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野外奉仕のための集会王国宣教 1985 | 10月
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野外奉仕のための集会
9月30日-10月6日
10月の予約の提供
1. どの記事を強調するつもりか。
2. 「会話するための話題」にどのように結び付けるか。
10月7日-13日
地域大会の『良いたよりを恥じない』の話から
1. 恥じることはどんな結果に導き得るか。(マタイ 10:33)
2. クリスチャンが苦しみを受けることは,何を示しているか。(フィリピ 1:27-29)
3. なぜ大胆な証人であるべきか。(啓示 14:6,7)
10月14日-20日
地域大会の「聖書から論じる」の話から
1. 自分独自の考えから話すのをなぜ避けるべきか。(エレミヤ 23:28)
2. イエスは話す際にどんな模範を示されたか。(ヨハネ 7:16,18)
10月21日-27日
地域大会の『一人一人にどのように答えるべきですか』の話から
1. コロサイ 4章6節は,一層効果的になる点でどのように助けとなるか。
2. コリント第一 9章22,23節を会衆の区域に適用して実演する。
10月28日-11月3日
地域大会の「再び力を得,疲れ果てることがない」の話から
1. わたしたちが疲れる時,エホバは何を約束してくださっているか。(イザヤ 40:28-31)
2. 忍耐はどのように培われるか。(ペテロ第二 1:5-7)
3. うみ疲れることの警告となる症状にはどんなものがあるか。(ルカ 21:34)
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たぐいまれな雑誌を用いて救いを言い広める王国宣教 1985 | 10月
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たぐいまれな雑誌を用いて救いを言い広める
1 「ものみの塔」と「目ざめよ!」―エホバがわたしたちの手に託してくださった何とたぐいまれな,そして強力な雑誌でしょう! 際立っている10月号は,世界の平和と安全という主題を扱った特別な記事が時宜にかなっているゆえ,特に重要です。それらの号はわたしたちにとって一層の関心を持たせるものとなります。なぜなら,わたしたちは10月の予約運動中,野外奉仕でそれらの雑誌を広く用いるからです。
2 興奮を呼び起こす表紙の主題,また10月号の「目ざめよ!」誌が四色刷りになっていることにより,すぐに目に訴えますし,それらの雑誌を熱意をこめて提供するよう鼓舞されるはずです。「ものみの塔」の表紙の主題は,それぞれ「平和と安全 ― どこから得られるか」,また「平和と安全 ― 神の王国によって」というものです。10月8日号「目ざめよ!」の表紙の主題は,「平和 ― 人間は解決策を持っているか」であり,10月22日号は,「国連 ― 平和をもたらすための神の手段か」というものです。その他の主題で時宜にかなった数々の記事が各雑誌に含まれています。
雑誌の価値を認識する
3 雑誌の価値は,その雑誌が読者のために行なう事柄によって計ることができます。英語によるこの世の雑誌は140種以上印刷されており,各号30万から1,700万冊も配布されています。それらの中には,ポルノやひわいな事柄で満ちた雑誌があります。服装や身だしなみにおいて最新のスタイルをほめたたえているものもあります。スポーツ界の目立つ人,テレビや映画界の人物を高めているものもあります。限られた,また疑問視されるような情報を含んでいるものもあります。多くは,あなたの霊性を直接攻撃するものです。―伝道 12:12。テモテ第一 6:20,21。
4 しかしエホバは,キリスト・イエスの「兵士として仕えている」人たちに装備させるため,すぐに手に入る霊的真理の蓄えである「ものみの塔」と「目ざめよ!」の中に価値ある情報の貯蔵所を設けてくださいました。(テモテ第二 2:4)「天の場所にある邪悪な霊の勢力に対する」わたしたちのたぐいまれな戦いのためには,たぐいまれな武器が必要です。―エフェソス 6:12。
5 この世の雑誌のうち一つとして価値の点で「ものみの塔」と「目ざめよ!」に比較できるものはありません。予約をする見込みのある人に話す際,表紙裏の「『ものみの塔』誌の目的」や「『目ざめよ!』誌が発行されている理由」に言及して,その著しい相違を強調することができます。救いを言い広めているのは地上でこれら二つの雑誌だけなのです! それら聖書に基づく音信を人々に携えてゆく特権を与えられているわたしたちも,たぐいまれな民を構成しています。救いを言い広める者についてイザヤ 52章7節で述べられていることに注目してください。
救いを言い広める業にあずかる
6 「ものみの塔」誌の中に印刷されている命を救う情報は,心の正直なすべての人々にとって計り知れない価値があります。このことは,数年前に西アフリカのある村から寄せられた経験により,際立った仕方で例証されました。一人の兄弟が1冊の雑誌をある建物の中に置いたところ,管理人がそれを見つけて村人たちに「神の天使がこの村にたよりを伝えた」と告げ知らせました。彼は,雑誌を1ページずつ売ることにしました。ある年配の男性は1ページを買い,読んだことにより聖書の音信に対する興味を呼び起こされました。そしてすぐにエホバの証人との研究を始めたのです。
7 世界の平和と安全は,今日幾百万もの人々の思いにあるテーマです。「ものみの塔」と「目ざめよ!」の10月号に印刷されている,考えを刺激する記事は,証言をする目的で友好的な会話を始める助けになることでしょう。10月中わたしたちがこのたぐいまれな雑誌の予約を提供すれば,区域の人々は救いの音信を聞き,恐らくは世界の平和の唯一の源について知る機会をも持つことになるでしょう。
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自己犠牲の精神をもって王国の関心事を推し進める王国宣教 1985 | 10月
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自己犠牲の精神をもって王国の関心事を推し進める
1 わたしたちは,自己犠牲の精神が消え去ったも同然の世に住んでいます。今日多くの人々は他の人々を助けることなどほとんど考えようとしません。放縦な,自分第一の態度がまん延しているかのようです。パウロはわたしたちの時代について描写し,「人々は利己的になり,貪欲になり,……感謝を表わさない者となります」と述べました。(テモテ第二 3:2,今日の英語訳)クリスチャンは,神の恵みのうちにとどまりたいなら,世の不敬虔な霊に抵抗しなければなりません。なぜ王国の関心事を推し進めるために自己犠牲的であるべきなのでしょうか。そして,どのようにそうすることができますか。
なぜ自己犠牲的であるべきか
2 エホバはあらゆる良いものの源であられます。(ヤコブ 1:17)わたしたちの所有しているものはすべてエホバに属しています。神に対して負い目があるという感情は,わたしたちの時間や才能,そして命そのものをエホバへの奉仕のために犠牲にさせずにはおきません。(コリント第一 4:7と比較。)あらゆる点からわたしたちはそのような専心をエホバに負っています。―啓示 4:11。
3 イエス・キリストは,自己犠牲的であった完全な手本です。神のご意志を行なうために個人的な関心事を二の次にすることにより,み父を喜ばせたいとの熱烈な願いを表わされました。イエスは王国の関心事を遂行することに没頭されました。(ヨハネ 5:30)使徒パウロも自己犠牲の価値を認め,『あなた方の体を神に,生きた犠牲として差し出す』よう兄弟たちに勧めました。―ローマ 12:1。
犠牲にできる方法
4 今日,神の僕たちは自己犠牲の点で決して劣っていません。多くの兄弟姉妹たちは,全時間奉仕をするために家や所有物を後にしました。全時間の業をしてはいないとしても,崇拝のためのふさわしい場所を建てる助けとして,時間や金銭や労力を寛大に与えてきた人たちもいます。そうです,献身した男女,子供たちの自発的な助けにより,王国会館や大会ホールを建てる際に労力や専門的な技術を借りる必要はめったにありません。それらの男女,子供たちは,自発的な奉仕を王国の関心事を推し進めるための寄付とみなしているのです。それは野外奉仕に対する見方とほとんど同じです。彼らは,そのような施設を用いることから自分や他の人々の得る貴重
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