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  • わたしたちの神の救いに感謝する
    ものみの塔 1973 | 11月1日
    • て義しきことを愛したまえばなり 直き者はそのみ顔をあふぎみん」。今日地上には150万を超えるエホバの証人たちがおり,心の正直な他の人々のために「義しきこと」を行なっています。彼らの行なう宣教奉仕の中には,他の人々の家を訪ね,無償で聖書を教えて永遠の命に至る道を示すことが含まれています。その命は,神とキリストと贖いの備えとに関する正確な知識を通してのみ得られるものです。(ヨハネ 17:3; 14:6)こうした宣教奉仕のすべては自発的に,またなんら物質上の報償を求めずになされています。また,こうした宣教奉仕に伴って,不親切な,さらには残酷でさえある反対の中で忠誠を守らなければならない場合も少なくありません。―マタイ 10:28-39。

      18 五歳の一少女はエホバの備えに対する感謝をどのように表わしましたか。

      18 一例として,五歳になる一少女の場合を取り上げましょう。母親はこの少女に忠実な態度で教え,結果として少女はエホバとそのみ子に対する深い愛を育てるようになりました。しかし,信者でない父親は彼女を仏教系の幼稚園に行かせました。クリスチャンとしての彼女の信仰はここにおいて厳しく試されることになりました。彼女は幼稚園の門のところにある仏像を礼拝しようとはしませんでした。教室では仏陀の像に頭を垂れることを拒みました。教師は繰り返し彼女をしかりました。しかし,その幼稚園においてさえ,彼女の行なうことのできる正しい種類の崇拝がありました。毎日の昼食の前に,彼女はその小さな頭を垂れ,キリストを通してエホバに静かに祈りをささげたのです。教師はこのことをも怒り,それをやめさせようとしましたが,むだな努力でした。最後に,彼女を仏教の祝祭行事に参加させることができなかったとき,教師は少女に尋ねました,「これはあなたのお母さんがしてはいけないと言ったからなの?」。その幼子は答えました,「いいえ,エホバ神に喜ばれない事だからです」。贖いに基づく信仰のりっぱな表明ではありませんか。

      19 (イ)エホバは清い心でご自分を尋ね求める人々をどのように祝福されますか。(ロ)年配のある人はそうした祝福に対する感謝をどのように示しましたか。

      19 エホバの贖いの備えは,いかなる人にもとこしえの命の道を開きます。エホバはご自分の使いたちを用い,エホバのご意志を知ってそれを行ないたいという真剣な願いを表わす人々を集めておられます。(黙示 14:6,7)ものみの塔協会の一支部は次のような手紙を受け取りました。「私は68歳になる盲人です。長年入院生活が続いた1970年11月当時,頼る人もなく,生きる勇気も失い,死を決意するほどでした。そんなある日の朝,私は神柵の前でこのように祈りました。『死ぬ前に一度だけ,神柵の中にいるような神ではなく,真の神に会わせてください』。ところが,祈り終わらぬうちに,『ごめんください』という声が聞こえました。驚いたことに,その人は,『私はエホバという真の神の証人として良いたよりをお伝えしている者です』と言いました。さっそく上がっていただき,いろいろと話を聞きました。それ以来,最初から休まず土地の証人たちの集会に参加させていただき,1971年の5月には,私自身が家から家を訪ねる伝道者になり,同年12月4日にエホバの証人の巡回大会で献身を水のバプテスマで表わし,同月の25日から一時開拓奉仕をしました。目が開いていた28年間を含め,過去68年間のうちで今ほど幸せで希望と喜びに満ちた毎日はありません」。その喜びの具体的な表現として,この愛すべきクリスチャン姉妹は,自分の国における神権的な拡大の建設計画に資するため,惜しみない寄付をその手紙に添えて送ってきました。

      20 エホバはどのように『来たりて自分の民を救わ』れますか。

      20 確かにエホバは,『来たりて自分の民を救う』という約束を果たされました。エホバは彼らを宗教的な大いなるバビロンから救い,ご自分との友交的な関係に,そうです,霊的なパラダイスの中に導き入れられました。贖われた信者たちにとって,この霊的なパラダイスにいることには,数えつくせない祝福が伴っています。「そのとき[霊的な]めしひの目はひらけ [霊的な]みみしひの耳はあくことを得べし そのとき[霊的な]あしなへは鹿のごとくにとびはしり [霊的な]おふしの舌はうたうたはん」。わたしたちの時代においてさえ,次の預言は成就しています。『かしこに大路あり その道[大いなるバビロンから出る道]は聖き道ととなへられん けがれたるものはこれを過ぐることあたはず ただ主の民のために備へらる これを歩むものはおろかなりとも迷ふことなし』。この道に入ることは,エホバの要求を謙虚に学んで真の知恵を働かせ,キリストを通してなされた命のための神の備えを受け入れる人すべてに開かれています。『[大いなるバビロンにおける捕われから]エホバに贖ひ救はれし者うたうたひつつ帰りてシオン[メシアによる神の王国]に来たり そのかうべにとこしへの喜びをいただき楽しみと喜びとを得ん しかして悲しみとなげきとは逃げさるべし』。―イザヤ 35:4-6,8,10。

      21 わたしたちはどんな希望をいだいていますか。それはわたしたちをどのように動かすはずですか。

      21 ここに述べられる霊的な奇跡はまもなくもう一度行なわれます。いつですか。み子イエス・キリストによる神の千年王国のもとにおいてです。1,900年前地上におられた時でさえ,イエス・キリストは文字どおりの意味でこれと同種の奇跡を行ないました。王として,イエスはこうしたことを再び行なわれます。地上に復興する文字どおりのパラダイスにおいてです。(ルカ 23:43,新)なんと喜ばしい希望ではありませんか。そして,現在成就しつつある預言は,わたしたちがこの歓喜の時のまさにその門口に立っていることを示しています。今こそ精力的に励むべき時です。それは,救いの神との交友をほんとうに保って歩んでゆくためであり,「大患難」を経て,その後に横たわるとこしえの祝福の時に至るまでです。―ルカ 13:24。

  • あなたはエホバを待つことができますか
    ものみの塔 1973 | 11月1日
    • あなたはエホバを待つことができますか

      『われはエホバを仰ぎ望みわれを救う神を望みまつ わが神われに聞きたまうべし』。これは預言者ミカのことばです。―ミカ 7:7。

      あなたはエホバに対して,ミカと同じように強い希望をいだいていますか。あなたはエホバを待つことができますか。ある願わしい事柄を待ち望んでいて,それがすぐには実現しない事柄であるとき,子どものようにいらいらしますか。それともエホバに信頼して平静な態度を保ちますか。逆境に陥るとき,『あなたの救いの神を待つ態度を示』しますか。

      待つことは必ずしもやさしいことではありません。このことは,ある事柄を長い間待ち望んでいる場合にとくに真実です。『望みを得ること遅きときは心を疾しめ』と,神の霊感による箴言が述べているとおりです。(箴 13:12)しかしながら,時間は変らない速度で流れてゆきます。わたしたちが確実に良い結果を得るよう最善をつくし,かつ計画を立てるにさいして,わたしたちに対するエホバのご意志を考慮に入れているなら,祝福は訪れます。時には全く思いがけない方向から,予期していなかった祝福を受けることがあります。こうした祝福に対してもわたしたちはエホバに感謝します。

      時々わたしたちは,人間の能力では解決できない事態に直面することがあります。そういう場合にはどうしますか。エホバを待ちます。そうです,『エホバを待ち望め』です。ただすわって無為に待つのではなく,問題を扱ってくださるよう心からエホバに祈り,確信を持ってエホバのみ手

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