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  • 全き心をもってエホバに仕えなさい
    王国宣教 1972 | 1月
    • 研究を始めることに心をこめて働きたいと思います。年末に本を配布した人や新予約者を再び訪問したり,予約切れ用紙に基づく訪問をしたりすれば,だれかと新しい研究を始めることができるでしょう。研究のわざを促進する方法は数多くあります。鎌倉会衆は,姉妹たちのご主人に友好的な関心を払った結果,20人以上のご主人が現在集会に出席し,そのうち6人が定期的に研究していると報告しています。また,同会衆の報告によれば,研究を毎週定期的に司会し,初めから研究生を集会(特に会衆の書籍研究)に招待し,それら新しい「羊」のような人たちと親しい交わりを持つことにより,わずか6か月間にそれらの人々のうち21人がバプテスマを受けたとのことです。あなたは,現在司会している研究生に他の人を紹介してもらうよう依頼したことがありますか。東松山のある開拓者はこのことを実行してみました。ある研究生は別の人を紹介し,研究生となったその人はさらに別の人を紹介しました。そして最後に3番目の研究生ももうひとりの別の人を紹介したのです。この種の知人たちは,交わることにおいても,互いに励まし合うものです。

      7 4か月にわたる「ものみの塔」運動中エホバに奉仕するみなさんが,大きな喜びを味わわれますように。全き心をもって,『諸国民の間で言』いつつげましょう。「エホバご自身が王となられた」と。―詩 96:10,新。

  • 備えをしてください
    王国宣教 1972 | 1月
    • 備えをしてください

      1 人類に対するエホバの愛は非常なものです。「彼は,だれも滅ぼされるのを望まず,すべての者が悔い改めに至ることを望んでおられ」ます。(ペテロ後 3:9,新)そうです,神は人々のことをほんとうに気にかけておられるのです。それでわたしたちも,神に仕え,神の愛という特質を見習うがゆえに,そうしています。わたくしたちの願いは,他の人々がエホバを知り,わたしたちと同じようにエホバを愛することです。しかしサタンが不信者の思いをまどわしてきたため,わたしたちは反対や偏見を克服する必要があります。

      2 使徒パウロは,クリスチャンは「あらゆる良いわざに備え」るべきであるとさとしました。(テトス 3:1,新)クリスチャンは正しい見方をもって,思いと心の面で備えをすべきです。そうすれば,喜んで良いわざにあずかれます。どんな良いわざを ― たとえば,良いたよりを他の人に伝えること ― することが必要かを知っているのですから,なおいっそうの準備をするのはまさに理にかなっています。こうして,真理を進んで,また明確に説明できるとともに,聞く耳を得るために反対や偏見を克服できます。

      3 どのようにして備えをすることができますか。聖書の個人研究,王国会館での集会,および研究生の話などがそれに含まれているのはもちろんのことです。しかし,非常に実際的な価値のあるものとなり得る準備がほかにもありますか。あります。他の兄弟や姉妹に語りかけて,提案を求めたり,野外宣教で直面する反対や質問に対処する方法を練習したりすることができます。

      4 この種の準備のためのきわだった機会は,聖書研究生が,野外奉仕にあなたに同伴したいと願う時点まで進歩したときです。毎週の研究のあとに,少しの時間を取って,奉仕のとき何を話すのか,研究生に練習させてはいかがですか。話を簡単にし,暖かくほめてください。進歩は少しづつ表われるものですから,ともに練習すれば進歩する助けとなります。

      5 区域に行く時も,準備を行なえます。その区域でよく直面する反対を出してもらい,それを克服するのに役だった点を群れの人々に尋ねることができます。また,野外奉仕のための集まりも,野外での話に用いられる事がらを練習するのに良い場所です。そうすれば,区域に着いたとき,そうした提案をはっきり思い浮かべられます。同様に,家族内で練習することについてはどうですか。都合の良い時に,おそらく家族の研究のあとなどで,家族のみんなが交代に家の人の役を演じて反対を述べることもできます。他の人はそうした反対を克服する仕方について提案を述べられます。

      6 これらの短い練習のさい,ある事態や反対を処理するのにいくつかの方法があることを思いにとめてください。あるものにうまくいっても,他のものには効果的でないかもしれません。自分にもっとも適した話し方に名人が用いる種々の考えをわかち合うなら,互いに助け合うことになるのです。

      7 人間の他のいかなる活動においても準備が技術を向上させるのに役だつのとまったく同様,準備が伝道し教えるわざの技術を向上する助けとなることは,疑いありません。もちろん,野外宣教で人々に実際に語る経験に代わるものはありません。それがすべての練習の中で最善のものです。しかし,前もっていくらかの準備をすることにより,それを効果的に行なう助けとなるのです。

  • 自分の務めを固守する人々
    王国宣教 1972 | 1月
    • 自分の務めを固守する人々

      1 エホバの組織の中には,携わることのできる多くのすばらしい特権があります。開拓奉仕やベテル奉仕は,その一例です。初期の預言者や使徒たちが彼らの特別な割り当てを固守したのとまったく同様に,開拓奉仕やベテル奉仕のような特権を,5年,10年,20年あるいはそれ以上も保っている人は多くいます。その人たちは何ゆえにそれを続けることができるのでしょうか。

      2 1つの肝要な要素は,そうした人たちは神への奉仕に喜びを見いだしているということです。ネヘミヤが述べたとおりです。「エホバを喜ぶことは汝らの力なるぞかし」。(ネヘミヤ 8:10)その種の喜びは安心感を与え,力の源となります。しかし,それは,彼らが気落ちすることが決してないという意味ですか。そうではありません。エホバの忠実なしもべエレミヤでさえ気落ちし,一度は,わざをやめてしまいたいと感じたこともあります。しかし彼は軽率に行動せず,問題に打ち勝ちました。―エレミヤ 20:8,9。

      3 エレミヤが失意したのは,人々の無反応と反対のためでした。預言者エリヤも落胆したことがあります。彼は,自分ひとりが神の奉仕に携わって,いわばともに働く者がだれもいないと感じたのです。(列王上 19:9-18)今日のエホバのしもべたちも同様な理由で気落ちすることがあります。しかし,奉仕を固守する人は「エホバを喜ぶ」人です。

      4 この喜びが野外宣教で羊のような人々を見いだすことからのみもたらされないのは,明らかです。それは,必然的に喜びをもたらす仕事をすることに依存してはいません。神の真理を受け入れる人々に会うのは元気づけるものであるのは確かです。しかし,ある場所では,好意的な反応は少しもありません。また,聖書文書を供給するために,ベテル・ホームや印刷工場の運営にはなすべき事がらが多くありますが,それらはまさに地味で,骨の折れる仕事です。ある人々がそうした割り当てにとどまれるのはなぜですか。それらの人は『エホバを喜び』としているからです。あなたはそれをもっておられますか。

      5 そのような喜びは単に他人の反応に依存してはいません。他の人が文書を求めたり,聖書研究の勧めに応じたりするかどうかには関係ないのです。さらに,個人的な都合,ともに働くパートナーとか,交通用の自動車などを持っているいないにも依存していません。それは,特定の神権的活動に従事している時は得られるが,他の割り当てを受けた時には失う,というものではありません。

      6 『エホバを喜び』としてみずからを支えるのは,物事をエホバの観点から見るようになった人の分です。その人たちはエホバに用いられていることを感謝しています。それで,個人的な都合によって決定を左右されたりしません。(詩 110:3)それらの人は愛ある神エホバの賛美に全面的に貢献できることを,この上ない特権とみなしているのです。自分の務めを固守するのを助けているのは,エホバと自分との関係に対する認識です。

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