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大災害をもたらした洪水目ざめよ! 1979 | 11月8日
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の報に接するとすぐに,不自由な生活を送っているクリスチャン兄弟たちに,金銭や衣料品,シーツ,まくらカバーなどの寄付を送りはじめました。何らかの仕方で洪水の影響を受けたすべての会衆と電話で連絡を取る努力が払われました。また,サンパウロにある,ものみの塔協会の事務所からも,代表者が救済資金を携えて急きょ被災地に向かいました。
食糧や衣料品は友人や隣人にも分け与えられました。特に,ゴベルナドルバラダレスのエホバの証人は,地元の軍当局や地方官憲から,空前の大災害に際して示したその精神を大いにほめられました。洪水で家が水浸しになっている隣人たちを泊めるために,一つの王国会館が使われました。別の会衆は,当局と協力して炊き出しをするのに,自分たちの王国会館を使用しました。そこの備品を使って政府から支給された材料が調理され,2月13日までに約3万食の食事が提供されました。エホバの証人は大量の食事を準備する上で豊富な経験を持っているため,その経験は大いに感謝されました。
一方,ブラジル政府はさらに様々な処置を講じ,緊急措置として15億クルゼイロ(約154億5,000万円)を支出することにしました。このように,あらゆる援助が差し伸べられてはいますが,洪水の惨禍の跡を消し去るには,幾年もかかるものと思われます。
洪水はなぜ起きたか
ブラジルの中部と東部では洪水が発生し,一方南部では干ばつに見舞われていて,天候は極めて不順でした。これに匹敵する出来事を過去に経験したことのある人はだれもいません。ところで,なぜ,このような事態が発生したのでしょうか。
オ・エスタード・ド・サンパウロ紙に注目すべき報告が載りました。こう伝えています。科学者の見解によれば,「人間は,石炭や石油を燃やし,森林を破壊することによって,あまりに多くの炭酸ガスを遊離させている。このため,大気を透過してきた太陽光線の生み出す熱が逃げ場を失い,それによって大気の下層部が熱せられ,ある地域で雨が多く降ったり,別の地域でひどい干ばつが発生したり,極地の氷が溶けたりする事態が引き起こされている」。
原因がなんであれ,次のことは明らかです。すなわち,このような災害を回避するためには,人間は,自分の力のはるかに及ばないこのような力を制御できるよりどころを必要としているということです。
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昼が夜に変わった時目ざめよ! 1979 | 11月8日
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昼が夜に変わった時
カナダからの報告
1979年2月26日は,マニトバ州の中部に住む多くのカナダ人にとって長く記憶に残る日となることでしょう。その日の午前10時47分に,それまでさんさんと降り注いでいた陽光が突然消えて,夜が訪れました。皆既日食だったのです。
地球のまわりの軌道上を動く月が,地球と太陽のちょうど間に入ったとき,月の影が地球に落ちたすべての地域では太陽の光が完全にさえぎられます。
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