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信仰に対する信仰 それがあなたの信仰ですかものみの塔 1961 | 10月15日
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ことを示して,イエスは次のように言いました,「神はそのひとり子を賜わったほどに,この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで,永遠の命を得るためである」。また,「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」とも言いました。―ヨハネ 3:16; 17:3,新口。
また信仰というのは,「望んでいる事がらを確信」することでもあります。それで,何を望んでよいのか,あるいは望むべきか知らなくてはなりません。神の御言葉はこの点でも,私たちに必要な知識を備えています。楽園の状態が地に回復されると,御言葉は保証しています。しかもそれが,地球全体におよぶものであり,その復興の仕事は,この世代に始まるものであると述べています。その時には,だれも「そこなふことなくやぶることなからん,そは水の海をおほへるごとくヱホバをしるの知識地にみつべければなり」ということになります。すべての人は,唯一の真の神,エホバの崇拝に結びつけられます。さらに神は,「人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや,死もなく,悲しみも,叫びも,痛みもない」。そしてすべてのものは,本当に新しくされます。―イザヤ 11:9。黙示 21:4,5,新口。
そうです,私たちには神について語りかけてくれる,神の自然の本があるばかりでなく,神の書かれた御言葉である聖書があります。それによって信仰のための確固とした基礎を持つことができます。ちょうど,昔のベレヤの人が,キリスト教の名のもとに伝えられた事がらが,神の御言葉によって果たして裏づけられているかどうかを注意深く調べたのと同様です。そのわけで,使徒パウロはテモテに次のように書きました,「聖書は,すべて神の霊感を受けて書かれたものであって,人を教え,戒め,正しくし,義に導くのに有益である。それによって,神の人が,あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて,完全にととのえられた者になるのである」。この聖句を見ると,宗教とは単なる気分的なものでなく,また信仰も信ずるという心の状態に基づいているのではないということが明らかです。―使行 17:11。テモテ後 3:16,17,新口。
その実によって
愚かにも信仰に基礎を置いた信仰というのがキリスト教国にはっきりと見られます。特にアメリカのばあいがそうです。宗教のことがこれほどよく口にのぼる時はかってなかったのですが,同時に今ほど人々の生活の中にキリスト教の精神が生きていない時も,かつてありませんでした。
固い基礎の上に建てられた,生きた真の信仰を持ち,その信仰が生みだす実によって,神の是認と祝福を得たいと思いませんか。それなら神の御言葉の知識を取り入れ,神の御心によって備えられた手引と共に,御言葉を学んで下さい。岩の上に家を建てた賢い人のように,その知識に基づいて,行動して下さい。自分の生活を神の正義の要求に合わせて下さい。これと同じ気持を持っている人と交わって下さい。そして機会がある時,学んだことを他の人に話して下さい。そのようにするなら,生きた信仰を持っていると証明することになります。そして,「神の御旨を行う者は,永遠にながらえる」ということを,おぼえていて下さい。―ヨハネ第一 2:17,新口。
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だれでも証言すべきものみの塔 1961 | 10月15日
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だれでも証言すべき
「証言の仕事を全部牧師にまかせてしまうなら,会衆の福音伝道計画は,的をはずれていることになる。また,牧師が信徒に証言するようにと言いながら,この基礎的なわざに対して,信徒たちを教え,訓練しそして組織しないなら,これも的をはずれている。牧師は証者たちにたいして証者でなくてはならず,また,証者たちを訓練し,組織する者でなくてはならぬ」。―「ルーテル教会のあかし」,1959年10月20日号。
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