれることはできません。確かに,知らなかったではすまない場合があるのです。
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聖書 ―「その人物,出来事は事実」ものみの塔 1967 | 2月15日
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聖書 ―「その人物,出来事は事実」
● 聖書に出てくるシケムや他の都市における考古学的研究に関連して,考古学者のハーバード大学セム博物館館長G・アーネスト・ライト博士は次のように語っています。「私たちは遺物や宝物をさがしているのではない。昔の考古学者たちが荒石と考えたかもしれないものの中に,私たちの過去の真実の事実 ― 5000年前の赤裸裸な日常生活 ― を収集しているのである。聖書は単に信仰の一契約ではなく,アジアとアフリカを結ぶ国家の実在人物と現実にあった事件に関係して起こった契約であることを見出すのは,心のおどる経験であり深い満足を覚える」― ポピュラー・メキャニックス(1964年4月)230頁。
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