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  • 人類は自滅するか
    目ざめよ! 1980 | 9月8日
    • 人類は自滅するか

      1945年8月6日,あの運命の日に広島の上空は晴れ渡っていました。起きだした町の人々の中で,その日の朝8時15分に突然襲った大惨事をわずかでも予想し得た人はひとりもいなかったことでしょう。

      その出来事は,「空から降りそそいだ破滅であり,地上でかつて見られたことのないもの」と描写されました。大量殺りくの恐るべき手段を手にした人類は,今や新しい戦争の時代に入ったのです。

      この事態は,聖書の言う「世の終わり」をいつの日かもたらす事と何らかの結びつきを持つものでしたか。それに答える前に,8月のあの日に起きた事が,一体どうして画期的な恐ろしい出来事であったのかを考慮しましょう。

      目撃者の話

      「『パラシュートが落ちてくる』と,だれかが叫びました。それを聞いて私はその女の人の指さした方を振り向きました」。広島にいた一人の婦人はこのように語り始め,こう続けています。「その瞬間,私の振り向いた方の空が光りました。その光をどう描写してよいか分かりません。目の中に火がついたのではないかと思いました。

      「閃光と,おなかの底まで響く爆発の音と,どちらが先であったかは覚えていません。それはともかく,次の瞬間には地面にたたきつけられていました。

      「空気の,たまらないにおいにすぐ気づきました。そして,顔の皮のはがれたような感じがするのです。私はびっくりしました。手も腕も同じでした。……右手の皮は全部はがれて,気味悪く垂れ下がっています。……橋の下の光景は目を覆うほどのものでした。何百人もの人々が川の中でもがいていました。男と女の見分けもつきません。皆同じように見えました。顔ははれ上がって灰色となり,毛はさか立っていました。両手を高く上げて,人々はうめきながら川を目がけて走っていました」。

      「人間の発明した最も恐るべき破壊的兵器」と新聞に報ぜられたもの ― 原子爆弾が,戦争に初めて用いられたのを,この婦人は見たのです。即死した人は何万人とおり,完全に蒸発してしまった人も恐らく数多くいたことでしょう。しかし最初の一撃に生き残った人々は核戦争の真の恐ろしさを実際に知ったのです。致死量の放射能を浴びたため,人々は吐き気ですぐに動けなくなり,吐血,高熱,ひどい下痢,腸内出血がそれに続き,十日以内に苦悶のうちに死にました。最終的に死者は約14万人に上ったものと推定されています。そのすべては一発の爆弾のためです。

      その新しい時代の幕開け以来,35年がたちました。当時,その爆弾を持つ国はひとつだけでした。しかしその後はどうなりましたか。

      過剰殺りくの時代

      ほどなくして他の国も原子兵器を開発し,国家間の緊張が強まるにつれて核兵器競争が続けられました。そしていっそう大きな爆弾がより多く造られるようになりました。広島に投下された,“リトル・ボーイ”というあだなの原爆はTNT1万3,000㌧に匹敵する破壊力を有していましたが,それでも今日の爆弾に比べるならば,まさに“リトル・ボーイ”の感を免れません。すでに実験されたものの中には,TNT6,000万㌧に匹敵するものがあるのです。

      様々の大きさのこのような爆弾は,多くの兵器庫に何万発と貯蔵されています。米国だけでも,世界中の男女子供を12回も殺すことのできる核弾頭を所有しているのです。しかし火力は恐るべき事態のひとつに過ぎません。

      それでも,非友好国から何千㌔も離れているので,一応,安全であると感ずる人がいるかもしれません。しかし今日では,想像を絶するほどの正確さで目標を目がけて核弾頭を発射することのできる装置があるのです。8個もの核弾頭を積んで約9,600㌔を飛び,目標から450㍍の範囲内に落下する高性能のミサイルが存在しています。近い将来,目標から数㍍の範囲内に命中する性能を持つようになることでしょう。“射程外”にいるから全く安全だと言える人が地球上にひとりもいない事は明らかです。

      過剰殺りくに加えて,ある国々は化学および生物学(細菌)兵器で軍備をかためてきました。「微小な一滴で心臓まひを起こす新型の死のスプレーが作られつつある」と,一権威者は報告しています。この問題の研究に多くの時間を費やしてきた,最高水準にある科学者のひとりは,「生物戦が,今なお世界をおびやかす非常に大きな脅威になっている」と警告しました。

      ソ連のブレジネフ書記長は,最近の兵器開発を「核兵器よりも恐ろしい兵器」と描写し,「大量殺りくの新型兵器開発を禁止するよう」訴えました。これは環境の変化を生じさせて敵を破壊する“気象戦争”のことであると,多くの人に受け取られています。ソ連のレッド・スター誌は,「破壊的な軍事目的で」環境に手を加える結果「全世界に及ぶ異常な危険」について警告しました。一国が敵国の領土に洪水,干ばつ,地震,竜巻,そしてハリケーンさえも起こさせることができるのではないかと恐れられています。ハリケーンひとつがTNT10億トン,つまり最大の核兵器と比べてその16倍の力を持つことを考えれば,このような気象戦争の破壊力がいかに大きいかを察することができるでしょう。

      人類がみずからを滅ぼし,この地球を放射能によって荒廃した場所にしてしまう手段をすでに手にしていることは明らかです。とはいえ,1945年以来,戦争に核兵器が使われたことはありません。この理由で多くの人は,世界が全面的な核戦争に突入することは決してあるまいと考え,原爆の開発を助けたアルバート・アインシュタインの言葉を借りれば「地球上のあらゆる生命の絶滅」を意味するこのような戦争はないものと安心しています。

  • 考えられないこと ― それは起こり得るか
    目ざめよ! 1980 | 9月8日
    • 考えられないこと ― それは起こり得るか

      壊滅的な報復がある以上,どこかの国が核戦争を起こすということはあり得ない,とみなされていました。しかし最近における軍備の状況は,この「恐怖の均衡」あるいは「抑止力」が,そのような事を確信する確かな根拠とはならないことを示しています。

      すでに述べたように,大陸間ミサイルの精度は過去数年間に著しく向上しました。その意味するものがなぜ人を慄然とさせるのかを,ネーション誌は次のように述べています。

      「そのうえ,米国が開発を進めているタイプの兵器は単なる“抑止力”以外の何かを思わせる。巡航ミサイルは実戦において2,000マイル(約3,200㌔)先の目標から15ないし30ヤード(約14ないし27㍍)の範囲内に命中する。……問題はこうである。それだけの精度を持つ兵器は,都市や住民に対する“第二撃”である報復攻撃には必要ないという事である。単なる“抑止力”としては,目標から半マイル(約800㍍)かそこらの範囲に落ちる爆弾で十分である。しかし精度が重要になるのは,敵に応戦のいとまを与えないような奇襲の第一撃を加えようとする国の場合である。何千トンもの鋼鉄とコンクリートで固められた敵のミサイル地下格納庫を破壊するのに必要な爆弾は,精度が高いほど少なくてすむ」― 1978年5月27日号。

      また核兵器を開発中の国はますます増えています。「原子科学者報告」はその明白な危険に注目してこう述べています。「核兵器の保有国が増えればそれだけ核戦争の可能性が大きくなることは広く認められている……核兵器の科学技術は広く知られているため,今では政府はおろか,テロリストのグループが核爆発物を造るのではないかと懸念されている」― 1979年9月号。

      このような,ぞっとする兵器を持つ国が国益を危うくする重大な紛争に巻き込まれる時,結果にはおかまいなく核戦力を使用するのではないかという不安を,あなたは感じないでしょうか。そう感ずるのはあなただけではありません。

      警告を与える会議

      1978年5月の数日間,カナダのトロントに10か国から30名の科学者,軍事専門家,政府顧問を集めて「西暦2000年までに核戦争の起こる危険」を主題に真剣な討議を行なう非公開の会議が開かれました。「この会議のいちばん著しい特色は,核戦争の危険が増大しているという,共通の危機感であった」と司会者ジョン・ポラニイは述べました。300人以上を集めた米国の“第1回核戦争会議”を含め,専門家の会議が他にも開かれていますが,それらも同じ結論に達しています。

      ソ連のブレジネフ書記長に“近い筋”でさえも,次のように報告しており,近い将来に対する懸念を表明しています。「ソ連内の意見はこうである。緊急に対策を講ずる必要がある。さもないと,戦争が起こるかもしれない」。(下線は本誌)

      全く異なる分野になりますが,核戦争の近いことを同様に信ずる人々は宗教界にも大勢います。しかしそのような人々は自分たちの結論が聖書に基づくものであると言います。例えば,『地は火で滅びるであろう』と述べた聖句に注釈を加えて,宗教学の一教授はこう語りました。「現在の核兵器の蓄積によって,この句は現実味をおびてくる」。―ペテロ第二 3:7。

  • 核による破滅の日 ― それは聖書に預言されているか
    目ざめよ! 1980 | 9月8日
    • 核による破滅の日 ― それは聖書に預言されているか

      決してそのような事はありません。それとは反対に聖書はこう述べています。神は『地を基のうえにおきて永遠にうごくことなからしめたまう』。『地は永久に長存なり』。―詩 104:5。伝道 1:4。詩篇 119:90もご覧ください。

      『しかし聖書は「世の終わり」について述べ,地球が「火」で滅びると述べていませんか』。マタイ 24章3節(文語)とペテロ第二 3章7節を指摘して,このように言う人もいます。イエスは『世の終わり』について述べたと同じ章の中で,それが何を意味するのかを示しておられます。イエスは『世の終わり』をご自身の再び来られることに結びつけて,こう言われました,「人の子の臨在はちょうどノアの日のよう……です。……[人びとは]洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の臨在の時もそのようになるのです」― マタイ 24:37,39。

      聖書の意味するところ

      ですから聖書の言う『世の終わり』は,ノアの時の世界的な大洪水の時代およびそれに至るまでの時代に似た時期を終わらせるものになります。その期間の終わった時に何が滅びましたか。聖書はこう述べています。「[神は]不敬虔な人びとの世に大洪水をもたらした」― ペテロ第二 2:5。

      その「不敬虔な人びとの世」が大洪水で滅びた時,暴虐に満ちた事物の体制は終わりました。しかし文字通りの地球が滅びたのでないことは明らかです。それは今でもわたしたちの足の下にあります。ですから,この時代においても,神が終わりをもたらすのは,邪悪な「事物の体制」であり,それは「不敬虔な人びと」を滅ぼすことにより行なわれます。

      しかし『地……は焼け盡きん』と述べた聖句についてはどうですか。(ペテロ第二 3:10,文語)聖書の中で「地」は常に地球を意味する言葉として用いられていますか。そうではありません。例えば,次のような句があります。「全地は一の言語……のみなりき」。『全地よエホバにむかいて

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