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奉仕に対するヱホバの証者の見方ものみの塔 1957 | 5月15日
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25 善意者をどのように援助して,集会に出席することの重要性を悟らせることができますか。
25 善意者にも,会衆の集会のどれか,又は全部に出席するよう招待し,そして出席することを励ましなさい。毎週1度の家庭聖書研究の終りに,数分の時間をかけて,先週の集会における際立つた点を述べることは良いものです。こうするならば,集会で得られる適切な知識がいろいろのものであることに気づき,そして自分は何を得そこなつているか,を研究している人は知ります。御国会館の集会に早く出席し始めれば,それだけクリスチャン成長も急速なものとなります。そして,すべての集会出席に歓迎されている,と感ぜしめると共に,ヱホバの証者は金銭に興味を持つているのでなく,むしろ人々を援助して聖書の真埋を学ばせ,かつ神の新しい世の生命に通ずる道を歩ませている,と知らせなさい。―ヨハネ 17:3。
他の人々に奉仕する
26 誰だけがハルマゲドンを生き残りますか。彼らは,いま何をしなければなりませんか。
26 奉仕の目的は,ヱホバの御名の立証に参加し,他の羊を見出して養い,そしてヱホバの証者として忠実を証明することです。この古い世を改めるのは,ヱホバの証者の目的でもなければ,目標でもありません。この古い世は,決して改まらないでしよう。なぜなら,マタイ伝 24章38,39節に明記されているところによると,この世の住民の大部分は,ノアの日の時と同じく,近づいているハルマゲドンの戦で亡ぼされてしまうからです。全般的に見て,この世は食べたり,飲んだり,浮かれ楽しむのに満足し切つています。しかし,現存している状態に歎き悲しんでいる人々もいるのです。時の許すあいだ,それらの人々をも見出して,援助しなければなりません。急速に近づいているハルマゲドンの大いなる戦争に生き残りたい,と希望するすべての人々は,ヱホバの次のすすめに耳を傾け,そして答え応じなければなりません,『すべてヱホバの律法を行うこの地の遜るものよ。なんじらヱホバを求め,公義を求め,謙遜を求めよ。さすれば,なんじらヱホバの怒の日に或はかくさるることあらん。』― ゼパニヤ 2:3。
27 今日,奉仕はどのように重要ですか。あなたは,なぜそう答えますか。
27 今こそ,羊のごとき性質を持つ柔和な人々を集めて,援助の手を差し伸べ,そして動揺することのないしつかりした神の讃美者にならせる,恵みの時であります。(コリント後 6:2。コリント前 15:58)真の隣人愛と全き無私の気持をもつて,私たちは奉仕の機会を探し求め,そしてつくらねばなりません。それは,今からハルマゲドンに至るまでの地上でいちばん重要な業です。私たち,および私たちが伝道する人々にとつては,生命か死の事柄であります。
28 私たちは,何をすることができませんか。
28 夕方や週末が来ると,この世的の活動とか他の活動をしているために,疲れを感ずるのは当然であります。自分は,家に坐つていながら,他の者が忠実な奉仕をなし,羊の世話しているのは,なんと素晴らしいのだろう,と気楽に考えることは容易なものです。しかし,そのようなことは,決してあつてはなりません。『伝道しないなら,私は災である。』とは,聖書的な指針であります。羊のためには,イエスは自分の生命をよろこんで棄てました。イエスの御跡に従う者として,私たちはよろこび進んで私たちのなし得るすべてを行い,他の人々を援助します。そして,伝道するためには,夕方とか,週末とか,他の時における個人的な欲望や慰安物を犠牲にいたします。この理由の故に,天候が良いものであろうと,悪いものであろうと,また具合の悪い事柄にたくさん直面しようとも,私たちは家から家の奉仕に出かけて,聖書研究を司会し,あるいは他の方法によつて正直な心を持つ人々を援助します。
29 なぜ区域は割当てられていますか。
29 すべての人にあます所なく伝道するためには,一か八かというようないい加減な取り極めは用いられていません。全く用いられていないのです! ヱホバの証者の奉仕の業は,良く組織されています。世界中にある1万6240のどの会衆も,また孤立した区域に奉仕している多数の宣教者や,正規開拓者,特別開拓者は,奉仕をする明確な区域を協会から受け取ります。そして,任命された区域内に住むすべての人に伝道する責任を有しています。
30 (イ)ヱホバの証者はなぜ家から家に伝道しますか。(ロ)何度も区域を伝道する理由を述べなさい。
30 奉仕の最も効果的な方法は,人々の家庭を訪問する,という聖書的な仕方です。これこそ,イエスが弟子たちに教えて伝道せしめた仕方であり,またパウロの従つた仕方でもあります。パウロは次のように証しています,『あなたがたの益になることは,公衆の前でも,また家々でも,すべてあますところなく話して聞かせ,また教えた。』(使行 20:20,新口。マタイ 10:5,11-13)区域内の家庭を2度目に訪問すると,時折り家の人はこんな風に言います,『またですか。ヱホバの証者は,ついこの間来たばかりですよ。』区域を繰り返し組織的に伝道しよう,と特別に努力する私たちの方が,そのことを一番良く知つている者です。しかし,区域を1度だけ伝道してから,なぜ止めないのか,と或る人々は質問します。その理由は,こういうわけです,1度訪問してからその次に訪問する時までのあいだに,人の状態または環境は変つてしまうことがあります。或は前に家の人に語つた事は,その人の考え方を変えてしまい,最初の訪問のなされた時には,反対していたか,忙しかつたか,それとも反応を示さなかつた人も,今では御国の音信をよろこんで聞こう,という気持になつていることがあるのです。今日でこそ活潑な奉仕者である人々の殆ど全部も,最初の訪問を受けたときに,答え応じようとしませんでした。彼らは区域が何度も奉仕されたことを非常に喜んでいます。そして,今度はそれらの人々は,任命された区域を幾度もよろこんで伝道し,他の羊を探し求めます。
31 聖書の話を用いる利益は何ですか。また,聖書の話を時々変える利益は何ですか。
31 私たちの奉仕のことを良く知らない或る人々は,『同じ家に再び行つて,同じことを言うなんて,あきが来ませんか。』と尋ねます。たしかに家々を再び訪問しますが,しかし同じ言葉は語りません。奉仕をする前に,奉仕者たちは要点をついた3分から8分の聖書の話を準備します。そして,すくなくとも一つの区域を再び訪問する毎に,証者は新しい聖書の話を用います。このように良く準備しますから奉仕をすることはよろこびです。戸口に行くとき,そして家の人が戸のところに来るのが聞えるときに,『何を言おうか。どう始めようか』などの考えは,頭の中に生じない筈です。準備をしている奉仕者は,確信をもつて聖書の音信を宣べ伝えます。それですから,その話が終るときには,素直な気持で聞く家の人は,ヱホバの証者の訪問した理由を疑問に思うようなことがないでしよう。首尾一貫した聖書の話によつて,家の人は訪問の目的を理解すると共に,益を受け,かつ感謝することができました。正しい進備をなすすべての奉仕者は,いま定期的な証言に3分から8分の聖書の話を用いており,その効果の大きいことを良く知つています。
32 聖書の文書を僅かな寄附で提供しますが,それでも『神の言葉を売り物にしていない』ということは,どのように明確に指摘されますか。
32 興味を持つ家の人を援助して,聖書の真理をくわしく知らせるため,聖書研究の手引の本,「ものみの塔」や「目ざめよ!」誌,そして冊子などの印刷された聖書の話が,僅かな寄附で,家の人に提供されます。受け取る寄附は,印刷と取り扱いの費用の支弁を援助するものに過ぎません。もし寄附することができず,しかも真面目な気持で印刷された話を欲するなら,奉仕者はその人に与えるでしよう。しかし,その場合は奉仕者が自弁します。このすべての事は,次のことを明白に証明しています,すなわちヱホバの証者は『多くの人のように神の言葉を売り物にせず,真心をこめて,神につかわされた者として,……語るのである。』(コリント後 2:17,新口)印刷された聖書の話を用いることにより,人々は自分の都合の良い時に研究することができます。
33 なぜ再訪問をしますか。伝道者は,どのように準備すべきですか。
33 奉仕の目的は,興味を持つ人々のところに聖書研究の手引を置くだけに限られていません。他の羊を見出して,それから養いなさい,というイエスの教えを十分に為し行うためには,これよりももつと多くのことが要求されます。多くの時間を費して興味のある人々を探し求めてから,今度は再訪問をして羊を真実に養わねばなりません。奉仕に対する正しい見方を持つすべてのヱホバの証者は,聖書の音信に興味を示す人々のところによろこんで再訪問いたします。家の人の興味を惹く事柄についての10分から15分の聖書の話を良く準備して再訪問します。すると,家の人は個人的な家庭聖書研究が必要である,と悟ります。目ざとい奉仕者は,できるだけ早く家庭聖書研究を始めます。
34 家庭聖書研究は,どんな価値を持つていますか。なぜ,多くの人は家庭聖書研究を司会していませんか。
34 会衆の伝道者として,あなたは毎週すくなくとも一つの家庭聖書研究を司会していますか。開拓者もしくは宣教者として,幾つかの家庭聖書研究を司会していますか。各人はすべきであります。しかし,報告の示すところによると,資格を持つ多数の奉仕者はそうしていません。実際のところ,多くの会衆の伝道者の中,僅かの15パーセントから20パーセントぐらいの伝道者だけが,この大切な聖書研究を司会しているのです。なぜ,もつと多くの人は聖書研究を司会しないのですか。多くの人には能力が無いからですか。そうではありません。すべてのヱホバの証者には,研究を司会する能力があるのです。はつきり言うと,或る人々は,責任にしばりつけられるのを欲しないため,家庭聖書研究を避けているように見えます。これは正しくない見方です。私たちの殆ど全部は,誰かが私たちと家庭聖書研究を司会して呉れたからこそ,真理の知識を持つに至つたのではありませんか。そうです,そこに,家庭聖書研究の価値があるのです。まつたく『私の小羊を養う』ためには,家庭聖書研究は絶対に必要です。
35,36 どんな正しい見方を持つべきですか。これは,どのように聖書的ですか。
35 そのわけで,献身している証者の各人は,すくなくとも一つの家庭聖書研究を定期的に司会するようにいたしなさい。そして見込みのある他の羊に対しては,次の聖書的な見方を持ちなさい,『あなたがたを慕わしく思つていたので,ただ神の福音ばかりではなく,自分のいのちまでもあなた方に与えたいと願つたほどに,あなた方を愛したのである。兄弟たちよ。あなた方は私たちの労苦と努力とを記憶していることであろう。……日夜はたらきながら,あなたがたに神の福音を宣べ伝えた。』― テサロニケ前 2:8,9,新口。
36 奉仕に対する正しい見方を持つ奉仕者は,聖書研究をする時間がどんな時であろうともよろこび進んで家庭聖書研究を司会いたします。そして,自分の奉仕の目的は実を結ぶことであり,家庭聖書はその手段であることを忘れてはいません。ヱホバのすべての忠実な証者を,再訪問や,家庭聖書研究や,また家から家の奉仕,雑誌の業,そして御国奉仕の他の部門にも参加させましよう。それは,「良き平衡を保ち,奉仕を全くなしとげる」ためであります。―テモテ後 4:5,新世。
新しい奉仕者を訓練する
37 ヱホバとその目的を学ぶにつれて,人は何をしたいと欲しますか。
37 善意者が家庭聖書研究の取極めを善用して,会衆の集会に出席するようになると,ヱホバの大いにしてすばらしい目的についての正確な知識を得ます。そして,その目的を愛すると共に,かつヱホバの御名の讃美に参加して,他の人々を援助し,生命の道を学ばせたい,と欲します。それは,骨の中の火のようになります。彼らは幸福な奉仕者の隊伍に加わらねばならず,また加わりたい,と欲します。
38 イエスが他の者を訓練した仕方に従つて,今日では人はどのように奉仕者になれますか。
38 どのように奉仕の資格を得ますか。神学校や,訓練を施す特別の学校に行かねばなりませんか。イエスは,当時の神学校に自分の弟子たちを送りませんでした。イエスは,弟子たちを連れていつしょに野外の奉仕に行き,訓練したのです。そして,何をすべきかを教えてから,弟子たちを遣して教える業をなさせ,そして他の人々をも弟子にならせたのです。(マタイ 28:19,20)今日,全世界にいるヱホバの証者は,この聖書的な仕方に従つています。
39 (イ)新しい奉仕者を訓練するために,各会衆にはどんな取極めがありますか。(ロ)いつしよに働いている人々は,自分たちの割当をどのように見なしますか。
39 どの会衆にも,新しい人に訓練と援助を与えて,奉仕のための正しい資格を備えさせる取り極めがつくられています。巡回の僕または巡回の僕の次の訪問での期間中は,会衆の僕は,円熟している有能な奉仕者を任命して,新しい人々や援助を必要とする人々に訓練と援助を与えさせます。それは,それらの人々が,十分の資格を持つ家から家の奉仕者になるためであり,また興味を持つ人々に再訪問し,家庭聖書研究を開いて司会するためであり,かつ適当な聖書の話を準備して与え,そして他の方法によつて資格のある奉仕者になるためです。神権的な友だちと呼ばれる二人は,いつしよに働き,そして奉仕のすべての部門にできるだけ多く従事することのできる一つの予定をつくります。円熟している奉仕者は,率先して指導し,学んでいる者に親切で有益な助言をいつも与えます。訓練を受けている者が進歩するにつれて,だんだん自分一人で多くのことを為し,遂には他の人の援助なしで聖書の話をすることができ,効果的に家から家に奉仕したり,再訪問をしたり,そして聖書研究を司会することもできます。そして,今度はその人が別の人を援助する立場になるでしよう。どの神権的な友だちも,自分の割当を真剣に採り上げ,それは神権的な任命であると認めます。十分の資格を持つ人は,自分に割当てられた人を助けるのは,特権である,と考えます。その人を援助して,ヱホバの有能な証者にならせるために,その割当てを受けたのです。また,訓練を受ける人は,訓練計画を神権制度の愛の準備と感謝します。この準備によつて,その人は援助を受け,そして十分の資格を持つ奉仕者になると共に,ヱホバの誉をひろく言い表わすことができるようになるのです。ヱホバは,宣べ伝えさせるために,その者を召しました。―エペソ 4:11-14。
40 (イ)この研究からどんな結論が得られますか。(ロ)次には,何を考慮しますか。
40 この記事からも分る通りに,ヱホバの証者は自分たちの奉仕を真剣に採り上げます。ヱホバの証者は,奉仕に深い関心を持ち,奉仕こそ真の崇拝の最も大切な部分である,と認識しています。(マタイ 7:21)ヱホバの証者が自分の事柄をどのように組織して奉仕するか,そしてヱホバの証者の奉仕の見方というものを論じてきましたから,次の記事では会衆の責任に対する監督の資格,および奉仕の任命に対する監督の見方を学びましよう。
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神々の大群ものみの塔 1957 | 5月15日
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神々の大群
西暦第1世紀に生存していたベトロニアスはネロ王宮の接待司でした。彼の書いた本「サチリエス」の17章には,ローマの国家宗教に関する彼の所感が記されています。ベトロニアスは次のように書きました,『我々の国には余りに多くの神々がいる故に,人を見つけるよりも神を見つける方がずっと容易である。』
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