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神の目的とエホバの証者(その18)ものみの塔 1961 | 5月15日
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でもそうである。ところが,われわれがその契約を履行しようと忠実に努力しているとき,突然われわれの頭上で激しい嵐が起こって,神の民は羊のように散り,またかくれていなくなった。敵の攻撃が非常に無慈悲だったので,主の愛すべき羊の多くはあっけにとられ,驚きのあまりなすべきことをしらず,主が御心を啓示して下さるのを祈り待っていた。聖書研究生は,彼らの主に対する誠実さのゆえに,あらゆる場所で非難された。そしてその非難がますます激しくなったため,一時預言者エレミヤと同じような気持になった。「わたしは一日中,物笑いとなり,人はみなわたしをあざけります。それは,わたしが語り,呼ばわるごとに,『暴虐,滅亡』と叫ぶからです。主の言葉が一日中,わが身のはずかしめと,あざけりになるからです。そこで私は言いました。私は彼のことをもう言わない,このうえ彼の名によって語ることをしない」。c しかし,一時落胆したにもかかわらず,御国の音信を宣べ伝えたいという熱情があった。そして,師の忠実な追随者たちは,エレミヤと同じように言った,「しかし,彼の言葉はわたしの心のうちにあり骨のうちに閉じこめられている火のようで,それを押えるのに疲れはて,耐えることができません。多くの人がそしるのを聞くからです。恐れが四方にあります」。d クリスチャンは,冷静な時,なぜ私は地上にいるのだろうと当然考える。それに対する答は,主が恵みをもって私を世に対する和解の聖なる音信を伝えるご自分の大使とされたということと,その音信を発表することは私の特権であり責務である,ということでなければならぬ。e
出版された新しい道具
それからルサフォード兄弟は,「国民の説教」「聖書研究生月刊」の印刷に使っていた鉛版が,事務上のつづりとともについ最近までなされてきた真理に反対する戦いで破壊されたことを話しました。また,つくられた新しい条令のために,予約者以外の者に紙を配給することが,多くの町で次第にむずかしくなっているとも話しました。それから彼はつぎのことを発表しました。
主の御こころを知ることを祈りのうちに熱心に求めてきたわれわれは,いま音信を伝えるために印刷物をつくる対策をとらねばならぬこと,そして,その音信を,人々に探究され読まれる形のものにしなければらなぬことを思いついた。われわれは,ラッセル兄弟がかつて,この種の出版物を出すことを計画したのを思い出し,おそらくいまが,そのような出版物を出すべき適当な時であると判断したわけである。その結果主の御心にしたがい,「黄金時代」fと称する新しい雑誌を発行することにした。
一般大衆になぐさめと希望をもたらすと同時に,偽りの崇拝,世の支配者たちの悪行を暴露することにおいて,この雑誌は,貴重で強力な道具となりました。創刊号が出たのは1919年の10月でした。g この雑誌は,兄弟たちによって真の熱意をもって受け取られ,再びわざを取りあげて神から与えられた任命を強力に遂行したいという彼らの願いをさらに強くしました。
トム: 印刷に使っていた鉛版がこわされたのに,どうしてすぐに仕事をはじめることができたのですか。
ジョン: もちろん彼らはまだ「ものみの塔」を印刷していました。またいまでは新しい雑誌である「黄金時代」も印刷されていました。そのうえ,兄弟たちが入獄するまえに印刷された「完成された奥義」が多量にあったので,それも配布することができました。それから1920年6月21日に,「ものみの塔」と同じ形式の紙版「完成された奥義」が配布用として出されました。ふつう「ZG」と呼ばれたこの版は,戦争まえに印刷されていたものですが,その本の配布が禁止されていたあいだ,兄弟たちによって保管されていたものでした。h それの配布の再組織に当たって,「ものみの塔」はこう述べました。
1917年と1918年のはじめに,「完成された奥義」は広く配布された。戦争は,それを中止すべき口実を提供した。……いまや戦争は終わった……だからいまは「完成された奥義」の処理について干渉する正しい理由や口実はだれにもない……。
いまとなっては,7巻の「どの」販売と配布に対しても,真の法的異議はないはずである。しかしながら協会は,「ものみの塔」形式の廉価版を最初に処分することを最善と考えている。そして,この版の販売と配布は来たる6月21日にはじめられるよう取り極めがなされクラスはそのように通知された。これらは1部20セントで売られるであろう。i
ですから,兄弟たちのすることはたくさんありました。彼らのうちの多くは,「聖書研究生月刊」や「御国の音信」もまだ手元にもっていましたが,みな「ZG」をさきに配布するようにすすめられました。
ロイス: 「ZG」というイニシアルにはどういう意味があったのですか。
ジョン: 「Z」は,最初「シオンのものみの塔」を呼ぶのに使われた符号でした。「G」は,「聖書研究」第7巻を意味しました。このシリーズの中のそれぞれの書籍は,アルファベットの最初の七つの文字で呼ばれました。ですから,「ZG」はただ,「完成された奥義」または,1918年3月1日,「ものみの塔」の特別版として印刷されたもののことです。j
兄弟たちは,1919年にブルックリンに行った時に,マートル街に適当な場所を見つけることができ,そこに彼らの買い入れた中古品の大きな輪転機を備えつけました。工場で働いていた兄弟たちは,それに「古い戦艦」という名をつけました。そして協会は「黄金時代」「ものみの塔」および小冊子を印刷するのに長い間それを用いました。この古い戦艦についてはのちほどもう少しお話しするつもりです。
1919年には聖書販売または開拓奉仕も復活し,春にはこの奉仕の分野で150人が活発に働いており,秋までには507名がこの分野で全時間活動をしていました。巡礼の奉仕も復活して,86人の特別代表者たちが会衆から会衆へとつかわされました。その目的は,戦争による迫害で散らされた人々を集め,本部組織との密接な交わりを通して新たな熱意を呼び起こすことにありました。k まことに兄弟たちは,多難であったいく年かを成功裡にきりぬけ,いまや真の崇拝擁護における新しいしかも興奮に満ちた偉業への途にのぼったのでした。
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「彼らは一致の中に伝道する」ものみの塔 1961 | 5月15日
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「彼らは一致の中に伝道する」
― 1961年のエホバの証者の年鑑より ―
ブラジル
人口: 65,743,303人
伝道者最高数: 20,321人
比率: 3,235人に1人
協会はブラジルの将来に目を向けており,この広大な土地での大きな増加に対処するため,新しいベテルの家を建てるよう目下計画中です。ブラジルは昨年再びいちじるしい増加を見,17パーセントふえて伝道者の新最高数は2万302人になりました。これはたしかにすばらしいことです。ふりかえってみると1940年の伝道者最高数は248名でした。エホバの証者はどこでもこの繁栄をみて喜んでいます。ブラジルの兄弟たちは非常に進取的で,たくさんの者が必要の大きな場所で働くために出かけていきました。その兄弟たちが遠い所に会衆を設立すると,巡回の僕は非常に興味をそそるその地を訪問いたします。支部の僕はブラジルからのよい経験と報告をよせてきました。
昨年の際立ったできごとは17の連続した地域大会でした。合計して2万7000名以上が出席し,リオ大会は,会長のブラジル訪問とかちあいました。会長が残していった助言や提案を取入れて実行することにより,たしかに将来の増加とわざの円熟性をはかることになります。
会衆で行なわれている読み書きの課程は何百人という人を助け,もっと効果的な野外奉仕ができるようになりました。一つの代表的な例として,レシフェの善意者のばあいをとりあげてみましょう。彼は証言をきいて真理だと認めました。大会に出席してから近くの御国会館の集会にも出席するようになりました。「ものみの塔」の研究のさい,研究についていくように雑誌を手渡されましたので,どうしても「私は読むことができません」と言わねばならなくなりました。彼はすぐ読み書きの僕に紹介され,御国会館で週1回開かれている学校にはいりました。最初彼は,前に学校に行ったことがあるが何も学ばなかったから無駄だ,といって否定的でした。しかし,5ヵ月たつうちに,読み書きができるようになりました。自筆の手紙で彼はこう続けています,「それからは私は集会で答え始めました。何という喜びでしょう! 私は読むことができたのです。今では野外奉仕で上手に聖句を読んで,それを説明することができます。そして現在では神権学校にはいり,生徒の話をします」。
私たちの予約の増加は,新しい多くの伝道者の熱意や熱心によるところが大きいです。例えばリオデジャネイロのひとりの新しい伝道者は,以前の彼の友人や知人の名前を200以上書き出し
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