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なすべきことがそれほど多いのはどうしてですかものみの塔 1967 | 4月15日
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私たちのための保護
実際のところ,「全力を注いで主のわざに励(む)」ほどなすべき事が多いのは,私たちのための保護であり,また祝福なのです。(コリント第一 15:58)なぜですか。私たちは世のものではないゆえ,なすべき事が多ければ,あらゆる方法で私たちを罪に陥れようとする誘惑やわなから守られるからです。「忠実な思慮深い僕」が,私たちのために,研究すべき多くの出版物を備え,多くの集会を用意し,野外宣教で行なうべき多くの事柄を取りきめているのは,私たちに対する思いやりの表われです。これらの事柄で忙しく働くことによって,信仰を強める事柄で心を満たし,その結果,私たちの心はこの世の精神から守られ,私たち自身も肉の働きのとりこにならないように保護されるのです。―ガラテヤ 5:19-23。ピリピ 4:8。
ダビデ王の例から教訓を得てください。もしダビデが忙しく働いていたなら,憎むべき悪行を犯して身を誤まることはなかったでしょう。明らかにダビデ王は,「ゆっくりしよう」と考え,王宮にとどまりました。もしダビデがヨアブ将軍とともにラバにおいてアンモンの人々との戦いに忙しく従事していたなら,誘惑に身をさらさずに済んだでしょう。しかし彼はその誘惑に屈し,後日激しく後悔するはめになったのです! 自分の生活を回顧してみると,なすべき事が多かったために重大なあやまちに陥らずに済んだことを,あなたも思い起こしませんか。―サムエル下 11:1。詩篇 51篇。
すべての人を考慮に入れた取りきめ
「忠実な思慮深い」僕が,野外の宣教のために多くの事柄を取りきめていると言っても,すべての人が他の人と同じことを行なわねばならないという意味ではありません。たとえば,会衆は,火曜日夜の書籍研究前の奉仕,水曜日晩の再訪問活動,週中の日中の伝道,土曜日の雑誌配布の奉仕,そして日曜日の家から家への伝道および再訪問の奉仕などを取りきめています。しかしこれは,各人を実際のところ週中毎日奉仕に参加させる目的で取りきめられているのではありません。奉仕を行なうためにこのように集まるのは,私たちの便宜と助けのためです。
不信者の夫を持つ主婦のクリスチャンの場合,日曜日に妻が家にいることを夫が望むなら,彼女は週中の他の日に伝道できます。またある人は火曜日の研究前の奉仕に参加できますが,参加できない人は水曜日の晩に奉仕できます。さらに別の人は土曜日の雑誌活動に携われますが,他の人は日曜日の野外奉仕だけに参加できるかもしれません。多くの取りきめがあるので,すべての人は,各自の事情に応じていずれかの奉仕に参加できる機会に恵まれているわけです。それで,自分が参加できない時でも,伝道するように強制されていると感ずるべきではありません。
そのうえ,すべての人が同じ程度の力を持っているわけではありません。ある人は日曜日の朝あるいは午後に,3時間ではなくて一,二時間の奉仕ができるだけかもしれません。しかし,全然奉仕しないよりも,1時間でも奉仕するほうが良いのです。この点で,ごく小額の寄付をした昔のやもめの例から励みを受けられます。大切な事は,やもめは自分の持っているすべてをささげたという事です。わずかの寄付をしたのは,多くを与えたいという心に欠けていたからではありません。―ルカ 21:1-4。
それで私たちは各自自分の立場を検討できます。もし心をこめてエホバに奉仕しているなら,喜ぶことができます。しかし,もし他の活動をしたいので奉仕をさし控えているなら,自分の霊の思いを改善しなければなりません。
すべての人のために豊かに備えられている霊の糧
同じ原則は,ものみの塔協会の出版物を読むことにもあてはまります。ある人には他の人よりも多くの読書の時間があり,また人によって読み方の早い人,遅い人があります。ある人は他の人よりも早く理解できるでしょう。私たちのための霊的な糧の備えは,老人,若い人,からだの大きな人,小柄な人をも含めた大勢の客のための宴にたとえられます。すべての客が同じ量のご馳走を食べられるわけではありませんが,すべての人のために十分の食物が備えられているのです。霊的な糧についても同様です。―イザヤ 25:6。
すべての人が協会の出版物全部を読めるというわけではありません。しかし,だれでも時間を見いだして,聖書を定期的に読み,協会の主要月刊誌「ものみの塔」の全頁を読むように努力すべきです。もしそうしていないなら,自由に使える時間をもっとも有効に用いているかどうか自問するのは良いことです。「ものみの塔」誌を読むのに使える時間を,この世の雑誌を読んで無駄にしてはいませんか。新聞を読んだり,テレビを見たりすることに必要以上の時間をかけてはいませんか。
「目ざめよ!」誌についてはいかがですか。いろいろの種類の人々の関心をひくために,この雑誌には変化に富んだ記事がのせられています。クリスチャンの姉妹は,自動車の維持に関する技術的な話に興味を感じないかしれず,洋裁の記事は兄弟にとって興味がないかもしれませんがさまざまな事情の下にある人々のための変化に富む多くの記事の中には,何らかの興味深い記事があるものです。
しかし,「目ざめよ!」誌の価値をみくびってはなりません。できるなら,「目ざめよ!」の各号を全部読んでください。この世の雑誌が人物のことを強調して,読者にすすめている人間崇拝から,「目ざめよ!」誌は私たちを守るとともに,取りあげられている事柄すべてに関する神権的な見方を読者に示しています。たとえば,普通の雑誌はいわゆる「便宜主義」が生じてきたことは述べても,それに関する神の見方を教えてはいません。幽霊屋敷について興味深い記事をのせるかもしれませんが,事態の背後にある事柄については何も説明しません。しかし「目ざめよ!」誌の記事は,私たちの霊的な福祉に関心をいだいている神の組織によって編集されているのです。―ローマ 8:6。
エホバのクリスチャン証人である私たちには,個人で聖書を読むこと,聖書文書の研究,集会への出席,野外奉仕への参加と,なすべきことはたくさんあります。しかし,なすべきことが多い理由 ― 私たちのわざの重要さと時代の緊急さ ― を理解すれば,不服に思うことはありません。行なうべき事柄が多いのは,私たちにとってほんとうに保護となります。そして健全な心を働かせ,行なわねばならない事と行ない得ることとの釣合をとって幸福な生活を続け,エホバに誉れを帰し,また自分の福祉を増すことができます。
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計画と決意は祝福されるものみの塔 1967 | 4月15日
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計画と決意は祝福される
● 大勢の開拓者は,2冊の雑誌を提供するだけで,御国奉仕によい成果を得ています。これは,「ものみの塔」予約運動や特別号の出る月には,とくにみられます。英領ホンジュラスの特別開拓者の一夫婦は,雑誌運動に関する次のような経験を寄せました。「今年の2月から3月にかけての活動の間。妻と私は特別開拓者として御国奉仕の喜びを心から味いました。2歳にまだなっていない娘のことを考えて,計画を立て,この運動の終わりまでに,達しようとする目標をさだめました。私は4月に少なくても50の予約と500冊の雑誌を提供する目標でした。私たちは,会衆の活動のすべてに参加して,研究前のわざや雑誌の日の活動に励み,加えて,あらゆる機会に雑誌と予約を提供して,県命に働きました。私たちの決意と活動を拡大することによって,とどこおりなく計画を行なうことができました。予約については,いく人かの人々と『ものみの塔』と『目ざめよ!』の予約代金をのちほど受け取る約束がとりかわされました。時には約束した金額を受けとるために,幾度か再び訪ねることが必要でした。ある場合は,最初の訪問の時に半分をうけとり,のちほど同じ月のうちに残りを受けとりました。すべてこのようにうまく行なわれて,運動のおわりまでに,私の妻は30以上の予約を,私は102の予約を得ました。4月の末までには,私は707冊,妻は302冊の雑誌を配布しました」。
― エホバの証人の1967年度年鑑から
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