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最も偉大な政府の「鍵」を用いるものみの塔 1980 | 1月1日
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人は水から,そして霊から「生まれ」,神の天の王国に入る資格を備えました。(ヨハネ 3:5)この場合の霊の働きは,のちほどの使徒 10章44-46節,および11章15-17節に記述されている働きに似ていました。そういうわけで,使徒ペテロは第二の「天の王国の鍵」を,信仰を持ち,バプテスマを受けたサマリア人のために用いました。そのとき,使徒ヨハネがペテロに同行していたのは確かですが,その前のペンテコステの日には,他の11人の使徒たちが鍵の所有者ペテロと共にいました。―マタイ 18:1,18もご覧ください。
27 元魔術師のシモンについてペテロが指導的立場にある者として行動したことは,使徒 8章18-23節にどのように示されていますか。
27 ペテロが優先権を持っていたことは,使徒 8章18-23節の次の記述からわかります。「さて,使徒たちが手を置くことによって霊が与えられるのを見た時,シモン[魔術師]は彼らに金を差し出して,こう言った。『わたしにもその権威を与えて,だれでもわたしが手を置く者が聖霊を受けられるようにしてください』。しかしペテロは彼に言った,『あなたの銀はあなたとともに滅びてしまうように。あなたは神の無償の賜物を金銭によって手に入れようなどと考えたからです。この事においてあなたにはあずかる分も割り当てられる分もありません。あなたの心は神から見てまっすぐではないからです。それゆえ,あなたのこの悪を悔い改め,もし可能ならあなたの心の企てがゆるされるようにとエホバに祈願をしなさい。わたしは,あなたが有毒な胆汁,また不義のほだしであるのがわかるのです』」。この場合にペテロは,キリストの第一の代理として指導的立場にあったことがこの記録からわかります。王国の鍵を委ねられた者として,ペテロは語りました。
28 その時,王国への道は,ほかのだれに開かれましたか。霊によって生み出されたサマリア人たちは,どこで崇拝を始めましたか。
28 その時以来,サマリア地方のほかの人々にも同様の機会が開けました。ですから使徒 8章25節には,「こうして,徹底的に証しをしてエホバのことばを語ってから,彼ら[ペテロとヨハネ]はエルサレムに引き返したが,サマリア人の多くの村に良いたよりを宣明していった」と述べられているのです。今やバプテスマを受け,霊によって生み出されたサマリア人たちは,ゲリジム山やエルサレムではなく,その偉大な霊的な神殿で,天の父エホバを崇拝するようになりました。―ヨハネ 4:21。b
29 サウロがキリスト教に改宗した後,ユダヤ,ガリラヤ,サマリアの,霊によって生み出された会衆はどうなりましたか。フィリポはどこに落ち着きましたか。
29 フィリポや他のユダヤ人のクリスチャンがサマリアに逃亡することを余儀なくされたのは,タルソスのサウロというパリサイ人の扇動による迫害が原因でした。しかしサウロ自身がキリスト教に改宗した後,パレスチナの会衆の事情は一変します。使徒 9章31節にはこのように記述されています。「こうして,会衆は実に,ユダヤ,ガリラヤ,サマリアの全域にわたって平和な時期に入り,しだいに築き上げられていった。そして,エホバへの恐れと聖霊の慰めのうちに歩みつつ,人数を増していったのである」。一方フィリポは,カエサレアという海港都市に落ち着きました。そこは,ユダヤ州を治めるローマの知事の本部施設があり,イタリア隊の兵士が駐屯していたところでした。―使徒 8:40; 21:8; 10:1; 23:23-35。
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「王国の鍵」と「大群衆」ものみの塔 1980 | 1月1日
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「王国の鍵」と「大群衆」
1 フィリポが最後にはカエサレアに移ったことを考えると,西暦36年のフィリポについて,どんな疑問が生じますか。
西暦36年のこと,地中海東岸のカエサレアで,キリスト教史上特筆すべき事件が起きました。福音宣明者フィリポがその年までにそこに定住していたかどうかは定かではありません。もし定住していたとすれば,当時カエサレアに駐屯していたイタリア隊の兵士の一士官に関連した事柄で,フィリポが用いられなかったのはなぜでしょうか。サマリアにおけるクリスチャンの活動の面では,フィリポは使徒ペテロに先んじていました。それなのに西暦36年のカエサレアに姿を現わしていないのはなぜですか。霊感によって書かれた聖書はその答えを与えています。
2 モーセの律法契約が廃止されたのはいつですか。しかしながら,割礼を受けたユダヤ民族はいつまで優遇されましたか。
2 モーセを仲介者として,アラビアのシナイ山でエホバ神とイスラエルとの間に結ばれた律法契約は,アブラハムとダビデ王の子孫であるイエス・キリストが杭にかけられたことによって廃止されました。それはイエスが西暦29年に水のバプテスマを受け,霊によって油注がれてから,三年半たった後のことでした。それにもかかわらず,エホバは引き続き生来のユダヤ人を,そしてさらにこの三年半の間はサマリア人も優遇されました。それはダニエル 9章24節から27節(前半)の預言が成就するためでした。この「週」つまり七年でなる期間は,西暦36年の陰暦第七月(チスリ)に終わりました。その時以降,アブラハムの子孫のイスラエル人は,非ユダヤ国民,つまり無割礼の異邦人と霊的に同格になります。それから先は,ユダヤ人がアブラハムの神から優遇されることはなくなります。このことは西暦36年にどのように示されましたか。
3 (イ)この時使徒ペテロはどこにいましたか。なぜそこにいたのですか。(ロ)ペテロが異例の行動をとったとして,エルサレムの割礼を受けたユダヤ人のクリスチャンから非難されたのはなぜですか。
3 同じころ,ペテロはヨッパという港町のクリスチャン会衆からすぐに来てくださいと頼まれてそこへ赴き,善行に富んだユダヤ人のクリスチャン,ドルカスを生き返らせます。そしてその地の皮なめし工シモンのところで,かなりの日数を過ごします。(使徒 9:36-43)その当時,無割礼の異邦人は,ユダヤ人の友としては望ましくない者,神の民の会衆から排斥された人と何ら変わるところのない者とみなされていました。(マタイ 18:17)ですから,ユダヤ人のクリスチャンであったペテロは,この時に至るまで,無割礼の異邦人の家へ進んで入ったことはありませんでした。(福音宣明者フィリポの場合も同様だったに違いありません。)その結果,後刻,エルサレムにいる割礼を受けたユダヤ人のクリスチャンはペテロがついに異邦人の家に入ったことを聞き及び,「彼が割礼を受けていない者たちの家にはいっていっしょに食事をした」と言ってペテロを非難しました。―使徒 11:3。
4 ユダヤ人のクリスチャンであった使徒ペテロは,カエサレアの異邦人の家に入った後,自分の気持ちをどのように説明しましたか。
4 クリスチャン会衆の使徒としてすでにある程度の年数を経ていたペテロでさえ,ためらいつつ入ったカエサレアの家の主人に次のように述べています。「ユダヤ人にとって,別の人種の人といっしょになったり近づきになったりするのがいかに許されないことか,あなたがたはよく知って
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