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収穫のために遣わされた人々の報告ものみの塔 1967 | 3月1日
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で取りはからいたいと願っています。あるいは,あなたの町や村のどこでエホバの証人が集会を開いているかをご存じであれば,どうぞエホバの証人と交わり,聖書を研究してください。全世界にはエホバの証人の2万4910の会衆があります。今日の世界で彼らが行なっているわざは,イエスが行なったわざと同じです。イエスは各地をめぐり,真理を伝道し,教え,真理を学びたいと願う弟子たちを見いだしました。しかし当時,聞いたことがらを信じたにもかかわらず,何も行なわなかった多くの人々もいました。あなたはどうですか。あなたは真理を研究したいですか。だれでも自分の生活の中で,特に聖書を読み,学んだのちには,決定を下さねばならない時が必ずきます。「わたしについてきなさい。あなたがたを,人間をとる漁師にしてあげよう」と言う召しの声を聞く時,あなたは何と答えますか。浸礼を受けたすべてのエホバの証人は,人間をとる漁師になることをすでに決定しました。そして「もし彼に従うならば」,彼らは人間をとる漁師になれるのです。―マタイ 4:19。
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福音伝道者の資格を身につけるものみの塔 1967 | 3月1日
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福音伝道者の資格を身につける
先頃開かれた「神の自由の子たち」地域大会において,クリスチャンの生き方に関する多くの助言が与えられました。イエス・キリストの真の追随者はイエスがされたように聖書の音信を他の人にわかちます。それで大会のプログラムは野外の宣教に焦点を合わせ,励みを与える話,有益な実演,質疑応答が多く行なわれました。
「ものみの塔」誌の読者の中には,神の国の福音を伝えることが神の御心であるのを知ってそのわざに参加する準備をしている人も大ぜいいます。(マタイ 24:14)大会日曜日の朝に行なわれた討議は,このような人にとって興味ぶかいものです。「聖書の真理の研究にどれほど進歩している人を野外奉仕に誘うことができますか」という質問に対して,次の答えが与えられました。
「それについて一定の規則はありません。人はそれぞれ違うからです。しかし心にとめておくべき基本的な原則があります。
「人が自分の信ずることを語るのは自由です。神のことばを聞いて心を動かされ,学んだ事柄を他の人に語るとすれば,それは良いことです。マタイによる福音書 9章26節によれば,イエスが死んだ少女をよみがえらせたことは,その地方全体に伝えられました。少女のよみがえったことに驚いた人々は,たとえ自分がイエスの弟子でなくても他の人にそれを語り伝えたのです。またそれよりも前,スカルの井戸のかたわらでイエスの話を聞いたサマリヤの女は,急いで町に行ってイエスのことを語り,その結果,大ぜいのサマリヤ人がイエスを信じました。しかしヨハネによる福音書 4章18節によれば,この女は夫でない男と同棲していました。ゆえにイエスの弟子となるには,生活を変えることが必要であったに違いありません。しかしそうではあっても,見聞きした事柄を他の人に語るには,何のさしつかえもなかったのです。今日でも同じことが言えます。
「しかしエホバの証人に伴われて奉仕に携わり,証言に参加して,そのわざを公に行なうとなれば,話は別です。その人はエホバの証人の仲間として自分を紹介し,他の人はその人を見てエホバの証人を判断します。その人には証人と一緒に伝道する用意がありますか。その人はエホバの証人にふさわしい考え方をしていますか。聖書が神の霊感によって書かれたことを信じていますか。そうであれば良いことです。しかしほかにも考えるべきことがあります。―テモテ第二 3:16。
「その人は聖書の教えをどれほど知っていますか。だれかに質問された時,キリスト教国の教会の教えに従った答えをしますか。それとも聖書に教えられていることを答えますか。(マタイ 7:21-23)聖書の教えを他の人に説明することに熟練してはいなくても,神のことばの基礎的な教えを少なくとも知り,また信じていますか。そうでなければなりません。そうでない人はエホバの証人の仲間であると公言できません。
「ほかにもまだ考慮すべきことがあります。神のことばを教える者とみずから言えるだけの資格が必要です。すなわち自分が教えることと一致した生活をしていなければなりません。そうでなければ自分が代表しているはずのものに非難をもたらします。聖書を開いてローマ人への手紙 2章21,22節のことばに注目してください。『なぜ,人を教えて自分を教えないのか。盗むなと人に説いて,自らは盗むのか。姦淫するなと言って,自らは姦淫するのか。偶像を忌みきらいながら,自らは宮の物をかすめるのか』。ここで使徒パウロは律法の教師を自任するユダヤ人に語りかけています。そして律法を正しく教えるには,律法に一致した生活をみずからが送るべきことを示しているのです。そうでなければ,律法を教えるいわれはありません。
「霊的なイスラエルの残れる者および彼らとともに伝道を行なっている人々にも,同じ原則があてはまります。彼らは正直について聖書の教えることを実行していなければなりません。(エペソ 4:25,28)また淫行と姦淫について聖書に述べられている事柄を知り,聖書の教えにかなう生活をしていることが必要です。(ヘブル 13:4。マタイ 19:9)また酒に酔う人であってはなりません。(ペテロ第一 4:3,4)どんなものであっても偽りの宗教の組織の行事に参列したり,その活動に参加したりする人であってはならないのは当然です。(黙示 18:4。コリント第二 6:14-18)またイエス・キリストの追随者であって,この世のものでない以上,政治に関係していないこともその人々に要求されます。(ヨハネ 15:19)これらの事柄を学び,信ずるようになり,さらに実行するには時間が必要です。しかしこのような条件がととのわないうちに,エホバの証人として野外奉仕に出ることをすすめるのは正しくありません。
「さらに次のことを考えてください。品行の正しい生活を送り,真理を知り,それを正しく他の人に伝えるのが,エホバの証人のすべてではありません。エホバの証人は聖書を学ぶために定期的に集まります。それも崇拝の一部です。それで野外奉仕に参加する前に,会衆の集会に出席していることが必要です。そうでなければ,聖書をもっと知りたい人をどこに招待するのですか。自分が集会に出席していなければ,他の人の出席を励ますことはできません。しかし聖書は集まり合うことを励まし,神の家をなおざりにしないように私たちをさとしています。―ネヘミヤ 10:39。ヘブル 10:24,25。
「会衆の集会に出席していない人が野外奉仕の報告を出すならば,どんなことが言えますか。その人は,自分を奉仕に件った伝道者を喜ばせようとして報告を出したのかもしれません。次のことを確かめねばなりません。報告を出したのは,組織とともにいることを望み,組織の一部であることを望んでいるからですか。その人はエホバへの奉仕に定期的に参加することを望んでいますか。エホバの証人として野外奉仕報告を出し,それが会衆の報告に加えられるには,(出席を不可能にする事情があったり,身体的に出席が不可能である場合は別として)どれかの集会に出席してエホバの証人と交わっていることが必要であり,品行方正な清い生活を送り,基礎的な真理を知っているのに加えてエホバの証人のひとりになるのを望んでいることが必要です。
4月と12月の目標
以上の討議が行なわれてのち,次の質問が出ました。「毎年4月と12月の伝道者新最高数については,今までと違う見方をするようになるのですか」。答えは次のとおりです。
「今お話しした中で新しい事柄は一つもないのです。それは『平和と一致のうちに伝道し教える』の17頁に書かれています。また23頁には宣教の結果,増加を当然に期待できることが述べられており,さらに4月と12月に伝道を始める人々は会衆と交わっている新しい人であることが示されています。それはエホバの証人と交わっていない人を奉仕に導くことをすすめているのではありません。
「それで4月と12月に私たちが努めるのは,まだ用意のできていない大ぜいの人を野外奉仕に導くことではありません。しかし時おり,たとえば4月と12月にわざを再検討し,奉仕を始める用意のできた人がいるかどうかを見るのは良いことです。そのような人がいれば,私たちは援助します。こうして私たちは特定の月にはこの線に沿って特に努力します。またエホバの活発な賛美者になる準備をさせるのが,聖書を教える目的であることを心に留めるならば,わたしたちすべては励みを得ます。(テモテ第二 2:1,2)他の月には新しい人を奉仕に導かないというのではありません。わたしたちはそのことをしています。しかし1年のうち特定な時期には,わざのこの面に努力を集中するのです。新しい人がエホバへの活発な奉仕に加わるならば,わたしたちは大きな喜びを得ます」。
あなたはいかがですか。御国の福音の伝道者ですか。御国の福音を伝道し宣明したイエス・キリストの追随者になることを望まれるならば,まだそうする時のある今,真剣に努力して,このわざに今携わるための備えをぜひとも身につけてください。―ルカ 8:1; 21:34-36。
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読者からの質問ものみの塔 1967 | 3月1日
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読者からの質問
● 少年,または少女が異性と「デート」を始めるのは,何才位からが適当ですか。
このことが強調されている。近頃の世の中では,若い人がそれに関心を持つのも当然です。しかしこのことをおもな関心事にするのは賢明ではありません。独身であれば自由があり,多くの場合,結婚した者には果たせない神からの割当をもはたすことができます。エホバの証人として,全時間奉仕を始める人は,すばらしい祝福を得ます。ものみの塔協会のベテルの家,または特別開拓者,宣教者の奉仕の分野で働くかもしれず,巡回の僕として各会衆を訪問し奉仕するようになるかもしれません。この事物の制度に残されている時は非常に短く,現在さしのべられているこれらの特権を得る機会は二度とこないでしょう。それで,それらを楽しむのは今です。
時がくればほとんどの若い人は結婚するでしょう。しかし感情的に夢中になり,学校が終わったらすぐとか,又はそれ以前に結婚しなければならぬと考える必要はありません。まず人生を知り,開かれている奉仕の特権を自分のものにしてはいかがですか。一度自分の進路を決めたならば,それを中心に他の事柄を理知的に計画できます。そうするならもっと幸福になるでしょう。そしてのちに,結婚生活に伴ういろいろな責任を負うことを望む時,それを正しく果たす準備ができていることでしょう。
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