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  • 良いたよりを携えてアンデスの高山地帯へ
    目ざめよ! 1974 | 3月8日
    • はあまり持っていません。ですから,聖書文書の代金の代わりにそれに見合う農産物が差し出されます。本がなくなっていくにつれて,皮のかばんの中はジャガイモや玉子,アボカド(クスノ木科の熱帯果樹)や数㌔のコーヒー豆などでいっぱになっていきます。ある日など,その日の終わりに120本ものトウモロコシがカーサ・ルスに持ち込まれ,足の踏み場もないほどでした。

      犬や牛を危ういところでよけたり,サボテンの木をうかいして進んだりするなど,平穏無事な日はほとんどありません。時には,危なっかしげに置かれたひょろ長いポールを渡って川を越えなければならないこともあります。パンクは日常茶飯事です。両方の車の他の部分の修理も次々にしていかなければなりません。時には難しい故障もあります。一度,ランド・ローバー・ジープの車軸が折れたことがありました。オートバイ,バス,汽車を乗り次いで,奉仕者のひとりが大きな町に行き,部品を持って来るまでに12日もかかりました!

      こうした経験によって,4人の奉仕者は,一日中食べ物なしで過ごすことから,インディアンの家族といっしょにゆでたジャガイモの簡単な食事をすることまで,どんな事態にでも対処できるようになりました。

      1日9時間ないし10時間奉仕した後に,3人の奉仕者たちは疲れてはいますが,深い満足を覚えます。3人は,夜のとばりがおりはじめてから,ジープで帰って来ることもしばしばです。「家」に向かいながら,互いに経験を語り合います。

      家では,その日の「コックさん」が作った心づくしの食事が待ちうけています。食事に続いて個人の勉強あるいは,宣教を改善するために毎週開いている3つの集まりのどれかが行なわれます。それから,気持ちのよいベッドに迎え入れられ,朝5時まで眠ります。そしてまた,同じ1日が繰り返されます。孤立した山の中に住むこれらの親しみ深い人びとに良いたよりを伝えることは,確かに努力を払う十分の価値がありました。

      巨大な万年氷原の陰に広がる氷つくような高原。その一方,うっそうとした樹林で覆われ蒸気を上げている峡谷。こうしたアンデスの山景は,奉仕者に創造者のことを絶えず思い起こさせました。こうした自然を創造したかたに対する感謝の仕方について,この壮大な自然の中に住む正直な人びとが学ぶのは極めて急を要するものであることを,これらの奉仕者は知っています。アンデスの孤立した地域に住む人びとのもとに,良いたよりは伝えられつつあります。カーサ・ルス号がアンデスの山中深く良いたよりを携えて行くため,この地域に住む誠実な人びとの将来は希望に満ちた明るいものとなっています。

  • クジラの生活
    目ざめよ! 1974 | 3月8日
    • クジラの生活

      ハワイの「目ざめよ!」通信員

      高価な香水,化粧品,飼料,マーガリン ― これらに共通しているものは何でしょうか。こうした製品のすべては,少なくともある程度,クジラを原料としてきたようです。事実,そうした品物の原材料としてあまりに多くのクジラを捕りすぎたため,種族絶滅の危険さえ生じています。

      ハワイの人がクジラを歓迎するのには別の理由があります。クジラの群れが現われることは,魚が多くなるしるしであると見られているからです。毎年12月か1月になると,ハワイ諸島のマウイ島沖に大きなザトウクジラがやって来て,4か月に渡り壮観なマリーン・ショーを演じます。体長12-15㍍ものクジラが,泳ぎ回り,潮を吹き,遊び場の子どものようにはね上がります。

      クジラがマウイ沖にやって来るのは,ここの温暖な危険の少ない気候のもとで子を産み,子どもに最初の訓練を施すためです。母クジラが,岩場の非常に多いマウイ島の海岸近くを選んで体長3㍍から4.5㍍の子どもを産む理由は知られていませんが,母クジラが産みの苦しみを経験している間,父クジラはみごとな体操演技を見せます。父クジラはこうして“分娩場”からサメを遠ざけているのだ,と言う人もいます。

      各種のクジラの特徴

      この非常に多くの特徴を備えたザトウクジラは,背中が幾分ふくらみ,頭部には独特のこぶがあり,尾の裂片部(尾びれ)と前びれの縁はでこぼこになっています。3.5㍍にも達する前びれは,あらゆる種類のクジラの中で最長のものです。ザトウクジラは海岸近くに留まり,クジラの標準からすると特別深くはもぐりません。しかし当局者の話によると,鯨油が豊富に取れること,また捕獲し,処理することが容易であるなどのために,この種のクジラは,絶滅の可能性が最も大きいとのことです。

      他のクジラは,おそらくもっと多くの特徴を備えているでしょうし,またよく知られていることでしょう。たとえば,現存する最大の動物として知られているシロナガスクジラがいます。体長は平均25㍍から30㍍で,体重は134㌧にも達します。クジラひげ,つまり鯨骨を取るために,かっては産業上非常に重要であったセミクジラもいます。しかし,最も有名で執ように捕獲されたクジラは,「白鯨」と題する本や映画で良く知られたマッコウクジラです。

      マッコウクジラは,体の三分の一近くもあるく形の頭やひとつしかない鼻孔によって,すぐそれと見分けられます。その大きな頭には,現在1㌔当たり160円から190円ほどする良質の鯨脳油が多重に含まれています。腸には,龍涎香が非常によく見つかります。脂状のこの独特な分泌物は,高級香水を作るさいの原料として珍重されています。龍涎香は柔らかいピッチに似ていますが,脂のようにぬるぬるしてはおらず,冷やすと粘着性もなくなります。かび臭いにおいがし,色は黒か茶,中には白っぽいものさえあります。龍涎香は,現在,1オンス(約28.3㌘)当たり2,000円から3,000円もします。

      マッコウクジラの生活

      メキシコの西方約320㌔の北回帰線付近の海域はマッコウクジラの産場のひとつです。ここで子クジラが生まれます。クジラと同じようにこうして胎児を水面下で出産する動物は,他にはセイウチとカバのわずか2種類だけです。マッコウクジラの子どもは尾からしだいに産まれてきます。誕生時の大きさは,体長が4.3㍍,体重は1㌧もあります!

      子クジラが,まだ歯のはえていないピンク色の口を開けたからといって,笑っているなどと考えないでください。人間とは違って額にしわをよせることができないので,目をぎょろつかせたり,口をパクパクさせたりする場合を除けば,クジラの顔は無表情で堅く引き締まっています。たとえ,子クジラに笑うことができたとしても,水がこう冷たいのでは笑おうとしないでしょう。子クジラは,それまで16か月に渡って摂氏約36度の母体内に横たわっていました。ですから,母クジラが幅のある顔を使って子クジラを水面上に押し上げると,子クジラはあえいで空気を吸い込みます。ご存じのように,子クジラは生まれた時から本能によって泳ぎ方を知っているわけではありません。母クジラがそれを教えなければなりません。しかし,子クジラは太っているため,じょうずに浮きます。体温を暖かいままに保てることは,出産時に体が大きいことの最大の利点です。体が大きければ大きいほど,冷たい海水に熱が奪われて体温が下がる割合は緩やかになります。生まれてから2年間は,子クジラは母親の乳首(腹部の両側の細長い裂け目の中にひとつずつ隠されてある乳頭)から,33%以上もの純脂肪を含む濃い乳を吸って育ちます。普通わたしたちが飲むミルクには,わずか4%の脂肪しか含まれていません。

      マッコウクジラのこどもには厚さ2.5㌢ほどの鯨脂のいわばコートのようなものがありますが,これは年とともに大きくなり,厚さ30㌢以上もある巨大な堅い覆いとなります。母クジラに影のように寄り添っている間に,体重は毎日3.2㌔ずつ増えていきます。そして後には,貯えた脂肪のおかげで,何週間も何も食べずに過ごせるようになります。しかし,しだいにイカのような堅いえさを好んで食べるようになると,消化に関連した問題をかかえはじめます。クジラの腸にたまる異物は,イカを食べるためにできると言われています。この異物は,胆汁その他の,腸の下部で分泌される有機化合物と結合して大きくなり,やがては高価な龍涎香になります。

      クジラの持っている珍しい習性のひとつは,お互いに非常に深い配慮を払っていることです。窮地に陥ったクジラは激しい叫び声を上げます。すると,仲間のクジラが次々に集まってきて,傷ついたり,病気で苦しんだりしているクジラの下にちょうど肩を入れるようにして,水面に出るのを助けます。捕鯨者たちは,自分たちの商業上の利得のために,クジラのこの愛情深い性質を利用してきました。母クジラが助けに来ることを知っているので,彼らは残忍にも子クジラを傷つけ,こうして母クジラと子クジラの両方を殺しました。

      マッコウクジラは,親から受ける最初の訓練を終えたころには,非常に巧みなダイバーになっています。あるマッコウクジラは深さ約990㍍もの海底にもぐり,そこに敷設されていた海底電線にひっかかっておぼれ死んでしまいました。科学者たちは,この哺乳動物がこれほどの深さにまで急速にもぐり,しかも人間のように潜函病にかかることもなく,必要とする呼吸にまにあうように正確に水面に上がってくることに驚嘆しています。

      9歳のころには,マッコウクジラはすでに性的に成熟しています。30歳から45歳になると,体長は14㍍ないし18㍍にもなります。寿命は最長のもので75歳ほどです。

      鯨学

      海洋問題の専門家たちは,どんな種類のクジラについてでも,その生態を詳細に調べることは不可能であったと語っていますが,クジラを研究する動物学者が苦労して集め上げた資料のおかげで,鯨学(クジラを研究する動物学)なるものができあがりました。モリでしとめたクジラの背中から藻を採取し,動物学者がその類型を調べた結果,クジラは最近までもっと冷い海域に生息していたであろうと推測されるようになりました。また,動物学者はクジラの卵巣を薄く切り開いて妊娠の痕跡を数え,それまでの出産経歴を推定することもできます。

      鯨学は,クジラと類縁関係にあるネズミイルカやマイルカなども研究の対象にしています。これらすべては,鼻で空気を呼吸し,子どもを乳で育てる温血哺乳動物です。クジラとして知られているのはその中の大きい種類のものです。小さい種類のうち鼻先のとがっているのはマイルカ,頭の丸いものはネズミイルカと呼ばれています。それから他に,イッカクと呼ばれる珍しい種類のイルカがいます。イッカクには歯が1本しかなく,その歯は長さが2.5㍍もあり,よじれてキバのようになっています。

      捕鯨業とその歴史

      グリーンランドに移住した古代ノルウェー人はクジラを捕っていました。しかし,最初の職業捕鯨者は,ビスケー湾添いに住んでいた11世紀および12世紀のバスク人であると言われています。1522年までには,ニューファンランドに向かう初期の航海者たちはりっぱな漁船団を引き連れていました。そのころから,クジラを求める主要な目的は肉から油や骨になりました。油は主に灯油として,また鯨骨は,ムチや傘,また種々の婦人服を作るさいに用いられました。1890年代には,鯨骨は1㌔で11㌦(約3,000円)もしました。

      発見困難な北西航路の探索のために,航海者たちはクジラの豊富な冷たい海域に進出するようになり,結果として捕鯨業を大きく刺激しました。容易に出かけて行ける近海域で捕鯨が長年に渡って行なわれたため,クジラの数はその当時減少していました。ですから,北極海に手つかずの海洋資源があるというニュースは大いに歓迎されました。

      クジラの数が減少したため,捕鯨者たちはその活動域を外洋にまで広げなければなりませんでした。初めは鯨脂をたるに詰めて母港に持ち帰り,それから油を取りました。オランダでは,1680年までに260そうの船と1万4,000人の人びとが捕鯨業に携わっていました。その後,船の中で鯨脂を煮て油を取る作業が行なわれるようになり,それによって捕鯨船団の活動範囲はかなり大きくなりました。

      容易でないクジラの生活

      クジラの側から見ると,その生活は決して容易なものではありません。クジラの背中には,イカやタコの触腕のへりの強力な吸盤に吸いつかれてできた,丸形の青白い深傷の跡が見えます。年をとったクジラは例外なく,大イカのくち先で顔のまわりをかみつかれたり,肉をえぐり取られたりしています。別の敵はメカジキです。時には,80㌢近くもあるメカジキの吻(とがった口先)がクジラの皮膚に突きささったままになっていることもあります。

      しかし,現在まで知られているところでは,この深い海に住む,遊びの大好きな巨大な生き物の最も強悪な敵は人間です。しかし,クジラが人間と戦うのは,激しく怒らされた時だけです。怒ったクジラは,時には,その巨大な尾つまり尾びれで昔の捕鯨船を打ちたたき,こなごなに壊してしまうことさえありました。もりが打ち込まれた後でさえ,捕鯨船が,苦しんでいるクジラの尾で打ち砕かれたり,あごでかみ砕かれたりして,「捕獲」に失敗することも少なくありませんでした。

      しかし,人間の強欲さのために,クジラは絶滅寸前に追いやられました。そうした危険の可能性を察知したハワイの王は,1850年に,マウイ島付近でクジラを大量に殺害することを禁じる勅令を出しました。この勅令は,捕鯨者を拘束する世界で最初の制限令となりました。

      1865年にもり打ち砲が導入され,また捕鯨に決定的影響を与えた,クジラ処理施設を備えた艦船が建造されるにおよんで,捕鯨活動は一段と強化されました。現在では,日本やソ連は,急速に数の少なくなっているクジラを追い求めて,水中電波探知機やヘリコプターまで用いています。海洋生物学者の推定によると,セミクジラとホッキョククジラは世界全体で300頭もいないであろうと考えられています。シロナガスクジラも減少して全体で6,000頭,コクジラも残っているのは約1万頭にすぎないものと見られています。実質的に,現在でも多く残っているクジラは,ナガスクジラ,イワシクジラ,マッコウクジラの3種類だけです。

      クジラの将来

      クジラを絶滅の危機から救うために何を行なえるでしょうか。

      一昨年の6月にストックホルムで開かれた国連環境会議の席上,アメリカは,商業捕鯨を10年間停止する議案を提出し,その決議は採決されました。しかし,国際捕鯨委員会はその禁令を実行に移すことを拒否しました。中には,捕鯨を行なっている諸国に対し直接の経済制裁を加えるよう強く要求している団体もあります。

      英国,カナダ,アメリカなどの幾つかの国は,捕鯨産業を完全にやめました。ある国では,一時は750せきの船舶と4万人の乗組員を擁していた会社が,政府によって捕鯨許可の更新を拒否されたため,最近,最後の4せきの捕鯨船を廃船にし,40人の乗組員を解雇しました。さらに中には,クジラ製品の輸入を禁止した国もあります。資源保護論者の説明によると,現在クジラから取れる製品はすべて他のもので代用できる,とのことです。

      他の形態の動物の生命と同じように,クジラの将来がどうなるかは人間に大きく依存しています。そして明らかに,神のこの驚嘆すべき創造物を保護する行動が取られることが望まれています。

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