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    ものみの塔 1954 | 1月15日
    • 『ものみの塔』の研究の仕方

      クリスチャンが,聖書研究の助けを用いて聖書を研究するということは,各自随意というようなものではなく,是非せねばならぬものです。使途パウロのテモテへの教訓は,私達の一人一人にも当て嵌るものです。『神に認められるようあなた自身を捧げるために全力を尽くしなさい。そして,何物をも恥じることない働き人として,真理の言を正しく扱いなさい。』(テモテ後 2:15,新世)若し私達が生命を欲するならば,私達は神の是認を得ねばなりません。そして,若し私達が神の是認を欲するならば,私達は神の言を正しく扱わねばなりません。そして,そうするためには,私達は研究せねばなりません。『ものみの塔』の助けを用いて,どのようにして,私達は聖書を一番良く研究することが出来ますか?

      先ず最初に,研究するのには時間がかかるということを認識せねばなりません。それですから,規則的な急がない研究のために,時間を求めるべきです。たとえ私達が全く忙しい時でも,1日の中に15分か30分の時間を得ることは出来ます,例えば朝起きて直ぐ後とか,朝食後とか,或いはまた別の都合の良い時です。(エペソ 5:16)そうでなければ,1週間の中一晩は,自分の個人研究をする時間としなさい。忙しい,が注意深い奉仕者は,旅行している時でも研究するという機会を良く活用し,利用します。そういう奉仕者は,思いがけないような伝道をするという場合でも,良く機会を利用します。私達はその事実を見逃してはなりません。

      『ものみの塔』を正しく研究する為には,私達は,正しい心の態度で『ものみの塔』を学ぶべきです。『すべての事を確めなさい。正しい事をしつかりと持ち保ちなさい。』と私達は命ぜられて居ますが,同時にまた私達は『予言を軽々しく扱つてはならない』と命ぜられている事実を見逃してはなりません。(テサロニケ前 5:20,21,新世)『ものみの塔』は神の言に忠実に従つているということを私達は良く知つて居ますので,私達が疑いの念を持つて,研究することは良くありません。むしろ,神は,『ものみの塔』を通じて何を与えられて居られるかということを,理解しようとする真面目な求める気持で,私達は研究すべきです。『柔和な気持を以つて,言葉の植えられることを受け容れなさい。言葉は(私達の)魂を救う事が出来る。』― ヤコブ 1:21,新世。

      これに関して,ベレヤの人々は良い手本を私達に与えています。確かにベレヤの人々は,パウロが語つた事が,聖書に基いているかどうかを確めました。しかし,このことは,ベレヤの人々が,パウロの言集を,懐疑の気持,非難の気持,或いは反対の気持ちで聞いたということでしようか? いいえ,全然そうではありません。このように記されています。『(彼等は)素直に,よろこびつつ言葉を受け入れた。』― 使行 17:11,新世。

      研究しようとする事柄に正しい心の態度を持つたならば,次に,私達は研究を邪魔するようなすべての事柄を無くすべきです。若し私達の心が他の事柄に向けられて居ながら,研究して十分の利益を得ることは出来ません。たとえば,今までに経験した愉快な事柄とか不愉快の事柄,あるいは研究後に持つかも知れない期待などです。『ものみの塔』の研究に時間を割いてあるのですから,全心を集中して注意を向けましよう。パウロはこのように言つて居ます。私達が研究している『事柄に普通以上の注意を払いなさい。』そうしませんと,それら研究している事柄は,私達の心に十分深く印象づけられず,随意に思い起すことが出来ません。―ヘブル 2:1,新世。

      主題と,また若しあるならば,副主題に気を附けなさい。そしてまた両者の間の関係に気を附けなさい。読む時に何が書かれてあるかだけではなく,どのように書かれてあるかにも注意しなさい。よく考え,議論がどのように発展しているかに注意しなさい。何か新しいですか? 或いは,前の時よりも,違つて発表されて居ますか? 用いられているが,引用されていない聖句を読みなさい。その適用に気を附けなさい。それらの聖句は,問題となつている主題に,どんな光りを投げ与えるかということが良く理解出来ますか? 大切な点のところに,あなたは線を引き度く思うことでしよう。また,質問がある記事の場合でしたら,その答えのところに線を引きたいでしよう。あなた自身の言葉で,答えが言えますか? 若し支持するような考え,聖句,または事実を思い出すならば,何故それを欄外に書き記して置いて,会衆の研究に用いないのですか?

      長い短いに関係なく,どんな記事にも,大抵の場合は副の見出しがあります。そして,考えの変化を示すか,主要主題についての別の面を示して居ます。続いている節が,どのようにそれと関係しているかに気を附けなさい。一つの記事,または,次の会衆の研究に予定されている部分を研究した後,良く考えてごらんなさい。何が中心の点でしたか? 新しい点でしたか? 私にとつて,何か特別に有益な点でしたか? 今一度,研究の質問を読み返しなさい。質問を読む時に,直ぐ答えが出て来ますか? 研究の一番良いことは,再検討ということを記憶してください。

      他の人と一緒に,『ものみの塔』を研究することは,非常に良いことです。他の人と一緒に研究しますと,さほどに心を集中することもなく,よろこびを増し,良く理解することが出来,そして会衆の『ものみの塔』の研究の時には,良く答えを述べることが出来ます。このことは,家族の者が考えるべきことでありましよう。

      『ものみの塔』の会衆の研究? そうです。毎週,ヱホバの証者の1万4000の御国会館では1時間が割り当てられて居ります。大抵は,日曜日の午後か夜ですが,『ものみの塔』を用いて聖書を研究します。『ものみの塔』を一人だけ,または,家族の者と研究するだけでは十分でありません。他の人達が質問に答えるのを聞く時に,私達は多くの事を学びます。他の人達は,私達とは異つた,もつと正確な,もつと完全な理解を持つているかも知れません。そのような研究の際に,私達は助けを得るばかりではなく,他の人達を助ける事も出来ます。他の人達は,私達が与えるものを求めて居り,私達は,また,他の人達が与えるものを必要とします。クリスチャン会衆に属している人は,互いに『私は,あなたを必要としない』ということはありません。―コリント前 12:19-22。

      聖書の知識と理解は光りと生命を意味します。その知識と理解を得るために,私達は助けが必要です。『ものみの塔』は非常に素晴らしい聖書研究の助けです。始めから終りまで注意深く読むことによつて,『ものみの塔』へ感謝を示しなさい。主要な記事を,個人的に,また家族の者と共に十二分に研究し,それから,会衆の研究へ共に規則的に行くことによつて,『ものみの塔』への感謝を示しなさい。その会衆の研究に於いて,私達は,更に助けを得るばかりでなく,私達は仲間のクリスチャン奉仕者を助けることが出来ます。

  • 煉瓦工伝道を推進す
    ものみの塔 1954 | 1月15日
    • 煉瓦工伝道を推進す

      宗教的頑迷によって支配されている,フインランドの東北地方では,ヱホバの証者達に対して多くの頑迷と偏見が示されて来ました。公立学校は偽りの宗教の強力な擁護者となり,ヱホバの証者達は公開聖書講演会を開催する目的では学校の講堂を借りることが出来ませんでした。最近開拓者として奉仕しているヱホバの証者の一人が,少くともこれらの学校の一つに関する限りこの問題を解決しました。

      使徒ポーロですら他の人の重荷とならないために幕屋<テント>造りをしたほどですから,この奉仕者も煉瓦工をしています。ところが学校の講堂を借用したいと言うヱホバの証者達の願いを幾度も拒否していた学校からこの兄弟に仕事の注文がありました。そこでこの煉瓦積みの奉仕者は学校の講堂を聖書講演会に使用させて下さるのなら喜んで煉瓦を積んであげましようと返事をしたのです。

      学校の理事達は会議を開いてこの事を討議した結果,結局若しその煉瓦工が神の御言葉を伝道したいと言うのであれば,彼等の宗教的伝統の名誉を保つためにもこの事を許可することが必要であると決定しました。そしてこの兄弟は講演の題を自分で選ぶことが出来ました。2週間の後,200の座席を有するこの講堂は「聖書は,我々の時代にとつて実際的か?」という題についてこの開拓者が話すのを聞く町の人々で一ぱいでした。講演が終了した時,或る来聴者は「この若い伝道者が同時に我々の学校の煉瓦工であるなんて! 考えもつきません」と言う尊敬に満ちた批評を述べて居りました。

  • 大衆に受けられる側を取りますか?
    ものみの塔 1954 | 1月15日
    • 大衆に受けられる側を取りますか?

      宗教が政治に干渉を持ちますと,厄介なことになります。例として,143年前の例を取つてみましよう。カソリックの僧侶ミグエル・ヒダルゴ・コステイラはメキシコの独立戦争を指揮していました。メキシコはスペインから独立を得ようと欲していましたが,そのスペインは特にカソリックの国であり,(教職制度)カソリツクはスペインを味方しました。4人の司教はヒダルゴを強く非難し,宗教規則の中での一番罪の重い破門スイクウイス・スアデンテ・デイアポロを宣告し大僧正は司教を支持しました。

      しかし,現在ではヒダルゴは国家的英雄であり,メキシコは今年,彼の誕生の第2回目の百年祭を祝つて居ります。その破門の禁令がまだ行われるかどうかについて,カソリックの当局は正式な発表を,余儀なくしなくてはなりません。カソリックの人々はこんな風に説明しようとしています。司教達は或る手続きを見逃していたから,破門は有効なものではなく,それに破門は実際には行われなかつたというのです。

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